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ドラマ「女王の教室」の中で、阿久津先生は「一人一人の人間が持つ家族や、愛や、夢や、希望や、思い出や、友情を奪う権利は誰にもありません。残される遺族に苦しみや、痛みや、悲しみを与える権利は誰にもありません。だから人を殺しちゃあいけないんです」と言っていました。
そこで疑問に思ったのですが、死刑となる犯罪者達にだって、家族や、周囲の人間との繋がりが何かしらあったのでは無いでしょうか?特に死刑受刑者の家族には、世間からの犯罪者の家族と言うレッテルと、大切な人を失うと言う2つの苦しみに苛まれるのでは無いでしょうか?
阿久津先生の意見を踏まえた上で、死刑制度についてどう思うかお聞かせ願います。
また、死刑制度を肯定される方は、何が阿久津先生の言う権利を持っているのだと思いますか?
皆様のご意見を聞かせてください。

A 回答 (14件中1~10件)

質問者さんの言う通り、遺族は二つの苦しみを味わうでしょう。


そして、阿久津先生の意見に基づくと、死刑は不可になるでしょう。
この意見を前提にしつつ、
妙な前提を持ち込んで死刑を肯定してみたところで、
恣意的な議論を免れません。

ただ、阿久津先生の意見が不十分であるとの判断はありうるでしょう。
例えばこの意見を受け入れるとしても、
係累のない人(ホームレスなど)は殺していいのかとか、
自殺志願者を殺していいのか(この前事件がありました)とか、
の議論に対して明確に答えることができません。

そもそも阿久津先生は、
殺してはいけないのは殺す権利がないからだ
と言い換えているだけです。
なぜ権利は誰にもないのか、殺すにあたって権利など必要なのか
という質問に対して答えられないでしょう。
被害者の遺族やら友情なんて知らんよ、
と言われたら返す言葉がないのでは。
自分と他人は全く異なる「存在」であるということに
あまりに無自覚な素朴な意見だと思います。

したがって、殺してはいけない理由は
別に考えたほうがよいと思います。
刑体系抜きでしかも自分の得失に還元するような形で。

なお、死刑については
私は特に肯定論者ではありませんが、
あえて肯定する立場に立つならば、
社会の安定のための不安定分子の排除
ということではないかと思います。
そしてそれは被害者の救済とは全く関係がない。
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まず、阿久津先生の言った内容は、正論だと思います。


子供に同じことを聞かれたときに、答えることのできる保護者や教師、大人がどのぐらいいるのか、とても疑問です。
私も不意にこの質問をされたたどうしよう、とテレビを観ながら考えさせられてしまいました。

さて、死刑制度とこの阿久津先生の発言内容ですが、引用するのには少々無理があるように思います。
阿久津先生に死刑制度の是非を聞いてみて、その意見があるのであれば引用するべきかと思います。
同じ土俵での意見が出ていないと回答も難しいですし、混乱するかもしれません。

私は、死刑制度は肯定派です。
ただ、被害者の遺族・受刑者の家族や親類のお気持ちや財政等の観点を全く無視した個人的な意見を申し上げますと、死刑制度ではなく懲役制度にしては如何なものかとも思います。
アメリカでは禁固200年とかありますよね。
日本も死刑で命を絶ってしまうのではなく、数値で罪の深さを示す。
身柄を一生施設に置き、社会貢献を行うことでその罪を償ってもらう、そんな制度もあっていいのではないかと考えます。

私は死刑宣告をされた被告人が、根本的に人格を変える事はできないと思います。
人を殺す瞬間を体験した人は、自己抑止できなくなったときにまた人を殺すことができてしまうと思います。
ですので、そういった人間を再度社会で出る(とは言っても一応管理はできるようになっているのですが)際の現状システムを何とかしてほしいと思います。
隣人に殺人歴がある、と考えるとやはり恐ろしいというのが本音ですし。

話が随分ずれてしまいましたが、死刑制度は阿久津先生の発言、人間としての基本的な部分から外れた人間への“罪”だと思います。
死刑制度は、方法論の一つであり妥当な内容だと思います。
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こんにちは。


ご質問拝読致しました。

「女王の教室」で阿久津先生は子供たちに社会の規則を守ることを徹底させましたよね。
「自分たちが権利を主張する為には権利を主張できるだけの人間になれ」というメッセージだったのではないか、と
私は思っています。

その上での
>「一人一人の人間が持つ家族や、愛や、夢や、希望や、思い出や、友情を奪う権利は誰にもありません。
>残される遺族に苦しみや、痛みや、悲しみを与える権利は誰にもありません。
>だから人を殺しちゃあいけないんです」

という発言だったのではないかと思います。
(子供たちからの質問に答えるというカタチのセリフでしたよね?)

