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わが国の軍人恩給について具体的なことが全くわかりません
どのような法のもと、どのような方々に、どれくらいの額が与えられているのでしょうか?
また、これに対し、どのような意見が言われてるのでしょうか?

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A 回答 (5件)

他の方も書いておられますが、軍人恩給は「恩給法」で定められているものです。



恩給制度は、国家補償の性格を有するものであり、現在の年金制度とは性格を異にしています。

軍人恩給を受給する要件に、何時どこへ出兵したかは関係ありません。
軍人であった期間が相当年数(下士官以下の兵であれば在職年数が12年)あること、又は公務により受傷罹病し一定以上の障害を持っていることなどが要件となります。

なので、上記の要件を満たしており、生きてさえいれば、日清戦争や日露戦争に出兵した方や、実際に戦地へ行っていなくても長い年月を勤務すれば受給することはできると思われます。

ちなみに、在職年とは実際に勤務した年数のほか、激戦地で勤務したり特殊な勤務に服したときには、加算年といわれる仮想の在職年を含んだ年数のことをいいます。加算年は1月につき最高3月つきます。
例えば、終戦間際の激戦地である南方諸島で3年間勤務すれば恩給を受給することができます。

この年金たる恩給のほかに、一回限りで支給される一時恩給や一時金というものもあります。
一時恩給は、引き続く実在職年が3年以上あることが要件となっています。引き続いていなくても実在職年が3年以上あれば一時金を受給することができます。

また、本人が死亡した場合には、その遺族にも支給されます。

遺族とは、(1)妻、(2)子、(3)父母、(4)成年の子(ただし重度障害を持っており生活資料を得る途が無いとき。)、(5)祖父母となります。

なので現在、軍人恩給を受給しておられるのは、旧軍人本人やその妻がほとんどであると思われます。

金額については、在職年数や軍人であったときの階級、公務傷病で受給しているのであれば、障害の程度などで決まるので、一概には言えません。

ただ、最低保障制度というものがあり、「絶対にこれだけはもらえるぞ」という金額の最低ラインがあります。この最低補償額は、ここ数年は変わっていないようです。

詳しいことは、総務省人事・恩給局のHPを参考にしてください。

この回答への補足

すごく丁寧な回答ありがとうございました

戦争というものを忘れがちな若い世代は知らない人がほとんどなんでしょうね

他の方々もありがとうございました

補足日時:2005/12/01 00:00
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戦争時(多分第二次世界大戦)に外国に出兵した人が対象だと思います。


また、本人が亡くなった場合は、配偶者がもらえます。(全額ではない)
仕組み上は、国民年金・厚生年金と似ていますが、別物ですので、上記の年金と重複してもらえます。
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失礼しました。


#1の「戦傷病者戦没者遺族等援護法」には、「障害年金」の制度も定められており、必ずしも遺族の方々だけを援護するためのものではありません。
ただし、恩給とは異なる制度です。
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恩給というのは、現在の年金制度に当たるもので、基本的には本人が受けるものです。


#1のご回答にあるのは、遺族の方々を援護するための制度で、恩給とは異なるものです。恩給については、「恩給法」で定められています。

参考URLの左下の方に恩給制度に関する説明がいろいろと載っていますので、ご参考までに。(総務省人事・恩給局のページ)

参考URL:http://www.soumu.go.jp/jinji/jinji_f.htm
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戦傷病者戦没者遺族等援護法


http://www.houko.com/00/01/S27/127.HTM
により支給されています。

南方に出征し傷病兵となった義父が受給。

>弔慰金を受けるべき遺族の範囲は、死亡した者の死亡の当時における配偶者、子、父母、孫、祖父母、兄弟姉妹及びこれらの者以外の3親等内の親族(死亡した者の死亡の当時その者によつて生計を維持し、又はその者と生計をともにしていた者に限る。)で、死亡した者の死亡の当時日本の国籍を有していたものとする。

・遺族の範囲が広いのが特徴だと思います。紙一枚で徴用され、戦地に赴いた人の苦労は並みていていの物ではなかったと生前義父からと聞いています。

・一家の大黒柱を戦争により失う・傷病を負うなどで一家全体の生活を保障する為の物。しかし、戦後ウン十年も経ち意味があるのだろうか?既に国家としての義務は果たしたのではないか。受給資格で一番若いのは子どもです。現在約60歳。
遺族・傷病兵の心の痛みはウン十年経っても癒える物ではない。等など。

