人生最悪の忘れ物

平等 と 対等 って、似ているようで違うような気がします。辞書も3冊ひいたのですが 明確な違いがわかりません。
英語では 両方とも、equalityのようです・・。

平等は、法律用語のようなきもします。
(憲法で対等とは書いてないようですし・・。)

違いはないのかもしれませんが・・。

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教えて!goo で、たまに 夫婦間のもんだいについて、ご回答させて戴くのですが
・夫婦は平等でしょ
・夫婦は対等でしょ
で、ニュアンスが異なるのか 同じなのか 考えてしまいました。

A 回答 (4件)

以下は感覚に基づく仮説ですが・・・



AとBは平等だ,というとき,そこには,AとBとは異なるフィールドに立っている第三者Cの存在が想定されている気がします。Cは例えば,法であったり,神であったり,親であったり・・・します。

このように,「平等」というのは,当事者以外の第三者が当事者を扱うときに,その扱いが等しい,という内容を含んでいるのではないでしょうか。

これに対し,「対等」の方は,AとBとの実力,地位,等々が等しいという意味に過ぎず,第三者を想定しなくても物語が完結する気がします。「法の下の対等」がおかしく感じるのは,そのせいではないでしょうか。

夫婦は平等,という言い方は,例えば法の下で両者は等しく扱われる(べき)という意味で用いられるのに対し,
夫婦は対等,という言い方は両者はいずれも重要で(例えば)家庭のマネジメントに等しく貢献している(べき)という意味になるように思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうそう、平等は 上?超越したもの??が存在しているような気はしていました。
西洋なんかだと 「神」ですよね。(憲法ももともとは神のもとですし・・。)
平等は日本には もともと 無い概念なのかもですね・・。

「夫婦は対等だから」って書く人(私なんかそうなんですが)
「夫婦は平等だから」と書く人いますが ニュアンスが異なるような気がして・・・。

こだわる必要は無いのかもですが、難しいです・・・。

お礼日時:2006/01/10 11:10

>ところで、


平等は 法律用語なんでしょうか?

法律専用の言葉ではありませんが、法律や政治関係でよくつかわれるため、なんとなくそういうイメージがあるのだろうと思います。「法の下の平等(憲法14条)とか、「自由・平等・博愛」(フランス革命のスローガン)とかありますから。

対等について、「このグループでは、皆が対等な関係を前提として下さい」というのは、グループ内のどの特定の2人についても互いに同等である、という意味で使うなら問題はありません(私ならそう解釈します)。全員が同様の水準の権利を持つ、という意味なら平等の方が良いような気がします。
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この回答へのお礼

再度 ありがとうございます。

(結局 日本語に訳している言葉なので)
「平等」と言う言葉(概念)が、江戸時代より以前にあったかと言うところですよね。
日本が法治国家になってからの概念なのかなぁ?
(対等もそうだったりして・・。)

人数を増大してゆけば、「この国では、皆が対等な関係です」とも言えるわけですよね・・・。
もしかすると、
対象人数の規模によって
対等と平等の使い分けがされている?
のカモ??

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ご回答にいちゃもんをつけているわけではありません。
もし、不愉快に感じられましたら 申し訳ございません。

お礼日時:2006/01/11 08:37

対、という字は向かい合う、という意味の文字です。

だから3人以上で対等、ということはありえません。
これに対し平等の平、というのはつまりレベルをそろえる、の意味です。
ですから2人以上に使えますが、2人につかうと少々大げさな感じがするのは、それが法律用語でもあるから、ということですね。
つまりもっと大人数である場合を想定している(ことが多い)言葉でもある、という点でしょう。しかし使って悪いわけではないと思いますが。ただ、法律を持ち出しているようで角が立つかもしれませんから、2人の場合使わないほうが無難かもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

2名を越える人数でも、(職場などで)
「このグループでは、皆が対等な関係を前提として下さい」
と言ってしまうことがあります。
私が 間違えて使っているのですね・・。
(2名ずつが対等で それを 前提として 全員が対等と
なるのかもしれませんが・・。)

ところで、
平等は 法律用語なんでしょうか?

お礼日時:2006/01/10 11:06

対等だと対(つい)なので、多くは二元的で立場などの事象を比較する際に用いられるのではないでしょうか。

個体そのものに意識が向いていると思います。

立場的に対等はありえますが、物質を対等に分け合うとは使いません。子供たちにお菓子を対等に分けました。って、何か変に感じませんか。子供たちの存在を対の関係とみなして比較して、等しく振り分けるに違和感を覚えます。何をいったい比較しているのでしょうか。自分と子供が対なのでしょうか、子供と別の子供が等しいのでしょうか。

夫婦間の場合は平等=対等を意味している事に、暗黙の了解がありますが、平等はその人の価値に関係なく平坦な関係の事で、何かを比較する指向性を表面的には感じません。一方で、対等は比較している指向性を前面に押し出しています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

おっしゃるとおり、
対等は、個体そのものに意識が向いているようなきもしますです。

でも 個体そのものに意識が向いていないのか?と問われると そのとおりとも言い難いようなきがしています・・。

物質は、「均等」に分けるとなると思います。
こども達にお菓子をお互いが対等(な立場)となるように分けた
と言う、表現はあるような気がします・・・。

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私も、「意識」「気持ち」などが 「対等」にはより強く含まれているような気がするのです。
が、逆に「平等」には 含まれていないのか?となると 自信が無い状況です。

お礼日時:2006/01/10 11:01

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