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現在生活するうえで必要な物は
ありとあらゆるものが中国から入ってきました。

日本の文化って殆ど他国の文化ですよね。
他の国も近隣諸国から文化文明 物などは入るんでしょうが。

中国人が発明した文化じゃなくても
西アジアや東欧の物も日本に入ってきたものはシルクロードを経て殆ど中国からですよね。

ここ三百年前からは
日本人は西洋に真似てきたら
経済的には日本優位になっていますが^^

中国って超文化大国ですよね
黄河文明と 長江文明もあるし
日本なんて中国の文化に比べたら百分の一くらいでしょうか
それでも僕は日本に誇りはありますが^^

そこで質問です
大多数の西洋人から見て東洋といえば中国と思われていると思います。
日本は中国文化のお膝元だと思われているんですか?

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A 回答 (12件中1~10件)

反対に中国に逆輸入されてこれは中国の伝統文化の一品だ、という物や漢字(単語/熟語)が多数あります。

この事実は以下にお考えで?
ちなみに基本的に中国人は認めませんね、こーいう物とか言葉とか(^^ゞ
↓の方々のいうように、客観的な見方しつつ文化って何?とかそーいうのつきつめないとこの回答は出ない気がしますけど・・・。
個人的には中国が好きなので今は中国にいますが・・。
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西洋といったらどこでしょうか?アメリカ?それともイギリス?フランス?イタリア?そういった事でしょう。

東アジア文明発祥の地中国といったところなのかもしれません。

良く日本人は外国人を招いた時「日本文化を」と京都などの施設を紹介します。しかしその時アジア諸国の外国人だとあまり喜ばれず、それは中国建築からの流れの中の日本建築物のためだそうです。しかし、秋葉原に連れて行くとものすごく反応が良く、所狭しと家電や部品が並びビルが乱立する。ここにアジアの人々は驚きを感じ、またそれが楽しいそうです。
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日本の文化は中国などの外国から伝わった物が多いのは確かですが、日本は取り入れた文化を本国以上に発展させることを得意とする国として評価が高いです。



例として食文化が解りやすいですが、カレーの本場はインドです。でも、インドのカレーよりも日本のカレーの方が美味しいらしいです(インド人だけでなくその他の外国人もそう言います)。ちなみにカレーを食べたインド人がコレはなんと言う料理だ?と聞いたという話も聞いたことがあります(笑)。またその他にも、ラーメン、焼肉その他諸々にしても然りです。
元のものが他国に有っても、その良さを認め、更にそれ以上にしてしまう日本を誇りに思います。

最後に、文化が育っていく過程で全くの別物と評価されることの方が多いので中国文化のお膝元だと思われてはいませんし、そう思う人は中国人くらいでしょう。「中国が一番アル!」と言って聞かない人がいれば、間違いではないとも思いますので、「そうかもね」ぐらいにして流してあげれば良いと思います。
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おはようございます、疑問はつきませんね。



さてご質問の件ですが、中国・日本と言うことですが、世界的に見て非常にめずらしい国になると思います。中国がやく4000年・日本が約2000年、曲がりなりにもとぎれることなく続いてきた国というのは、世界で例がありません。(中国がとぎれることなく続いているというのは異論もあるとは思いますが)

特に中国は、元の時代などユーラシア大陸すべてをその領土とした国です。そのため、その周辺国は、「朝貢外交」を余儀なくされたことは仕方のないことだと思います。漢字自体も、亜細亜の共通言語として、母国語とは別に、周辺諸国の知識層を中心に学習されてきたものだと思います。

ただここ数百年は、欧米諸国に経済的に首位を奪われて以来、文化的にも先端を行くとは言えない状況が続いていますね。経済と文化とは、切り離せない関係にありますので、必ずしも「中国のお膝元」とは思われていないのではないでしょうか?

まだまだ中国の経済的な不安定さは無くならない気がします。後数百年はかかるのでは?清国滅亡からここまでの道のりからしますに、当分改革開放と、左傾化とのせめぎ合いの中で真の経済大国・文化大国になるにはもう少し掛かる気がします。
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>日本は中国文化のお膝元だと思われているんですか?


中国人や韓国人の多くが事実そう思っており、そういう面で日本に優越感を持っているのは事実です。

反対に、中国や韓国が近代化に成功したのは日本のおかげなのですが、こういうことを中国人や韓国人にいうと、「侵略目的で勝手にやったこと。」という答えが返ってきます。

事実を客観的に見るのは非常に難しいですね。
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  「お膝元」の言葉で何を指しているのか定かではありませんが… 確かに文明が起こったのは より人間も居て農耕に適した風土が有った中国で、否が応でも影響を受けたのは事実でしょう。

近代において、中国文化のヴァージョンとして日本文化を西洋人が捕らえているかと言えば、当方の判断では「違う」です。

  1867年のパリ博覧会では徳川幕末も出展しています。その時に持ち込まれた日本製品は、多くの見学者 とりわけ芸術家達に大きな影響を与えた事は御存知でしょうか? ゴッホなども浮世絵の明るい色使いと影のない絵に大きく影響を受ける事が出来たのもパリ博覧会での日本文化の出展が有った為です。その頃は既にアヘン戦争後で沢山の中国製品が欧米諸国に持ち出された後だと推測します。もし日本からの出展品が中国製と類似していたとしたら、パリ博覧会での日本の評価は高くはならなかったでしょう。

  欧米文化への傾倒が激しくなったのは恐らく第二次世界大戦での敗戦に起因すると察します。かく言う当方も母国を離れて自国を見られる様になるまでは、些か西尊東卑の頭があったのですが… ですが海外でお会いした人々は「高い文化の国の日本人」として接して頂き、ささやかな日本人としての誇りを感じさせて頂きました。