・当時日本国籍が無く従軍した物に対する保障。

かすかな記憶をたどると、戦後生活が貧窮した職業軍人救済の意味もあったと記憶しています。その為、受給資格の無かったA級戦犯を靖国に合祀した・・・
このあたりは調べてください。

参考URL:http://www.houko.com/00/01/S27/127.HTM
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父(93歳)が軍人恩給(正確な表現は不明)を受給していましたが先日他界しました。今後、母(84歳)が遺族年金として何がしかのお金を得ることができるのでしょうか?
なお、子供は全て独立しています。
   父の受給額は年150万円くらいでした。
   母は現在、年金を年25万円くらいもらっています。 

Aベストアンサー

お父様の受給していた軍人恩給の正確な種別がわからないと確実なお答えはできませんが、
一般論としては、(軍人を含む)公務員としての勤務による恩給受給権者本人が死亡した場合には、その妻は再婚等しない限り、「扶助料」(遺族年金に相当するものです)を受ける権利が発生します。

正確には、お父様の受給していた恩給の証書の記号番号をご確認の上、総務省人事・恩給局にご確認されることをお勧めします。
(参考URLに、総務省の公表している恩給制度に関するQ&Aのwebページを示します)

参考URL:http://www.soumu.go.jp/jinji/onkyu_qa.htm#q9

Q軍人恩給の支給ついて。

私の父親は64歳で19年前に他界しました。
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相談しました。
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それに、戦争手帳?なども無くしています。

母も歳を取り、国民年金だけでは心細いので、少しでも
支給できれば助かると思います。
すみませんが、どなたか詳しい方教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

私の祖父は引き上げの時に迫害を恐れて軍隊手帳を隠したのか捨てたのかしてなくしてしまったそうで、恩給を貰うのが大変だったと聞いたことがあります。敗戦当時は今では考えられないような状況だったようです。

普通恩給には、在職年が一定の年数以上に達していることが必要です。それを最短恩給年限と呼んでいて、旧軍人(兵、下士官)12年、(准士官以上)13年 です。

激戦地では1年が3年になるのではなく、加算制度により3年が加算されますので、例えば太平洋戦争中の南方地域(戦地)で兵として3年戦務に従事した場合には、最短恩給年限の12年に達する場合があります。

また、傷病恩給というものがあり、公務のためにけがをし又は病気にかかり、一定の障害の状態となって退職したとき、又は退職後一定の障害の状態となったときに支給されます。

支給の申請には軍隊手帳があるとよいのですが、戦争中・戦後の混乱でなくしてしまったり、GHQなどの懲罰を恐れて捨ててしまった場合もあるため、戦友などの証言、当時の記録を引き継いで保管している機関に保存されている経歴記録、復員局の記録などと照合し支給審査が行われるようです。

なお、恩給は本人と遺族へ支給されますが、ご本人が軍人恩給を受給されていなかったとのことですので、これから遺族が恩給を受給することはできないのではないかと考えられます。お父上の当時の職務状況を調べた上で支給対象かどうか恩給局に相談されてはいかがでしょうか?

そのほか、独立行政法人 平和祈念事業特別基金より引揚者や恩給欠格者とその遺族に対する内閣総理大臣名の書状、銀杯等の贈呈が行われています。

参考URL:http://www.soumu.go.jp/jinji/jinji_f.htm,http://www.heiwa.go.jp/

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Q戦死者の恩給はいくらですか

家の姑さんの親類に、ボケたおじいさんがいたんですが
娘さん二人は、高級車買ったり、立派な家を建てたり
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今日はじめて、おじいさんが戦士した息子さんの恩給をもらっていて、娘さん達が使い込みをしていたと、知らされました。戦死の恩給とは、そんなにたくさん、支給されるものですか?
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Aベストアンサー

>ボケたおじいさんがいたんですが
>おじいさんが戦士した息子さんの恩給をもらっていて

そのおじいさん、幾つくらいなんでようね。
仮に90歳くらいとすると、太平洋戦争当時、
30代前半ですから、戦死された息子さんは
当時10代半ばだったでしょう。

年齢からして、
息子さんが神風特別攻撃隊の隊員だった
可能性があると思います。飛行機ごと
敵の戦艦に突っ込むというやつです。

自分が確実に死ぬというのに、突っ込んで
くるというこの体当たり攻撃、アメリカ人は
理解できず、戦後徹底的な調査が行われた
ようです。この調査内容は近年まで極秘扱い
でした。

