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藤原不比等が将来首皇子に皇位継承させるために公表した不改常典とはどのようなものですか?本当に天智天皇はそのようなものを残したのですか?

A 回答 (2件)

『藤原不比等が公表した不改常典』などないのでは、



慶雲4年7月17日
現神として天下を統治する倭根子天皇(持統)が、詔としてのくられるお言葉を、親王・諸王・諸臣・百官の人たち及び天下の公民は、皆うけたまわれと申しのべる。
口にいうのも恐れ多い藤原宮で天下を統治された持統天皇は、丁酉(文武元年八月)に、この天下を治めていく業を、草壁皇子の嫡子で、今まで天下を治めてこられた天皇(文武)にお授けになり、二人ならんでこの天下を治め、調和させてこられた。これは口にいうのも恐れ多い近江の大津宮で、天下を統治された天智天皇が、天地と共に長く、日月と共に遠くまで、改わることのない常の典(不改常典)として、定められ実施された法を、お受けつぎになり、行なわれることであると皆がうかがい、かしこみ仕えきたと仰せ
られるお言葉を、皆承れと申しのべる。

そもそも公表するようなものではないらしいです。
不改常典があったか、実体はなく、【改わることのない常の典(不改常典)として、定められ実施された法を、天地と共に長く、日月と共に遠くまで受け継ぐ】という言葉だけが、あった のかもしれないです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。

お礼日時:2022/04/26 10:12

度々言及されているからには、天智天皇から何らかの言葉があったのだろう。

文書化されていた可能性もあるが、壬申の乱で失われた可能性もある。

問題は、天智系は非主流派に転落したことだろうか。
言われ始めたのが天武系だ。天武天皇が定めた言葉ならば堂々と言えばよいが、定めたのが天智天皇では具合が悪かったのかもしれない。だからクチにすることが出来ないので曖昧に言うしかなかったのだろうか。

いずれにしても、誰も具体的に語っていないので、今となっては誰も分からないか、分かる人がいても「クチにできない」ということなのかもしれない。
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