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テレビで戦中、魚雷によって沈没させられた輸送船「嘉義丸」について放映していました。
この船長さんは、自分が助かる余裕があったにもかかわらず、船長室に閉じこもり、船と一緒に沈む道を選んだそうです。
映画「タイタニック」でも船長は同様の行動をしていました。

どうして船長は船と運命を共にする気になるのでしょうか?
最高責任者だから最後まで船に留まり、指示を出すというのは分りますが、助かる命を捨てることはないと思いました。

こういうことは船以外では聞いたことがないです。
船が沈んだのが自分の責任であれば別ですが、そうでない場合もあるはずです。
一種の自殺と考えてよいのでしょうか?
キリスト教では自殺は罪です。
それとも海の男独特の責任の取り方なのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

船というのはある意味で領土やその統治機構、あるいは法律から独立した存在であり、海の上にある間は船長をリーダー、あるいは極端な言い方をすれば船の「王」として、船長を頂点とした上下関係を成立させなくてはいけません(少なくとも昔は)。


例えば船員同士でもめ事があれば、それを捜査する警察も判断をする裁判官も問題のある船員を収監する監獄も船の上にはないわけです。であるからこそ、その全てに船長が責任を持つことで、船の秩序が保てると考えられていました(少なくとも昔は)。このように、船の上では船長はまさに王そのものであった訳です。

よって、それだけの権利を船上で行使できる反面、それに見合った責任を負うべきだと考えられており、そういった意識が「船が沈むときは船長は船と運命を共にする」という考え方につながったのだと思います。
日本の場合は、特に旧海軍の艦艇において、「艦は天皇陛下から預かったもの」という意識があり、さらに輪をかけて沈没艦の艦長が脱出することを戒める意識が強まったと思われます。

しかし、今は過去と違って船長が船の王であるという意識を持つ人は少なくなったと思われます。もはや、上記のような出来事は過去の遺物でしょう。
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私なりに考えてみたのですが、船長にとって自分の船は自分の体のようなものと考えるのはどうでしょうか。

体が死ねば自分も死ぬことになります。
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船の愛着ではないでしょうか?


船は恋人とも言われてましたし。
船は車と違ってそう簡単に換えれるモノではありませんから。

大航海時代の大海原に愛船とともに一生を航海するロマンシチズムの影響かもしれません。
船に自分の全てを託していたからかもしれませんね。
だから船(自分の全て)が無くなる時は自分も無くなる。

大航海時代から船長ブームやら船長倫理?みたいなものができたんじゃないでしょうか。
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伝統的な考え方として,船長はすべての旅客・乗員の安全に対する義務を負うとされています。

現在でも,海事法第11条には船長の義務として「船長は、やむを得ない場合または自己に代わって船舶を指揮すべき者にその職務を委任した後でなければ荷物の搭載中及び乗船中自己の指揮する船舶を去ってはならない」という項目があります。

昔はこの考え方が拡大解釈されて,「船とともに……」という考え方が生まれたのだと本で読んだことがありました。責任を強調するあまり,上記の「やむを得ない場合」が抜け落ちたわけですね。
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心理としては、自艦を捨てて逃げるよりも自艦と共に運命を共にし、名誉の死を


という所だと思います。

回りを敵の大群に囲まれて逃げ出しても殺されてしまうとか、回りをサメがうようよ泳いでいて、船の周囲が阿鼻叫喚の地獄絵図となっているような場合、ぼくならば敵に撃ち殺されたりサメに食われて死んだ、と言われるよりは、「艦と運命を共にした」として死にたいですね。
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船長とは、昔からの言い伝え?で、船と共に命を過ごす習慣がありました。


特に、日本ですと、そのような習慣がとても強いです。

日本海員魂というらしいですが・・・
「船長は船と運命を共にすべし」
と、たたき込まれたのではないかと思います。

昭和55年12月~1月にあった尾道丸転覆事件でも、船長は脱出拒否をしようと考えていたところ、救助した側の船長の声で、救助されたとのこともあります。
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これは昔の話ですよね。


今は、船長も逃げてますよ。

国の教育の違いなのかな?
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