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宇多天皇が高望王に平朝臣を与えて臣籍降下させたのは何故でしょうか?
他にも清和天皇が経基王を臣籍降下させて源氏を名乗らせたりしていますが
皇族のまま留め置かなかった理由を教えて下さい

A 回答 (2件)

原則としては


・律令においては、4世王までは皇親となり、5世王は皇親とはならないものの王号を有し従五位下の蔭位を受け、6世王は王号を得られないものとされた(もっとも、慶雲3年(706年)2月の格で変更あり)。そのため、歴代天皇から一定の距離を経た者は臣籍に入るものとされた。

なんですが、
子だくさんの天皇陛下の子弟のために、国家財政が圧迫されないよう、
六代またず、臣籍と共に田舎の領地与えて、自活してもらおうということです。
というわけで、東北から九州まで、皇族出身の源氏平家だらけに、なるわけです。

また、摂関家である藤原北家に遠慮して、藤原北家の縁戚でない皇子が皇位継承しないよう、
臣籍降下させたという面もあります。
(もっとも、臣籍から皇族にもどったあげく、天皇に即位した方も、いますが\(^^;)..
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この回答へのお礼

ありがとう子゛ざいます

お礼日時:2014/01/23 13:16

>平朝臣を与えて臣籍降下させたのは何故でしょうか?


賜姓源氏は山ほどいたのに、なぜあえて「平」だったのですかね~
宇多天皇という方は寛平の治などと呼ばれる荒治療をやられた方で、さっさと譲位したのも、藤原氏の影響を削ぐためだった言われている方です。
賜姓源氏の連中は大なり小なり藤原氏の世話になっていますから、対抗勢力の創設でも目論んだのですかね~
高望王という人も、当時は遙任とかなんとか言って京の都にへばり着いていたのに、サッサと都から遥かに離れた上総へ一族郎党を引き連れて赴任しています。
しかも任期を満了しても帰ってはきませんでした。
このような行動から推定すると、当時の軟弱なお公家さんの世界では珍しく豪胆な人だったのではないのでしょうか。
この豪胆さに宇多天皇が目を付けて、敢えて源氏とは異なる「平」を授けたのではないのでしょうか。
将来、清盛なんぞという者が現れると御神託があった訳ではないでしょう。

>清和天皇が経基王を臣籍降下させて源氏を名乗らせたりしていますが
これはもう、系図の順位からして皇籍を望むのは無理でしょう。
経基王は高望王に比べるとおっちょこちょいの気がありますね~
興世王の尻について武蔵まで行った挙句にろくなことをやらずに、その挙句平将門に威し挙げられて逃げ帰り、朝廷でウジウジ裏工作をやって、将門の首を切らせた人です。
子孫に出来の良いのがいたお蔭で、武家源氏の始祖とかなんとか言われてはいます。
とは言え、まぁ~お公家さんそのものですね~
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2014/01/23 13:16

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