プロが教えるわが家の防犯対策術!

カテゴリ間違ってるかも・・(^^;
どうして「おたく」を嫌う人が多いのでしょうか?
何か特定のものにハマる、というのは誰でもあると思います。
「おたく」は、その対象が「アニメ」などの空想の世界、ってだけです。
その年になってもアニメや漫画を見るなんて幼稚、
なんていわれることもありますが、
日本のアニメの殆どは、子供から大人まで楽しめる、
というのを売りにしているので、変なことではないと思います。
「オタク」を嫌う理由が、全く分かりません。
「オタク」が嫌いな方、教えて下さいm(_ _)m

A 回答 (17件中1~10件)

こんばんは。

Wendy02です。

>スキゾ型はパラノ型を理解できない、
>つまりパラノ型はスキゾ型に嫌われている、ということですよね。

そういうことだと思いますね。どの道、スキゾ型の求めていたものが、決して、他人に共有できるものでないことも多いのでしょうけれども、何かの役立つと思うこと自体が罪が深いですね。しょせん、パラノ型と変らないか、それ以上に悪いです。

スキゾ型が、ある程度、その自己認識があれば救われるでしょうけれど、まったく、そうでないとしたら、それは本人も闇の中でしょうね。毒を避けるための「デトックス(毒抜き)」に徹底する女性は、典型的だと思いました。

そんなことは、いつまでやってもキリがありません。(逆に、何でもないウィルスや細菌で、自分の寿命を縮めるようなものです。)

私の身近な例では、今は何というのでしょうか?昔の「方たがえ」と言って、方角の吉凶に自分の行動を決める占いです。こちらが吉だのあちらが凶だの。常に、毎日が違うけれど、やっていることは同じです。(こういう人がそばにいると、本当に迷惑です。独りでやってればよいのに、他人のことまでちょっかい出すわけです。)

>人生に必要の無いものにハマっている人は、理解できず、オタクという言葉を使って差別をするんですよね。

逆に、例えば、『進化論』のダーウィンなんて、ほとんど一生が閉じこもりで、なおかつ、執拗なクレームの手紙ばかりで、彼が亡くなってからも、未だに、否定している人たちもいますね。

ダーウィンをパラノ型と呼ぶべきかは分りませんが、一つ一つは、バラバラに見える生物の種に共通性を見出し、そこに樹系図を思いつくという発想は、画期的だと思います。確かに、ダーウィンの功績は輝かしいものだけれども、それは、彼の後世が出した評価に過ぎませんね。当時の人たちは、ほとんど理解できなかったし、現代人でも、テレビ番組の中で、そういわれているから、そう思っているだけに過ぎないかもしれません。

ダーウィンを引き合いに出すのはおかしいかもしれませんが、彼は、自分の研究の発表を世間に出すのを、かなりためらったとも聞きます。もしも、現代に同様の人がいたら、社会的に認められなければ、「オタク」?、いえ、ただの変人ぐらいにしか見えないと思います。(それが世の中なのかもしれませんが。Sigh・・・)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ダーウィンかわいそうですね・・。
理解できない人は差別される、というのが当たり前になっているんですね。
なんか悲しいですね・・。

お礼日時:2005/12/22 16:21

こんにちは。



>スキゾ型のオタクが嫌われている、ということですか?

いえ、それは逆です。スキゾ型は、パラノ型のオタクを嫌うということですね。
スキゾ型は、あまり自分にオタクという自覚はありません。常に、対象が換わっていきますからね。私の言う、スキゾ型(>スキゾフレーニア-schizophrenia)は、飽きっぽいのではなくて、自分に入る情報が固定化しないのですね。

私なども、ある意味では、「オタク」と言われるかもしれませんが、その興味の対象が、何かの利を生むわけでもないし、それが人生にプラスになるようなことはありません。(実際に、そういう功利的な考えだと、とても続きません。)そうした時間を費やしていることが、建設的なものではありません。まして、それが対人関係自体を犠牲にしているわけで、確かに批判の的にされる気はします。過去のものから、何かを得るものがあるのか、未来を希求するスキゾ型には、そうしたものは理解できないはずです。

