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比企の乱の時、なぜ多くの御家人が比企氏ではなく北条氏に味方したのですか?比企氏は源頼家の後継者の一幡を擁しており、正統派は比企氏だと思うのですが。北条氏が予め多数派工作していたのですか?

A 回答 (5件)

二代目将軍の頼家が御家人たちに嫌われていたからでしょう。


頼家は経験も実績も無いのに自分の配下である御家人たちを
信用せず、独善的な政治を行い御家人たちと距離を置くように
していたようです。

元々坂東武者たちは鎌倉幕府を設立する前からの源氏の直接的
な配下ではありません。
平家のやり方に不満を持っていた坂東武者たちが、たまたま
源頼朝を担ぎ上げて平家を打倒して出来上がったのが鎌倉幕府
です。

御家人たちは頼朝の下に集まっただけで、頼朝がいなくなり
二代目の頼家が御家人たちと意思疎通ができない状況では、
頼家に不満を持つ御家人たちにとって頼家側の比企氏のこと
も不満の対象になっていると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。

お礼日時:2022/08/12 17:10

比企だからというわけではなく、誰かに権力が一極集中して好き勝手されるのが嫌だっただけですよ。


別に北条に味方したという意識はないでしょう。
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> 北条氏が予め多数派工作していたのですか?



たぶん、多数派工作など考えていなかったでしょう。
そもそも、多数派か、少数派かを重視する考え方を当時の関東武士団は持ってなかったでしょう。
合議とか、多数、少数ということは、重視してないでしょう。

> 正統派は比企氏だと思うのですが。

当時、武士の間で正統かどうかよりも、強くたくましく、いかな状況にあろうが勝ちを得られる強運の者であることが大事にされたでしょう。

とにかく、18歳までは頑健であったとしても、頼家はもう病弱になっていたので、政子にしても、見限りたくなったのでしょう。 政子は、気が強いのです。 身体が弱く、蹴鞠に興じるような者で、各地の猛者を抑えて今後やっていける可能性がなければ、捨てることも止むない。
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北条の根回しと意表を突いた急襲で、比企派が結集する前に決したのです。


比企は武力衝突は想定せずに政治闘争で北条を締め出そうとしていたのかもしれません。
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ドラマを見て


回答します。


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