アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

源頼朝は、比企氏と北条氏が協力して新将軍の源頼家を支えてくれることを望んでいたようですが、(そのために北条義時と比企氏の姫の前が結婚することを後押しした。)なぜ比企氏と北条氏は、争うことになってしまったのですか?

A 回答 (3件)

将軍頼家がしっかりと頼朝のように幕府を継承してくれれば、頼朝の期待通りになったかもしれません。


しかし、頼朝の急死で、頼家はまだ未熟で将軍職の教育も今一つだった。少なくとも、坂東に基盤の無い将軍が権威だけで指導力を発揮していくには、明らかに力不足だった。

そこに急病に犯されて意識不明状態が続いたため、誰もが死ぬと思い込んだ。
誰が頼家の後を継ぐ将軍になるにしても、幼いものばかりで後見人が必要になる。
当時の有力御家人で、将軍家と強い姻戚関係にあったのは、比企と北条だ。
この二家のどちらかが後見人になって、幕府を牽引していくことになる。
後見人の座はひとつしかない。当時は、話し合いが決裂すれば、殺し合いしか決着を付ける方法がなかった。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。

お礼日時:2022/08/20 01:47

当時(遠江国を実効支配していた安田義定が反逆の疑いで処刑された1194年~)、北条時政は、幕府内では有力者の一人になれたばかりで、当人としては、北条政子の関係者として今後に期待したのに、頼朝が死んで、比企が圧倒的地位を得そうになった、時政の野望がむなしく消えると思ったことが、比企能員を忙殺する気を起こさせたのでしょう。


御家人間の勢力争いも激しかったので、半分は、「ときに恵まれた時政」ということでしょう。 そうでなければ、政子も動かなかったでしょう。
    • good
    • 1

鎌倉幕府第3代将軍を一幡にするか千幡にするか。


一幡は、鎌倉幕府第2代将軍。源頼家と、比企能員の娘。せつ(若狭局)の子。
千幡は北条政子と源頼朝の子。(つまり源頼家の弟)
一幡が3代将軍になれば比企が力を持つ。逆に千幡がなれば北条が力を持つ。
まあ、権力争いってやつです。
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!