また、どなたかも書いているように、「オタク」というのは、ある種のレッテル化(tagging) なのだと思います。そこに、本当の実体などは存在しないかもしれません。「オタク」とレッテル化した時点で、実体のない「差別化」、または「分類化」が始まっているだけだと思います。自分とは違う異質なものに対して、人は、そうした差別化・分類化をして、精神的な安定を図ろうとします。それは、人の脳の仕組みがそうさせるのだと思います。

ある人は、それを「パターン化」という言葉を使っていました。「オタク」という語を、肯定的な意味合いで使う人と、逆に批判的な意味に使う人がいます。しかし、その「オタク」という個人を本当に理解して使われるなら、何の問題もありませんが、「オタク」としてレッテル化して個々の人格を否定し、厭うのなら、そこには、実体のない差別化が起きているわけではないでしょうか?そして、そうした行為は芳しいとは思いません。

そういう私の考えも、二分化したレッテル化には違いありません。しかし、ある種の「オタク的」特長を持っていたとしても、まがりなりにも社会の一員として生活が営まれるなら、そこには何の問題もないはずなのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。そして、理解できてなくて本当にすみませんorz

スキゾ型は、人生に役に立つようなものを求めていて、
パラノ型は、人生に全く必要ないものにハマる、ということでしょうか?

だから、スキゾ型はパラノ型を理解できない、
つまりパラノ型はスキゾ型に嫌われている、ということですよね。

そして、オタクという言葉は、人を分類するために使われているんですよね。
だから、人生に必要の無いものにハマっている人は、
理解できず、オタクという言葉を使って差別をするんですよね。

・・また変な勘違いしてたらすみませんorz
度々説明させて申し訳ないです。

お礼日時:2005/12/19 19:16

こんばんは。


#15 のWendy02です。

>「スキゾ」「パラノ」という言葉を初めて知りました。

浅田彰氏の『構造の力』からです。もう、古くなってしまいました。

>>身近な人の存在、身近な人の気持ちが分らない人は、好きにはなれません
>それがオタクに多い、ということが問題なのでしょうか?

それは、短絡には言えませんね。
昔と今は、その意味合いが変ってきているような気がするからです。

私は、本質的には、未来指向(スキゾ)であっても、過去指向(パラノ)であっても、人間というモノの扱いが、機能論(機能主義)に走ってしまったら、私個人としては、そういう人がいればやり切れなくなってしまうということを言っているだけです。昔の「オタク」は、人もモノも機能論だけにしか終始していなかったと思うのです。ただ、現代は、二つに分かれたのではないか、と考えるわけです。

そして、スキゾ型とパラノ型では、スキゾ型のほうが、今の現在では、罪が深いと思うわけです。別の言い方をすると、発散型と蓄積型です。

どちらかというと、スキゾ型は、常に、現在(の現実)に対する配慮をしないからです。その例として、デトックス女性を挙げたわけです。また、占いに走る人もいます。「オタク」の中でも、ある範囲の中で、常に対象(モノ)を換えていなければならないタイプがいるわけです。そういう人は、人を機能的にしか見えないので、身近な人の存在には気が付かないだろうということです。そして、そういう人には、困った人物が多いのではないか、と思ったわけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

つまり、スキゾ型のオタクが嫌われている、ということですか?

>常に対象(モノ)を換えていなければならない
飽きっぽい、ということでしょうか・・。

すみません、まだ中学生なので理解しようとするのに必死です^^;
折角回答してくださったのに・・orz

お礼日時:2005/12/17 20:54

こんにちは。



やっと、自分の中で考えがまとまりましたので発表させていただきます。

私の覚えからすると、「オタク」って、人を呼ぶときに使っていたから、「オタク」族って言われるようになったんですよね。もう何十年も前、私は、ある人の家に言って、こんな小説が好きとみたら、内容なんてほとんどなくて、「武器の説明だったり、戦闘機の機能だったり」、いわゆる「カタログ小説」とか呼ばれるものです。その「モノ」がどういう機能を持っているかは、人間に対しても機能として見るからで、批判されるのは当然だったように思うのです。

