プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

主観が支配しそうですが・・日々思い悩む事なんです。海外の一流オケ(BPOやVPOはとりあえず別として)と我国の一流とされているオケの響き(物理的なテクニック要素はちょっとこれも置いておいて)があまりにも違うように聴こえるのです。勿論両者とも調子が良いであろうベスト状態の時と思われるライヴでの比較なんですが。 残念ながら未だに(色々聴きつづけて、見続けて早、ん十年になりますが)日本のオケで響きの美しさ或いはサウンドに一家言を感じさせるものを伴ったシッカとした感激を味わった事が未だにないのです。全ての楽器群について感じますが、特に金管楽器群が鳴り始めると・・・ベートーヴェン、ベルリオーズ、ドヴォルザークやブルックナーとかねえ。だから指揮者さんの解釈を一生懸命聴き取るようにするのですが・・・また、我国の吹奏楽熱もわからなくないのですが何か根本的なところ(これが何かがわからんのです・・)が決定的にアチラさんと違ってるような・・すみません変な質問で。皆さんはどうですか?叱られても結構です。忌憚のないところを是非!

A 回答 (4件)

遅ればせながら、回答に参加させて頂きます。


 
高校時代吹奏楽部に所属していました。
クラシックの曲を演奏することもありましたので、結構、クラシックも好きになり、そこそこ、演奏会へ足を運んだり、ウイーンフィルやベルリンフィルのCD(お堅い、完璧主義なカラヤンが好きです)など、聴いております。
 
高校時代の吹奏楽部の指導・指揮に音大卒のOB(プロではありませんが)の方が来て頂いていました。その方が言われていたのですが、
「日本のオーケストラは、弦楽器とピアノはレベルは高いんだけど、管楽器はねぇ~~・・・。」
と、言われていたのを思い出します。
確かに、私も、レベルの差を感じます。
欧米人と比べ、一般的に体格の違いで肺活量が少ないからなのかな、と思っていましたが、#2の方の意見を読み、なるほど!と思ったしだいです。
 
また、私の個人的見解なのですが、バイオリン、ピアノなどは、プロになられる方々は、幼少のときから英才教育を受けておられる例が多いのに対し管楽器については、そういった例をあまりききません。日本の管楽器奏者の方は、たぶん、中学・高校で吹奏楽部を経験して、音大へ進むパターンが多いのでは?と思うのですが、そうすると、絶対音感を持っている人は、弦・ピアノ奏者に比べ、管楽器奏者は少ないのかな?とも思います。
 
その他にも、クラシックの世界は交響楽団だけでなく、ソロで活躍するピアノ奏者の方などは、その国々の風土というか文化的な違いから音楽的文化の理解が難しいのかもしれません。
 
TVでショパンコンクールのドキュメントを見たことがありますが、審査員の中には、単にテクニックだけでは評価できない。ショパンの「マズルカ」などは、圧政に苦しんだ歴史的文化を理解しないと、心からのショパンの描く演奏は出来ない、という意見もあるようで、哲学的思想文化の壁というのも、確かにあるのかな?とも思います。
 
逆のパターンで、邦楽の演奏について感じたことがあります。
外国のチェリストの方が日本の民謡を演奏したCDを人から借りたことがあるのですが、熊本民謡の「五木の子守歌」を聴いていて、何となく、違和感を感じたことがあります。
「その昔、山深い村では、飢えで苦しみ、年老いた者は、夏の暑いお盆の時期には、生きているかどうか分からない。」
というような想いは、テクニックで演歌のタメをころがすような演奏からは、かすれながらも、命のはかなさを受け入れた老婆が幼い孫をおぶって淡々と歌う素朴さと、その情景をあまり感じられなかったのを覚えています。
 
と、なんだか、偉そうなことを書いてしまいましたが、質問者の方の思いと、既に回答をされている方の意見を読み、私自身、大変、勉強になりました。
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この回答へのお礼

