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江戸時代の殿様はどんなことをしていたのですか?朝は何時に起きて、夜は何時に寝て、日中はどこにいたのですか?やっぱり城の中にずっといた?トイレは殿様専用のやつとかあったんですか?
殿様の趣味はどんなことがあったんですか?(鷹狩とか?)

A 回答 (4件)

江戸時代の殿様という存在は、存在するという事のみに価値があるような存在でした。

要するに家臣団が食っていくために存在してくれさえすれば、政治は重臣達がやってくれるし、下手に活動されて目付けに睨まれ、改易にでもなったら大変なので余計な事をしてくれない人のほうが家来にとって都合がいい訳です。
そんな訳で、江戸時代も中期以降になると毎日暇を持て余し、昼間から酒ばかり飲んでいるような殿様も随分多かったらしいですね。自分の名前も自分で書けないような酷いのも居たみたいです。
それから、大名というのはヨーロッパの王侯貴族と違って私有財産をほとんど持っていません。飽くまで朝廷から領内の徴税権と行政権を委託されている存在に過ぎないので、大名としての格式に則った容儀を整える事以外では、身の周りの事で自由に金を使えないのです。そんな訳で、余り金の掛かる趣味は持てなかったみたいですね。責任ばかり重くて割りに合わない商売です。だから飲んだくれちゃうんでしょう。
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殿様といってもそれぞれの家の由緒もあるし個人的な志向もあり、また国許にいるか、参勤交代で在府しているか、などいろいろな状況により一概には言えませんが、たいていは屋敷(城)にいたようです。


トイレなどは通常専用のものがありました。
趣味はそれこそ千差万別で、鷹狩というのもあったかもしれませんが、そういうのは軍事行動と同一で幕府ににらまれるかもしれないのであまりやらなかったのではないでしょうか。
殿様の趣味で有名なのは松平不昧の茶道(茶器収集)などがあります。
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江戸時代、徳川の殿様は、冷や飯食いだったそうです。


暗殺をおそれ、食事をいくつも作っていました。そのうちひとつを選択し、毒見役がたべて、安全であるといえるものだけを、たべていたそうです。殿様がたべるときには、すっかりひえていたそうです。暖め直しもしなかったようです。
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殿様ではありませんが、参考URLのサイトに将軍の一日について書かれていますので御覧下さい。



鷹狩は幕府によって禁じられていたので許可がないと出来なかったはずです。
基本的には国許の御城や江戸の上屋敷でずっと生活してたと思います。

茶道が趣味の茶人大名や数学が趣味だった大名、自分が病弱だったので薬の調合が趣味だった大名など結構多彩だったようです。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/SEISYO/sitiniti.htm
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Qお城の生活(戦国時代等)

『江』を見ていて疑問に思った事があります。
お城の中で暮らす人々の部屋には鍵がかかってない
と思うのですが、いろんな人(使用人等)が住む中
盗難等なかったのでしょうか?

お城≒マンション のような物と理解してよいのでしょうか?

お初が後に結婚する人を城内でチラッと見かけた前回の描写から
自分の部屋を出る時は いわゆる部屋着では出れなかったのでしょうか?(誰に会うかわからないから)

Aベストアンサー

 明治時代、ハインリッヒシュリーマン、イザベラ・バードなど日本にやってきた人たちがいろいろな旅行記を書いていますが、旅館の、襖で仕切られただけの部屋でも、全然お金が盗まれないので驚いています。

 どの本だったか忘れましたが、数日間出かけて戻るために旅館の主にお金を預けようとしたら、「お預かりします」と言ってテーブルの上に置くだけだったので、盗まれないのかと聞いたら、「盗まれません」と返事をした。もどってきたら、置いた時とまったく同じようにお金が置かれていた、とか書いてありました。