 日本での神風攻撃隊の話が出ると、それは
天皇崇拝からくるものでとか、精神論で
説明されるようですが、それと同時に
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されていたことがアメリカ側の資料で明らか
になりました。

 恩給という言わば金目当てというと汚い
話のようですが、当時人身売買などが普通に
行われていた貧しい農家などでは、自分が
生きていても大した収入は得られないが、
特攻隊なら名誉ものこり親が老後困らないだけの
お金がもらえるということで、親孝行の
意味で特攻を志願した若者が後を絶たなかった
とのことです。

 
 私の祖父が旧日本海軍の職業軍人で、
老後かなりの恩給をもらえるようでしたが、
戦争で多くの仲間が死んだのに、自分だけ
こんな大金はもらえないと、恩給の
支給を受けなかったくらいですから、
もらうのに躊躇してしまうほど、
かなりの額だったと思われます。

こうゆう言い方は失礼かもしれませんが、
特攻隊ならかなりの額ではないかと思います。

>ボケたおじいさんがいたんですが
>おじいさんが戦士した息子さんの恩給をもらっていて

そのおじいさん、幾つくらいなんでようね。
仮に90歳くらいとすると、太平洋戦争当時、
30代前半ですから、戦死された息子さんは
当時10代半ばだったでしょう。

年齢からして、
息子さんが神風特別攻撃隊の隊員だった
可能性があると思います。飛行機ごと
敵の戦艦に突っ込むというやつです。

自分が確実に死ぬというのに、突っ込んで
くるというこの体当たり攻撃、アメリカ人は
理解できず、戦後...続きを読む

Q恩給法の受給資格は何か

私の祖父について。

8月5日から6日の米軍空爆にて40歳になってまもなく
国内で亡くなりました。

当時は兵役法があり、検査は必ず受けていたと思います。結果には4-5種類の判断があり、甲であれば戦地へ出向くという具合であったと理解しています。

祖父が、戦地に赴くことなく、国内にいた理由は、もう推測なので、どのように調査するべきかはわかりません(おそらく市役所に尋ねるべき)。

ただ、祖父の配偶者(私の祖母)や私の親の話によれば、恩給を受給していないそうなのです。こんなことがどうして起きるのかを調査したいです。単なる手続き違いか、勘違いなのか。とても遺族として苦労したので、どうしても理解しておきたいです。

制度がそうなのであれば、なぜ受給できなかったのでしょうか?
祖父は、兵隊の服装を着ていて、防空壕の前で住民を案内していて亡くなりました。こうして国内で兵役についていた上に、命まで奪われて、なぜ恩給の対象でないのかが納得できないのです。

Aベストアンサー

恩給制度は、国家補償の性格を有するものであり、現在の年金制度とは性格を異にしています。
軍人恩給は「恩給法」で定められています。

(1)旧軍人などの公務員がある一定年数以上勤務した時
(2)公務死亡又は勤務に関連して死亡した時
(3)公務中に傷を負ったり特定の病気に罹患した人が、一定以上の障害を持つことになった時

(1)~(3)のようなケースの場合に、旧軍人本人又は旧軍人本人が生きていたときに同一生計(昭和22年頃までは同一戸籍内)にあった遺族が受給することができます。
遺族とは、(1)妻、(2)子、(3)父母、(4)成年の子(ただし重度障害を持っており生活資料を得る途が無いとき。)、(5)祖父母となります。

(1)のケース
軍人恩給を受給する要件に、何時どこへ出兵したかは関係ありません。
軍人であった期間が相当年数(下士官以下の兵であれば在職年数が12年)あることが必要になります。
生きてさえいれば、日清戦争や日露戦争に出兵した方や、実際に大戦中に戦地へ行っていなくても長い年月を勤務すれば受給することはできます。逆にどれほど過酷な戦地へ赴いても、1日でも足りなければ対象となりません。
ちなみに、在職年とは実際に勤務した年数のほか、激戦地で勤務したり特殊な勤務に服したときには、加算年といわれる仮想の在職年を含んだ年数のことをいいます。加算年は1月につき最高3月つきます。
例えば、終戦間際の激戦地である南方諸島で3年間勤務すれば恩給を受給することができます。

