プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

 先日、大学進学まじかの後輩に「自分は何をしたいのだか分からないんです」と言われました。そこで自分はあ~またこれまたお約束な悩みだな~と思いつつ、「大学へ行っていろいろな人に会っていろいろな環境に触れれば必ず価値観をガラッと変えるようなものに出会うよ!それからでいいんじゃないかな?」などと偉そうなことを言ってしまいました。そして言った後、そういう自分はそんな出会いが会ったのか?とふと考えてしまい、その後の後輩の言葉は記憶にないです(苦笑)
 人それぞれ自分の価値観、人生観を大きく変化させるような出会い(すべてのものを含む)はあると思いますが、それは何歳の時どのようにして出会い、そしてどのような自分が今現在いますか?良い出会いだけでなく悪い出会いでもかまいません、体験談をよろしければお寄せください。

A 回答 (8件)

私は30代二児の母。

平々凡々の主婦です。皆さんの『回答』を読んでると本当に『わたしって、平凡』と感じてしまいました(苦笑)でも、人並みに幸せです。高卒、就職(銀行)、結婚退職、出産、現在。と、至ったわけですが・・・ほらね『平凡』。女性で、出産経験があればたいていは『この子を出産したこと』と、答えるでしょうね。本当に出産とはドラマチックな出来事ですからね。。。でも、あえてそれを外しましょう。そして私のもう一つの『人生を・・・』は、主人と出会い、サーフィンを始めた事です。もうかれこれ10年くらい(でも、超へたっぴ)になりますが、結婚する前は一年中、海が大好きで毎週末海へ出掛けて行き波乗りをしました。そして、ある日、海の上で主人が私に『知ってるかぁー!?同じ波は二度と来ないんだぞぉーっ。だから、今乗っている波を大切に楽しく乗るんだぞーっ』と、何の気なしに言った言葉だったのでしょうが、私にとっては何とも言いようの無い『衝撃』みたいなのが全身を走りました。苦しい時もあれば、楽しい時もある波乗りも人生も似たようなもの。毎日の生活の中で『今を大切に一生懸命生きる』事が大切なのでしょう。そして私はその言葉を胸に、今まで生きてきています。うまく文章に出来ませんが、後輩も今、自分の目の前にあり、やらなければいけない事って、あるのではないでしょうか!?後輩に限らずほとんどの人にも・・・例えば部屋の掃除(思いがけない物を発見するかも!?)電車、バスに年寄りが乗ってきたら席を譲る(目線を変えて見ると何か見えるかも!?)、まずは目の前にある小さな事からやり始めているうちに『何か』見つかるでしょう。それが例え小さな発見や出来事だったとしても、これからの『可能性』を握る鍵かもしれません。『二度と訪れる事の無い今を大切に・・・』ですよ。
なんだか、おばちゃんぽくってごめんなさいね。立派な回答の中にもこんなのがあっても「いとおかし・・・」でしょ!?
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この回答へのお礼

お礼の方、遅れてしまって申し訳ありませんでした。どうもありがとうございます。
 平凡な人と非凡な人との差とは何なんでしょうね・・・・。根本的に求める幸せの形は変わらないで、ただその過程が特殊かどうかということなのでしょが。
 人に与えられる唯一平等なものは時間だとよくいわれます。その長さは人によって異なるとは思いますが、その時間を何のために使うか迷うところですね・・・

お礼日時:2001/12/13 23:44

No2の補足


旅に対する私の勝手な解釈。
「旅行」とは行楽を目的とする旅。すなわち行くことが楽しみなもの。
「旅」とは内なる衝動に駆られて出かけるもの。求めるものは「楽」ではないもの。
形態ではなく、意識の問題だと思います。
自ら出会いを求めて、動き出す。それが旅だと思っています。
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この回答へのお礼

 わざわざ補足していただきありがとうございます。
なるほど・・・・難しいですね(^◇^;)「楽」を求めるのではないということは「苦」を求めて、ないし「試練」を求めてといったところなのでしょうか?
 ただただ平凡なルーティンの生活に決別して新たな価値観との出会いをもとめての旅なのでしょうかね。
 