私の切実な思いをご理解いただき本当に有難うございました。
文化的背景、環境の違いから来る違和感はやはり誰がなんと言おうと切実です。
有名指揮者になった小○○爾さんがTV番組で「日本人の表現が!演奏が!ついに世界的になったのです!!」と絶叫されてましたが、そのすぐあとで我国の代表的、某交響楽団を聴いてその御言葉が空転してしまってる現実に涙した事もあります。きっと私の耳の構造が、理解の仕方が、異常なんだろう、あんな偉い先生があそこまでおっしゃっているのにと・・・。四方を海に囲まれ憧れの欧米圏からは遥か彼方にある、世界で最も、欧米人種以外で欧米文化を謳歌羨望する我々とは一体・・・

お礼日時:2005/07/13 00:08

クラシック音楽というものは本来ヨーロッパの民族音楽の集大成みたいなものです。

教会音楽、宮廷音楽、民謡(舞曲なども含む)。こういうものが集大成されてできあがったものです。
そういう点ではなお「教養の音楽」的位置づけされる日本のクラシックが及ぶはずがありません。まあ及ばなくてもいいんじゃないか、とも思います。モーツァルトやベートーベンの時代にはトルコ行進曲(トルコの軍楽隊の音楽)が新流行でした。ロマン派時代、ハンガリーの民俗舞曲が流行したり、19世紀後半からロシアや北欧などヨーロッパの中では「辺境」の音楽がはやりました。日本がそういう中に参加しようとしてまだせいぜい100年ちょっと。むしろ期待されているのはヨーロッパを刺激する異質なもののほうなんですね。(自前で持っているものをわざわざアジアから取り入れる必要はないでしょう)
変な言い方ですがほら貝の音が響き渡る音楽なら勝てるんではないかと・・・・
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この回答へのお礼

>期待されているのはヨーロッパを刺激する異質なもののほうなんですね。自分なりにこのくだりはよく理解できます。それと、ほら貝の例えは実によく理解できました。有り難うございました!

お礼日時:2005/07/12 10:25

こんにちは。

質問者さんに回答するのは二度目でしょうか(^^
今日の肩書きはアマチュアトロンボーン吹きです。

#1さんがおっしゃるような部分は当然背景として厳然と存在するとして,もう少し具体的に,金管楽器の響きに話をしぼりますね。
*たぶん他の楽器でも同じような事ではないかな,と思いますが。

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ご質問の趣旨,痛いほどよく分かります。私も,自ら演奏しながら,また,コンサートを聴きながら,心の底からそう思っています。

レベルの低い金管セクション(どこのオケ?,とは決して聞かないでください^^;)は「平板で」「固く(*)」「響きが少ない」ように感じますよね。
(*)「頭が固い」の「固い」の意味で使ってます。表現の一部としての「硬い」はOKだと思っています。ニュアンスが伝わらなかったらごめんなさい。

これは定説でもなんでもなく,私の勝手な見解であることをあらかじめお断りしておきますが,金管楽器の場合(たぶん,金管に限らず,ですが),美しい響きを出すためには,「倍音(楽器の音の中に含まれる高周波成分)」の豊かさが特に重要で,響きのよい金管(など)とそうでない金管(など)の差はここではないかな,と私は勝手に思っています。

では,なぜ「倍音成分の違い」ができるのか?というところですが。

<楽器の違い>
プロの金管奏者は,楽器に独自のカスタマイズをすることも多いようですし,ドイツのオケなどは,「ドイツ管」と言われる一般的なアメリカ式とは若干構造が違う金管楽器が使われる事も多いです。例えば,ベルリンフィルが演奏するブルックナー,ウィーンフィルが演奏するベートーヴェンの響きは,やはりドイツ管でないと出せないだろうとは思います。
しかし,日本のオーケストラプレーヤが使う楽器が著しくグレードダウンしている訳でもありませんので,確かに要因の一部ではあるでしょうが,根本原因ではないように思います。

<体格の違い>
平均的に言えば,もちろん海外の方の方が大きいでしょう。しかし,やはりこれもたぶん関係ありません。これはこれ以上あれこれ言わなくても同意いただけますよね?

