No.12ベストアンサー
- 回答日時:
前書きー私はシロウトです。
質問者様の投稿文に沿う回答は、多分できかねると思います。でも素人は素人なりに頑張って考えました。できれば最後までお読み下さい。ざっと、以下の質問者側と回答者側のやり取りを拝見しましたが、どうも、このレベルぐらいの話になると「言葉の繊細な概念の違い」が大きく影響するみたいですね。例えば「優位」という言葉も、私は成績と、運動会と、紅白歌合戦にしか使ったことがありません。「優位」とは事実のみの言葉なのか、そこに精神的なものが関係するのか、やはり人それぞれ違ってくると思います。成績や紅白歌合戦にココロがないわけがありません。でも、哲学上は「事実」だけなんでしょうね。そこで私の回答を申しますと、私は、存在と非存在が両立し、片方だけでの成立はあり得ないと思います。我々が仮に「存在する」方に入っているとすれば、「非存在」は我々には見ることも知ることもできません。なぜなら、「存在」(の中の世界)とは程度ですから。少し前に考えていたんですが、我々が「存在する」ことを「プラス」だとしたら、「非存在」とは「マイナス」か、「ゼロ」かという問題。私の結論は、「非存在」はゼロでもありマイナスでもある、同時にゼロでもマイナスでもないとすると「存在」はプラスではない。当然のことですが、そういう問題ではないということは分かるんですが、果たして「存在」の反対が「非存在」か、そこでの「反対」という概念そのものが「程度」か否か、それが分からなかったんです。でもここから察するに、「存在」「非存在」その中での世界は程度であり(「非存在」の 中の世界が程度なのかは私にはまだ分かりませんが)、その二つの関係は程度ではない。すなわち、世の中に絶対といえることがあるとすれば、それは「存在と非存在が両立していること」ではないでしょうか。いやはや、質問者様の投稿文の趣旨と、大分ズレてきたような…。長くなってすみませんでした。
いえ、いえ、投稿していただきたいへんうれしく思います。
「存在」についての思惟が人間にとって最も根源的な思惟であると私は思います。
故に応えにくいこの質問に真面目に投稿していただいたことに深く感謝いたします。
ところで、あるものを別のもの、つまり言葉という曖昧なもので断定しようとすること自体に非常な困難がつきまとってきます。
対話するにもある程度の共通認識が必要とならざるを得ないということですが、唯一無二のパースペクティブなどは有りえないのでいかし方の無いところだと思います。
それはさておき、
論理学の「1、0」の世界の存在論的な意味や、東洋的な純粋無つまり無の優位といったご意見
等も是非お伺いしたいところなんです。
>世の中に絶対といえることがあるとすれば、それは「存在と非存在が両立していること」ではないでしょうか?
存在と非存在を止揚しようとする思想だと思います。ややこしく言うと絶対的な絶対者つまり普遍的絶対者の思想いうことになるかと思います。
たいへん貴重なご意見ありがとうございます。
「存在」というものについて皆様がどうお考えになっておられるのかお聞きしたいというのがこの質問の意義ですのでまたどんどんとご意見をお寄せいただければ幸いです。
No.21
- 回答日時:
朝の頭の体操。
あくまでも、一般論として書き込みますが、
そもそも、「存在」そのものが難解と言うことではないでしょうか。
カントの存在からして三つのカテゴリーに区別されていますし、ハイデッカーやスピノザと言った「実存」、「存在」にまっわる概念の氾濫が、逆に「存在」を理解の彼方に押し込めているような気がします。ベルクソンは常識に戻ることを強調しますが、哲学者は新しい概念を発見することが使命とするドゥルーズは、存在は差異と「差異そのもの」と。『無人島』なんか、さっぱり判らず、放り投げた記憶があります(笑。
おそらく、カントは世界を「言語」を通して説明し尽くす事を望んだのかもしれませんが、ところが、そもそも、言語は理解するためではなく、行動に無用な物を排除する為に生まれてきたのかもしれません。
カントの独我論と言語の不確実性を踏まえて、それでも理解しあおうとすることは、美しいのではないでしょうか。
結局、「美しい」と言う言葉を使って、判ったつもりになるだけです(笑。再見!
この回答への補足
私がお聞きしたいことは、例えばハイデガーなりスピノザなりが有と無どちらを優位に置いたかという説明ですよ。
思想家の有と無の思想をお伺いしたいということです。
それ以上何が問えますか?
No.20
- 回答日時:
う~む、『チョッと~ずるいですよ(苦笑を伴う)』
無前提に存在と非存在を並列して、その関係を問いながら
カントの純粋統覚や先験的統覚を持ち出すのですか?
カントの存在には三っのカテゴリーに別れていません。
確か、「超越論的存在」と何やら有った様な気がしますが。
カントの哲学に沿った回答をご希望なら、
いやいやながらも、その旨を、表現する必要がありませんか(笑。
「『統覚』は全ての表象に伴えなければならない」でしたか。
質問の趣旨を無視して、書きたい事を書けば、
哲学の専門家や少しでも哲学のことを知っている人から罵倒されそうですが、
カントの「純粋統覚」とベルクソンの「純粋記憶」=似て居ません。
「『統覚』は全ての『表象』に伴えなければならない」
『イマージュ』は、物質としての知覚と精神としての『記憶』の混合物。
あっと、最後の一行、私の混合物です。
ハイデッカーも知らない人はお呼びでない、サイデッカー。失礼しました。
この回答への補足
>無前提に存在と非存在を並列して、その関係を問いながら
カントの純粋統覚や先験的統覚を持ち出すのですか?