お礼日時:2001/10/12 23:10

あ~またこれまたお約束な悩みだな~と思いつつ


これ↑不思議と心地よく、気に入ったフレーズで、持って生まれた文才か、羨ましく感じました。
つまり今の私の価値観は、日本語しか出来ないのはもう仕方ないとして、タイピングでミスが多いのも仕方ないとして、地方じじたいと入力して自治体と変換しないので???となるほど無教養なのも諦めるとして、文章だけはもう少し何とかならないかと、もがいているからです。

大人になれるかしらと、大人たちを見あげて不安だった幼少期、異性にモテたいと熱望していたハイティーンの頃が懐かしいほど、引く手あまたでうんざりの女性失望ダンス教師時代。それでも14年上とフィーリング合って、もう36年。すばらしいバストも癌で切除は、決して本人には言えない、目の保養をなくした男の悲哀。幼少期の似た不幸が互いを憎みきれない憐憫となって、ごますり言葉の大安売り、演技も過ぎれば本心みたい、仲良しごっこも板についたころ、気が付けば老いだけが何時の間にか忍び寄り、経済難も人並み以上、早く来い来いお迎えさん。とまあ、ごめんなさいのうかつな人生でした。
何をしたら良いか判らないと悩むほど満腹な人もいれば、今の空腹を満たすためにどこかの店に住み込んであっとの間に人生もう終盤の人もいます。仮末代です。人生結局なるようにしかならないはホント。
それと価値観は経験した幸/不幸の数で決まるみたい。出会いは運命。どうするかは運勢。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございました。
 文章を書く時はほんとうに参りますよね(笑)。どうしたら自分の意見や考えを簡潔に正確に相手に伝えられるかはいつも悩みます。しかしojin60さんの指摘は本当に考えもしなかっただけに驚きました(笑)。ただ言えることはojin60さんは絶対文才ありますね(笑)。
 本当これだけのスペースでは表すのが酷に思えるようなさまざまな思いが感じとれました。正直撲の様な経験不足な者には語る資格がないような気さえしました(苦笑)。
 ただ、「価値観は経験した幸/不幸の数で決まる」というのは今の自分にもある種真実があるように思えます。きっと自分の価値観に変動を感じる時、人は幸もしくは不幸の方に傾いた時なのでしょうね。 貴重な経験談本当にありがとうございました。
 
 
 

お礼日時:2001/10/09 20:40

10/7放送の「情熱大陸」というドキュメンタリー番組で、


スガシカオさんの特集をやっていました。
彼はミュージシャンになる前は、サラリーマンをしていたそうです。
そのときにためた100万円を元手に、機材を買って音楽活動を始めたそうです。

そこで、彼は言っていましたよ。
>「自分は何をしたいのだか分からないんです」って悩みを相談された時は、
>「お金をためろ!」って答えるようにしているんです。
>実際、やりたいものが見つかった時に、先立つものがなかったら、
>どうしようもないから。
>僕にはためた100万円があったから、ミュージシャンになれたと思うので。

※ちょっと本題とは違うかもしれませんが、
 印象深かったので、書かせてもらいました。

――――――――――――――――――――――――――

正直、僕にはそういった出会いはないです。
(もしかしたら、気づいていないだけで、あったのかもしれませんが)
なんとなく当り障りのない事をして、ダラダラやっているうちに、
今の状態になってしまいました。
「なってしまいました」と書きましたけど、
別に今の状態が嫌なわけではないですが、良いとも思っていません。

最近、特に
「自分が何をしたいか」って無理して明確にする必要はないのではないか?
って思うんです。
確かに、明確である事に越した事はないです。
そのほうが、具体的に何をすべきか見えてきますから。
でも、無理してそういう場に身を置く必要があるのだろうか、って思うんです。
自然な流れに身を任せる、というのも、
生き方としてあっても良いのではないですかね。
どんな風に生きようとも、楽な人生ってないと思います。
楽しようと思って逃げ回っていれば、あとで「ツケ」が回ってきますから。
「仕事が嫌だ!」って辞めてしまえば、お金に困るのは自分自信なんだから。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。
 とりあえずやりたいことがなかったら金を貯めろ!というのは自分も講演会等で耳にしたことがあります。確かにその通りだと思います。もし何かやりたいことが見つかった時に先立つものがなかったらどうしょうもないですもんね。それに何かを始める時にどれだけ金を積むかによって、人はその人のやる気を感じるという面もあります。それによって力を貸してくれる人も出てくるかもしれませんね。ただもし、それがただ金を貯めるだけの目的で終わってしまったら悲しいですね・・・(苦笑)。
 「自分が何をしたいか」を考えるのはアホくさいことと言うのもある意味真実ですね。なぜなら今していることはすべてが何らかの理由でやりたいからやっていることなのですからね・・・(苦笑)。
 ただ後になって後悔だけはしたくないですね・・・・・。

