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評論家はあちこちで嫌われる存在のようですがなぜ嫌われてるのかその原因について意見を聞かせてください。
考えられるのは、たいした根拠もなく断定に至っていること、行動をおこさなそうなイメージからなどですかね?
ちなみに国語のセンター対策としてわたしも評論をいくつか読んだことはあります。
自信ありの方お願いします。

A 回答 (7件)

う~ん、私にだけコメントがないのは寂しいですね。


もしかして「学者だからといってえらそうなこといいやがって」とでも
思われているのでしょうか?本当にそうだったら残念ですね。

一応、学者タイプの評論家については援護しときます。
確かに週刊紙などでの評論の中には、疑問に思うものもあります。
ただ、もともと古典的な学問のほとんどはさした根拠もないものばかりです。
私の専攻の発生学でも、大昔は精子の先端に人間型の種が入っていて
それが母体で大きくなるんだということが大まじめで議論されていました。
そして現在に至る数々の発見は発表当時は妄想家の戯言とされたものも
多いのです。学者の論文を御存知ですか?論文の結論は「考察」と「議論」です。
つまり学者の発言は元々「~かもしれない」「~だろう」なんですね。
いま現在、話題になっている狂牛病に関するものだって学術的には
「多分、そうだろう」の世界です。ただし、学者が無責任に話しているわけでは
なく、大部分は大まじめに研究しているのであり、本人には信念があるからこそ、
小さな確証でも断定的な発言をすることは分って下さい。

ホモと人口の関係は聞いたことはありませんが、ある生物学の中に近親相姦
の話しがあります。内容的にはある種のチンパンジーは例え群れが小さくなっても
近親相姦はしない、この本能があるからこそ全ての宗教で近親相姦は禁忌と
なっているんだ。これだって一部の生物行動から人間の宗教観念まで断定してますよね。
もっとも、この人は批判の的なんですけどね。ホモと人口の話しもこれと同じでは
ないでしょうか。

それと自分の専門外のコメントをするという問題ですが、これは当たり前の
ことだと思います。日本では博士は博士(理学)のように分類しますが、国際的には
Ph.Dですよね。これは「理系の哲学者」という意味です。したがって、動物学者なのに
ホモの話しや人口問題の話しをしようが、それがその人の哲学なんだからいいんです。
ようはそれを信用するのかしないのかの話しです。まあ、妙に肩書きで信用してしまうのも
資格国家だからなんでしょうかね。

学者というのはある事象について、その真理を探るのが好きな人たちです。
その中には推察に過ぎないものもあります。しかし、何らかの新しい提言をする場合は
一定パターンがあります。つまり、事実である事象を引用して自分の考えを具体的に
述べるというものです。私の前の文章でいうと小論文の書き方は事実であり、これを
引用して、評論家もそうじゃないのかなっていう私の推察になるわけです。
学者タイプの評論はその辺がちゃんと区別してあると思いますよ。
この質問だって単に「彼らは批判してるだけ」と言われて満足ですか?
何かの事象にもっともらしい理由を考えるのが学者の性格なんですよ。
ただ、具体的に原因を述べる点ではコメンテータータイプの評論家とは違うと
思いますよ。

最後に断定しましょう。
ありきたりのコメントより推察でも具体的なコメントの方が議論は盛り上がるんだ!!
長くなりました。他の回答者には失礼な表現がありますがお許し下さい。
今度はコメントがあるといーな。
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この回答へのお礼

どうもすいません。
無視したわけではなくて見落としていました。
ご意見はとても参考になります。
おっしゃる通り、まじめに研究されているはずの学問であっても常識的に考えて変な物って結構あります。
例えば経済学では人間はひたすら利益をむさぼるだけの存在として、あるいは政治学は人間はひたすらいい政治を追求する存在として無理やり仮定されているそうです。
どう考えても常識的にはへんなのですが、権威を背景に押し通しているんですかね?
経済学は実際の経済を良くするためにうまく機能していないように思えますし、政治学についても政治家を啓蒙するなどの働きすら聞いたことがありません。
こう考えると、わるい意味で飛躍した仮定や定義はあちらこちらにあるのかも知れません。
評論家だけをわるく言うのは評論家に申し訳ないかと思われます。

お礼日時:2001/10/01 13:55

ご気分を害されたのならすみません。

謝罪します。
あれはギャグとおもって頂いて結構です。
多くの評論家を知っているわけではありません。
しかし、「評論家はなぜ嫌われる?」とのことでしたので、
このように認識され嫌われているのだろうという私の考えをあらわしました。
実際の評論家がこのようだとは私には言えません。
そしてこのように認識されているというのを断定口調で述べ、「by 評論家の評論家」とする事で
「たいした根拠もなく断定に至っている」ことを表現したつもりです。
(この行為が「嫌われる」という事ははっきりしてしまいましたが)
しかし私がこう書いてしまうと、私が評論家がこのようであると
言っていると思われるのも当然ですね。
私が表したかった事は既に、先のHaizyさんが挙げられています。
紛らわしく、趣旨から逸れた発言をしてしまい、申し訳ありませんでした。
                               一般人lamop
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この回答へのお礼

いえいえ、こちらこそ誤解でした。
ゴメンナサイ。
個人的には本当の評論家以外にも軽はずみの断定に至っている人は良く見ます。
法学部の教授が日本人は喧嘩っぱやいなどと何の根拠もなく主張したり、動物学者がホモの増加は人口増加を抑止することに関係があるなどと主張したりするなどの例です。
多くは専門書でない一般書つまり一般人に向けた本で主張されることが多いです。権威を利用して安易な主張をするものが私の実感ではかなりいると思います。

