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題名の通りです。この皇子の系譜は
①稚渟毛二派皇子ー大郎子―彦主人王ー継体となっています。
本朝皇胤紹録を見ると、
彦主人王の横に「按。彦主人王、元爲私斐王子。・・・・」
とあります。

私斐王とはということで探すと、

暫く空いて

②隼總別皇子―大大迹王―私斐王

という系譜有。

そこで、記紀を開くと
隼總別皇子は大雀皇子との皇位継承争いで敗れて殺されたはず。
大雀皇子が討伐軍を送って殺したはず。その子孫返り咲き?

ということは英雄不死伝説というか
実は隼總別皇子は実は生きていたのではないか。
さら允恭帝皇后の忍坂大中津媛の父は稚渟毛二派皇子ですよね。

先の①と②を比べ、実は隼總別皇子は死なずに稚渟毛二派皇子として
允恭帝の皇后の父となり、子孫が継体天皇となっていったということは
想定できませんか。
①と②は登場人物こそ名前が違うが、実は各代同一人物ということに
なりませんか。

A 回答 (1件)

記・紀に記載されていること以外、調べようが無い現状です。


言論の自由の国です是非、小説として発表して下さいまし。
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この回答へのお礼

どう思う?

釋日本紀・上宮紀・群書類従の本朝皇胤紹運録
などあり。それらを比較し、総合的に解釈したものです。

お礼日時:2023/01/13 08:01

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