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自然科学の一種である天文学と宗教であるキリスト教の教義は異質なものであると思います。しかし、なぜ
ガリレオは地動説をとなえたことにより、宗教裁判にかけられたのでしょうか。アリストテレスの考え方とキリスト教にはどのような接点があったのでしょうか。

また、近年、ヨハネ・パウロ2世が地動説に関して非を認めましたが、なぜこれほどまで時間がかかったのでしょうか。

教えて下さい。

A 回答 (5件)

 ガリレオは木星の衛星を発見したことにより、コペルニクスの地動説を支持しましたが、当時の学者は木星の衛星の存在を認めなかったそうです。

つまり「あるはずないものは存在してはいけない」という考えからです。対してカトリックはガリレオの功績を認め、特別にローマ教皇の拝謁など歓待しました。
 ただし、ガリレオが自説を絶対真理と発言するようになったことで、カトリックは「ひとつの仮説」とするように忠告します。また地動説と天地創造を結びつけるような発言もあったため、地動説の研究を禁止する布告をしますが、これも教会内での話であり地動説自体を否定するものではありません。コペルニクスの書物も「ひとつの仮説」と但し書きがある分には閲覧可能でした。
 異端審問も学閥争いのために、カトリックの権威を利用しただけであって、地動説自体は直接の理由ではなかったと考えられています。バチカンも何度も天動説学派を刺激する言動を慎むよう和解勧告を行っています。
 それにもしもカトリックが地動説を認めずガリレオを真の異端者と判断したのであれば、火刑は免れなかったでしょう。最終的には終身禁固との判決を受けますが、次々に減刑され実際は特定に日に教会で懺悔することを義務付けられました。とはいえ、ガリレオからすれば屈辱的な出来事であったのは違いありません。
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この回答へのお礼

御礼が遅れすみません。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/29 02:51

 例えば地動説を称えたコペルニクスは同時にカトリックの司祭でした。

地動説の発表をためらったのも、自説が誤りであった場合、カトリックの名誉を傷つけるのではという心配からでした。そして、ローマ教皇グレゴリオ13世は、このコペルニクスの学説を元にグレゴリオ暦を編纂しました。
 惑星は恒星の周囲を楕円軌道すると発見したのはケプラー(コペルニクスの弟子)ですが、彼の書物がバチカンより禁書処分を受けても、そのことを理由に迫害はされていません。それ以前に当時のローマ教皇の権力はイタリア国内にしか及びません。特にケプラーの説はコペルニクス説の不備を補完したため、地動説の懐疑的であった他の学者も支持するようになりました。
 カトリックからすれば自然科学が宇宙の構造を解き明かすことによって、神の偉大さが証明し、また聖書やカトリックの教義を否定しない限り、別段問題はなかったのです。ただし、ガリレオ裁判が極めて異例な裁判であったために、カトリックが地動説を迫害したと誤解され、また地動説に対してタブー視する風潮が生まれたのは事実でしょう。
 
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この回答へのお礼

御礼が遅れすみません。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/29 02:48

 ガリレオは地動説を唱えたことで裁判にかけられたのではなく(地動説自体はコペルニクスなど、ガリレオ以前から存在します)、天動説学派との学閥争いによってかけられた、いわゆる謀略裁判との説が有力です。

というのは当時の学者は「伝統的学説をどれだけ学んでいるか」が重要であって、実際に観察・実験し検証するというのは重要ではなかったからです。ですから、ガリレオのような学究方法自体が、当時の学者からしたら異質な行動でした。
 教会からしてみれば天地創造や聖書の否定さえなければ、地動説・天動説の論争自体は管轄外のことですが、天動説学派がガリレオは「キリスト教の異端である」として起訴されたので、裁判にかけざるを得なかった。また教会も何度もガリレオに天動説学派を刺激するような行動を慎むよう、和解を求めたがガリレオ自身がそれを受け入れなかったため、結果的に軟禁状態の晩年を送ることとなったようです。

「ガリレオ・ガリレイ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA% …

 ヨハネ・パウロ2世はこの裁判が不公正であり、ガリレオの名誉を傷つけたことの非を認めたのであって、地動説・天動説論争とは関係有りません。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA% …
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございました。

ヨハネ・パウロ2世はこの裁判が不公正であり、ガリレオの名誉を傷つけたことの非を認めたのであって、地動説・天動説論争とは関係なかったのですか。はじめて知りました。

お礼日時:2006/01/18 17:55

旧約聖書のヨシュア紀第10章に、「ヨシュアが神に太陽の動きを止めて欲しいと祈ったら、太陽は動きを止めた」と書いてあるんです。


宗教改革者のマルチン・ルターがローマ教会を攻撃するときに地動説を槍玉に挙げたので、ローマ教会も地動説を罰しないわけには行かなくなってしまいました。
要するに聖書に書いてあることと違う説を唱えることがガリレオの時代には許されず、どこの世界でもそうですが、一度下った判決を修正するのは難しい、ということでしょう。
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この回答へのお礼

旧約聖書のヨシュア紀第10章のことははじめて知りました。このような背景があったのですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/18 00:07

自分の思ったことです。



中世くらいまでは宗教が絶対であり、
現在の人と比べて深く心のよりどころとなっていたのだと思います。
したがって、生活のほとんどが宗教に基づくものであったと思います。
そして、宗教からはずれることはすべて異端として
認められていなかったのです。

キリスト教とは全知全能の神がすべてを作ったのであり、
人も、動物も、大地もすべて神がつくったと考えます。
なので、神が作ったこの地球こそがすべての中心であり、地球が何かの回りを動いているなどということは
当時の宗教観からは大きくはずれていたのだと思います。

もちろん、今は科学も発達していますので、宗教で信じられていたことが誤っているとわかっているものも多くあります。
例えば進化論などですね。

つい最近までヴァチカンで地動説が認められなかったのは
キリスト教のトップが間違えを認めることがとても大きな影響をもっているからだと思います。
何と言っても世界に何億というキリスト教信者がいます。中には極端な原理主義者もいるかもしれないですしね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
ご意見に納得されるところが多くありました。

お礼日時:2006/01/18 00:03

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