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高校まで受けた授業の中で
どうしても漢文だけは、「必要なのか?」って
思ってしまっちゃいます

漢文を授業で習う必要性って どこにあるんでしょうか?まだ現代中国語を習ったほうが良さそうな気もするのですが?

A 回答 (14件中1~10件)

昔は「国漢」と言っていた。

70歳以上の人に聞けば「国漢」についてよく知っている。漢文が読解できることは楽しい。然し専門家ならいざ知らず、社会に出て漢文が必要か?否。現代・中国語を学習したほうが社会で通用する率が多い。自分で楽しむ程度の漢文の素養意外必要ない。
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必要ありませんよ。

私に英語も数学も理科もまったく必要ないように。
必要かどうかだけを論じることは学問を考える上であまり意味がありません。

ただ、ひとつ言えることは、あなたが漢文を教わった先生は、漢文のおもしろさも深さも何一つ教えられなかったということですね。たくさんいらっしゃると思います、そういう先生は。

この回答への補足

ある学問が面白いと思えるか否かは先生の力量だけでは無いと思います。生徒の向き不向きもあるので、私の先生の努力を真っ向から否定する事はできないと思いますが??
学問で考えてるのではなく、学校教育で細かく教える事が必要・適当なのか?って考えています

補足日時:2005/12/23 13:46
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高校の授業が漢詩ばかりだったとのことですが、講義された先生が、


「漢文を授業で習う必要性ってどこにあるんだろう?」という考えの持ち主だったのではないでしょうか。

私は理系の人間ですが、高校時代は、
「1年→現代文好きの先生が全分野、2年→古典好きの先生が古文と漢文、現代文好きの先生が現代文、3年→現代文と古文好きの先生が全分野」
でしたが、見事に考え方が違っていました。ご自分が好き(専門)でない分野に対する冷淡さと言ったら…!
幸い古典好きの先生の授業が受けられたお陰で、漢字だけで構築された世界の美しさ、漢文の良さ、先人はいかに苦心して書き下し文(漢文の古文…つまりは当時の現代文化)を行なったかということ、翻って漢字以外にひらがな、カタカナまでもを有する日本語の素晴らしさ、表記に賭ける執念、といったものを学ぶことが出来たと思います。
日本文化に愛情を持てたという意味では、化学や物理と同じくらい、私には価値のある授業でした。

それとは別に、「現代語で習えばいい」、という考え方は2つの点でどうかなという気がします。
まず第一に、現代語化する人の思想に影響されるということ。
第二に、その漢文を現代語にするのは誰ですか。
「漢文って要らないよね、でも要旨は教えて」
というのは矛盾しているように感じます。

この回答への補足

文系分野の教科書で誰かの思想や解釈の入ってない教科書なんて無いと思います。「テストの答えが作者の意図と違っていた」なんて事もあるそうですし。。。歴史は言うに及ばず。

学問の入門段階において要旨だけ教えてもらって何が悪いのですか?興味をもった人がそれぞれの分野の学を深めていけばいいんじゃないでしょうか?あなたが、高校時代に日本文学に興味が持てた事は素晴らしい事だと思います。でも、誰もが古文・漢文好きになる必要はないですよね?

補足日時:2005/12/19 22:00
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 岩井俊二監督の映画『花とアリス』でアリスのお父さんが離れて暮らす娘にむかって貴方と同じようなことを呟くくシーンがありましたね。


 正確には覚えていませんが「何で漢文なんて習ったんだろう、返り点とかレ点とかあんなややこっしいもの。仕事で中国語話さないといけないんだけど何の役にもたちゃしない・・・」だいたいこんなセリフだったような。そのあとお父さんは必死で勉強したであろう中国語を使いこなします。また、別れのシーンで「愛してる(中国語忘れました・・)」と「サイチェン(再見・さようなら」と娘に手を振ります。けっこういいシーンで感動したのを覚えています。またこの中国語がラストまでのアリスの心情を表す伏線にもなっていて印象深いシーンでした。
 この映画では岩井監督は貴方と同じ立場ですね。わたしもその気になってました。漢文では苦労しましたから。

