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A級戦犯として東京裁判で裁かれたのは28人ですが、巣鴨プリズンにはその他にもA級戦犯として訴追される予定だった人が収容されていたようです。「たくさんいるけど被告席が28席しかないから、とりあえず第一回の裁判として28人だけ裁判をやった」と聞いております(もし間違っていたらご指摘お願いします)。しかし第二回は結局行われず、数年後には全員釈放されたとか。
この、他の人たちの名前が判れば教えてください。多分阿部信行と真崎甚三郎が混じっているんじゃないかと思います。

誤解して頂きたくないのですが、梨本宮や岸信介のように「戦犯指名されたが、結局誤認逮捕ということで釈放された人」ではありません。「戦犯指名されて、裁判も受ける予定だったが結局釈放された人」を教えていただきたいのです。

A 回答 (3件)

参考になれば。



検索エンジンgoogleで「A級戦犯」を検索しただけです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E7%B4%9A%E6%88%A6 …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。このページは見たことあるんですが、全員の名前が掲載されてはいないようです。

お礼日時:2005/07/14 19:08

少し古いのですが下記の本に詳細があります。


「未公開写真に見る東京裁判」(別冊歴史読本)新人物往来社 1989年
戦犯容疑者全員の氏名があります。

余談ですが、BC級については、
「戦争裁判処刑者一千」 同社 1993年
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
さっそく読んでみます。BC級についても興味があるので。

お礼日時:2005/07/14 19:07

 1948年12月24日にGHQ法務局長名で「巣鴨拘置所に拘留中または自宅拘禁中の元A級戦犯容疑者で現在裁判に付されていない者は、全て釈放ないし拘禁を解除する」旨の発表があり、これの該当者が以下のリストになります。



安倍源基、安藤紀三郎、天羽英二、青木一男、後藤文夫、本多熊太郎、石原広一郎 岩村通世、岸信介、児玉誉士夫、葛生能世、西尾寿造、大川周明、笹川良一、須磨弥吉郎、多田駿、高橋三吉、谷正之、寺島健

裁判以前・以後の釈放は、ともに不起訴・釈放処分というのが正しいと思います(不起訴には容疑があっても起訴するほどの必要はないという場合も含まれますので)。
 戦犯の逮捕は1945年9月9日に39人(東条英機ら39ら)、11月19日に11人(荒木貞夫ら)、11月20日に59人(梨本宮守正王ら)、12月6日に9人(近衛文麿、木戸幸一ら)、行われており、これらがA級戦犯容疑者でした。梨本宮は1946年4月13日に釈放されたもので(神道関係の容疑で、内容が不充分とされた)、裁判以前の釈放であり、この点で岸とは違います。
 
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この回答へのお礼

詳しくご回答いただきありがとうございます!
こう言っちゃなんですが、あまり有名な人はいないようですね・・・。

お礼日時:2005/07/14 19:06

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