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 沖縄でも創氏改名が行われたことを知りました。宮里とか宮平とかはそれだそうです。
 そこで質問ですが、その様な名前になる前にはどのような名前だったのでしょうか。渡嘉敷とか具志堅とかがそうでしょうか、それともこれらも創氏改名で出来た名前でしょうか。
 また、それらのことが書いてある本があれば教えてください。
 最後に「自分で調べろ」的な解答はしないでください。その時間がないのでこのコーナーに頼っているのですから。

A 回答 (2件)

資料がありませんので直接の回答は出来ませんが・・・



沖縄も基本的に苗字は明治に入ってから名乗っています。
王朝時代の士族も苗字は無く任地の地名を名乗っていました。
任地が変われば名乗りも変わる訳です。

第二尚氏初代尚円王の名前として内間金丸と言われることがありますが、これは西原間切内間村の地頭職に就いていた為です。

沖縄の苗字も殆ど地名由来で宮里は名護間切と美里間切にありそれぞれ宮里親雲上が就き、宮平は南風原間切にあり宮里里主が就いていました。

そういう訳でどちらも琉球処分後に作られた名前では無く単に地名から取ったものと思われます。

ただ方言風の読みを本土風に読み替えた物は多数あると思われます。

この回答への補足

 ということは、徳川時代には沖縄では名字を持っている人はいなかったということでしょうか?

補足日時:2007/10/19 15:42
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この回答へのお礼

 早速の回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/10/19 15:41

創氏改名が、もし朝鮮半島で行われた創氏改名と同じ意味でよいなら、創氏と改名を分けて考える必要があるかもしれません。



朝鮮では、同族関係、同族価値観がつよく、ある地域の名前を苗字のようにもっていました。その際土地や村の名前などを冠して、「どこそこの誰さん」「○○地の△さん」とよんでいました。しかし、この「どこそこ」は地名などからとってはいても、現在の姓名の姓のように確立され記される姓名の姓ではなかったようです。
創氏とは、そのとおり「氏」をつくることで(たとえば日本なら山田でも高橋でも)、改名とは、氏とともに名前(氏名)を変えることを指すようです。

この朝鮮の創氏改名の意味が、沖縄の創氏改名と同じ意味かどうかはわかりません。「沖縄の姓は土地の名前が多いよ」とはいわれますので、もし土地の名前を姓に取ってきたなら、それが創氏になるのかどうかです。
つまり、創氏が日本名を強制されもともと持っていた沖縄の姓を変えさせたことなのか(例えば仲村を中村にしたり)、あるいはもともと姓がなかった人にも氏をつくらせたのか(土地の名前でもなんでもつけて)、をわけて考える必要があります。

土地の名前がついたのは事実のようですが(沖縄の親戚もそういいますので)、どの時代にどのように日本の戸籍に入っていったのかは、資料がありません。
なお、沖縄には琉球王国時代に中国から渡ってきた人(久米三十六姓)の名前が今も残っていたり、台湾からの人も多いのですが、朝貢国家であったことを考えると、島津がくるまで彼らは中国姓をそのままもっていたと思います。
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