 でもNo.2さんの回答を拝見してハッとしました。漢文は中国語ではなく日本語なんだってこと。
 ある雑誌で30代の若い大学講師がこう書いていました(これも正確ではありませんが)。明治初期の政治家、西郷隆盛や大久保利通、西園寺公望などは相当の読書家であのお調子者の伊藤博文でさえ漢文の素養はきちんと身につけていた・・・そうです。当然、ここでいう読書とは漢文で書かれた原典で、誰かが書いた安易な解説本ではないとのこと。政治家とは結局は「歴史を作る者」であるかぎり古典教養に裏付けられた歴史感、人間哲学が必要なのではないか。
 現在の政治家の歴史バイブルは与野党問わず「司馬遼太郎作品」で小泉首相などは司馬に加え池宮彰一郎作の『「高杉晋作』を愛読しているらしい(私も池宮作品は好きです・・・忠臣蔵系)。

 ここからは私の私見ですが、国際化とかいって英語を自由自在に話せる政治家がさも偉いような風潮がありますが、英語が話せることが偉いのではなく(そんなものは通訳がやればいいことで)、英語圏の文化なり歴史を原典を通して理解していることが政治家としての素養なのだと思います。自国の歴史感を自分の哲学として持てるためには古典の知識もまた同じように必要なことではないかと・・・。
 で・・・私たち一般人は政治家ではないのだから「司馬遼太郎」で充分ではないか、やはり「岩井監督」は間違っていない、貴方の疑問も理解できると・・・。

 最後にこのカテが文学であるので私の好きな作家、浅田次郎の『壬生義士伝』を勝手ながらお勧めいたします。あの浪花節で泣かせたあと「謹啓 寒中之砌 御全家御揃益々御清穆御座在候段 大慶之至存奉候 ・・・・」(驚くことにこのワープロにはこのような見たこともない漢字もちゃんとインプットされているんですね)あと延々と6頁にわたり見事な漢文で締めています。こういう文章が書ける侍を「かっこいい」と私は思ってしまうのです。浅田次郎は親切にも「書き下し文」でルビまで振ってあるので私なんかがなんとか読めるのですが。

 取りとめもない長文で失礼いたしました。
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この回答へのお礼

たいへん 参考になる回答ありがとうございました
私と同じ心境を描いた映画があるとは思いませんでした。

たしかに、自国の歴史や文化について深い知識を得るには漢文は必要かもしれませんが、それを全国民に求められても。。。と思っちゃいます。一般人には現代語訳された日本書紀で十分です。

私は小説は司馬遼太郎しか読んだことが無いのですが、浅田次郎 今度読んでみますね

お礼日時:2005/12/02 01:38

 あなたもお気づきのように、現在でも日本語のレベルの高い概念は多く漢語表現です。

ひらがなことばでは表現できません。
 現在、この表現は小中学校の学習範囲の常用漢字を基本にしていますが、その漢語内容を充分理解するためには、この約二千字の常用漢字の知識では足りません。
 約五万字の漢文の世界の理解が必要になります。

 漢文はもちろん中国語ではありません、日本の古典語の読みです。この学習で、日本の古文の学習にもなるのです。

 また日本に現存する膨大な「古典的な文書」は漢文で書かれているものも多いのです。専門的な歴史の研究者でなくとも、教養人としては少し前の祖先の書いた文書を直接読める事が必要な能力と考えられていたのです。
 私はこれらの知識、教養は今でも、これからも必要なことと考えております。

この回答への補足

丁寧な回答ありがとうございました。日本の古典として必要だから残されているんですね?

しかし、私が授業で受けたものは、ほとんど漢詩であって、日本人が書いたものでは無かったと思います。なぜ、授業では日本人が書いた漢文を教えないのですか?社会の授業と併せて日本書紀などを紐解けば面白いかと思いますが・・・・

補足日時:2005/11/30 23:59
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漢文というものはかつての東アジアの共通語なので、口語の日本語に訳されていない中国・朝鮮・ベトナム等の古典や公文書も読むことができるようになります。



日本語をより深く理解するには、第二言語や第三言語の学習が有効です。第二言語として英語を学ぶ人が多いでしょうから、日本語以外の英語はみんな英語みたいなものという理解を抱かないよう系統の違う中国語の古文を学ぶことには意味があることになります。

この回答への補足

それなら、現代中国語を習えばいいのでは?