 誰が泊まるか分からない旅館でさえそうですから、いわんや城内においておや。

 お城は、マンションではありません。質問者さんの家(個人の邸宅)のようなものです。そこへ使用人が小部屋をもらって住み込みで仕事をしているようなものです。

 自分の部屋から部屋着では出られなかったか、という記述はみたことがありませんが、たぶんそうでしょうね。

 篤姫でも、誰かが起こしに行くまで起きないでください、と言われたり、とこに寝たまま髪を梳かれたりしているシーンがありました。あんなものだと思います。

 ただ、城は、殿様の個人住宅兼仕事場ですが、女性たちが住む「奥」はいつでも誰でも行ける場所ではない(徳川時代の江戸城の大奥ほど整った制度ではないようですが)ので、顔見知りのお手伝いさんに対してでもよほど慌てたと思われたくないとか、「女のたしなみ」でそうやっているだけで、誰か知らない人に出逢うから、ということではないように思います(確証はありませんが)。

 明治時代、ハインリッヒシュリーマン、イザベラ・バードなど日本にやってきた人たちがいろいろな旅行記を書いていますが、旅館の、襖で仕切られただけの部屋でも、全然お金が盗まれないので驚いています。

 どの本だったか忘れましたが、数日間出かけて戻るために旅館の主にお金を預けようとしたら、「お預かりします」と言ってテーブルの上に置くだけだったので、盗まれないのかと聞いたら、「盗まれません」と返事をした。もどってきたら、置いた時とまったく同じようにお金が置かれていた、とか書いてあり...続きを読む

Qもし現代人が江戸時代で1ヶ月生活するとしたら、何で困るでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか?

匂い。 どうでしょうか? 当時の家の中や、町全体、一体どんな匂いがしていたでしょうか? そして1ヶ月間、現代人に耐えられるでしょうか?

風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。

人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? ...続きを読む

Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
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Q江戸時代、藩がどう分布していたかがわかりやすい日本地図を探しています。

たとえば、
今の山口県のあたりには長州藩があり、藩主は毛利家
ということが見てわかりやすい日本地図を探しています。
そのような地図がおいてあるサイトをご存知の方はいらっしゃいますか?

Aベストアンサー

江戸時代初期は大名の取り潰しが多かったので、いつの時代が必要なのか難しいですが、一応300藩と言うことで参考URLをご覧ください。
地方ごとに分かれています。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

Q江戸時代の侍は、普段何をしていたのでしょうか?

江戸時代は戦もほとんどなっかたと思うのですが、平和時に侍は日常何をしていたのでしょうか?行政や事務方の仕事を兼務していたのでしょうか?

Aベストアンサー

 侍は確かに今で言う公務員ですね。
 藩政に関わる仕事を基本にして、あとは娯楽や稽古など・・・。
 初期と幕末期は様子が違いますが、江戸時代らしいと言えばらしい、まるっきり平和ボケな中期の頃の話をします。
 んで旗本大名クラスじゃなくて、ホントの窓口公務員っぽい人たちの話。

 現代のように週5日で朝9時から夕方5時まで勤める、ということはありません。
 お城の番兵みたいな人は、せいぜい月に数日間しか公用がないこともありました。
 接待係のような人も、御用商人が接待してくれれば遊べるかなくらいで、実際にはやる仕事が全然ないんですよね。
 一応、忙しい人がいないわけでもなく、御算用者という財務会計専門の役職は激務だったみたいです。
 理由は・・・そりゃあねぇ。お察しください。
 きっとストレスでバッタバッタ倒れたでしょうな。

 それに地方大名はやれることが限られてました。幕府がいろいろ禁止してますから。
 たとえばお城の石垣が傷んで直そうとしても、幕府の許可がないとやっちゃいけないんです。

 で、大部分のヒマな侍は何をしてるかと言えば「やることがない」のです。
 しょうがないから芝居見物、博打、酒盛り、釣り、生け花、俳句など、いかにヒマをつぶすかに一生懸命だったでしょうね。
 知行はあるけど、これだけ遊んでればお金も無くなります。
 だから武士の命のはずの刀を質に入れ、金を借りたりしてるのが普通なわけです。
 江戸に行けば生活費もかさみますので、ちょっとくらい手当をもらっても借金がふくれるばかりという人もいました。


 仕えていた藩を取りつぶされたりして、仕官先のない武士は「侍」とは言わず「浪人」と言います。
 今でも残っているこの言葉の通り「仕事も何もすることがない人」だったりします。つまりニートってこと。
 ホントに何もやらないと当然収入がないので、内職したりして日銭を稼いだりしてました。
 時代劇じゃ傘張りとか耳かきの製作とかやってますよね。

