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集団就職は、長期的な目で見たら成功だったのでしょうか?

私は秋田県に住んでいる20代ですが、秋田県は日本一の高齢化率で、若者の流出も著しく、人口減少と過疎化が深刻になっています。

秋田に限らず、地方では昔【金の卵】と呼ばれて集団就職する若者が居ましたが、貴重な若者を手放すなど信じられない過去もあるもんだと驚愕しています。

そりゃ都会に出れば仕事もあるし、賃金も高いのは現在でも同じだと思いますが、だからといって若者を流出させたら、将来的に大変な事になるとは思わなかったのでしょうか?

一番ビックリしたのが、秋田県庁が就職の斡旋をしていた当時のニュースを見て、この若者達が秋田を離れず地元に残っていたら、まだここまで過疎化はしなかったのではないかと思っているのですが…。

A 回答 (7件)

俳句で覚えよう、


リクルート賄賂をもらった自民党、転職をさせて儲けるリクルート
外人の奴隷増やせばボロ儲け

少子化は計画的にやっている
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例えば、田中角栄氏は小学校卒で上京。


建築の現場で働きながら、専門学校で勉強してます。
出世のチャンスという点で、有る程度、有益だったかと。

昔は農業従事者が8割9割。自前の農地がないと仕事になりません。
農地を持てない次男3男へチャンスを与えることで、当時としては有益な選択肢だったでしょう。
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金の卵と呼ばれ、集団就職がブームね。



こういう歌がヒットの時代。
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昔は多産で兄弟姉妹も多かったですから、逆に云えば、すべての子供が地元に残れるほど地元に就職先はなかったでしょう。

全員が農業でメシを食っていけるほど農業に生産力があったとも思えません。

江戸時代においても、自作農は豊かな暮らしが出来ましたが、それでも基本は長子相続で、長男が近隣の自作農から嫁をとって代々が宗家を維持していくという構図です。
次男以下と娘は、近くの城下町や港町の武家や商屋に丁稚奉公や行儀見習いに出され、という感じで、後に実家に戻って結婚する子供もいましたし、そのまま都市部に残って暮らす子供もいました。
貧乏農家の場合は、間引きや人買いに売られるケースもあったでしょう。

状況としては、集団就職以前の時代も、農業地域から都市部への人口移動は間違いなくあったでしょう。

集団就職が終了してしまった現代においても、秋田から東京や札幌、仙台方面などに大学進学や就職で移動する子供が多いことに変わりはないでしょう。
そして、少子化時代でも地元に残る子供が少ないので、過疎状態が深刻化し、それがますます過疎に拍車をかけているということでしょう。
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地方には仕事が無い、東京には仕事があり労働力が欲しい、


地方で勉強をするよりも、早くから現場で学んで熟練になりたい、
これが一致しての、集団就職列車です。

地方には、当時も今も、若者を引き留めるほどの仕事が無いのが実情です。
変わらない地方を問うべきだと思います。
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国の政策ですからね。


それによって高度経済成長を果たし、敗戦国からJapan as No.1と言われるほどになったのです。
今の日本はそれを土台にした社会です。

工業立国を目指し、工業で稼いだ金で食料を輸入すればいい、と地方の過疎化を奨励したのです。 

つい20年ほど前でさえ、「そんな不便な所に住んでないで、都会で暮らせばいいじゃないですか」と言った首相がいました。
意識が70年前の政治家を選挙で選んでいるのが日本国民です。

国民が意識を変えないと国は変わりません。
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現在の視点や価値観で1960年代頃の出来事を判断するってのは無理



当時、一組の夫婦に子供は何人居たと思う?
当時、秋田と東京などの世帯収入の格差がどのくらい有ったと思う?

過疎が深刻化したのは行動成長期ではなくバブル崩壊後の話だよ
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