  世界に生まれた文明は4箇所だけ。現代の「文明国」は何れかに源流を持つ所となります。だからと言って文明的な優先など現代で評価するには分化し過ぎていると思います。日本文化の源流は中国にあっても、受け売りではない事は確かだと思います。この区別が付かない方が居たとしたら、自らの薄学を露呈しただけと当方は感じ、教育の有り難味を感じるだけです。 駄文を綴りましたが、独自の文化として確立していると思うので「お膝元」とは判断されないと思います。
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No.4で回答した者です。

追加で付け足します。
「漢字」については確かに起源は漢の時代の中国ですが、その後日本含む東アジア(日・韓・ベトナムなど)に広がりました。日本では漢字をベースに平仮名・片仮名という新たな文化を生み出しています。同じように西洋では、現在のイタリア起源のローマ字を多数の言語で使用していますが、そのことで英語はイタリア文化などと言ったりすることがあるでしょうか。起源になったものとそれを応用して作られた文化を比較したり、上下関係などを考えること自体無意味だと思ったほうがよいと思います。
漢字の関係でさらに別の例を挙げると、現在中国語でも使われる「経済」や「共和国」といった言葉は日本で明治維新前後に作られた言葉で、日本から中国(清朝)に渡りました。欧米の新たな概念をアジアで真っ先に導入した日本は率先してこれらの多くの言葉を翻訳し、明治時代には日本に留学に来たたくさんの中国人が本国にこれらを伝えています。文化というものが一方通行ではなく、双方向で流れていることをご認識いただければと思います。
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こんばんは。


shawd様の質問を読み、少し驚きました。
下の回答者の方々も言われていますが、
>日本は中国文化のお膝元だと思われているんですか?
全くそんな事はありませんよ。

中国の流れを汲んでいるけれど、日本の文化として
世界で認められているものが多々あります。
書道(カリグラフィー)、茶道(Japanese Tea)、着物(kimono)
日本酒(sake)、おしょうゆ(ソイソース)などなど。
それらを外国で褒められる度、日本の文化として
確立されているものを誇らしく思うようになりました。
西洋人というのがどういう人たちを指すのかわかりませんが、
日本文化を褒めてもらう機会は今までに沢山ありました。

もっと日本の文化として、脈絡と受け継がれてきたものとして
誇りに思っても良いと思います。
日本はこんなに小さな国なのに、伝統的な文化が
各地方地方で数多くあり、四季があり人々の工夫の中で生まれた
智恵があります。
アメリカだって世界の中では大きな国なのに、国としての
歴史はまだ始まったばかりです。
中国が歴史があるから、中国から日本へ文化が流通してきたからと言って
何もひけ目に感じる理由は無いと思います。
西洋(ヨーロッパを指すのかな?)だって、みんな
各国との貿易の間で伝わった文化が多いですし、
もっと自分の国の良い所を発掘してみてはいかがでしょう。
きっと色々発見があるかと思いますよ。
長々と失礼いたしました。
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列挙されているものには日本独自のものもありますよ。

また、影響は確かに受けているものの日本で新たな形に発展していったものもあります。
例えば「書道」「茶道」など「道」のつくものは日本で精神的な要素を取り入れて新たなカテゴリーとしてひとつの文化になっているといえます。「柔道」「剣道」もそうです。「相撲」もしかり。
西洋人が「東洋といえば中国」と大多数考えているということはありません。日本人が「西洋といえばアメリカ」というようなものです。確かに人口の多い「中国人」は末裔が世界のどこへ行ってもいるような感じはありますが、現地の人から(一般的に)尊敬を受けるような人は多くありません。文化に対する見方も同様と思います。日本人はいろいろな文化を寛大に許容し、それを応用発展させていく点など、ある程度世界の状況を理解している人であれば、十分敬意をもって認識されていると思います。戦後の荒廃からの発展などについても各国から評価されています。
私は10年以上中国に関係した仕事をしていますが、中国へ行くと日本の良さが改めてわかります。他の国へも20数カ国行っておりますので一応世界からの日本の評価も理解しているつもりでおります。
以下のURLの書籍は少々ご質問とはずれますが、関係する部分もありますので、ご一読すると面白いかもしれません。

参考URL:http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31565628
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>日本は中国文化のお膝元だと思われているんですか?



思われていません。そもそも、文化のお膝元っていう言葉の意味が通じませんよね。

中国は多民族国家ですので、中国の文化とひとくくりに表現できないほど多くの文化が存在しますので、なにをもって中国の文化とするのかも難しいものですね。

また日本文化も同様で、いわゆる大和民族の文化のほかにも、琉球民族やアイヌ民族の文化があり、それらは中国の文化とも大和民族の文化ともまったく異なります。

shawdさんが挙げられたもののいくつかは中国からはいってきたものもありますが、それが中国にあったときと同じ状態ではありません。それらは、輸入される時点で、あるいは輸入されて日本に浸透する段階で、最初のものとは異なるものに変化しています。文化というものはその土地土地の生活や風土、気候や宗教など、あらゆる要因によって変化し、適した形になることで土着のものとなります。
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Q日本文化における中国の影響

日本文化における中国の影響について質問させて頂きます

古代、日本は中国の文化(思想・技術など)に大きな影響を受け、
現在の日本文化の礎が築かれたと私は考えています
もちろん、土着的な文化もあったと思いますが、当時の国力差から考えると、
中国文化の方が先進的で、より魅力的であったのではないでしょうか

よって、日本文化は中国の文化に大きな影響を受けている以上、
日本特有の文化といえども、その起源には何かしら中国文化の影響力やが残っている場合が多いといえます
この場合、日本文化とはどこからどこまでの範囲を指すのでしょうか?