補足日時:2005/11/30 19:29
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今はアメリカなどの欧米諸国が文化の中心的な役割を担っていますが、以前日本にとってのお手本は、中国でした。

それは、文化だけでなく、思想、流行すべてがその手本でした。

また、日本語とは他の外国語と比べ非常に深い関係にあります。というか、日本語が日本語となったのも中国語があったからだという歴史もあります。こうやって「漢字仮名交じり文」が成立したのも、中国語の影響を受けたからです。

あとは、どうしても必要ないと考えるのであれば、あなたが文部科学大臣にでもなって、漢文教育を廃止する法律でも作ることですね。それくらい信念を持って、必要ないと考えるのであれば、立派だと思います。所詮受験は決められたルールの中での、効率論ですから。

この回答への補足

ありがとうございます

がんばります

補足日時:2005/11/30 19:28
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わざと少し誇張して申し上げますが、


整数の四則演算が分かっていれば、生きていけますよね。
マイナスの概念など、生きていく上では必要ありません。
私は文系ですので、そう考えてしまいます。
ただ、その一方で理系の方からすると 整数をよく知るためには
マイナスの概念が分かっていないとダメ・・と、たぶん思うんじゃないですかね?(あまりにレベルの低い話しだと思われると思いますが)

漢文などを学んだことがあるものにとっては、直接漢文を使わなくても、身の回りにある、漢字・熟語・四字熟語などは、立派な漢文です。それを理解するためには、漢文を学んでいなくてはだめだ、と思ってしまいます。

地震は 地 震(ふ)るふ  ですし、非常に日本語と密接にかかわってきていますので。複素数・微分積分 こんなのも 文系の私には何を刺すのかよく分かりませんが、理系の方にとっては、「うまく表現しているな」など思うのではないですか? すべてが漢文です。

この回答への補足

単語の読み方は重箱読みとか、小学校で習うんじゃないですか?音読み・訓読みの話ではなく漢文そのものを習う意義が分かりません
熟語の言葉の由来(矛盾などが一番有名かと思いますが)なども、別に現代語で習ってしまえば良いのでは?って小学校から思っていました。なぜ、わざわざ漢文で??

ただ、理系文系に関わらず、大量に流入する外国語や新しく作られる概念をすべてカタカナでなく漢字での造語で表し直すというのであれば漢文の知識は必要かもしれませんが・・・

補足日時:2005/11/30 12:20
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こんばんは、疑問はつきませんね。



さてご質問の件ですが、高校の授業って生きていく上で果たして必要なんでしょうかね?だって、買い物をするのに整数以外の考え方って特に意識します?マイナスの概念。微分積分。八百屋で大根買うのに必要ありますかね?

生きていく上で必要なのは中学校までで十分なんじゃないですかね?その後は、文化人として人間の質を高めていくために必要なのだと思います。じゃあ、何でこんな学問が必要なの?って、それはその筋の人がそう思っているんですよ、「文化人」と自分が呼ばれている人たちが。

あなたが「文化人」になればその時には分かります。もしくは、あなたが文化人となって「文化人」の概念を変えても良いのですけどね。

この回答への補足

参考となるご意見ありがとうございます

音楽・美術 いろいろと文化として 大人になっても楽しんだりするために必要なのは分かります
実際 音楽・芸術などは 好きな方は多いですし
でも、漢文って・・・・ 大人になってもたしなむ人って ごくわずかですやん・・・漢詩紀行なんて見ないし・・・なんで わざわざ習うの?って疑問から投稿しました
理系の分野については 文明人として習得しておいて損はないと考えています

補足日時:2005/11/30 08:43
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こんにちは


大学まで行って漢文を専攻した私としてはちょっと厳しい質問で・・・
ただ確かに漢文なんて勉強しなくとも文章を読めますよね。
でも前述の化学を私は殆ど専攻していませんが生活できます。
まぁ勉強ですからそれによって生きる術を学ぶ、役に立つ、と言うのではなくNo.4の方がおっしゃる教養でしょう。
必要かどうかは別として漢文は素晴らしいですよ。
今の日本の文章、文化に大きく影響を与えている学問です。
文章を読める、という以上に理解の幅を広げてくれるものです。
ちなみに漢文をある程度勉強していると中国でもそこそこ筆談が可能です。
中国語を習うより簡単ですよ。
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