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「(ぼくは)水が飲みたい」という言い方は、普通の言い方ですか。
「(ぼくは)英語が好きだ」はどうでしょう。

A 回答 (8件)

疑問に感じられているポイントがあまりよくはわからないのですが、「ぼくは」と「水が」と並ぶと主語が二つあるように見えるのが疑問なのでしょうか?



「が」を辞書で調べると、格助詞として2つの使い方があります。一つは「主体」を表す「が」、一つは「対象」を表す「が」です。ご質問の「が」は「対象」を表す「が」なので、主語が2つにはなりません。

「対象」の「が」の辞書による説明は、「可能、希望、好悪、巧拙などの対象を表す」ということです。今回の例文は、この解釈に基づいて考えると、以下のように全て辞書どおりの使い方となり、問題ありません。偶然かどうかわかりませんが、「可能、希望、好悪、巧拙」が全てそろいましたね。

「(ぼくは)水が飲みたい」 <希望>
「(ぼくは)英語が好きだ」 <好悪>
「あの人は字が上手だ」   <巧拙>
「人前で話すのが苦手です」 <巧拙>
「大分では、馬が乗れるよ」 <可能>

逆に以下の文は、上記のルールに反するので、不可となります。

「(ぼくは)水が飲む」
「(ぼくは)英語が習う」
「あの人は字が速く書く」
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先日、「大分では、馬が乗れるよ」の「が」でたまたま友人(英語学者)と論じていたところです。

専門の方の回答を私も楽しみにしています。

下記は、拙い私なりの考えで強い結論には至りませんでしたがご参考までに。

格助詞「が」は、主体を表したり、対象を示したりするので、対象を示すのに使うと、
英語が分かる
スキーができる/好きだ/上手だ
となって、このあたりは自然に感じますよね。

平安時代の主格としてよく使われていた格助詞「の」も、同格を表したり、いろいろな使い方をされていましたし、日本語は「主格」の特性がない、あるいは少ないと言えるのではないかと思います。だから、主語に使われるよと小学校で習った「が」も、目的格に(対象を表すため)に使われるようなこともあって当然なのでしょう。
個人的には西洋文法を押しつけてみた文法体系をもう少し修正して日本語文法を測り直してみないとどうとも言えないと思いますが。

ということで、名詞に「が」を付けて対象(patient)を表すのは、普通の言い方だと思います。「馬が」は聞く頻度が低いからちょっとヘンに聞こえるのかな、という曖昧な結論にしてお茶を濁してしまいましたが。

質問中の文は、水を飲みたい、と言い換えができますが、「を」ではなく「が」にすることに話し手の主観が表現されています。「水こそ飲みたけれ」と係り結びにもして強調することもできます(ちょっと古い文法ですが。語彙は現代語のまま)。どう主観を表現しているかや、どうしてそのように表現するのかの推測は、No.6さんの考え方が興味深いですね。
「英語が好きだ」は「英語を好きだ」より表出頻度が高いのではないでしょうか。

また、「普通の言い方」かどうかは、時代で変わるものですが、格助詞の用法は、時代でそんなに変わっていないような気がします。今もどなたか研究されていないでしょうか。(是非、論文を読みたいです)
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この回答へのお礼

なるほど、「馬が乗れる」という言い方があるのですか。可能動詞を使えば、「バイオリンが弾ける」「ボートが漕げる」「物が言えない」などもも考えられますね。

お礼日時:2005/08/31 00:41

「水が飲みたい」と「水を飲みたい」の違いは、日本人の思考方法と欧米人(+中国人)の思考方法の違いを表していると思います。



例えば、「私は彼を愛します」というのは、本来の日本人的発想ではありません。日本人的発想では「私は彼が好きです」となります。

この違いは何かをいうと、「私は彼を愛する」という言い方は、「主語+他動詞+目的語」という欧米/中国思想から出てきた表現が基になっています。主語が目的を対象化して、それに対し、主体的に何らかの作用を及ぼすことを暗示します。

一方「私は彼が好きです」では、彼に作用を及ぼすというのではなく、私の中に「彼については好きだ」という性質を持っていることを意味します。すなわち、「対象の自己属性化」を暗示しています。このよう日本人的発想では、自他を明確に区別せず、他者を自分の中に取り込んで自己属性化する傾向があります。

というこで、ご質問の例文は、それぞれ意味としては、「(ぼくは)水については飲みたい」「(ぼくは)英語については好きだ」「あの人は字については上手だ」「人前で話すことについては苦手です」などのように、主体者に付属する属性としての表現しています。これは、いずれも日本人の自然な心の感じ方に沿った表現と言うことができます。
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私は素人の勝手な考えで、むしろ水を飲みたい矢英語を好きだというのは英語的発想に基づく言い方だと思っています。

日本語では・・・たいや・・・だの場合には前についている動詞と一緒になって形容詞や形容動詞のような感じになると思っています。したがって水や英語は主義であるということになるのではないでしょうか。かっこのなかの僕は主語ではないと思います。すべて素人の勝手な納得です。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございました。
おっしゃることは、一つの考え方として存在すると思います。ただ、「英語が苦手だ」の場合、「英語が」が主語で、「苦手だ」が述語となるとすと、「苦手だ」が英語の属性になるのかという反論は出てくると思います。

お礼日時:2005/08/30 17:31

普通ですね.



いずれも,対象を表す「が」です.


が(格助)
(2)希望・能力・好悪などの対象になるものを表す。
「リンゴ―たべたい」「あの人―好きだ」
http://jiten.www.infoseek.co.jp/Kokugo?col=KO&pg …
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特に問題はないかと思いますが「水が飲みたい」というのは「水を飲みたい」とも言いますね。

この回答への補足

過去の質問No.1609184 質問:「が」と「を」の違い
の回答に疑問を感じたので、改めて質問しました。
「あの人は字が上手だ」「人前で話すのが苦手です」はどうでしょう。

補足日時:2005/08/30 15:13
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日本語を勉強中の方なんでしょうか?


質問の意味をそのまま受け取るなら

(ぼくは)水が飲みたい、(ぼくは)英語が好きだ

は日本語として何も間違っていません。
質問が別の意味だったらすみません。

この回答への補足

過去の質問No.1609184 質問:「が」と「を」の違い
の回答に疑問を感じたので、改めて質問しました。
「あの人は字が上手だ」「人前で話すのが苦手です」はどうでしょう。

補足日時:2005/08/30 15:15
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普通だと思います。

この回答への補足

過去の質問No.1609184 質問:「が」と「を」の違い
の回答に疑問を感じたので、改めて質問しました。
「あの人は字が上手だ」「人前で話すのが苦手です」はどうでしょう。

補足日時:2005/08/30 15:17
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