「曰く」
『他人に対して機能でしか見ないような人。』

昔は、そういうような批判だったと思います。それは過去の話です。

この前、テレビでやっていた、「健康オタク?」、食物の毒素を徹底的に避ける(デトックス)女性のことをやっていましたが、度を越していましたね。何か、「牛肉問題」にもいえそうな話でが、いずれにしても、マスコミ等の情報に左右されながら、自分が対応していく、一種の自己満足の範囲でしかなくて、それを統合的に捕らえることが出来ないし、対象自体は常に変っていく、これは、まさしく「スキゾ(スキゾフレーニア)」なんです。

人を説得したり納得させたりするだけのロジックがなくて、実行することだと思うのです。それは、他の方も言っているファッショです。それは、今の政治自体も同じですね。人や組織が機能としてしか存在していないように扱うというものです。私たちは、過去だけみて生きることも出来ないけれど、「スキゾ」のように、(あたかも)先の不安もなく行動するということは出来ません。過去なんかどうでもよい、ということです。

俗に言われる「オタク」というのは、「疲れを知らずに物事に集中する」というのは、今度は、「パラノ」ですね。「パラノ」のように1つのことを構築していくこと自体に、何の問題もないと思うのです。ただ、そういう人は、時々、他人から、その人の社会性が乏しいことに関して、揶揄されたりします。今の社会って、不確定性の部分が多いので、そうした「パラノ」が、批判を浴びますね。

テレビアニメで、「げんしけん」(現代視覚文化研究会の略)というものをみて、今の「アニメ・オタク」というものの世界が、倫理観や学生としてのバランス感覚を持ち、そこに一定の社会があり、その時代に影響を受けていくなら、批判すべきようなものはなんらないと思うのです。ただし、げんしけんの人たちは、「パラノ」ではないようですが。

「スキゾ」が、だんだんと、社会的な領域を広げていくのに、対象を換えない「パラノ」は愚かに見えるし、常に、一定の領域しか占めていませんから、どうしても、肩身が狭くなるものではないでしょうか?

ただ、個人的には、他人からみた、自分の受ける印象の感覚が乏しい人。「オタク」が悪いのじゃなくて、身近な人の存在、身近な人の気持ちが分らない人は、好きにはなれませんね。しかし、その人は、やっぱり「スキゾ」だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「スキゾ」「パラノ」という言葉を初めて知りました。

>身近な人の存在、身近な人の気持ちが分らない人は、好きにはなれません
それがオタクに多い、ということが問題なのでしょうか?

お礼日時:2005/12/16 20:07

「あの人の○○なところが嫌いだ!」といったら


その○○なところが理由だと思います。
自分が相手の何かが許せなかったりすることで
嫌いな人となってしまったり…。
要するにオタクだけが嫌われてるわけではないと思うのですが。

もし「オタク嫌い?」と聞いて「嫌い!」というのは
偏見では?って思うんですけどねぇ(´・ω・`)
イメージとかで偏見とかで(?)嫌う人は
なんだか良くないですよね。
オタクというグループ(例え)があって
そのグループの中は1人1人違うのだから…。
なんでオタクってなんだか悪いイメージなんですかね?

変な文章でごめんなさい…。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>オタクだけが嫌われてるわけではない
確かに、本当に嫌われている人は、オタクとかそういうのではなく、
性格で嫌われていると思います。

オタクの語源を調べてみると、
http://www.burikko.net/people/otaku.html
中森明夫という方が作った言葉らしいです。

コミックマーケット(僕はよく知りませんが)で、
運動がダメで髪型や服装もセンスがない人たちがたくさん集まったので、
それを見ていた中森明夫さんが、彼らに興味を持ち、
雑誌の1コーナーに連載していたみたいです。
つまり、元々は「ダメ人間」のことを指す言葉だったみたいです。

しかし、今では、そのような意味は無いと思います。
というか、そのような意味があってはいけないと思います。
周りに迷惑かけているわけでもないのに、
ただ個人的に嫌いだというのはおかしいです。
ただ、まだ悪いイメージをもたれる方が多いのが現状ですね。
電車男のおかげで、少しはよくなりましたが、
やはり、本当に「オタク」が嫌いな方は、見ようとしませんからね・・。

お礼日時:2005/12/16 19:49

最近は"A系"などと言われてオタクも結構認知されていると思うんですが?


