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【日本史・相国寺合戦】戦国時代に起こった相国寺合戦は現在の京都の相国寺と同じ場所で起こったのでしょうか?

戦国時代の相国寺は現在の相国寺より大きな敷地で、南側に立命館大学がありますが、戦国時代の相国寺は立命館大学の敷地も含めてあったのでしょうか?

だとすると、相国寺の南側に京都御所がありますが、戦国時代は京都御所のすぐ北側に相国寺があったということになって、相国寺合戦で松永久秀と松永長頼は京都御所にいたということになります。

戦国時代に京都御所はなかったのでしょうか。

A 回答 (1件)

京都御所はご存じの通り


1334年信長のお父さんが時の天皇に与えた場所です
相国寺の戦いは1467年応仁の乱のさなかで街中での戦いは
その時足利家が住んでいた花の御所を東軍の陣地。
西陣が山名宗全の陣地
向かい合って戦ったと言う百々橋も茶道会館の横に残されています
当時の御所にいる天皇様は食べ物がなく川端道喜が毎朝お菓子を届けて出入りしたと言う扉が道喜門として残されています。
相国寺の南に隣接するのは同志社です
お寺で戦ったのではありません
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この回答へのお礼

みんなありがとうございます

お礼日時:2025/05/08 08:02

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