(2)のケース
戦闘中に被弾して死亡したり、南方出兵してマラリアに罹患して死亡など、軍人としての公務に関係するような事由で死亡した場合に支給されます。
例えば、戦時中に肺結核に罹患し、戦争から帰ってきても完治することなく治療を続け、最近になって、肺結核が死亡されたような方もこのケースに該当します。

(3)のケース
軍人として出兵していたり、公務にあたっていた時などに、敵の攻撃により被弾したり、戦地特有の病気に罹患したような人で、国が定める一定以上の障害を現に持っている方が該当になります。

ここまでが恩給制度の解説です。
質問者様のおじい様ですが、40歳頃に防空壕の前で住民を案内している最中に、米軍空爆によりお亡くなりになられたということでしょうか。

まず、確かに当時は兵役法によって徴兵検査を受け、甲種は合格として現役兵として召集を受けることとなっていたようです。
この現役期間は原則として、大戦中は陸軍が2年、海軍は3年でした。
場合によっては延長されることもありました。
現役期間が終了すれば、予備役→(後備役)→国民兵役となり、45歳くらいまで兵役が課せられていました。
ただ、幹部ではない一般の軍人については、予備役以降は定期的な訓練等を受けるだけで実際に軍務につかず、必要があれば召集を受けるという形であったようです。
恩給の対象として認められるのは、召集されてから召集解除されるまでであり、実際に軍務についていない期間は対象ではありません。
従って、あなたのおじい様の年齢から察するに、国民兵役であったと考えられますが、そうだとすれば実際に軍務についているわけではありませんので、死亡された時のおじい様の身分は、恩給の対象となるものではなかったと考えられます。

なお、恩給法による恩給以外に、戦争に関わる年金として、援護年金の制度があります。
こちらは軍人だけでなく、軍属や準軍属の方も対象となっています。
準軍属は戦闘参加者や防空従事者、被徴用者などのことです。

http://www.pref.gunma.jp/c/10/engog/seido/gunjin/gunjin.htm

もしかしたら、こちらの制度の該当者となるかもしれません。

恩給にしても援護年金にしても、この辺の詳しい履歴調査については、陸軍であれば、おじい様の終戦当時の本籍地所在地の都道府県庁の援護担当課、海軍であれば、厚生労働省社会・援護局へお問い合わせください。
資料は市役所にはありませんので、聞いても答えられないと思います。
おじい様が亡くなれた経緯を説明し、恩給がもらえないかどうか調査して欲しいと言えば、申請方法を教えてもらえると思います。

参考URL:http://www.soumu.go.jp/jinji/onkyu.htm

恩給制度は、国家補償の性格を有するものであり、現在の年金制度とは性格を異にしています。
軍人恩給は「恩給法」で定められています。

(1)旧軍人などの公務員がある一定年数以上勤務した時
(2)公務死亡又は勤務に関連して死亡した時
(3)公務中に傷を負ったり特定の病気に罹患した人が、一定以上の障害を持つことになった時

(1)~(3)のようなケースの場合に、旧軍人本人又は旧軍人本人が生きていたときに同一生計(昭和22年頃までは同一戸籍内)にあった遺族が受給することができます。
遺族とは、(1)...続きを読む

Q年金支給額ってズバリいくらですか?

もうすぐうちの親が定年を迎え、年金生活が始まります。
そこで疑問に思ったのですが、年金って平均でいくら貰えるのでしょうか?
5万か10万か15万か20万か、さっぱり見当がつきません。

こういう質問をすると、「人によるよ」とか、「もし私の知り合いの金額を
教えても人それぞれだから参考にならないよ」とか、「親に聞けば?」とかの
回答が予測されますが、そういった無意味な回答は多分消去されると
思いますのでご注意下さい。

年金支給額を決定させる要素は、勤務年数・加入年数・支給開始年齢・配偶者の
有無・労働期間中の年収等複雑にたくさんあるという事は承知しております。
あくまで、「だいたいの金額」だけ知りたいんです。

皆さんの知り合いの例でも構いませんので、だいたいの金額でも
教えてください。
(質問内容に対する不満のある方は書き込みはご遠慮下さい。)

