
氏姓制度が一部、分かりません
連と、伴造、伴、品部についてです。
連が、職能における集団であることはおおよそ理解出来ました。が、伴造、伴、品部の役割を担った人々はそれぞれどのような姓を持っていたのですか?
伴造は伴を率いるリーダー、とありますから、連の姓を持つ氏の氏上が伴造に任命されたのかなと予想しますが、
それに対する、伴とは何なのでしょうか?その連姓の氏の氏人ですか?この場合、伴も連姓を持っていると捉えて良いのでしょうか
また、伴に従う品部とはどのような位置付けですか? 品部の構成員である部民とは氏人の内に入るのですか?(彼らも連姓を持っているのですか?)
非常に細かな質問なのに説明が拙く申し訳ないですが、教えていただけると嬉しいです
山川の詳説日本史図録より図をお借りします

No.1ベストアンサー
- 回答日時:
氏の成り立ち、姓の成り立ち、伴造・伴・品部の成り立ちはそれぞれ別のものです。
氏が完全に確立するのは天智天皇のときとされています。
このときに氏上や氏人の明確化がされます。
逆に言えばそればでは不明確であったということです。
姓は天武天皇の八色の姓で種類が固まります。
それ以前から姓はありますが、曖昧です。
この氏と姓の制度が公民全体に行きわたるのは奈良時代です。
戸籍や大宝律令ができても、人によって氏姓があったりなかったりで、制度として整理できるまでには時間がかかっています。
伴造・伴・品部も、一度にできたのではなく徐々に成り立ちました。
伴造と伴の区別も曖昧、伴と品部の区別も曖昧だったりします。
徐々に、伴のリーダーが伴造、伴と品部の上下関係ができたとされます。
さらに伴造のなかの有力者が別の伴造を率いるようになり、そういう有力者には連姓が多いとされています。(有力でない伴造には連姓以外もいます)
このように律令制以前の氏姓制度は曖昧な部分が多く、さらに説が複数あったりもします。
ですので、高校レベルの教科書ではきちんと書けていません。
教科書ではまるで5世紀ごろの話のように読めるかもしれませんが、実際は律令制に至るまでの数百年のことを圧縮して、かなり単純化して書かれています。
(本来、数ページの説明では収まらないですね。大学レベル以上の論文を複数読まないと、横断的な理解はできないと思います。)
遅くなりました。ご回答ありがとうございます。大雑把になら、理解できたように思います。思っていたよりもずっと複雑な仕組みなのですね。
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