となると、死刑判決を受けた犯罪者に果たして社会の規律を守った上での権利があるのかどうか?という
疑問が残るのではないでしょうか。

「死刑」=「殺人」と捉えるのであれば、ご質問者様のような疑問が生まれて当然だと思います。
が、私は「死刑」=「殺人」とは思いません。
ですので、死刑受刑者の家族には同情すべき点もなくはありませんが、その苦しみと被害者の遺族の苦しみを
比べると優先的に保護すべきものだとは思いません。
現在の刑法上、死刑が科せられる罪名は思ったほど多くはありません。
殺人、放火等のそれこそ「他人の命を奪った罪」に対して死刑が認められています。
他人の命を奪った人間・・・つまり『「一人一人の人間が持つ家族や、愛や、夢や、希望や、思い出や、友情を奪った』人間に
対してまでもその権利を守る必要があるのか?という議論になるのだと思います。
私は法や他人の権利を侵害した人間の権利を保護すべきだとは思いません。

私は死刑制度は賛成です。
他の方の意見にもありましたが、時の法務大臣の意志に左右される執行や、執行人の事を考えると確かに
いろいろな問題はあると思います。
死刑自体が犯罪抑制効果がある・・・との意見もありますが、最近の社会ではそれもあまり期待できないかもしれません。
刑罰は「人間の再更正」を目的としているという意見を持つ方にとっては、
「罪を償い、反省し続けることで被害者と向き合って生きていかなければならない」と考えれば
死刑は反対でしょう。

それでもやはり死刑に賛成なのは・・・
残された被害者の家族の心情を考慮すればやむなし、と思うからです。
遺族による復讐が認められない法治国家において、「死んで罪を償って貰いたい」と思う遺族もいるでしょう。
失った人は帰ってこない・・・それこそ被害に遭った遺族でないから言える発言だと思います。
どんなに「人間性善説」に立ったとしても更正できない人間は必ずいると思います。
そういう人間が社会に再び復帰したとしたら・・・また繰り返し人を平気で殺す人間だって必ずいると思います。
そう言った人間の事を考えると、死刑以外にこのような人間を社会に出さない方法・・・具体的にあるのでしょうか?
長期的に刑務所に入れておく、それはそれだけ罪人の為に税金を使うということです。国民はそれで納得できますか?
もし、そのような制度が具体的にあるのであれば、私は死刑を廃止しても良いと考えます。

人間が人間を裁く事に、確かに限界はあるでしょう。
でも、その限界に常に真摯に向き合っていける裁判制度を国民一人一人が自覚して作り上げるしか方法は
ないと考えます。
先の衆議院選挙の際、一体何人の国民が最高裁判所裁判官の国民投票を真剣に行ったでしょう?

ご参考になれば幸いです。
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日本の死刑って江戸時代までの「仇討ち」を国が替わって行う制度だと思っています。


日本の場合特定犯罪被害の場合「身内」に限って仇討ちをすることが認められていました。(ちゃんと行う方法等の規定もありました)なんで基本的には重大犯罪には「目には目を、歯には歯を」が根底にあると思われます。
ここら辺は海外と考えが違う所です。
コレを明治になって禁止する代わりに法律で死刑をすることによって代わりにしたと思われます。

僕は現在日本は「加害者保護」という非常におかしい状況はあるにもかかわらず「被害者保護」という極まっとうな考えが起きないことに疑問を感じている一人です。

死刑廃止には反対です。
加害者を過剰に保護する必要はありません。
貴方が書いていることは僕には加害者を過剰に保護することに見えて仕方がありません。
被害者は加害者と違って当人が何も言うことすらもう出来ないんです。加害者のおかげで!
保護しなくてはならないのはまず被害者関係なんです。
これ以上被害者軽視の状況をひどくする必要なんてありません。

重大犯罪に関しては「目には目を、歯には歯を」で良いと思います。
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#2に同意ですねえ。



裁判官や弁護士は、自分がその立場になったらどうかというのをまったく分かっていません。日本の法律は甘いです。甘すぎます。
更正なんて無意味です。悪人はいつまでたっても悪人です。凶悪犯をすぐ死刑にすべきです。
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問題のセリフはある生徒から、『何故、人を殺したらいけないのか?』という質問に答えてのものです。



死刑判決を受けた犯罪者は当然ながら殺人を犯している人でしょうから、阿久津先生の発言にしたがえば、
『一人一人の人間が持つ家族や、愛や、、、、だから人を殺しちゃあいけないんです。
したがって、殺人という犯罪を犯した人はそれなりの罰を受けるべきです。』
という流れで考えれば良いのではないでしょうか。