グローバル化に伴い、「わび」「さび」の日本文化が称賛されることが多くなり、
日本人自身にも、日本文化への表面的な回帰も見られます
しかし、合理化が進む我々の実生活の中で、これらの日本文化に基づいた生活を送っている人は、
少ないと思います(どちらかというと日本びいきの外国人のほうが多い気がします)

やや話がずれてしまいましたが、日本文化における中国文化の影響、
そして、日本文化とは一体何を指し、他の文化と区別する意味は一体何のためなのか、
教えていただければと思います

近年、ネットを中心に、中国や韓国を忌避する傾向が強くなり、
日本の文化は、日本固有な崇高な文化であり、中国や韓国といった国々からの影響は少なかった、
という意見も少なからず見られます

しかし、私としては、中立的な立場で、日本文化はどこから到来し、どのように発展してきたか、
歴史的事実として興味があり、このような質問をさせて頂きました
盲目的な日本文化への賛美や懐古にはやや疑問も感じます
私としては、そのなぜその文化を賛美したり、懐古するのか、
その文化的背景や根拠を知りたいのです

散文となりましたが、ご回答よろしくお願いします。

日本文化における中国の影響について質問させて頂きます

古代、日本は中国の文化(思想・技術など)に大きな影響を受け、
現在の日本文化の礎が築かれたと私は考えています
もちろん、土着的な文化もあったと思いますが、当時の国力差から考えると、
中国文化の方が先進的で、より魅力的であったのではないでしょうか

よって、日本文化は中国の文化に大きな影響を受けている以上、
日本特有の文化といえども、その起源には何かしら中国文化の影響力やが残っている場合が多いといえます
この場合、日本文化とはど...続きを読む

Aベストアンサー

>日本文化における中国文化の影響、
そして、日本文化とは一体何を指し、他の文化と区別する意味は一体何のためなのか、
教えていただければと思います


「文化」というのは、そもそもの元をたどればオリジナルは決して多くはありません。せいぜい古代の4台文明ぐらいが文化の発祥といえるぐらいでしょう。後は、アメリカ大陸のマヤ民族やネイティブ・アメリカンあたりが独自の文化でしょうか。

そうなると、中国の周辺である、日本や朝鮮半島・モンゴル・ベトナムは中国の文化圏ですし、タイやインドも影響を受けている、と言えます。しかしベトナムならベトナムの文化がありますし、モンゴルにも日本にも「独自」と言われる文化があります。

文化がその当時の先進的な国から伝わってくるさい、必ず起きる変化があります。それは流入-受容-改良です。
 流入とは、日本が遣隋使を送ったように求めて輸入するものもあれば、中国の漢民族が満州族に征服された清の時代の辮髪のように、強制的に文化を押し付けられる場合もあります。
 そして、その流入から2世代から3世代経つ頃には、その文化が一般的になり疑問を感じないようになったころに「受容」が完成すると言えます。
 しかし、元々他の地域の他の文化ですから、そのままでは利用しにくく、受容したもののそれを自分たちの文化や気候・生活スタイルなどに合わせて「改良」していくようになります。

そしてこの「改良」がひとつの形になったときが、その民族や地域の文化の形ができた、ということになるのが一般的です。

たとえば日本の場合、飛鳥時代から平安時代まで大陸の文化を輸入し、受容しつづけてきました。法律は律令制を倣い、宗教は仏教、文字は漢文と当時の大国である隋や唐を手本に受容し続けたといえます。まあ、仏教はインドから隋が受容したものですが・・

ところがこれをそのままにしておくと、日本の風土に合わないものが出てきます。たとえば律令制などはすぐに良くない影響がでました。そもそも律令制を維持するためには、国内の優秀な人材を集め活用するために科挙が一緒にくっついてくるはずなのですが、日本の場合すでに天皇を頂点とした貴族階層があり、彼らが行政を握っていましたので、科挙で庶民を活用することはできなかったのです。

そのため、法律的に可能な部分だけ律令を取り入れ、制度的に受け入れられない部分は日本の風土に合わせたものに変革しました。
これは明治憲法などでも同じことがおきており、そもそも憲法を作るときに西洋各国の憲法から国家元首の権力の強いワイマール憲法を参考にしたと言われています。
つまり流入と受容そのものに、取捨選択があるのです。

また文字についても、輸入した文字をそのまま利用してる民族はほとんどありません。たとえば世界最古の文字と呼ばれる楔文字はシュメール人が開発したものですが、シュメール人はこれをひらがなのように音節文字として利用していました。これを受容したアッカド人は中国語と同様、音節と意味が一体になっている表語文字として利用できるように工夫し、さらにアッカド語を受容したヒッタイトでは音節文字として利用したために、日本語の漢字・仮名の書き分けというか、万葉仮名の書き分けのような複雑な法則で記されることになったようです。
アルファベットを使っている西洋諸国でもドイツのウムラウトのように独自の文字を足したり、記号を利用したりして自国語を表記するのに改良しています。

この「楔文字」ひとつとっても、発明したシュメール・表語文字にしたアッカド・さらに複雑に受容したヒッタイトのように、それぞれの民族の文字といえるほどに変化しています。これがそれぞれの文化になるわけで、「楔文字だからぜんぶシュメール文化」という乱暴な区分けはできないのです。


これらの法則にしたがって、中国文化を受容し改良した日本をどこで区分けするかと言う点については、大体平安時代が区切りとなってその後は日本文化としての改良になっている、といえるでしょう。そして明治維新前後の西洋文明の受容があり、その改良は現在も続いているといえます。