お礼日時:2001/10/09 20:25

私は大学院の博士課程にまで進学しました。


こんな出だしだとすごいまじめ君かいなって思うかもしれませんが
学部時代はお水関係、音楽関係、教育関係のバイト&趣味で、
女子高生から熟女まで、酒池肉林の生活をしていたイタイ奴でした。

人生の転機は学部3年のとき、ある講議をさぼっていた私は、
友達から「今日、テストがあったよ」と告げられ、後から教授室へ行って
「すみませ~ん、カゼでテスト受けられなかったんです~」と嘘をついて
再試を頼みに行きました。その教授というのはその年に赴任してきたばかりの
天下り教授で、なんと、彼の教授室をノックした第一号の学生が私でした。
教育熱心な教授は始めての訪問者に喜び、なんだかんだで2時間以上、
話しをしました。

で、まあ、現在のように研究者生活へ突入したわけです。たぶん、
あのとき普通にテストを受けていたら、教授と個人的に語り合うこともなく
適当な企業へ就職していたと思います。まあ、講議をさぼってることは
いいとは思いませんけど。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございました。
 教育熱心な教授とはこのご時世珍しいですね(笑)。自分もそんな教授に会ってみたいですね~(研究熱心な教授はたくさんいるんですけどね)苦笑
 偶然が生み出す出会いも多いですね。ただその出会いをnoribou11さんの様に受け入れる心の余裕を持つことが大切ですね。ありがとうございました

お礼日時:2001/10/09 20:13

私の場合、生まれながらの宿命みたいなものが人生を良くも悪くも左右してきているように感じています。

京都の古き家柄に生まれ、女子としては初孫という宿命です。物心ついたときには、ピアノが家にあって両手で弾いていたし、お花やお茶をするのは中学までに覚えたし・・・今となってはとんでもない人生です。
そんな最中であった中学の先生はそりこそあわない人でしたが、私に文章を書くことの素晴らしさを教えてくれました。それと出逢わなければ、制限のあるなかで大学の受験に失敗していたと思うし、自分の今の人生はなかったと思います。
ただ、実際行ってみたら、何か違うコトがあるのも大学ですよね。自分が少しでも興味のあることをやってみる。やってみないと何事も分からないんです。
海外旅行とは言わないけれど、後輩の方の環境を変えてみるのもひとつですね。
一度向き合って話を聞いてあげて下さい。どんなことに興味があるのか・彼の性格は?どんなおとなになってみたい?今の自分や社会やいろんなものの何がキライ?と・・・そうすればきっと彼が気づくはず。毎日違うと言うことを。それだけでも、彼自身がアイデンティティを見つけられる一歩になると思いますよ。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
 文章を書くことのすばらしさを教わったとのことですが、それを教えるだけの力があった先生もすばらしいですが、何より今まで親の言われた価値観で生きてきたmiyonさんがそこでそのすばらしさに気づいたことが真にすばらしいと僕は思います。
 撲も歴史を学ぶことの楽しさとその意義を教えて下さった先生には大変感謝しています。あの先生がいなかったら今のように世界に興味を持つこともなかったでしょう。
 後輩のことですが、できれば彼の力になっていあげたいのですが正直今の僕では役不足でしょうね・・・・(苦笑)やはり人の価値観や気持ちを変えるにはそれだけの説得力が必要だし、その説得力はその人のやってきたことにかかっているのだと撲は思っています。
 でも、今まで撲が生きてきた経験を参考までに話すことはできるので、それが少しでも彼の人生に影響したらすばらしいことですね。
 大切な思い出ありがとうございました。
 
 