 そんなわけで士農工商とは言われてますが、武士も実際には商人に金を借りまくってたりして、あまり偉そうにはできなかったというのは有名な話。
 商人、職人、農民は何かヒット商品で成功すれば豪商や豪農のように成り上がれますが、武士にはそれがないのがつらいところ。
 経済的に豊かな武士というのはおらず、実質的に武士は江戸時代を通じて無職者集団に近かった、とさえ言われてます。

 参考になれば幸いです。

 侍は確かに今で言う公務員ですね。
 藩政に関わる仕事を基本にして、あとは娯楽や稽古など・・・。
 初期と幕末期は様子が違いますが、江戸時代らしいと言えばらしい、まるっきり平和ボケな中期の頃の話をします。
 んで旗本大名クラスじゃなくて、ホントの窓口公務員っぽい人たちの話。

 現代のように週5日で朝9時から夕方5時まで勤める、ということはありません。
 お城の番兵みたいな人は、せいぜい月に数日間しか公用がないこともありました。
 接待係のような人も、御用商人が接待してくれれ...続きを読む

Q江戸時代の結婚について

江戸時代の(特に後期・幕末)結婚についてですが、身分制度で結婚できる・できないがあったと思うんですけど、どういう人同士が結婚できたんでしょうか。例えば、武士と農民は結婚できないとか、男が農民で女が武士なら結婚できるとか(これはあくまでも例です)。教えてください!!

Aベストアンサー

江戸時代は一見身分の固定された時代と思われがちですが、武士の次男、三男が部屋住みの身分に見切りを付けて、医者になったり百姓になったり、町人がお金で武士の身分を買ったり、けっこう身分は流動的でした。
勝海舟や樋口一葉も武士階級の出身といっても、元々は勝海舟は按摩の孫ですし、一葉の祖父も農民です。
こういう社会ですから、結婚も身分を問わず行われ、上級武士でも、同じ武士身分の養女にすることで町人と結婚できると言う抜け道があり、少なくとも身分帳に載る身分同士は結婚や養子縁組があったと思われます。
身分帳に載らない、エタ、非人と呼ばれる身分は、さすがにある程度の規制(差別)があったようです。

Q日本で一番平和だった時代

最近多発する凶悪な事件や憲法改正云々で、日本は「平和」ではなくなって来ているといわれ始めるような世の中になってしまったように見えます。
そこで思ったのですが、だとしたら日本の歴史の中で一番「平和」な時代っていつごろなのでしょう?
どういうことか「平和」なのかは個人の考えにお任せします。想像でも構いません。
ちなみに、私は平安時代だと思います。帝や政治に関わる人たちが歌を作れるほど、心に余裕が持てる時代だったのでは?と考えたのですが……皆さんの意見を聞かせてください。

Aベストアンサー

うーん。「平和」の基準によって変わってくると思いますね。私の考え付く範囲で平和な時代を、いくつかの基準で区分して書きたいと思います。

【江戸中期ころ】
前の回答で江戸時代で区分している人がいらっしゃいますが、江戸初期末期は動乱の時代です。平和なのはあくまでも江戸中期200年間ほどでしょう。さて、この時代は皆が豊かであったと言うことができます。武士だけでなく、広く農民や商工業者まで豊かだったということです。また、士農工商えたひにんと言いますが、えた・ひにん達は差別さえされていましたがそれなりの保護があり、彼らだけの特権的職業を与えられていたりしたので経済的にはそこそこの水準には達していたらしいです。そういう意味で人々の全体が豊かでした。また戦いもなく、社会も穏やかだったと言えます。

【平安時代初期ごろ~中期】
この時代は日本の平和で文化的な時代の代名詞みたいなものですよね。その通り貴族の中では高い精神文化が営まれ、そして豪奢な暮らしがされていました。しかし一方では政変も多く、また民衆の生活は非常に苦しく、決して豊かだったとはいえないと思います。その点で平和とはいえないでしょう。