個別に中国文化から日本文化に切り替わった時点を見てみると
・政治権力 5世紀には中国の皇帝に朝貢し、その威光を借りて権力に正当性をつけていたが、100年ほど朝貢が中断した後、再開された遣隋使では、有名な「日出ところの天子・・」という文章があり、この時点で大和朝廷が、大陸の後ろ盾がなくても国の権力を収めていることが伺えます。
 このときの隋の煬帝は返書で「皇帝問倭皇 使人長吏大禮・・・」と倭皇(王ではない)と認めており、政治権力としては日本の文化的独立が6世紀には成立していた、と言えさらにその王朝が現在まで存続していることを考えれば天皇制と天皇の勅許で政権を開く権力構造は「日本文化」と認定しても良いと思います。

・政治制度 日本の王朝は6世紀に成立したとして、しかし遣隋使を派遣することで仏教や法律・建築学・天文学そしてその他の学問を吸収し始めたわけですから、この時点で日本の文化がすべて独立していたと見ることは無理があります。
 政治制度については、この時点から律令法を学び始め、平安時代に大宝律令として完成を見ます。この大宝律令には律令を支えるはずの科挙がなく、またそれ以外にも換骨奪胎したものが多くありましたので、中国の法律を学びながらも日本の風土に合う改良がくわえられていたと言えます。この程度では「文化」とはいえませんが、それから30年程度で「墾田永年私財法」ができ、律令の本筋から離れていきます。
これを「改良」というかはともかく、日本的な風土に合わせた変化とこの法律がやがて武士の発生を促したことを考え合わせれば、8世紀の中庸には日本的な法律文化が形成され始めていた、といえるでしょう。
なお、この墾田永年私財法の法的概念はその後の日本の法律に強く影響を与え、現在でも土地収用に時間と費用がかかる原因になっています。「文化」というのそれぐらいの影響があって初めて「独自の文化」といえるのではないでしょうか。

・宗教 7世紀の大化の改新については一定の疑問があるものの、嵩仏派の蘇我入鹿一派が勝利し、仏教受容に動いたことは間違いなさそうです。これにより日本は「国策」として仏教を輸入しついでに学問も輸入していきます。仏教の受容から1世紀経った8世紀ごろから、各地で神宮寺が建てられるようになっていきます。つまり神社に付随したお寺を建てると言う方法です。
 これには国策となった仏教と、各地の豪族がそれまで信仰していた地域の神とを習合させるものであり、この結果日本は神と仏が同列に並ぶ宗教体系を得ることになりました。この改良を「神仏習合」と呼ぶのですが、これ以降の日本の宗教観は世界のどことも似ていない独自の文化になっていきます。
 しかし、習合自体はそれほど珍しいことではなく、たとえば古代ローマは多神教で各地に道祖神の祠が立っていたものを、ローマがキリスト教を国教化した後、道祖神をキリスト教の聖人になぞらえて、祠を維持したという例もあります。これはキリスト教でもイタリアにしかない独特の文化でしょう。

・学問 まず文字については、万葉仮名からひらがな・かたなかが開発され日本語を表記する形式が整った時点で「日本文化」と言うべきでしょう。その後、源氏物語などの宮廷文学も生まれています。
 それ以外の学問に関しては平安時代までに大学寮が設置され、数学や天文学・薬学・法学などを学べるようになりましたが、基本的には大陸の書物を中心にしていたようです。
 それが武家政権の鎌倉幕府以降は、もともと庶民である武士階級を中心に学校が開かれるようになり(足利学校など)必要なことを教えるようになっていきました。しかし、江戸時代まで四書五経が中心でしたので、江戸時代の中庸、和算の発達などの例外を除けば、学問が独自の文化として定着したかについては、学問ごとに見るしかないのかも知れません。
 しかし、逆に面白いのは雅楽や宮廷作法などの平安時代までに大陸から輸入されたものが、大陸では長い間に消失し、日本にだけ古来の姿で残っている、ということです。(韓国にもありますが、遺産としてです)
これを日本文化とみるか、大陸の遺産と見るかは難しいところです。

これらをみてみると、どの国、地域でも文化が周辺の大国から流れてくるのは間違いの無い事実でしょう。しかし、それをそのまま受容している国家や民族というのはほとんどなく、いずれその地域の風土や生活スタイル・道徳観などと触れ合って、変容していくものです。
その変容が一定のスタイルとしてその民族に世代を超えて伝えられるようになったときが「文化」なのだと思います。

現代でもアニメーションなどは外国で開発された手法であるのに、すでに受容してから100年以上経ち、手塚治や富野 由悠季・宮崎駿などの天才たちを通して日本的なアニメになっています。これは明らかにディズニーアニメとは違いますし、他の国でまねしても同じものが作れるわけではありません。
アニメ自体が日本的な手法や考え方、そしてそれらを産業として支える仕組みによって、独自のものになっているからです。

こういうのを「オリジナルの文化」っていうんじゃないでしょうか。

>日本文化における中国文化の影響、
そして、日本文化とは一体何を指し、他の文化と区別する意味は一体何のためなのか、
教えていただければと思います


「文化」というのは、そもそもの元をたどればオリジナルは決して多くはありません。せいぜい古代の4台文明ぐらいが文化の発祥といえるぐらいでしょう。後は、アメリカ大陸のマヤ民族やネイティブ・アメリカンあたりが独自の文化でしょうか。

そうなると、中国の周辺である、日本や朝鮮半島・モンゴル・ベトナムは中国の文化圏ですし、タイやインドも影響を...続きを読む

Qアメリカから入ってきたもの

「コーラ、ハンバーガー、野球、ジーンズ」などアメリカから日本に入ってきたものがありますが、他にどのようなものがあるのでしょうか。おそらく日常生活の中に溶け込んでしまっているものがあるのではないかと思いますが、ご存知の方がおられたら、回答お願いします。

