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源実朝は、なぜ自身の後継に公暁を指名せずに後鳥羽上皇の皇子を迎えようとしたのですか?源氏将軍を意図的に絶やそうとしたという話しを聞きましたが本当ですか?

A 回答 (3件)

実朝というよりも、政子・義時ラインの考えかと思われます。


政子は実朝の正室に上皇の従妹を入れたが子供が出来ないため、上洛時に上皇の皇子を将軍後継に迎えることを画策している。

北条一門にとっては、将軍が北条以外から室を迎えた場合、幕府の主導権を奪われる可能性が常に付きまとう。

だから上皇の血筋を将軍に据え、正室も皇族から迎えることで、有力御家人たちに主導権を奪われないようにしたかったのだろう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2022/10/20 22:05

徳川幕府も、血筋にこだわるより、皇族から迎えて次期将軍にしようという意見がありました。

血筋より、幕府と言う組織の強化維持を優先するための提案でしょう。
頼朝は源氏ですが、妻の政子の実家北条は平氏。そしてカカア天下だったということから、将軍はお飾り。実権は北条が握るぞー。お飾りだから、皇族の方が見栄えが良いと。
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将軍家の権威を高めて御家人たちと隔絶した超絶家格に引き上げるためでしょう。


兄頼家、自身実朝共に母や乳母は御家人たちだったので、後見となるために血で血を洗う抗争が発生して兄頼家は殺されるまでに至っています。
公暁が将軍になってもその状況は変わりません。
しかし、治天君の皇子を将軍に迎えいれば、生母は雲上人、乳母も公家ということで、御家人たちとは隔絶した存在になり、将軍家の家格もグッと引き上げられます。そして次期将軍の正妻やその子の乳母も公家から迎えいれば、それが慣例となって有力御家人の争いの元が無くなると考えたのでしょう。
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