うーん。「平和」の基準によって変わってくると思いますね。私の考え付く範囲で平和な時代を、いくつかの基準で区分して書きたいと思います。

【江戸中期ころ】
前の回答で江戸時代で区分している人がいらっしゃいますが、江戸初期末期は動乱の時代です。平和なのはあくまでも江戸中期200年間ほどでしょう。さて、この時代は皆が豊かであったと言うことができます。武士だけでなく、広く農民や商工業者まで豊かだったということです。また、士農工商えたひにんと言いますが、えた・ひにん達は差別さえされ...続きを読む

Q戦国時代の兵士たちや武将について

戦国時代には、たくさん武将やらその武将に仕える兵士さん達がいたと思いますが、その人達は普段どこに住んでいたのでしょうか?
戦がない時には自分の家で、今でいう自主練のようなものをしていたのですか?それとも、仕えるお殿様のお城の中に住む部屋(自分の部屋)があって、そこで暮らしてやっぱり自主練などをしていたのでしょうか?
後者であれば、やはりそれなりに偉い人は一人部屋で、兵士達は数人の人たちと同室とかだったのでしょうか?
知りたいので、教えて欲しいです。

Aベストアンサー

江戸時代になるまでの武士というのは、普段は農民でした。だから、当時の戦争は農閑期でなければ出来ませんでしたし、農業に影響を与える長期の作戦は不可能でした。これを「半農半兵」といいます。
このタイプの軍隊の長所は土地に根ざしたしっかりした組織なので精強だということです。武田軍や上杉軍、島津軍はこういった「伝統的軍隊」でした。

一方、織田信長は金で雇った足軽兵を中心にする組織にシフトしました。この軍隊の長所は戦争専門にやる連中を雇うので年がら年中好きなときに軍事作戦を行えることです。一方、よくいわれることですが、金で雇われるごくつぶしの集団なので士気が低く「負けそうだ」となるとすぐみんな逃げてしまうのです。#1さんも書かれているように、弱かったのです。
しかし、年がら年中戦えるというのはやっぱりメリットで、戦国時代も後半になるとこういった「戦争専門の軍隊」が主流になっていきます。
武田軍や上杉軍もこの時代の流れに無関心だったわけではないでしょう。しかし、甲斐や越後は田舎なのでそんなに簡単に人が集まりません。織田軍は、人とお金が充分に手に入る都会だったからこそ足軽に不足しなかったんですね。

さて、天下統一がなされると巨大な軍隊は不要です。多くの「傭兵」たちはリストラされます。秀吉は、朝鮮に出兵することでこの雇用問題を解決しようとしました。また、島原の乱には多くの「失業武士」が参加したのです。
同じことはずっと後の明治維新でも起きます。西南戦争はリストラされた武士たちの反乱でもあったのです。

江戸時代になるまでの武士というのは、普段は農民でした。だから、当時の戦争は農閑期でなければ出来ませんでしたし、農業に影響を与える長期の作戦は不可能でした。これを「半農半兵」といいます。
このタイプの軍隊の長所は土地に根ざしたしっかりした組織なので精強だということです。武田軍や上杉軍、島津軍はこういった「伝統的軍隊」でした。

一方、織田信長は金で雇った足軽兵を中心にする組織にシフトしました。この軍隊の長所は戦争専門にやる連中を雇うので年がら年中好きなときに軍事作戦を行える...続きを読む

Q戦国時代における戦での遺体の取り扱いって?

近年の戦争の映画で戦死者の遺体を棺に収め、国旗などでくるんで本国に移送するという場面を見たことがあるのですが、日本の戦国時代はどうしていたのでしょうか?
大きな戦では大量の遺体が発生すると思うのですが、そのまま放置されたのでしょうか?それとも組織的に回収されたのでしょうか?
また、海外(中世の欧州など)でどうだったのかも分かれば教えてほしいです。

ご存知の方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、通行するクルマ以外に邪魔者はいません。効率よく死体処理(カラス等の食事)が進むでしょう。

ご質問ですが、戦国時代の戦いでの戦死者の遺体は、下記の経過を辿ったと思われます。

1. 戦死者は、首を取られた状態で戦場に残されている。
よほど大きな合戦、例えば武田信玄が徳川家康を完敗させた三方ヶ原の合戦でも、徳川軍の戦死者は1000人行かない計算のようですから、そんなに大きな数ではありません。普通の合戦なら「戦死者10人」とかの単位です。