Aベストアンサー

日本は今アメリカの被支配国ですからねえ。

ポピュラー音楽なんて(特にロックとジャズは)半分以上そうだし、インターネットもそうだし。

男の子のピアスなんていうのもそうか。

ただし元は英語でもアメリカじゃなくてイギリスの場合や、一般的にヨーロッパ文化の場合もあるので区別すると、結局第2次世界大戦後、日本に入ってきたものが中心かと。

テレビとテレビ文化。
No.2のかたがラジオを挙げておられますが日本の意識としてはアメリカというより西洋文化でしょう。
ただしラジオのDJとかリクエストはアメリカでしょうね。
視聴者参加番組なんてのもそうですね。あと。CMももとはそうか。
アニメーションもアメリカ、というか特にディズニーの影響が大きいのは確かです。

スポーツでは3大アメリカンスポーツ、野球のほかにバスケットボールとアメリカンフットボール。
スポーツではないけどプロレス。

いくらでもあります。

Qなぜ中国は人口が多いのですか?

数千年前に急激に増えたのでしょうか?
SEXの好きな民族だったのでしょうか?

Aベストアンサー

 
  基本的に幾つかの理由が輻輳しています。
 
  1)まず、中国は、黄河・揚子江を擁し、肥沃な大平野があり、古来より、麦・米の栽培による灌漑農耕があり、「四大文明」の一つだともされています。二千年乃至三千年以前から、肥沃な土地にあって農業を営み、養える人口が、他の地域よりも多く、結果的に、古代から人口過剰になっており、農耕地をどんどん拡大し、揚子江南岸の三国志時代の呉などの地域は、あまり農業生産性が高くなかったのですが、ここも農耕地に変え、食料生産能力を高度に上昇させました。そのため、古代、二千年とか辺りからすでに人口問題があり、周期的な大戦争や天災で、死んだり、餓死したりで、人口調整がなされていたとも云えます。つまり、昔から、中国は人口が多かったのです。人口密度も高かったのです。
 
  2)上の周期的な人口減少があるということは、それを回復するための努力や、また自然に回復する理由があったとも云えます。その理由の一つは、中国の社会が、農業文明であって、農業文明では、人口調整は自分たちでは行わないのです。つまり、生まれる数だけの子どもを育成しようという文化慣習があります。この結果、戦争・天災などで、減った人口はすぐに回復するということが繰り返され、また、このような経験を蓄積した文化として、「子どもはできるだけ多数造る」というのが、歴史を越えて、文化の基底習慣にもなってしまいました。
 
  3)もう一つの理由として、中国の社会の構造があります。中国は、大家族制社会で、もう一つ大結社的社会でもあるのですが、中国の歴史上の争い、戦争や政争などは、大家族・大結社の規模や、どれだけ、それらを糾合できるかで決まりました。従って、大家族は、人数が多いほどよいというので、農業文化の基本である、子どもは造れるだけ造るという原理以外にも、社会的競争の結果、大家族集団では、育てることのできない子どもは、力ある、大家族の別の家族が引き取り養うという形で、単に、農民家族が多くの子どもを育てるというだけではなく(これだと、個人家族の限界が出てきます)、大家族共同体が、そのなかで、多数の子どもを再生産するという、大共同体レベルで、多産多育成を可能とする社会機構があったので、そういう機構がない農業社会に較べ、多数の子どもが、成長し得たということで、人口増大がすぐ起こったのです。
 
  4)あまり説明が長くなるのも困りますから、もう少し簡単にしますが、次に、社会の「近代化」という問題があります。農業生産を基盤とする社会は、可能な上限まで人口を増やします。国連が食料を援助すると、その援助分だけ、人口が増えて行ったりします。しかし、先進近代国家は、人口減少へと現実的に向かっています。この理由は、高度文化社会となると、餓死の心配などはなくなり、国家の国民支援も、制度的に保証され、子どもをたくさん造って、家族や自分たちの「保険=保証」にしようという必要がなくなることがあります。また、高度文化においえ、義務教育他高等教育も普通となり、生活費用も高くなり、一人の子ども成人させるのにかかる費用が大きくなって行き、多くの子ども育てるということが、合理的でなくなってきます。不可能になるとも云えます。国民全体が、餓死などない、相応に豊かな生活水準になり、義務教育の普及が90%を越えて来ると、こういうことになり、人口増加は逆転して人口減少になります。これが先進国の実状です。
 
  5)現在の先進国も、1世紀前には、実は、人口増大していました。先進国はどこもかも、産業化の時点から較べて、数倍から十倍ぐらいの人口に増え、その後、増加は停止し、減少へと転じます。このパターンからすると、現在世界の後発国は、産業化をすすめ、教育の普及などを進めていますが、この結果としての人口増大があります。衛生思想や技術の普及で乳児死亡率が低下し、人口増大へと転化した国も多数あります。中国もそうであり、1世紀前に較べ、第二次世界大戦などを経過したにも拘わらず、産業化・先進化の歩みの途上の人口増加を経験していると云えます。
 
  インドやバングラデシュや、アフリカなどの人口増加はどうなるのかは、主に第五の理由が共通しています。その他には、インドには、また固有の事情があります。とまれ、中国は、先進国化してしまえば、人口増加は停止するはずですが、「先進国化」というのは、文明の展開で、最初に突破した少数の国々・地域だけに可能で、後発諸国は、そういう可能性はないのではないかという可能性もあります。つまり、中国が近代化・先進化する見込みはないという可能性が高いです。先進化への開始から、実現までのあいだに、日本・欧米で、数倍から十倍ぐらいの人口増加と言いましたが、その数字からすると、中国が近代化を進めて行く過程で、いまから、農業国であった理由での人口増大とは別の要因の人口増大が加わって、まだまだ、増えて行くと考えられます。
 