お礼日時:2001/10/09 20:07

決定付けたものは、いろいろありますが、


一つだけ上げてみろと言われれば、父親になったことでしょう。
この出来事により、これまでの生き方を方向転換しました。
それまでの私の経験をすべてつぎ込んで、子孫のために何ができるか、
このことを真剣に考えるようになったことです。
親ばかになったわけではありません。
「種の保存」がいかようになされ、そのために自分のなすべき役割は何なのか、
今の自分に何が出来るか、
なすべきことのためには、自分をどのようにレベルアップすればよいか。
常に考えるようになりました。
すべての、思考の根源が確定されたといってよいと思います。
べつに、宗教に出会ったわけでもなく、悟りを開いたわけでもありません。
しかし、私が思うには、経済社会の呪縛から思考が解き放たれたのではないかと思います。
「人類」という名の生物が生き続けるためには、「種の保存」に思考の原点を置くと、すべての問題に答えが見つかりやすい。
このことに気がついたのです。
これに気がつくまでに、さまざまな出会いがありました。
きっかけは、子供の誕生ですが、そのことだけでは今の状態にはなりえなかったでしょう。

人生の転換期は、他から与えられるものではなく、自ら招くものだと思います。
私の経験から言えることは、
1.旅をしましょう(旅行ではない)
2.苦労をしましょう(楽な道に流れない)
3.常に問い続けましょう(本質は何なのか)
4.自分があるのは誰のおかげか考えましょう(人は一人では生きてゆけない)
5.目の前にある課題に無心に取り組みましょう(先読みばかりではだめ)
6.一流に身を置きましょう(上には上がいると常に向上心が出ます)
7.自分の意思を人に伝えましょう(独善に陥らないように)
参考になりましたか。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございました。大変参考になりました。
 人はなぜ生きるのかとは長年議論されていることであり、永遠のテーマであることは確かですね。しかし、仰る通り種の保存は全生命体の共通の生存理由であることは疑いようのないことです。
 自分の存在意義に立ち返ることが、自分の存在を一般化しかつ客観化し、今の世の中の自分の存在が明確になるのでしょうね。そうすることによってまた新たな価値観が生まれることも多いことでしょう。
 そして、その自分の存在意義を生命の根源的存在理由である種の保存というものに照らしあわせてみるのはきっと有効であるように思います。
 まだ十代も終りといったところの自分にはまだ父親になるのは遠い話ですが、いろいろと考えるところはありますね。
 後、出会いは向こうからやってくるものではなく自ら招くという意見もその通りだと思います。ただ旅行ではない旅とは具体的にどのようなものなのでしょうか?
自分は世界旅行が好きでリュック一つでさまざまな国を回りましたが、やはり旅行には変わりないと思います。もしよろしければ経験談お聞かせください。

お礼日時:2001/10/09 19:50

大きな出会いは中学時代に出来たある友達でした。


小学時代:メカいじりの好きな少年
中学時代:電気変わり電気の理屈に非常に興味を持つ
・・・・時代は流れ
電気関係の大企業に入りたいと思った。
結果:中規模の会社に入社したが、その会社の部長の言葉に大きく影響を受ける(人生目立て!)
会社を辞め某電気関係の大企業に入社
製造部門だったが少しづつ電気関係で目立ち始める
(沢山の先生となる人に出会う)
技術部門に行きたいと考える
体調不良で製造最前線から外れ、今の上司に当たる人が技術部門に引き入れてもらう
(技術部門の長で慕っていた人)
一時的な海外推進の担当者になる
努力を買われ今後は海外担当に変わっていきそうです。

誰でも色々な出会いは常にあります。
私は中学時代の友達が一番大きな出会いだったのですが、その後はこうなりたいと思いつづけて、その方向に行動すれば良い結果が出て更に行動によって出会いがあるという循環があります。
待つのではなくやりたいと思った事を行動に出してみれば向こうから出会いがやってくると思うようになりました。
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この回答へのお礼

 お返事ありがとうございます。中学のころの友人の影響ですか。その当時はきっとその人のせいで自分の将来が方向ずいたなんて思いもよらなかったのでしょうね。でも、本当に何かに熱中している人の姿というのは不思議なもので、例えそれが今の自分にまったく無関係なものであっても興味をそそるものですよね。
 ありがとうございました、改めて昔の友人のことを思いかえしています・・・(笑)

お礼日時:2001/10/09 19:28

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