女オタクも結構多いと思います
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>オタクも結構認知されている
確かに、電車男が本、映画、ドラマ、舞台と、
かなりブームになりましたね。
本当にオタクが嫌いな人が多かったら、
電車男ブームなんて起こらなかったと思います。
でも、まだまだオタクってだけで嫌う人も多くて、
僕は毎日バカにされてます・・。

お礼日時:2005/12/09 22:05

友達曰く、自分も「オタク」と呼ばれる部類に属しているそうです。


さてさて、嫌われている理由ですが、
世間的に
オタク=性犯罪者予備軍
オタク=引きこもり
オタク=不潔
オタク=口下手
などの一部の方の間違った捉え方が世間全体に浸透したことによる物ではないでしょうか?

また、自分もなかなか他者と話しが合わず口下手です。
なぜか?他の方は、ファッションや芸能、音楽等に結構関心があるようではありますが、自分としましては、アニメやギャルゲーに関心があります。その様な相違から他者との話が合わず面白くない奴と見られる訳ですね。人間面白くない奴が好きって人はまずいないですから。。。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>他者との話が合わず面白くない奴と見られる
確かに、それはありますね。
自分と都合が悪い人は、嫌な人に見えますよね。
オタクが口下手、というイメージがあるのは、
オタクと他の人の興味の対象が違うために話しづらい、
っていうことでしょうか。
でも、それだけで近寄らない、って悲しいですね・・。

お礼日時:2005/12/09 22:01

 空想の世界自体(アニメ、マンガ、アイドル等)には、


現実のオアシスとしての役割があるので、これは認めるところなのですが、
オタクのと呼ばれる人たちののめり込み様が、
見ている人の不安をかき立てるのではないでしょうか。

 現実社会の構成員でもある彼らが、
現実社会から解離していきそうな様子と、
空想という絆で結ばれたコミュニティ(ある種、未知の社会)
が形成される様子を見て、
自分の身の置き所が揺さぶられる感覚があるのだと思います。

 また、萌え系などは、露骨に性的嗜好が出ている
不粋さもさることながら、
現実に少女、幼児に興味の対象が行きそうな不健全さもあり、
そういった不安要素がメディアによって大々的でてきてしまったのが、
不快なのだと思います。

 人は往々にして不安を不安とは表現できませんから、
蔑みやら怒りの表現として出てくるのは仕方のないことです。
だって関係なければ、「好きにすれば~」で話は済むことですものね。

 専門家と呼ばれず、オタクと、ある意味蔑称で呼ばれるのは、
第三者から見ると、開かれていない不安を掻き立てる存在
であることによるのかもしれません。
名前を付け、ステレオタイプに押し込むことで安心しているのは
そうでない人たちの都合なのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

変態=オタクっていうイメージを持っている方が多いのでしょうか。
変態とオタクは別のものです。

>現実に少女、幼児に興味の対象が行きそうな不健全さ
確かに、小学生に興味を持ち、殺すという事件が最近多いです。
それらの事件と萌え系との関係は知りませんが・・。
そういう人って、オタクとか関係なくて、
元々変な人ではないでしょうか・・?

お礼日時:2005/12/09 21:57

まずオタクの定義がはっきりしないですが、minute-maidさんがいうような意味をもっているのは事実ですね。



>何か特定のものにハマる
これを定義とするとみんなオタクですね。
女性はほとんどの人が美容オタクですし、ある特定の知識が人より豊富なら全員当てはまります。

>「おたく」は、その対象が「アニメ」などの空想の 世界
これは全く嫌われる理由ではないです。漫画やアニメなんて誰でも見ます。

しかしこの人たちが実際嫌われます。
その理由はNo5さんが言う通り!
知り合いに俗に言うオタクがいますが、こんな感じです。逆にオタクの人に聞きたいのですが、自分の興味ない話を延々とする人と一緒にいたいですか?
いたくないでしょ?
だからアニメが好きだからという理由ではなく、性格の問題です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>自分の興味ない話を延々とする人と一緒にいたいですか?
話題についてこれないのできついです。正直居たくないです。