 
  基本的に幾つかの理由が輻輳しています。
 
  1)まず、中国は、黄河・揚子江を擁し、肥沃な大平野があり、古来より、麦・米の栽培による灌漑農耕があり、「四大文明」の一つだともされています。二千年乃至三千年以前から、肥沃な土地にあって農業を営み、養える人口が、他の地域よりも多く、結果的に、古代から人口過剰になっており、農耕地をどんどん拡大し、揚子江南岸の三国志時代の呉などの地域は、あまり農業生産性が高くなかったのですが、ここも農耕地に変え、食料生産能力を高度に上昇さ...続きを読む

Q日本語の特徴

大雑把でいいので、日本語にはこういう特徴があるとか、こういうところが面白いんだ、という項目を教えてください。
今まで考えたのは(1)日本語は省略できる。(2)日本語は多彩な形を持つ(漢字、ひらがな、カタカナ)(3)日本語は断定を避ける傾向がある。

これ以外に何かありましたらよろしくお願いします。

Aベストアンサー

 日本語の特徴は数え切れないほどあげられると思います。

 まず世界の中で日本語を話す人口が非常に多いこと。1億2千万人余という日本人の人口以外にも海外でも学ばれる傾向が近年特に大きい言語です。日本語を使う人口は世界で6番目に多いそうです。ただし実際に海外で使われているかというと英語などの主要言語に比べてその日本国内での使用人口に対する海外での使用割合はきわめて少ないのも事実です。

 論理的な言語であること。外来の学術用語など比較的簡単に移植できます。もちろん先人のたいへんな努力があってのことですが、明治のはじめのころから自国語で大学の教育ができたのは世界の中でも希なことであったといいます。外国のある言語学者の分類によると日本語は論理的記述に適した言語のトップ集団に位置するそうです。

 バリエーションが豊富なこと。同じ日本語でも話し言葉のレベルでは地域によって大きな差があります。ヨーロッパでは他言語と分類されるような特徴の違いがあっても一つの言語としてくくられています。

 母音と子音のマトリクスによって比較的簡単に発音の種類が把握できること。もちろん完全なマトリクスではないにせよ、系統だった発音の把握が簡単です。つまりアカサタナとアイウエオの組み合わせで発音の体系ができあがっているということで、非常に合理的と言えます。このマトリクスの中にあれば歴史的に日本人が使ってこなかった発音すら表記できます。

 シラブル(音節)の数が他言語に比べて非常に少なく、そのため同音異義語がとても多いのです。また発音と文字表記が密接な関係があります。例えば英語ですと、"tough","through","thought","ought"などなど同じ表記でも発音が違うことが多いのに日本語に関してはそういうことがほとんどなく、基本的に文字で表記されたものですべての日本語の使用者が間違えることなく同じ発音ができます。

 例えばフランス語で言うリエゾンが現代日本語であまり見られないこと。つまり前の発音の影響で次の発音が影響をうけるようなことが現代日本ではあまり見られないということです。例外として「観音」などですが連濁の現象とあわせて現代語ではますますその傾向が大きくなっています。

 同じ母音の連続を気にしないこと。"Ymagata"とか"Asamayama","anatagata"とか同母音の連続を特に気にしない傾向があります。

 形容詞の数が少なく、感情表現において他言語からの移植や「的」「性」の使用で自由に形容詞的表現が増殖すること。

 人称表現が豊か。例えば「私」という人称表現ですが英語では"I"だけですが、立場や状況によってたくさんの表現があります。「俺」「私」「わたくし」「小生」など聞いただけで話主の立場やその状況が瞬時に想像できます。

 外来語の輸入が比較的簡単ですが、「彼女」といった単語だけではなく関係代名詞を直訳した「~ところのもの」といった構造を持ったイデオムですらいつのまにか日本語に入り込んでいるくらいです。

 擬態語や擬声語が多く、そこから転化した言葉も多いといえます。「ひょっとして」などが該当すると思いますが、擬態語、擬声語からの造語力が強力であることは言えます。

 肉体表現が貧弱で特に病気の名前などは大和言葉で表現されるものは圧倒的に少ないと言えます。これに対して心理表現は非常に豊かで他言語使用者が日本語を習得する上で大きな困難となっているようです。例えば「気」を使った言葉が非常に多く、「気がおけない」「気になる」「気がひける」など微妙な心理表現を一語に負わせていて、外国人にこの「気」という言葉を説明するのに一苦労します。

 数字と発音の組み合わせが柔軟で、一定の率を持った発音化が可能。かけ算九九や「富士山麓オーム鳴く」など日本語ならではの表現ができます。英語では例えば円周率を覚える際は"Yes,I have a number…"というように単語に含まれる文字の数で覚えると言ったことくらいしか思いつきません。

 語彙が豊富ですが、総じて他言語からの学習者に不利になっています。アメリカ国務省の分類によると、日本語はアメリカ人にとってアラビア語などと並んでもっとも習得がむずかしい言語のグループに分類されるそうです。

 以上昔読んだ金田一晴彦著「日本語」上下巻(岩波新書)が脳裏にあっての文章ですが、今手元にない(友人に貸して返ってこない)ので興味がおありでしたら一読をお勧めします。

 日本語の特徴は数え切れないほどあげられると思います。

 まず世界の中で日本語を話す人口が非常に多いこと。1億2千万人余という日本人の人口以外にも海外でも学ばれる傾向が近年特に大きい言語です。日本語を使う人口は世界で6番目に多いそうです。ただし実際に海外で使われているかというと英語などの主要言語に比べてその日本国内での使用人口に対する海外での使用割合はきわめて少ないのも事実です。

 論理的な言語であること。外来の学術用語など比較的簡単に移植できます。もちろん先人のたい...続きを読む

Q大さじ一杯 小さじ一杯って・・・

それぞれ何グラムぐらいなんですか?困っています教えてください。私はさじを持っていないので測れないのです

Aベストアンサー

重さは量るものによって違いますが、
大さじ一杯=15cc
こさじ一杯=5cc
です。

Qユダヤ人はなぜ迫害されたのですか?