死刑となる犯罪者の家族の権利よりも殺された被害者の権利を最優先するべきと思います。

最近は何かというと加害者の権利ばかりが主張されますが、その前に一方的に被害にあった被害者の権利こそ最も優先されるべきものと思います。

強いて云うなら加害者から権利を奪うことしか、被害者側の心を静めることはできないのではないかと思います。
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結論から言うと私は死刑制度賛成です。

長年に渡り耐え難い苦痛を受けて、思いあまって殺害した人まで、死刑にしろとは思いませんが、一般的に加害者の自己中心的な考えで、なんの落ち度もない人を殺し、反省していないような人は死刑にするべきです。確かに表題のように加害者にも権利はありますが、他人の権利を奪っておいて、自分の権利を主張できる筋合いはないと思います。
現実的な問題でも、刑務所の不足や囚人一人当たりの費用などもかなり限界にきています。金がないから殺せとは言っていませんが、現行法で死刑と言う制度がある以上、活用するべきです。
心理的なことから見ても、ひどくゆがんだ人の心は、直せません。直せると言い張る精神医学者はいますが、事実米国では、そういう学者をだまし、出所し、また人を殺した人が多くいます。
女子高生コンクリート殺人事件の犯人など、人の命をもてあそんで、更正の見込みがないのに、形だけ刑に服していても意味がありません。
死刑制度反対者の方からそうとうな反発はあると思いますが、私は残念ながら加害者の人権より殺された被害者やその家族の人権を重視します。人の命を奪ったら、自分の命を差し出して償う、誠意を見せるべきだと思います。私が被害者なら加害者にぜひ、私と同様に苦しみ死んで欲しい。そう思います。
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女王の教室は断片的にしか見ていませんが、



私は「死刑制度」には反対です。

といっても、犯罪者の「夢や愛や希望」を守るためではなく、
犯罪者が自分の侵した罪の重さを自覚し、被害家族と犯罪者の家族となった自分の家族の悲しみと苦しみを味わうためにです。

犯罪者を「死刑」で殺してしまっても、失なった人は返ってこないし、人間の手で人間を罰するために「殺す」ことは、とても野蛮な行動であると思います。

「死刑肯定論」を言えるのは、自分や家族が「死刑」にかかわりが無いと思っているからかもしれないとも思います。
「死刑」を実行する人の人生にも大きな禍根を残します。

ただ、現在の刑法その他では、終身刑などの長期拘留である場合でも「恩赦」「特赦」などがある限り何かの拍子に出てくる可能性があるという恐怖は避けられません。

また、「心神耗弱」「精神鑑定」「責任能力」などのキーワードも犯罪者幇助になっていると思います。「薬物」「病的」など、どのような理由があるにせよ、犯罪者が犯した犯罪であり、それによって被害を受けた事実は変えられません。

天皇による「恩赦」や「精神鑑定」などの特別配慮を排除し、どうすれば罪を償うことができるか真剣に考えるべきだと思います。

質問とは直接の話ではないですが、現在の「死刑執行」は、法務大臣在任中に必ず一人は実行する習わしになっているとか、そのためについ最近、一人の死刑囚の死刑が執行されたようです。
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権利を侵害した人の権利をどこまで守るかという議論と思想的または宗教的な議論を孕んでいるのでとても回答し難いですが…



人において『死』を超える人道的な処罰が無いので致し方なしかと思う。
永遠と殺さずに虐待し拷問続ける方が罰として有効かもしれないが死刑よりも人道的に問題がある。
死刑をもってしてもその怒り悲しみは払拭出来ないが、社会的なルールを守る為の制裁として必要なのかも知れない。
罪や死刑を逃れる為に精神異常者を偽る者は数限りないし、死刑が無くなれば無期懲役が最高刑になり何人殺そうとその殺人鬼はのうのうと務所の中で暮らせる。
「人の生きる権利」を侵害して「自分の生きる権利」を主張されても、いくら家族や想い出やつながりがあろうとも権利を侵害した罪は社会に対しても償わなければ「社会ルール」が崩壊していく。
人が人を罰する事自体無理がある事だけど、社会生活を維持する為には仕方が無い。
死刑制度が無い国もあるけど、それがどこの国でも機能する訳でも無い。

>何が阿久津先生の言う権利を持っているのだと思いますか?
暮らしている社会が持っている。
だから、死刑の無い国もあるしある国もある。
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死刑制度についてですが、基本的に、刑というのは、


裁く為ではなく、更生を目的としていると思います。

その為、この人の度合い、価値観を正す為には
何年の更生期間が要るという意味合いでの実刑では
無いでしょうか?

その人が社会に復帰し、社会の歯車の一部として
生活するに際して、この人は、更生不可能で、
間違っても社会復帰させてはいけないと言う判断の
人が死刑になると思ってます。

その為、死刑とは、罪を裁いてるのではなく、
社会復帰の不可能な人を、排除している物だと
思ってます。
(通常社会の人を守る為)
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