Aベストアンサー

こんばんは♪
私は現在年金受給者です。
まだ段階支給ですので満額ではないですが 2ヶ月に一回の支給で28万円程度です。
1年数ヵ月後は確か36万円くらいですね。
なので月額に直すとそれぞれ14万円と18万円ということになります。
これは高卒で厚生年金期間が約22年間国民年金期間が19年間の条件です。
友人達は定年まで厚生年金で はっきりとは教えてもらえませんでしたが 言葉の端々から推測するに月額にすると25万円と35万円くらいでしょう。
参考になりましたら良いのですが。。。

Q戦没者遺族年金について

戦没者遺族年金について、先順位、後順位というのがよくわかりません。
配偶者のみが先順位で配偶者から年金受給権利が移ると後順位の基準での支給になるということでしょうか?
それとも同時に支給されているのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

戦没者遺族年金についてはよく知らない者なので、一般の年金ルールでいいますと、先順位者がいればその者が受給権者となり、その者がいなければ次順者以降の者(子、父母、孫、祖父母‥の順)が受給権者となると思われます。
また、同順位者が複数ですと、頭割りということになります。
年金を受給していた先順位者がお亡くなりになるなどで権利喪失した場合に、次順者に「転給」されるかどうかは知りません。転給制度がなければ、年金の権利は完全に消滅ということになります。
自治体窓口で再度ご確認をお願いします。

Q終戦後の、旧日本軍の軍人

旧日本軍の軍人

志願して採用され、職業軍人となった人
令状で召集され、(強制的に)軍人にされた人

大きく分けて、この二種類でOKですか?

また、太平洋戦争以前からの職業軍人の人達は、ずっと軍からの給料で生計を立てていたと思いますが、終戦後の処遇はどうなったのでしょうか?

Aベストアンサー

ズサンすぎると思います。質問者ならびに他の回答者の認識が。

まず質問者が、軍人とは「志願して採用され、職業軍人となった人」「令状で召集され、(強制的に)軍人にされた人」に二分してOKかとの問いに、誰も訂正をしていない。ひどいもんです。旧日本軍の場合、一般社会から軍人になるのは「志願・徴集・召集」です。多くの人が漠然と考えている徴兵制とは「生まれてからずっと軍隊とはまったく無縁に暮らしていたら、ある日突然“アカガミ”によって“召集”されて兵隊になって戦地まで行ってしまう」とでもいうものでしょうかね。それって、ちょっと問題があります。

軍隊のことをウンヌンする場合には、たとえ戦争中の話題であっても、まず戦争のない平時の仕組みから知っておかないと大抵は結果として大きな間違いになる、と私は断言します。古今東西、どこの軍隊も基本は平時です。その基本のうえに戦時・有事という応用が問われるのです。これから長々と書いていきます。

“徴兵検査”ぐらいは聞いたことがあるでしょう。原則として前年12月1日から当年11月30日までに満20歳になる男子が、春から夏にかけての時期に身体検査(簡単な知能の検査もあるらしいが、この点は私もまだ不勉強)により甲乙丙などと判定されるわけです。その判定とさらにクジで順番が決められて、それによって“現役”、“補充兵役”などに分けられ、“現役”の者が数ヶ月後に予定どおり(強制的といえるでしょう)軍隊に入ります。これを“徴集”といいます。これが兵隊の基本中の基本なんです。“召集”じゃありません。この“徴集”はアカガミなんか一切関係ありません。明治時代に徴兵制が始まってから昭和20(1945)年に軍隊が無くなるまで、平時も戦時もこの“徴集”はありました(末期には年齢が19歳に下がり、身体検査の時期も変わることがありました)。

少し前の文で“現役”と書きました。この“現役”というのは非常に重要なキーワードです。軍隊について無知な人(つまり現代日本人の大多数、あなたも私も)が漠然とイメージする「軍人」とはこの“現役”の軍人だろうと思います。ところが“現役”でない者も結構いるんです。まず軍隊の下っ端である兵隊は何年も“現役”をやっていられません。上で書いた“徴集”で入った兵隊は何年かすれば除隊といって軍隊からシャバに出られます。そうして“予備役”になります。乱暴に今流の表現をすると「軍人OB」とでもいうようなもの。