先日オランダへ旅行に行った友人がアンネの日記でお馴染みの家を見学に行ったらしいのですが、ユダヤ人が何故迫害されるようになったのか疑問のまま帰国して僕に聞いてきました。僕なら知っていると思ったらしいのですが、僕はこの何故?に対して全くの無知でした。ご存知の方、ぜひ教えて下さい。

Aベストアンサー

起源をたどるとローマ帝国の皇帝がキリスト教徒になり、キリスト教を国教にしたころまで遡れるそうです。
キリストを処刑したのはローマの執政官だったのですが、それではローマ帝国が悪いということになってしまいます。
そこで教会はユダヤ教徒(=ユダヤ人)が執政官に強硬な働きかけをしたために、ローマは「しかたなく」殺してしまったということにしてしまいました。
何世代もそういう教えが伝えられた結果、「ユダヤ人はキリスト教の敵」ということが常識になってしまいました。
そのことも関係して、ユダヤ人は金貸しなど当時身分が低いとされた職業にしかつくことが許されていませんでした。
(それが原因でユダヤ人の多くが金持ちになってしまいました。これもユダヤ人に反感を持たれるようになる原因の一つです)
金を借りて返せないと逆切れして暴力をふるう人は今以上にいたのですが、その大義名分として先の理由がつかわれるようになります。
こういう騒ぎが暴動に発展して、ユダヤ人が略奪&虐殺されることはナチス以前から多くあったそうです。

このような状態が1000年以上も続いたのですから、「ユダヤ人を迫害してもあまり問題は無い」という悪しき文化がうまれたのでしょう。
ユダヤ人に対する差別や迫害はヨーロッパ(というよりキリスト教圏)全体でよくあることだったそうですが、その中で一番激しかったのがドイツのあたりだったそうです。
(これには神聖ローマ帝国などが絡んでいるらしいのですが、面倒なので省略)。

第一次世界大戦後の混乱を利用してナチスが成り上がるために利用したのがこういった差別意識(+自分たちは選ばれた人種なのだという選民意識)です。
「戦争に負けたのはユダヤ人が悪い」など、現在の某組織のように敵を作ることでドイツを自分たちの都合のいいようにまとめようとしたのです。
後はよく知られているように、資産の没収、強制収容、虐殺という流れになって行きます。


という内容の本を昔読んだことがあります。
記憶で書いているので、内容の正確さについては自信がありませんが、おおむねこんな感じだったと思いますよ

起源をたどるとローマ帝国の皇帝がキリスト教徒になり、キリスト教を国教にしたころまで遡れるそうです。
キリストを処刑したのはローマの執政官だったのですが、それではローマ帝国が悪いということになってしまいます。
そこで教会はユダヤ教徒(=ユダヤ人)が執政官に強硬な働きかけをしたために、ローマは「しかたなく」殺してしまったということにしてしまいました。
何世代もそういう教えが伝えられた結果、「ユダヤ人はキリスト教の敵」ということが常識になってしまいました。
そのことも関係して、...続きを読む

Qインドから中国に伝わった仏教について

仏教がインドから中国にどのように伝わったか教えてください。伝わったことで中国にはなにか影響とかあったのでしょうか?それから後世どんな感じで発展したのでしょうか?

Aベストアンサー

経路について。
1・1)仏図澄・鳩摩羅什に代表される「西域僧」による仏教東漸。
1・2)法顕・玄奘・義浄に代表される中国僧による仏教移入。
2・1)北回り(西域経由)でのいわゆる大乗仏教。または北伝仏教。
2・2)南回り(海路経由)での上座部仏教。または南伝仏教。

重要なことは、いわゆる阿含系経典(中村元『ブッダの言葉』など)も大乗系経典(『法華経』・『浄土三部経』)も、歴史的成立順とは無関係にインドから中国へと導入されたということです。そのため中国では「教相判釈」と呼ばれる経典解釈学が成立しました。この解釈上の立場によって、どの経典を重視するかの立場が発生し、現在いうところの宗派が発生したと理解していいでしょう。もっとも中国における宗派というものは学派というほどで、日本における宗旨の違いほど厳密なものではありません。
中国の仏教を史的に概観すると、隋唐時代をエポックとしてその前後に分けて考えることができます。それ以前は貴族たちの趣味的な援助を受けての導入期、隋唐時代は国家的な援助を受けての発展期、それ以降は個人の宗教としての成熟期、となるでしょうか。(ここでの「○○期」の用語には学術的背景はありません。筆者の気分です。)
言い換えるならば、隋初に天台智顗による『法華経』を中心とした教相判釈が確立したことをもって中国独自の仏教が完成し、唐代に密教が移入された後、「会昌の廃仏」をもって仏教の興隆が終った、とみなすことができるということです。以降、中国の仏教は禅と浄土との流れにまとまっていきます。
以上、インドから中国にどのように伝わったかについてでした。仏教の中国への影響や、後世の発展の詳細については省略させてください。

経路について。
1・1)仏図澄・鳩摩羅什に代表される「西域僧」による仏教東漸。
1・2)法顕・玄奘・義浄に代表される中国僧による仏教移入。
2・1)北回り(西域経由)でのいわゆる大乗仏教。または北伝仏教。
2・2)南回り(海路経由)での上座部仏教。または南伝仏教。