2. 戦闘が終わって両軍が引き上げると、既に回答されているように農民たちが「戦場狩り」を行います。これは、「田畑を荒らしたことに対する補償」の意味も含まれていたようです。
この際は、我々の眼から見て価値がある鎧、刀、槍などはもちろん、着ているものもフンドシに至るまで全て剥ぎ取られます。戦国時代の日本は、今の北朝鮮のような「使えるものは全て使う」社会ですから、例えば「戦死者がつけていた、血に染まったフンドシ」でも洗えば価値があるので剥ぎ取られました。地位のある武士が着ていた服は、農民から見れば「超豪華な織物」ですから、血や泥を落として分解すれば高値で売れました。(和服は、縫った部分をほどけば長い反物に戻ります)

3. 農民が徹底的に戦場狩りを行った後、戦死体は、全て丸裸になったでしょう。即ち、冒頭で説明した「クルマに轢かれたタヌキ」と同じ状態です。この状態であれば、後は野生動物が死体を処理してくれたと想像できます。実際、合戦の後の戦場をカラスが徘徊している様子が、当時の手紙か何かで描写されている例があったと思います。

4. 現在も痕跡が残るように、地元の僧侶が穴を掘って死体を埋め、供養したと言う例もあったでしょう。これは、「戦場狩りで大儲けした農民たちが、罪滅ぼしの気持ちで供養を依頼」ということが多かったのではと思われます。

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、...続きを読む

Q埋蔵金伝説、掘ったらほんとに出てきたことはあったのか

 四国の剣山にソロモンの財宝が埋まっているという話があって、何十年も掘り続けた人がいたそうです。その他、埋蔵金伝説は徳川埋蔵金などイッパイありますが、伝説に基づいて掘ったら、実際にお宝が出てきた例はあったのでしょうか。
 シュリーマンのトロイアの発掘以外に、伝説どおりに出てきた例は知りません。実際に掘り当てたという面白い話があれば教えてください。

Aベストアンサー

残念ながら…自分は近代日本(大正、昭和と)の新聞雑誌を10年近くかけて読み漁った事がありますが…埋蔵金を探していた人が見事見つけたという話は記事で読んだ事がありません。
工事現場で小判が発掘された、という話は結構あります。
でもこれは、宝探しをしていて見つけた訳じゃなくて、偶然出てきた、という話なので。
あとは埋蔵金にまつわる詐欺話は記事でよく読みました。
昭和8年には赤城山埋蔵金発掘ファンド詐欺事件があり、赤城山の財宝ってこんな昔から有名だったのか、って話ですが。
 
そうそう、出典は忘れたのですが…愛知の知多の方だったと思います。昭和40年代だったか50年代だったか、埋蔵金伝説のある海辺の町で、定期的に江戸時代の金貨を少額ずつ換金に来る老人がいて、「きっと埋蔵金をひそかに掘り当てたに違いない」と噂になった事がある、という本を20年以上昔に読んだ事があります。
よく考えれば、財宝を1人で発見したら、マスコミに公表する訳もなく、黙っていて少額ずつ掘り出して目立たないように換金するよなあ、とその話がやけにリアルに思えて、いまだに覚えています。

残念ながら…自分は近代日本(大正、昭和と)の新聞雑誌を10年近くかけて読み漁った事がありますが…埋蔵金を探していた人が見事見つけたという話は記事で読んだ事がありません。
工事現場で小判が発掘された、という話は結構あります。
でもこれは、宝探しをしていて見つけた訳じゃなくて、偶然出てきた、という話なので。
あとは埋蔵金にまつわる詐欺話は記事でよく読みました。
昭和8年には赤城山埋蔵金発掘ファンド詐欺事件があり、赤城山の財宝ってこんな昔から有名だったのか、って話ですが。
 
そう...続きを読む

Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

・「幕府」と「朝廷」の違いが分からない。
・そもそも「幕府」って何?「朝廷」って何?

と言われました。
お恥ずかしながら的確に説明できません。
教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという...続きを読む


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