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平地(埋め立て地を除く)と呼ばれている場所なのに緩やかにアップダウンがあるのはなぜですか?
例えば台東区は、上野公園の台地エリアの東は、低地になっていて、平地であるにも関わらず隅田川から1キロ以内の場所は隅田川に向かって僅かな登り坂になっています(特に浅草橋の辺り)。

A 回答 (6件)

補足。



東京の街中を歩いてみると、急な坂道も多く、かなり凸凹していることが実感できます。地形に関する本もいろいろ出ています。

●『東京スリバチ地形入門』
(皆川典久+東京スリバチ学会著、2016年3月)
https://www.eastpress.co.jp/goods/detail/9784781 …

●『東京スリバチ散歩 地形の楽しみ方ガイド』
(皆川典久著、実業之日本社、2024年11月)
https://www.j-n.co.jp/books/978-4-408-65112-5/

●『カラー版 東京凸凹地形散歩』
(今尾恵介著、平凡社新書、2017年4月)
https://www.heibonsha.co.jp/book/b281740.html

●『新訂版 タモリのTOKYO坂道美学入門』
(タモリ、講談社、2011年10月)
https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000187 …
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浅草付近は、荒川(江戸時代は大川、現在の隅田川)の下流にあって中州のような小高い土地だったということです。



国土地理院のデジタル標高地形図で見ると僅かに標高が高くなっているのがわかります。
 ↓
●地理院地図(国土地理院)
デジタル標高地形図「東京都区部」
(下記URLは浅草寺付近を中心に拡大表示したものです)
https://maps.gsi.go.jp/#14/35.708747/139.795403/ …

浅草寺の北東にある「待乳山」は23区内で最も低い天然の山です。標高9.7mの三等三角点があります。
江戸時代の待乳山はもっと高かったようですが、幕府の治水事業(大名普請)で、山を切り崩して浅草から三ノ輪まで「日本堤」を築きました。日本堤の中ほどに「新吉原」がありました。
現在の荒川放水路は、大正時代に北区の旧岩淵水門(赤水門)から大川の流れを分岐させたものです。

●国土交通省 荒川下流河川事務所
江戸を守るための日本堤、隅田堤の成立
https://www.ktr.mlit.go.jp/arage/arage00026.html


参考までに、
地理院地図で上野から浅草まで(浅草通り・江戸通り直線ルート2キロ)の断面図を描いてみました。

https://maps.gsi.go.jp/#16/35.710150/139.789417/ …

・左端が上野台地(JR上野駅パンダ橋口あたり)
・右端が駒形橋西詰(都営浅草駅浅草駅)
隅田川の右岸(西側)の標高が5.2mになっています。
 ↓
「地形について」の回答画像5
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洪積台地と沖積平野の違いは理解できているとして回答します。


 沖積平野の中でも、河川の流れによって微妙に高低のある地形ができます。その代表的な例が自然堤防で、河川の流路両岸に沿うようにわずかな高まりができます。洪水が起こったときでも少し高くなっていることで浸水被害を受けにくく古い集落ができていることがあります。
 地理学ではどうしてできるかという説明を聞いたことがありません。想像ですが、川が増水してわずかに氾濫しそうになったとき、川沿いに生えていた草によって流れが妨げられ、ここだけ流速が低下します。一般的には流速が落ちると運んでできた土砂を堆積します。土がたまるとわずかな高まりになります。このような場所は水に浸かりにくいので草が生い茂りやすくなります。このことの繰り返して、微高地ができていったのだと考えています。
 浅草橋が確認できなかったので自然堤防なのかは確認できませんでした。地形図でも隅田川沿いに微高地があると表現されていないようです。
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古い時代に海底が隆起した広い広い台地(海の台地)が川と湖沼の影響力で平坦化していった関東平野は、北から南東側に向けて緩やかに傾斜を見せていますが、広いがゆえに場所場所では逆傾斜や丘陵地形もあります。



東京にだって渓谷はありますからね。
北の阿武隈山地から末裔として独立を許された筑波山は でべそ です。

平らな砂の台地と思われているビゴ砂漠だって小山と谷の連なりです。

真っ平(まったいら)という意味での平地は、人為的工事の末以外には存在しないでしょう。
なのに質問に至ったのは、なにか特別な事情がおありでしょうか。

江戸幕府が利根川東遷という一大事業を成し遂げられたのも、この地の数々の河川が勾配を持って流れていたからです。

開削河川の江戸川の流速と坂東太郎利根川の流速はピッタリ同じなのです。
わたしは上流の橋からへらの浮き子を流し、それを追って自転車を駆って両川の平均流速を測りました。
間違いないです。
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関東平野の土地の起伏・高さの差・変化は、大昔の大きな川の流れが削ったアトです。




大昔の富士山の噴火の火山灰や、群馬・長野県境の浅間山噴火の大量の火山灰が。関東平野に厚く積もったりします。
そこへ利根川・鬼怒川の大きな川の氾濫多発で河川の水が、火山灰を押し流したり、削ったり、体積したりで地表に高低の差が出ます。

だから、大昔の関東平野は、湿地帯で、大きな湖沼ばかりだったそうですが、徳川家康が対向から関東に左遷(つまり、追いやられた)からは、河川改修などで、江戸(東京都内)は人の住める土地のなったのです。

河川改修で有名なのは、利根川・鬼怒川の河口は、今の江戸川?(違っていらゴメン)らしいですが、江戸幕府は野田市の北端で利根川は千葉県のほうへと流れを変えました。
https://www.ktr.mlit.go.jp/edogawa/edogawa00222. …

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もう一つ、地質学的には「中央構造線」がありますが、関東平野は空白になっていて、何処を通っているのか分かりません。
この「中央構造線」による地震で、関東平野の地表の高低差・起伏にも影響があるかもしれません。

日本列島の骨組みを組み替えた大断層の「中央構造線」
https://mtl-muse.com/mtl/aboutmtl/tectnic-lines/

「構造線」とは、地質構造上で複数の区画を分けるような大規模な断層のこと。
日本地図をGoogleの航空写真で見ると、長野県の南北縦断~渥美半島(愛知県南東部の太平洋に突き出た半島)~紀伊半島の横断~四国の東西の横断~九州の横断(阿蘇山を経由)が、はっきりと見えます。

構造線 断層 違い
https://www.google.com/search?q=%E6%A7%8B%E9%80% …
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この“千束池”の影響ではないでしょうか。




https://www.bing.com/images/search?view=detailV2 …
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