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考えすぎて頭がおかしくなりそうです。潔癖症です


子供が学校に行くのにお見送りをした時の出来事です。家の前まで出て、お見送りをして、家に入って服を全部ぬいでから手を洗って髪の毛にアルコールスプレーをかけるのが日課です。

家の中でも何かあるたびに、痰だの唾だの思ってしまい、どれだけ周りにありえないと言われてもう頭の中はそうだとしか考えられなくなり強迫行為を夢中で行います。辞めたいと思いつつ…

そして除菌シートを1時間ほど前に3枚出して置いておいたのですが、その除菌シートに薄い黄色いシミ?のような汚れが付いていました。もうそこからパニックで、その薄い黄色いシミが痰にしか思えなくて。そのシミのついた除菌シートでどこを拭いてどこでその汚れが付いたのかすらも覚えていません。除菌シートで髪の毛を拭いたりするので、お見送りの時に、靴で痰を踏んで、その痰が髪の毛に飛んで髪の毛に痰が付いていた?それとも除菌シートに初めから痰が付いていた?除菌シートを置いている台のところにも何か見えたような気がしたし、全てが痰まみれなのでは?と怖いです。いつもなら痰かもと思ったその時点でお風呂に入るのに、そのまま手を洗うだけでいつも通り過ごしてしまいました。痰の付いているかもしれない体で触った家の中のものは全部汚いですか?それとも黄色いシミ?が痰ではないのですか?元々勘違いですか?分からなくなってしまい苦しいです。一生ぐるぐる考えてしまいます。よろしくお願いします

質問者からの補足コメント

  • ドロっとはしていませんでした。乾いたのかな?と思っていました…

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/03/15 10:22
  • そうですよね。こんな行為は楽しくなくて正直死んだ方がマシだと思っています。病気なんて今すぐ消えてむしろ家事や育児にもっと専念して楽しみたいです

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/03/15 10:24
  • なんでですかね。他人の唾や痰が本気で怖くて強迫行為を行ってきた結果が幻覚や勘違いになってしまいました。末期だと思います

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/03/15 10:27
  • かなり支障がでています。旦那には一日に何度もこれ痰じゃない?と聞いてしまっています。汚いものは自分では触れないし、触ってしまった時にはお風呂やその汚い体で通った通路や壁などもすべて除菌シートで拭かないと気がすみません。それにだいたいいつも勘違いなのです。なのに風呂に入ったり、無駄な行為だといつも旦那には言われます。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/03/15 10:30
  • お優しい回答ありがとうございます。
    みなさんこんなこと気にして生きていないですよね。
    家の中にいて痰が付いているなんてこと有り得ませんよね…自分を信じないところから始めようと思います…

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/03/15 10:32
  • 全部が全部痰じゃないことは分かっています。それでも痰だと思ってしまう病気なのです。そういう回答は受け付けておりません。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/03/15 10:38
  • ありがとうございます。本当に苦しくて生きづらいですよね。
    私も同じような感じなのでしょうか?いつも、痰じゃない。という自分が初めに1ミリだけ出てくるのですが、すぐに『 いや、絶対痰だ。』という自分に押しつぶされます。そっちの自分が強すぎて…そこからはじゃあ痰なんだ。となりひたすら脅迫行為を行います。1ミリだけ出てくる自分を信じたら全てが痰まみれになる気がして。どっちを信じたらいいのでしょう…

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/03/16 11:06
  • そうですよね。子供を送るのに外に出ただけで髪の毛に痰が付くのは有り得ませんか?人は近くに来ていません。痰を踏んで髪の毛に飛んできたのかな?とか考えてしまいますが、髪の毛に痰が飛んでいた場合、拭いた時にさすがに気付きますよね…
    黄色いシミは痰じゃないと思って大丈夫ですか…?そこだけが不安で…見えない菌といつも戦ってしまいます

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/03/16 11:09
  • そうですよね。気にしだしたらキリがないとは分かっていますが、中々…

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/03/16 11:10
  • なるほど。『症状の事を口にしない事』というのは、例えば、痰かも!気持ち悪い。大丈夫かな?と思っても口にしないということですか?私はいつも家族にこと細く説明して、痰かも?って聞いてしまいます。これを辞めるということですよね?初めは発狂物ですね…

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2025/03/16 17:35

A 回答 (17件中1~10件)

