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実朝が死んだタイミングで、頼朝の子供は貞暁が、頼家の子供は栄実、禅暁がいたのに、どうして藤原氏から次期将軍をもらったのでしょうか?

A 回答 (4件)

血筋だけでなく、将軍としての能力、後援者の有無などで決まります。


頼朝のときから、正妻の実家のチカラが強かったので、このさい、将軍はお飾りにして、執権として北条家が権力を握ろうって結論になりました。
徳川幕府も、三代目の家光まではしっかりしてましたが、その後、血統に拘るより、朝廷に相談して、天皇家から養子を貰って将軍にという意見がチラチラと出てたようです。
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実朝と後鳥羽の間で、後鳥羽の皇子を実朝の養子とするとの口約束がありました。


で、後鳥羽に皇子を鎌倉に寄越すように幕府は要請しましたが、頼家実朝と二代続けて殺されたことから、自分の子供も殺されると考えた後鳥羽は約束を反故にして拒否しました。
それで貞暁に打診しましたが辞退されて頼朝直系男子は無くなったのです。
栄実はそれ以前に謀反の疑いを掛けられて殺害されています。禅暁は公暁との連座を疑われて処刑されています。
それで最終手段として、頼朝の妹の子孫である三寅(九条頼経)を、頼家の娘である竹御所の婿として迎えたのです。
後に竹御所は、出産時に子供共々死亡してしまいます。そのため、残った頼経がそのまま鎌倉殿として残ったのです。
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なまじ頼朝の血筋だと、乳母の関係者や生母の縁者などが後見に・・・・


なんて色気を出しかねない
それが理由で色々政争が起きたことをから
次は京都からお公家さんの若君を招いたほうがそのような争いの火種にはならないと判断した

血筋的には頼朝の姉?妹?の子と言うことで、なんとなく理屈は付いてくるし
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藤原氏は将軍の後継者選びには何等の関与してません。


頼家の公暁は実朝暗殺の咎で殺され、一幡は政変で6歳の時に殺され、
禅暁は公暁に加担したとの嫌疑をかけられ殺されています。

画して、源頼朝の後継者の男子は皆、死んでしまったので、外戚の北条家
が画策して、天皇の血筋の子供をお飾りの征夷大将軍として、迎え入れ
北条家が執権として、鎌倉幕府の実権を代々世襲で受け継いだのです。
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