志願で入った兵隊はふつう“現役”ですが、たとえ軍隊が好きで志願したとしても数年しか兵隊はできません。どうしても軍隊にいたいなら、“現役”下士官を志願して教育を受け採用されれば下士官になります。下士官からは「武官」で、本物の軍人はここからといって良いでしょう。

ところが日本軍の場合、下士官もいつまでも無条件で“現役”でいられるわけでもないのです。数年ごとに再志願というのをして、軍隊の予算とか本人の勤務評定などをクリアして受け入れられれば“現役”の下士官を続けていられます。下手すれば再志願が通らず「お疲れさん」で軍隊を出てシャバで仕事を探すことになります。“予備役”です。ですから「職業軍人」を考える場合に、日本軍の場合はやや不安定な立場の下士官を含めるかどうか議論の余地のあるところです。

将校の場合(軍医なども含めます)、陸軍士官学校などで学んだ“現役”将校なら、まさに
「職業軍人」です。ですが、将校においてさえ“現役”(すなわち「職業軍人」)であり続けることは今の我々が考えるほど容易ではなかっただろう、というのが私の見解です。昔の栄養・衛生事情は悪く、結核をはじめ身体を壊したりするリスクは現代よりはるかに高い、なのに軍隊が求める健康な身体は一般社会よりもレベルが上でしょう。それに将校だって勤務評定を受けます。エライ人に昇進する枠は少ないのです、のんべんだらりと低い階級のまま軍隊にいてもらっては困るのです。将校だっていつ「お疲れさん」と軍隊を出され“予備役”になるかわからない、ということです。“予備役”将校はもう「職業軍人」ではありません。

話は変わりますが“召集”というのは、有事に軍人の数を増やしたい場合やその他(教育のため等々)により“予備役”や、ときとして“補充兵役”の者を軍隊に入れる事です。本当は“現役”のほうが質が高いのだけれど、戦争などでは贅沢を言ってられませんから「臨時」に“予備役”などの人を使うのが“召集”です(あまりにも多くの人が“召集”をすでに述べた“徴集”と混同しています。それが腹立たしいので私はわざわざこんな長文を書いています)。それから既回答の中に「幹部候補生志願して、職業軍人となり・・」というのは、普通ありません。幹部候補生は”予備役”の将校・下士官コースですから「職業軍人」にはなりません(さらに教育を受け転役すれば“現役”ですが、極めて稀な事)。太平洋戦争のような大きな戦争では兵隊も多いし、下士官も増え、将校だって何千人にもなったでしょうが、実は「職業軍人」というのは思ったほど多くはないのです。このへんの事は私が執筆したWikipediaの『幹部候補生 (日本軍)』というのを読んでみてください。

ところで、軍人の定年というのは一般社会より早いものです。運良く健康でクビにならずにいても、エラい階級にならないかぎり早ければ40代から定年がやって来ます。

以上の事を総合すると、たとえ「職業軍人」といっても人生の中で第二、第三の商売をする覚悟を持っているのが普通であったでしょう。これが平時の基本の話です。それを十分に理解してから、初めて「戦争でどうだった」「終戦になってどうした」ということをウンヌンしなければおかしいということです。

最後の最後に質問に対する私の答えとして、「職業軍人」の終戦後の処遇は一般的にいって決して優遇はされなかっただろうと思います。「公職追放」というものもありました。ただ、戦争犯罪人でもなければ、投獄されたりするようなことはないので「職業軍人」ではなかった圧倒的多数の元兵隊や、予備役からの人と同じような普通の厳しい人生だったのではないでしょうか。

終戦からいくらか経ちますが自衛隊(最初は警察予備隊)ができてからは、「公職追放」が解除された元「職業軍人」の中には、適正もあったし、もともと嫌いな道ではなかったでしょうから自衛隊に入隊した人もかなりいます。初期の自衛隊のエライ人は大部分が陸軍士官学校、海軍兵学校など出身の元「職業軍人」といえます。もし本当に興味があったら、比留間弘さんという方の著作を探して読んでみると面白いですよ。もうお亡くなりになっているようですが、陸軍士官学校を出た現役将校でビルマ戦線で苦労したあと終戦になり、戦後はヤミ同然の商売から雑貨屋を始め、公職追放解除後に陸上自衛隊に入った人生を非常に楽しい文章で何冊かの著作にされています。検索すればamazonなどでもザクザク出てきますし、運が良ければ図書館にあります。