菌がないと人間は生きていけないことを理解されるといいのですが。


もしかしたら、良い菌が足りてなくて精神的にそうなってらっしゃるのかも。。。

例えば腸活の話やワンヘルスの話などを、自分とは別の視点で落ち着いて聞いてみてください。

そんなに除菌しまくっていたら、成長期である子どもさんの体づくりもままならないと思います。

幸い、潔癖が酷すぎることはご自身で自覚されているのだから、あと少しだと思います。
フッとしたことで変われるんじゃないかなぁ。。。
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神経症の治し方は症状が違っても同じと、初めから書いていますが、頭に初めの湧き上がった事柄を『嫌い事から始まっています。



この事が症状として発症するきっかけになっています。

その後では、症状となった事柄を頭の中から追い出そうと躍起にあっています。この事が症状として固定させています。

治ってゆく時は、症状が在っても無くなったとしても気にならなくなっています。この意味は『頭の中から症状を追い出そうとしなくなった事に拠っています。』

そうして本当に治った時は、症状があるから悪いとか、治って症状が出なくなって嬉しいと云った気持ちが無くなっています。

症状が有るから悪いと考えていた事自体が症状にするきっかけを作っていた事が分かります。従って症状を心から受け入れた時点が完治する時ですが、神経症では気になった事が受け入れられない事柄に過ぎません。

症状別な治し方が存在しない理由が、本人の感じ方の変更が治るきっかけになった事を意味します。

症状となっている事柄は『誰でもが感じている普通の事でしかありません。』口にしないでいる事で普通の人の考え方になってゆくからです。
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私は強迫性障害を治すプロフェッショナルです。


強迫性障害になる順番
1 強迫観念
2 恐怖
3 強迫行為

強迫性障害を治す順番
3 強迫行為
2 恐怖
1 強迫観念
と、逆から治していきます。
治るまでの期間は、2週間から1カ月間です。
興味があるなら、返信してください。
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大丈夫ですよ、只これだけで治って行くのですから。

貴方が考えている事は貴方以外の人もみんなが考えている事です、只誰もが口にしていないだけの違いだけです。
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強迫観念も強迫行為も共に神経症に続していますので神経症の治し方を説明したいと思います。



症状としている事柄は誰でもが普通に感じている内容です、処が神経症で普通の事柄を異常に感じて『心の外に排除しよう』と思う事が神経症の症状となってしまっています。

高所恐怖症にしても閉所恐怖症にしても強迫観念や強迫行為にしても『心のからくり』に関しては全く同じです。

始めに治ってゆく過程を説明します。症状として感じる時間が短くなっていきます、そうして治る寸前になった場合では、症状として感じなくなった時が増えて来ます。そうなる原因は『症状が悪いものと思わ無くなって来ているからです。症状が悪いとか症状が在っても良いとかをあまり考えなくなっているからです。

神経症の治りとは『症状としている事柄に良し悪しを付けなくなった時、詰まる処、症状を受け入れた場合のみです。』

神経症の治りを説明する場合では『治った感が薄いもの』と云っても良いものだからですが、症状を忌み嫌う事が無くなった暁には、神経症だった事も治った事さえも忘れ果てている事が多いです。そうして治った事さえも忘れ果てた時が完治した証拠になっています。

それでは治し方です、森田療法の治し方と同じです。それは只一つだけです。『症状の事を口にしない事』ですが是を不問と云います。

この不問を徹底させてください、是が徹底された時神経症の場合では、症状が症状では無いものに変化してゆきます。たったこれだけで神経症は治って行きますので『騙されたと思っても構いませんので貫き通して下さい。』

質問があるようでしたら聞いて下さい。
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良く除菌シートに99.9%とか書いてあるけど100%じゃ無いのなら、何処かに菌は残ってる可能性がある。

服も外干ししたら色んな菌付くかも知れない、考えたらキリがない、そもそも見えないんだからあまり考えない方が良いよ
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一回、自分に口の中の雑菌がどれくらいいるか見てみるとよい。


体の中には、菌だらけ。
共生しているものも多くいる。
顔には顔ダニがいない人はない。
マイクロスコープや顕微鏡で見てみたらいい。
体表面だけ綺麗にしても体内がね・・・そこまで無理ですね。
できなければ医師に真実を聞いてみるといい。
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神経症の症状の中の一つだと思います。

神経症には貴方と違う症状も沢山ありますがどちらにした処で、『考えすぎて頭がおかしくなりそうです。』と云った結果は同じです。

嫌だと思う事柄が頭の中から離れない現象です。嫌な事を考えないようにする事から却って嫌な事を引き寄せてしまって悪循環に入ってしまう現象という意味です。

神経症の治し方は存在しています、処が症状別な方法は余り無いと云った事になっています。

只貴方が神経症のからくりを見破ってドツボにハマらない方法を身に付ける事が近道になると思います。

人間には気に入らない事柄が沢山存在しています、その例を幾つか挙げてみます。高いと云った感覚=高所恐怖症。狭いと云った感覚=閉所恐怖症。死ぬのが恐いと云った感覚=死に対する恐怖症(タナトフォビアとは:死への異常な恐怖)あとは上げ始めたら限際限なく存在します。

