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簡単にで結構ですので、ご回答よろしくおねがいします。

A 回答 (4件)

違いますよ。


ギリシャ文明が誕生したのが紀元前9~8世紀ごろ
都市国家ローマが誕生したのが紀元前7世紀
ユダヤ教が成立したのが紀元前6世紀
ギリシアの都市国家がマケドニアに滅ぼされたのが紀元前4世紀
ローマがイタリア半島を統一し、マケドニアがエジプト、シリア、マケドニアの3つに分裂していたのが紀元前3世紀
ローマがマケドニアを滅ぼしたのが紀元前2世紀
ローマがシリアを滅ぼし、現在のパレスチナを支配下に置いたのが紀元前1世紀
キリスト教がパレスチナ地方で誕生し、ローマ帝国がエジプトを滅ぼしたのが1世紀で
ローマ帝国がキリスト教を公認したのが4世紀の初め。
ローマ帝国でキリスト教が国教になったのが4世紀の後半です

初めはキリスト教は弾圧されていましたがローマ帝国が統治に利用するために国教になりました。

ギリシア・ローマ文明と言えばギリシア文明が開花した紀元前8世紀ごろから西ローマ帝国が滅亡する5世紀ごろまでに地中海地方一帯で栄えた文明を言うんじゃないでしょうか。哲学・文学・美術・自然科学が栄えました

キリスト教ももちろんその要素として含まれるでしょうが、むしろキリスト教世界がローマギリシア文明の影響下に育ったと考えた方が良いでしょう。
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一言で言えば、「違います」。



ギリシアとローマを一括りにする場合、
(1)ギリシア神話の神様の名前は変わっているが、内容は同じ、としてローマに受け継がれた。たとえばギリシアのゼウスは、ローマのユピテルである、ということになっている。なので通常「ギリシア・ローマ神話と呼ぶ。
(本当に同じなのか、問いう点は・・・むつかしい。私にはこたえられません)
(2)ギリシア語をはなすヘレニズム文化、というものが特に東部地中海にひろがっていて、(もちろん東部だけ、というわけではなく、ローマによる征服以前はガリアあたりでもギリシア語のほうがまだ通じた)その基盤の上に作られたのがローマ帝国である、ということ。
(3)神話だけでなく、都市国家としての制度や、哲学、詩と演劇、彫刻、等々、といった文化についてもかなりのものを受け継いでいる。
(4)そういうヘレニズムというアレクサンドロスとその後継諸王朝による地中海東部中心の帝国を受け継いだのがローマであり、キリスト教もまたそのようなものとしてまずはローマの支配下にはじまった。なので新約聖書は、もともとアラム語をはなすユダヤ人の運動であったにもかかわらず、すべてギリシア語で書かれていた。
のちにローマ西部(本国、といっていいのかどうか・・・はじまりの地)の言葉であるラテン語に翻訳される。そういう意味でキリスト教はギリシア文明の直接の産物ではないのだが、ヘレニズム、というかたちで、ローマの国教にやがてはなっていく。
といってもそのときは既に帝国は後期にはいっていて、だからこそ伝統的なローマ神話の宗教では支配が困難になっていたがゆえにキリスト教の力に期待した、ということか。
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 ギリシア文明の時代にはキリスト教そのものがまだ生まれていません。


 ローマ時代は、後期になるとキリスト教が西欧社会に浸透してきません。古代社会におけるキリスト教の普及は、ローマ文明が背景にあったことが大きいといわれています(ちょうど中国文明が仏教にくっついて日本にやってきたように)。
 ただし、ギリシア・ローマ文明とキリスト教文明(ユダヤ的文明)とを対比させて考える場合には、ギリシア・ローマ文明は非キリスト教的文明というふうに四捨五入して図式化することが多いので、多少の注意が必要です。まだ中世や近代のようにキリスト教を絶対視する発想が根付いていなかった時代であったことは事実です。
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キリスト教化される前の文明です。


ただし、キリスト教化された中世より進んだ文明でした。
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