お礼日時:2001/09/30 13:28

評論家は物事の仕組みがすべて分ったような顔をして、


何一つ創造できない。
                 by 評論家の評論家 
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この回答へのお礼

失礼ですが、何人の評論家をご存知でしょうか?
ギャグだったらごめんなさい

お礼日時:2001/09/29 15:07

まあ、参考までに。


評論家と批評家というのは大体同じものですね。と、いうところから話をはじめたいと思います。
要するに、対象を悪く言うのが通常なのです。
対象をよく言ってしまうと、弁護人、とかになってしまいます。というより、その評論や批評を受け取る側が面白くない。なんだかおべんちゃらを言っているようでいい気がしない。
だから、けなすのが評論家の仕事になってしまいます。
悪口を言って金を稼ぐとは、なんとうらやましい稼業でしょう、となります。
そういうところがありますね。一面として。

シベリウスという作曲家が面白いことを言っています。
「批評家を信用してはならない。批評家の銅像が建ったためしがない」
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
一部の評論家は確かに社会に嫌われるようなことを行ってると思います。
唯、社会の先導者的なところはあるんじゃないかと思います。

お礼日時:2001/09/29 15:06

評論家といっても学者タイプとコメンテータータイプがいるので


すべての評論家が駄目とは思わないですが、確かにコメンテータータイプの
評論家は嫌ですね。社会的な事件が起きると必ず紙面に登場する塩田某さんは
どんな事件でも「希薄になった現代の人間関係の表れ」って感じですもんね。

嫌な原因としては彼らの論法は稚拙だからと思います。
一応、私も学者のはしくれですから文法もさることながら、論法にも気を付けます。
つまり自分の考えと一般論は区別して書くということです。評論家の多くは一般論が
自分の意見になってしまっているため「正義ぶりやがって」って感じに思えますね。

ppooooさんは国語のセンター対策の経験もあるとのことですが、
コメンテータータイプの評論家は推薦入試で小論文を課せられている高校生と
同レベルだと思いますよ。「小論文の書き方」といった参考本を読むと、
『良い文章が思い浮かばないときは、とりあえず課題を批判するといいでしょう』
と書いてあります。たとえば日本の教育問題でアメリカの教育制度を引き合いに
出した文があれば、小論文は欧米偏重主義をテーマに書くというものです。
実際、教育の問題点に対して何の改善策も書いていないのに、批判文にするだけで
自分の考えを主張しているような小論文が完成してしまうんですね。

なんの背景も専門的知識もない高校生であれば、この手の論法も許容できますが、
大人の論法ではないですね。でも、彼らに仕事があるのも事実です。
教えて!gooの回答欄を見ると思うのですが、社会問題や恋愛問題などは、
プチ評論家がたくさんいると思いませんか?社会問題であればどこかのニュースキャスター
のコメントであったり、恋愛であれば熟女系の番組の女優のコメントであったり、
どこかで聞いたことのありそうなステレオタイプの意見が多いように思えます。
この手の方の漠然とした意識を適格な文章にするのが評論家であり、視聴者はそれが
自分の考えにしてしまうからなんでしょうかね。

ちょっと前なら「小泉内閣はいまだ具体策を提示していない」ですね。
そーいうお前が一番抽象的なんじゃー!!ってつこんでました(笑)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
小泉内閣批判はあまり説得力がなかったですね。
そもそも具体的政策は閣僚や各省庁が実施すると言うことだと思いますので。

お礼日時:2001/10/01 13:41

評論家の資質や安易に「評論家」の称号を与える処にも有る様に思います。


本来、批評を受ける立場の者よりも高い資質や経験、実績のある者が評論家で在るべき処、
マスコミ等々、安易に人材を登場させ場合によっては思想誘導や批判の片棒を担がせている面が有ります。 "批判家との混同"
又特別に善意に考えれば、本当に資質の高い経験者からは安直なコメントが得られない為、一般人にはかえって難解になってしまう。

本来は嫌われ口でも「あの人が言うのなら」とか、結構誉めたりするのが、格上の評論家ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私もそう思います。
ところで、ある学者が自分のテリトリー外のことを偉そうに得意がってい主張している場合があります。
学者であることを上手く利用した単なる独断としか見えませんね。

お礼日時:2001/09/29 15:00

ppooooさん、こんにちは。



評論家は、「自分の意見が絶対正しい」が多いせいでしょう。
さらに、事実と”おぼしき”事も、あたかも事実のように論ずる。
間違えていても、どこ吹く風。
所詮、自分で作る事も出来ないのに「偉そうに文句言うだけ」。
・・・なら、「自分で、作ってみてください。やってみてください」

そんな”無責任”な所から、嫌われているのでしょう。
我々の業界もどこの業界もそんな意見で一致。

ちなみに、goo辞書より
【評論家】
>(2)自らは手を下さず、意見や批評を述べるだけの人を皮肉めかしていう語。

言葉自身が、そういう意味を含むわけですね。
でわでわ
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
評論家以外の人についても例えば、法学者辺りでも、動物学者辺りでも軽はずみの議論が結構あります^^;
止めて欲しいんですけどね。

お礼日時:2001/09/29 14:57

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