<教育システムの違い>
これは,正直なんとも申し上げられません。吹奏楽が盛んなのは大いに結構だと私は思いますが,「専門家」を志そうと思ったとき,どのレベルの教育システムが確立されているか,というのは,私は実際その教育を受けたことがありませんので,コメントできません(逃げてるみたいでごめんなさい)。

<伝統=環境=耳の違い>
これは奏者としての経験ですが,自分が感じられない音,自分のイメージできない音は,絶対に出せません。
長年の「伝統」につちかわれた,いい響きの「環境」に包まれて育った人は,やはりそれなりの「耳(倍音に対する鋭い感覚)」ができあがるのかな,と。
いろいろ考えて結局それかい!,と突っ込みたくなるお気持ちはよく分かりますが(^^;,でも,やっぱりそうなのかなあ,と思わざるを得ないものがあります・・・。

あと,これは完全に私の邪推?ですが,日本語と外国語では周波数の範囲が違う,というのを聞いたことがあります。外国語の方がより周波数範囲が広く,特に子音で高い周波数の音をよく使うらしいです(日本人が英語のヒアリングが苦手なのはその高周波を聞き取る耳ができていないのが原因,という説もあるようです)。そういったところが,倍音に対する「感度」の違いになったりしないかな,なんて妄想することもあります(^^;

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なにやら全然まとまってませんね。ごめんなさい。また他の方の回答など見て思うところがあったら再登場させていただくかもしれませんが,とりあえずこの辺りで。
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この回答へのお礼

どんなことでも結果的には、環境(自然、人間)が人を、文化を造る(創る、ではなく)という厳しく、あたりまえの事実を見なければいけませんね。ウィーンフィルにもすでに指揮者とテューバ奏者が2世ではなく純粋の日本人として入団を許可され、オーストリア料理の世界でも最高シェフの地位を純日本人が得ましたね。結局はヒューマンな感覚のグローバリゼーション(裏にお金が絡まないことを祈るが)に期待して、すべての良いとこ取りをした新文明の夜明けを待つかな(その頃私は多分あの世でしょうけど)なんて・・・。御回答感謝いたします。有り難うございました。

お礼日時:2005/07/12 10:20

 堀内 敬三《明治音楽百年史 1969 音楽之友社》によれば、はじめて


日本の音楽(新内・俗曲など)を聴いた、お雇い外人の音楽教師たちは
「この民族は永遠に西洋音楽を理解できないだろう」と嘆いたそうです。
 
 その後130余年たって、たしかに西洋音楽は日本に定着しましたが、
日本人の作曲で、欧米に輸出された作品は、あまりにも希少です。
 つまり、われわれが思うほどに西洋音階を掌握できなかったのです。
 
 ドイツ文化研究所センター館長として、戦前戦後を通じての親日家も、
つぎのように語っています。
(とても流暢な日本語でしたが、日本人が聞けば立派な“外人訛”で)
 
>>
 
Kaemph:日本人がドイツの音楽を、よくあれほどに弾くものだと、いつ
も思います。たいへん、感心しています。
── たとえ目をつぶってお聴きになっても、演奏家が日本人かドイツ
人か、区別できるものでしょうか
Kaemph:うーん、ときどき区別できない(笑)でしょうね。(↓)
 
<<
 
 ただし、彼らが“外人訛”だから、その意見まで怪しげなのではなく、
おなじく西欧人だから、その演奏が正統であるとは限らないのです。
 しかし、厳粛な顔つきや優雅な身ぶりでは、とてもかないません。
 
 毎年テレビ中継されるウィーン・フィルの新年演奏会を観るかぎり、
彼らの育ててきた文化遺産が、異民族に侵略されることはないでしょう。
 聴衆の一人として、われわれ自身の感性を卑下しないことですね。

参考URL:http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg …
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この回答へのお礼

有り難うございました。>厳粛な顔つきや優雅な身ぶりでは、のくだりでは同胞たちによる素晴らしい出来の某オペラを思い出しました。目をつぶると最高、開けると・・・心なしかどうしていいか判らなくなった自分を思い出しました。

お礼日時:2005/07/12 10:00

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