参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/幹部候補生_(日本軍)

ズサンすぎると思います。質問者ならびに他の回答者の認識が。

まず質問者が、軍人とは「志願して採用され、職業軍人となった人」「令状で召集され、(強制的に)軍人にされた人」に二分してOKかとの問いに、誰も訂正をしていない。ひどいもんです。旧日本軍の場合、一般社会から軍人になるのは「志願・徴集・召集」です。多くの人が漠然と考えている徴兵制とは「生まれてからずっと軍隊とはまったく無縁に暮らしていたら、ある日突然“アカガミ”によって“召集”されて兵隊になって戦地まで行ってしまう」とでも...続きを読む

Q国家公務員の老後の年金額や恩給額について教えてください。

ちょっと長いです。ご了承下さい。
三男の嫁です。今度、80歳の義父と同居することになります。
で、知っている方がいたら教えてください。義父は第二次世界大戦で長崎に兵隊として勤めて被爆しました。
その後、警察官をへて、海上保安官を約35年勤めました。
で、この義父は今、年金や恩給等をいくらもらっているのか知りたいのです。
と、言うのも、義母が亡くなり、同居の次男の嫁が退職金も日々の年金や恩給、すべて奪い取っていて自分たちのために使っています。
すべて使い果たして、これからも義父の年金をあてにしてます。
義母任せだった義父もいくら自分でもらっているかわからないでいます。
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かわいそうです。
義父が辛いので、長男の所にいきたいと言ったら、長男が今さら長男だからって何で引き取らなきゃいけないわけ?と冷たくあしらったそうです。
そして三男の夫の所に来たいと最近言ってきました。私も義父が辛い思いをしているのは知っていました。
そして80歳で残りいくばくもない義父があまりにも不憫なので、いいけど、、、。と了承しました。
しかし、次男夫婦も義父の恩給で生活している為に逃げられるとすごく困るのです。でも、義父を引き取るのですから年金はこっちがもらいます。
なので我々との同居は極秘で進めているのですが、引き取る嫁としてトータルでどれくらいの恩給額をもらっているのか一応知りたいのです。
もちろん、義父から奪い取る気はありませんが、多少なりの生活費は入れてもらいたいと思っています。
ので、この年齢の国家公務員がどれ位もらっていいものか知りたいので、
年金や恩給に詳しい方がいたら教えてください。
お願いします。

ちょっと長いです。ご了承下さい。
三男の嫁です。今度、80歳の義父と同居することになります。
で、知っている方がいたら教えてください。義父は第二次世界大戦で長崎に兵隊として勤めて被爆しました。
その後、警察官をへて、海上保安官を約35年勤めました。
で、この義父は今、年金や恩給等をいくらもらっているのか知りたいのです。
と、言うのも、義母が亡くなり、同居の次男の嫁が退職金も日々の年金や恩給、すべて奪い取っていて自分たちのために使っています。
すべて使い果たして、これからも...続きを読む

Aベストアンサー

年齢を考えると、おそらく60年制度改正前の旧年金でしょう。だとすると、少なく見積もって年間300万円くらいはあると思います。
年金証書はありますか?そこで一応、金額はわかるはずですし、お義父様からの照会ということで、国家公務員共済組合連合会に照会文書をだせば、回答される(もしくは証書の再交付が受けられる)はずです。
請求様式などは共済組合によって異なるので、あらかじめ確認したほうがよいかと思いますが。

なお、証書を次男夫婦が預かっているのであれば、すぐにでもお義父様に返還するよう求めたほうがよいでしょう。年金は、受給者の方の権利に基づいて、本人のみが受給できるものですから、共済組合の側から見ると不正受給を騙し取っていることになります。つまり、詐欺です。
また、お義父様からみても不当利得の返還が請求できるはずです。兄弟ということなので、あまり荒立てたくはないでしょうが、家族であっても毅然とした態度で立ち向かわないことには、その次男夫婦のためにもならないでしょう。

弁護士を仲介人として立てて、兄弟で話し合う場を設けてはいかがですか。長男の方も、民法上、扶養義務があるわけですから、いまさらなんてことはいえません。
あとは、お義父様の気持ちしだいですが・・・。
あと、気になるのは
>年金はこっちがもらいます。
ですが、そんなことしてはだめですよ。同じ穴のムジナになってしまいますよ。