サッパリ分かりません。
どういう意味ですか?
う~ん、私には#19さんの自信ありのアドバイスが何を言っているのかサッパリ分かりません。もしお分かりであれば解説していただければ助かります。
なにぶんこちらも全くの素人ですので。
No.19
- 回答日時:
こんにちは(^^
早速ですが、思うところを述べさせていただきます。
我々が存在を認識するときには、認識主体と認識対象という、二者相対の関係が浮かびますが、このとき、認識対象は、事物であれ事象であれ、「何らかの存在」であって、存在そのものであるとは言い切れないところがあります。もちろん、なんらかの存在である以上、存在そのものであるところを含んではおるでしょうが、まったく純粋に、存在そのものであると言い切れないと思います。なぜなら、その、なんらかの存在である対象を、認識する主体の方もまた、認識する、「とある存在」ではないのかという疑問の余地があるからです。
存在ならざるところから、「あれが存在である」と、指・し・示・す・こ・と・が不可能である以上、非存在を語る以前に、我々は、存在が何であるかをそもそも分かっていないと言わざるを得ません。いえ、主体の側からでは、分かりようがないということを、分かっていないともいえます。
認識主体と、認識対象が、同一でもない限り(仮に、主体が主体そのものを認識しようと試みることにおいてでも)、存在そのものを知りうることは、ならないのではないでしょうか。そこが、この問いの難しいところであると思います。
No.18
- 回答日時:
お邪魔します。
#16様の興味深い回答に、つい、でしゃばつてしまいました。
決して議論したいわけではありませんので、好意的にご理解いただければ幸いです。
さて、不安定に対する欲求は些細な語義を無視すれば同意以上=独創的で参考になります。
問題は、「欲求していない」を非存在とすると、存在論ではなく認識論に成ってしまうのではないかと言う危惧ですね。ご質問者様も無前提で「存在と非存在」を並置していますから、間違いとまでは言えませんが、認識論の立場で存在に言及しても、結局対象の存在を言及するだけで、認識の主体の存在に対して述べる権利がないのではないかと、不安になりますね。
#16様のご回答で触発された要点は、認識論と存在論の常識的混同と表現できるかも。
誤解を恐れずに、解りやすくするために比喩を使います。
例えば「戦国自衛隊」とか言う映画有りましたね。戦国時代に戦車が現れるあれ。
よく考えると、おかしな話です、私たちの常識は、「戦国時代」と言う過去が、現在われわれの住む場所とは違う空間を占めて何処かに存在しているような錯覚を持っているのではないかと言うことです。
確かに過去は存在していましたし、宇宙が扁平な楕円型も事実でしょうが、実際に丸い地球を見た人は多くは有りませんが、殆んどの人が、地球が丸いと信じているのは、存在論ではなく認識論が混入しているのではないだろうかと言う思いです。
結局、認識論の混入を受けない存在論は不可能では?独創的なご回答に思わずでしゃばってしまいました。
質問者様に成り代わり、皆様の面白いお考えがお聞きしたいですね。
mineosan様、質問の意図とズレましたか、大変失礼いたしました。
この回答への補足
事実の認識は、その概念枠組のなかでの「事実」であるということだと思います。自然科学の分野ではしばしば理論の転換といったことが起こりますね。
それは概念枠組の転換、パラダイム転換ということですね。
対話には共通の概念枠組が不可欠なようです。
ハイデガーの指摘どおり、
純粋理性批判、第二版193P、一切の総合的判断の最高原則について、が重要だと思います。
本日はこれにて。
No.16
- 回答日時:
おっとり刀で恐る恐る参加させていただきます。
「存在」とは、「欲求の具現化(あるいは抽象化)」と言えるように思います。
欲求の対象が伴うので、その意味で不安定。ゆえに保存が必須となります。
「非存在」ー凡人としては「存在に非ず」と素直に受け取るしかないのですが、そうだとするとこれは「欲求していない」という意味で非常に安定した状態と言えるような気がします。
無論、存在することを希求する人間にとっては「保存」することを優位と捉えたいところですが、「欲求を知る前の非存在」、あるいは「破壊の果ての非存在」こそが実はその「安定性」ゆえに優位ではないかと感じます。
う~。こういうこととも違うのかなあ。
だから、怖かったんですが・・・。
この回答への補足
こちらの方が怖いですよ。
的を得たご回答ありがとうございます。
できればもっと詳しく無の形而上学についてお伺いしたいんですよ。
暇があれば宜しくお願い申し上げます。
No.15
- 回答日時:
再度、投稿させて頂きます。
お礼文で質問者様が仰られていた{論理学の「1、0」の世界の存在論的な意味や、東洋的な純粋無つまり無の優位といった}という文章の意味がよく飲み込めないんですが、できれば説明していただけませんか(回答側が何をしてるのか…)。それと、{存在と非存在を止揚しようとする思想}についてですが、(国語辞典で「止揚」を引いてやっと分かったんですが、)少し前、キリスト教の教会に行って、哲学めいた話をしていたので、たぶんそのときに貰ってしまったものでしょう。言われてみれば、確かに止揚していました。
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