貴方の潔癖症なども同じ範疇です。処がそう云った神経症の(完治を促せる事が出来る治し方は)たった一つしかありませんが、それが症状別な事では無くて総ての症状に対しても同じ方法だと云う事です。

その方法を書いてみたいと思います。

実は自分自身が死への異常な恐怖症となって14歳から26歳まで大変に苦しい思いを経験していましたが、26歳に結婚をしてからまたその地獄が再発致しました。27歳で長男が生まれてからです。

この恐怖症は治る事は無いと感じていましたが、余りの生き難さのために、ある本を買って帰った後その著者であった鈴木知準先生の診療場に行って診察をして貰った次第です。

自分で治る筈がないと決めていました、死の恐怖が無くなる事が無くなる筈が無いと決めていた事が幸いしたのかも知れません。少しでも生き難さが解消出来たら良いと思っての入院でした。

2から3カ月の入院治療で何とかなると云った先生のお言葉を真に受けての入院でした。雑用とか犬の散歩とか食事後の皿洗いとかの雑用が主でしたが、講話と云った時間が週に二回ほどありました。

それは毎回一時間程でしたが沢山の本を読んで頂きました。その本の内容は禅や剣道の話が多かったと思います。全く禅も剣道にも興味が無くて話はちんぷんかんぷんでしたが、先生が云うには今は聞いておくだけで良いですが。分かる時が来たなら全てが腑に落ちる様になるとの事でした。

こう云った生活が始まって少しした頃に、同じ県からやって来た人が居ましたが、こんな事をしていても治る筈が無いと、さっさと見切りを付けて帰って行きました。

自分の生き難さが半端ない事から何とかしたいと考えて踏み止まりました。講話の時や作業の時などに先生は『悟りを開かないとノイローゼは治らない。』と時々云っていましたが、当方にとっては全くと言って良い程ちんぷんかんぷんなのは変わりませんでした。

そうして2カ月が過ぎた頃に退院の許可を貰って家に帰りました。27歳の時です、その後32歳の時に先生に言われた通りの事を守って生活をしていた処、自分の自意識が『自分の無意識の意識』と出会うと云った体験がありました。その時点で死に対する恐怖症が完治した事が分かりました。

心の中での変化を書いてみます、自意識は死に対して絶えず怯えて暮らしていましたが、無意識の意識はその自意識に対して救いの手を差し伸べていた事が分かります。

自分の心の苦しみは『その手を振り払っていた事が原因でした。』

生き難さの原因は自意識がもう一つの自分の救いの手を振り払っていた事が原因だっと事が分かります。

もう一つの意識は『無意識の意識=自分の命の働き』という事が分かりました。

無意識の意識は言葉を替えて表現するなら『仏性』という事を意味します。

自意識が右脳の意識である仏性と脳梁の中で出会った事が実感出来ます。この体験は左右の脳の機能に太いホットラインが開通した事を意味します・これによって二つの意識の矛盾が解消した事を意味します。

西田哲学に拠る悟りの体験『絶対矛盾の自己同一』の意味が分かります。

自意識は有限の意識ですがその機能は言葉を使う機能によって成り立っています。言葉は物事をこまかく割り切って計算をする機能から成り立っています。物事を割り切る機能は有限という意味をしっかりと把握しているという意味です。

右脳の機能は物事を計算無しで受容して行くという機能という意味です。物事を割り切って見ない機能とは『永遠を理解出来ている機能』という意味です。

死にたくないとして苦しんでいる場合の自意識は、右脳からの永遠の自分を見させられて居る事を意味しています。

人間が永遠の自分を希求させられているという意味は右脳の永遠性が元になっているのかも知れません。

聞きたい事があるようなら聞いて下さい、答える用意が在ります。
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病院行きなよ?



痰なんてドロッとしてるから見ればわかるでしょ。
その除菌シートはドロッとしてるの?
してないなら痰じゃないよ。
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本気で治したいと思うなら暫く酪農家で住み込みのバイトをして下さい。

家畜の糞尿まみれの泥水の中で作業したり牛のよだれまみれの舌で顔面をベロベロされたりすれば、人間の痰だの涎だのそんな些細な事どうでも良くなります。
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