年齢を考えると、おそらく60年制度改正前の旧年金でしょう。だとすると、少なく見積もって年間300万円くらいはあると思います。
年金証書はありますか?そこで一応、金額はわかるはずですし、お義父様からの照会ということで、国家公務員共済組合連合会に照会文書をだせば、回答される(もしくは証書の再交付が受けられる)はずです。
請求様式などは共済組合によって異なるので、あらかじめ確認したほうがよいかと思いますが。

なお、証書を次男夫婦が預かっているのであれば、すぐにでもお義父様に返還する...続きを読む

Q日本国籍の傷痍軍人は年金があるから物乞いは偽者?

朝鮮人(大東亜戦争当時の朝鮮は日本で朝鮮人は日本人)は日本軍人として戦っても日本政府から年金をもらうことはできませんでしたか?
日本国籍の傷痍軍人は何年ぐらい軍に勤めていたら年金をもらう権利を認められたんでしょうか?
また、当時の元日本兵はネットの無い時代どうやって保護を受ける権利があることやその方法を知っていたんでしょうか?新聞に載っていたりチラシが配られていたりしたんでしょうか?

Aベストアンサー

・日本国籍の傷痍軍人は年金があるから物乞いは偽者?

 占領中は、国家財政悪化とGHQの支持で、軍人恩給の支払い停止され、
昭和28年から年金支給されましたので、その間、何の支援もなく
苦しまれた方多かったです。
 先日の彼岸で、戦後身寄りなく物乞いしてた傷痍軍人が寺の前で
餓死し葬られた墓に、お供えしてきました。

軍人恩給は、軍歴12年(戦地三倍換算)ですので、開戦からの召集兵の
多くは、受給してません。
 一応、市区役所町村役場には、兵事係いたころの名簿あるので、
陸軍省・海軍省の後継である厚生労働省援護局からの通知を、
復員兵の家庭に通知します。

 戦後、平和条約により、日本国籍を喪失し日本人でなくなったとの理由で、日本政府は
韓国朝鮮人・台湾人・樺太千島に取り残された北方諸民族の帝国軍人を戦争被害の補償対象から除外し、
元軍人・軍属やその遺族に対して障害年金、遺族年金、恩給、弔慰金、
また戦争中の未払い給与、軍事郵便貯金等の支払いを一切行わなかった。
現在でも多くの未払給与があり、一部の人が弔慰金を受け取ったのみである。

 1974年末にインドネシアのモロタイ島で発見された台湾人日本兵、中村輝夫(李光輝)の
発見をきっかけに給与が未払で補償がないことに関する世論の批判もおき、
1990年代に戦病死者及び重傷者を対象に一人200万円(台湾ドルで約43万ドル)の弔慰金が支払われたが、
給与は現在でも未払である。
また、当時強制的に軍事郵便貯金とされた給与も引き出せなかったが、
これは120倍にして返却することが決まり1995年に支払いが開始され一部の元隊員は受け取った。
しかし平均1000円ほどの残高を所持し、当時としては大金だったのに120倍で引き出しても
12万円にしかならない。現在でも、物価上昇を考慮すると、数年間の戦闘の対価としては
あまりに少額として抗議する元軍人も多い。

・日本国籍の傷痍軍人は年金があるから物乞いは偽者?

 占領中は、国家財政悪化とGHQの支持で、軍人恩給の支払い停止され、
昭和28年から年金支給されましたので、その間、何の支援もなく
苦しまれた方多かったです。
 先日の彼岸で、戦後身寄りなく物乞いしてた傷痍軍人が寺の前で
餓死し葬られた墓に、お供えしてきました。

軍人恩給は、軍歴12年(戦地三倍換算)ですので、開戦からの召集兵の
多くは、受給してません。
 一応、市区役所町村役場には、兵事係いたころの名簿あるので、
陸軍省・海...続きを読む

Q恩給年金とは

 恩給年金とは、どういうものですか。教えてください。

Aベストアンサー

旧軍人・軍属に対して支給されている年金です。
遺族にも支給される仕組みなので、本人以外でも貰うことが出来ます。

参考URL:http://www.city.koto.lg.jp/tetsuduki/kokuho-nenkin/5232/,http://www.pref.okayama.jp/hoken/hohuku/engo/onkyuhousikumi.htm


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