重要なことは、いわゆる阿含系経典(中村元『ブッダの言葉』など)も大乗系経典(『法華経』・『浄土三部経』)も、歴史的成立順とは無関係にインドから中国へと導入されたということです。そのため中国では「教相判釈」と呼...続きを読む

Q中国語から日本語に定着した意外な言葉

外務省、財務省などの「省」や部長などの「部」、律令制の区分など、中国のすぐれたいろいろな制度が日本に採用されたそうですが、われわれが意外と知らない、「中国語から来て、日本語に採用された単語」を挙げてください。

Aベストアンサー

中国の制度と全く関係ありませんが、「チンプカンプ」も中国語からできた日本語です。
日本に移民して来た中国人に対して、日本人は話しかけたり何かを見せたりしますが、中国人は全部「聴不○、看不○(○は心辺に董)」(TING BU4 DONG3,KAN4 BU4 DONG3聞いてもわかりません、見てもわかりません)で返しています。
もちろん、日本人に中国語がわかるはずもなかったのですが、発音を聞いているうちに何となく馴染んできたようで、今のチンプカンプに至りました。

Q【文化起源の境目】 どこまでが中国文化で、どこからが日本文化なのか?

以前、中国人・韓国人・台湾人の友人と議論していました。

韓国人(パク)「日本発祥の文化って何がある?」
私 「仮名だね。日本民族の古典には万葉集がある。」
韓国人(パク)「仮名?仮名は中国文化の漢字を元に作られらんだよ。漢字を元にしているから、仮名は中国文化だ。
ハングルは漢字など参考にしないで、韓国人が独自で作った。ハングルは誇るべき朝鮮文化だ。
ハングルは世界一優秀な文字だ。(←これが口癖)」

私「醤油は16世紀に和歌山県(紀州)で発明された日本独自の調味料だよ。」
中国人(プーチン)「醤油はおよそ3000年前の中国で発祥したんだよ。醤油は中国発祥だ。」

【醤油のルーツ】
http://www.yamasa.com/soydoc/history/history01.html
http://www.kikkoman.co.jp/soyworld/museum/rekishi/print_rekishi.html


↑の「醤油は中国発祥」の意見を要約すると
「日本の醤油のルーツは醤(ひしお)であり、醤(ひしお)は中国発祥だ。」
と書いています。

中国から醤(ひしお)を輸入していたから、醤油は中国発祥だという説です。
だが、醤(ひしお)らしきものは、日本でも製塩が始まった弥生時代には、すでに作られていたようです。
つまり、醤(ひしお)は中国発祥ではなく、製塩が始まったアジア各地で醤(ひしお)は発見されています。

仮に、醤(ひしお)が中国発祥だとしても、それが日本の醤油のルーツだと言えるのでしょうか?
当時の醤(ひしお)は材料別に、「魚醤(うおびしお)」「肉醤(ししびしお)」「草醤(くさびしお)」「穀醤(こくびしお)」の四種類に大別され、その中でも米・小麦・大豆などを原料とした「穀醤(こくびしお)」が、しょうゆやみその原型と考えられています。
また、当時の中心的な醤は、魚介類を主な原料とした「魚醤(うおびしお)」と考えられており、現在も秋田に残っている「しょっつる」や、香川県の「いかなごしょうゆ」、能登地方の「魚汁(いしる)」なども魚醤が原型になっていると言われています。

従って、先に日本が「魚醤(うおびしお)」を作ったら、タイのナンプラー(魚醤)は日本発祥になるのか?
もっと遡って、タイのナンプラー(魚醤)は中国発祥になるのか?
醤(ひしお)らしきものは、日本でも弥生時代にすでに作られていますが、中国の方が先に作っています。
つまり、中国が一番最初に醤(ひしお)を作れば、世界に知られた日本発の Soy sauceも、タイのナンプラー(魚醤)も中国発祥になるのでしょうか?
日本の醤油は中国発祥でしょうか?


また“仮名”についても同じです。
韓国人(パク)は「仮名は日本文化ではない。」と言っています。
確かに仮名は漢字をくずして作られたものです。
中国から醤(ひしお)を輸入して、そこから日本独自の「醤油」を作ったのと似ている過程です。


“仮名”と“醤油”は日本発祥の文化ですか?
“仮名”と“醤油”は日本発祥の文化ではないのすか?
文化起源の境目はどこでしょうか?
どこまでが中国発祥の文化で、どこからが日本発祥の文化になるのか?
よろしくお願いします。

以前、中国人・韓国人・台湾人の友人と議論していました。

韓国人(パク)「日本発祥の文化って何がある?」
私 「仮名だね。日本民族の古典には万葉集がある。」
韓国人(パク)「仮名?仮名は中国文化の漢字を元に作られらんだよ。漢字を元にしているから、仮名は中国文化だ。
ハングルは漢字など参考にしないで、韓国人が独自で作った。ハングルは誇るべき朝鮮文化だ。
ハングルは世界一優秀な文字だ。(←これが口癖)」

私「醤油は16世紀に和歌山県(紀州)で発明された日本独自の調味料だよ。」...続きを読む

Aベストアンサー

少なくとも素焼きの土器である縄文土器は、発見されているもので言えば日本のものが世界最古級です。
その論法から言えば「焼き物の発祥地は日本である」と言えるでしょう。(実際は、各地でそれぞれに発展したもの)
文化・文明というのはお互いに影響し合って生まれ発展していくものですからこのような議論そのものは歴史学的には不毛です。
韓国では政治的な理由や儒教文化の影響もあって「自国の文化が一番」と考えている人が少なからずいるようです。中国に至っては「中華思想」が伝統ですから....そういう思想に凝り固まっている人に反論しても無駄かと思われます(^^;)。
朝鮮文化だってハングル語以外はほとんどが中国文化の影響で発展したのではないかと思うのですが....。

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

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まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む


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