>アニメが好きだからという理由ではなく、性格の問題
確かに、そうだと思います。
アニメが好きから、ではなく、性格に問題があると思います。
ただ、オタク=性格に問題あり、とするのはどうかと・・。
性格に問題がある人は、オタクでなくても嫌われます。
なので、「オタクだから近寄りたくない」
っていうのは、僕は理由にならないと思います。

お礼日時:2005/12/09 21:48

というように、オタクが嫌われる理由なんて大したモンじゃないのです。

根拠なかったり、レッテルだったり、最初から相手にしたくないだけだったり、ただ趣味が子供っぽいから中身も子供だと思ってたり、一部の人間が犯罪犯したことがただ印象的なだけで人間分類したり、ただ自分より劣っているところが多いからと言う理由だけです。正当なものは一つもない。現実逃避だって皆やってますよ、こうやって弱い者を見て見ぬ振りすること自体そうじゃないですか。目に見えた逃げ方をしてないだけで、その代わり別の代償を払っているんです。
そんなもんです。
人間って言うのは、特に近代以降の人間は、きちんと人間を見ていない傾向にあります。評価が先立って観察がかけているのです。
昔は違ったんです。近くにいる人間は少し変わってても、旧友でよくその人の内情を知っていたりして、気さくに話しかける人がいたんです。社会の体系が変わって子供の頃から人間関係が希薄になってしまっているのです。現代は、明るく振舞って人間関係豊かそうな人間も、実は自分の身内としか話してないです。外に出ようとしない。開いた関係じゃない。それはオタクも同じなんですが、でもオタクは自覚があるが一般人は自分たちは普通だと思っている。
そういう人間観察や人間関係がへたくそな人間が、少しでも妙な事件を見る。少しでも変ないでたちの人間を見る。少しでも失礼な人を見る。するとすぐに自分の認識容量の限界を迎えるのです。そうすると人間どうするかと言うと、一つしかないです。排除です。これじゃファシズム時代となァ~んにも変わっちゃあいません。
エヴァンゲリオンはご存知でしょう。あれにも出ていた通り、レイやカヲルや使徒は、もしかしたら分かり合えた存在であった可能性があります。それが殺されたのは、それに対する理解への志向よりも恐怖や不可解、ただなんとなくの不安からです。
不安で不当な差別を受けているのです。それは現代の社会体系にも問題があります。社会全体がなんとなくの不安に包まれているのです。だから防衛手段がほとんどない。どうするか。自分の直観に頼るしかない。だからちょっと変だったらとにかく近寄らない。とりあえず近寄らない。そしたら安心だと思っている。それで安心だと思うしかない。はっきり言って私に言わせればアホです。本当の悪人は善人面してるモンです。
わかっている人間もいます。人間関係がうまい人もいます。そういう人間も他の人間に、『異人の仲間か』と思われるのが嫌なので、少なくとも大勢の前では変人扱いするのです。付き合ってくれる人もたまにいますけどね。
お陰でオタクは八方塞がり状態。住みにくい世の中でゲスよ。
オタクはそのレッテルを払拭する必要があります。それはある意味今以上に人間として向上するチャンスでもあると思います。何か方法があるはずです。それをわれわれは考えなければいけないのです。ただ閉じこもっていればいいと言うものではないのです。たとえその道が険しくても、他の人間に認められ、最後には『俺たちが悪かった』と言わせるだけの成長が得られる方向に向かうしかないのです。社会と、どんな方法であれ、戦うしかないのです。振り向かせるにはもう暴れるしかないほど今の人間は鈍感なのです。そして頬を優しくなでられるまでそれを続けるしかないのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。長文お疲れ様です。

>不安で不当な差別を受けているのです。
差別、というものは、不安から生まれるものなんですね。
これは、オタク以外にも、多くの人に当てはまると思います。
人間って、自分より下の人間がいると安心するのでしょうか。
なんだか寂しいです・・。

お礼日時:2005/12/09 21:43

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