女官制度について調べているのですが、文献の中に「内廷」と「外廷」という用語が出てきました。
それが意味することはわかったのですが、いつ頃から使用され言葉なのでしょうか。
教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

私は中国の北京出身で、前、北京に居た時に観光ガイドの仕事をやりましたから、ちょっと自信があります。

(笑)
北京の紫禁城の中でも、「内廷」と「外廷」の分けがあります。「外廷」というのは皇帝が国政をする場所です、そして、大臣達が皇帝に国家の事情を報告する所です。「外廷」は基本的には皇后と妃子が入っちゃいけない所です。そして、「内廷」というのは皇帝そして皇后、妃子達の住む所です、御花園があって、雰囲気も「外廷」と全然違います。
チャンスがありましたら、ぜひ、行ってみてください。
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この回答へのお礼

体験に基づく具体的な回答ありがとうございます。
なるほど、古代日本の制度が大陸の制度を模したと言われているだけに、同じ言葉があっても不思議ではないはず。
機会があれば行ってみます。

お礼日時:2000/12/18 11:29

「内廷」=内庭、「外廷」=「外朝」=君王の国政を聞くところの意味でしょうか。


 この意味で使用されたのなら、中国の古代、遅くとも、「周」王朝にはあったはずです。「殷(商)」王朝やその前の伝説の「夏」王朝時代にまで遡るかもしれません。
 不確かな回答で申し訳ない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
調べてみる価値は十分あると思われますので、早速その辺りの文献を探してみます。参考になりました。

お礼日時:2000/12/16 11:13

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Qいつ頃から人類は生水を飲まなくなったのでしょうか? 

いつ頃から人類は生水を飲まなくなったのでしょうか? 
ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教授頂ければ幸いです。
宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

今でも飲んでますけど?
日本国内でも地方に行けば今でも井戸水を飲んでいる地域があります
(日本国内の上水道普及率はまだ100%ではありません)

上水道の普及の事を仰っているのでしょうか
史上に残る物の古くはローマ時代にまでさかのぼります
近代的な濾過した水を飲用するようになったのは1805年のイギリスの緩速濾過池による浄水が始めとされています
このころはイギリスを始めヨーロッパ各地で疫病が大流行しており、多くの街では大勢の死者をだしていました
しかし、この浄水を飲用する街での死者の数が劇的に低いことから濾過により飲料水から病原菌を除去することができると考えられ普及し始めたと言うことらしいです
(事実、緩速濾過池の生物膜によって多くの病原菌を除去していることが確認されています)

繰り返しますが、今でも生水を飲む地域はたくさんあります

Q人類はいつから言葉を使っているか

初歩的な質問で恐縮ですが……

人類はいつごろから言葉(文字ではなく、口頭)でコミュニケーションをするようになったのでしょうか?

Aベストアンサー

 
  これは、初歩的な質問などではないのです。たいへん難しい問題です。
 
  まず、「人類」とは何でしょうか? ホモ・サピエンスのことでしょうか? すると、ホモ・サピエンスのなかに、いわゆるネアンデルタール人も含まれます。ネンデルタール人は会話言語、知識伝達言語、思考言語を持っていたことは間違いないだろうとされています。ネンデルタール人は、ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス(HSN)といい、ホモ・サピエンス種の亜種です。化石的に一番古いのは、40万年乃至50万年前で、アウストラロピテクスと時代が重なっていて、漸進的に展開しました。これは古いネアンデルタール人ですが、新しいネアンデルタール人は、15万年ほど前から、数万年前まで存続していました。
 
  古いネアンデルタール人が言語を持っていたかどうか分かりませんが、ネアンデルタール人よりも二段階古い、化石人類である、ホモ・ハビリス(300万年から160万年前ほど)が、その大脳の内部痕跡形状から、二つの言語領野をかなり発達させていたことから、原始言語を持っていたらしいことが推定されています。ホモ・ハビリスは、ホモ・エレクトゥスよりも古い化石人類です。
 
  ホモ・エレクトゥスは、180万年前から40万年前ほどに位置しますが、言語をおそらく持っていたはずです。ホモ・エレクトゥスは、古い言い方では、ジャワ原人、北京原人、ハイデルベルク原人などです。
 
  ホモ・ハビリスは確か、知識伝達言語を持たなかったことが、ある化石個体の死因と、その死亡状態から推定されていたと思います(もう少し古い原人類だったのかも知れません)。すると、ホモ・エレクトゥス、確実には、新しいタイプのネアンデルタール人だとすると、40万年から20万年ぐらいということになります。
 
  二番目に、「言語」とは何かという問題があります。鳥や群集性哺乳動物のシグナル言語は言語なのか、高等霊長類の社会的言語は、言語なのか。エックルスの紹介では、ポパーは、ビューラーの三段階の言語に、もう一つ「議論言語」というものを加えて、四段階の言語を提唱しましたが、この四段階が全部揃った場合が、言語を持つと云うのか、または三段階で言語を持つと云うのか。最初の二段階は、鳥類や哺乳類や高等霊長類は備えているのです。
 
  四段階の言語とは、四段階の言語機能に対応するもので:1)表出機能、2)信号機能、3)陳述機能、4)議論機能、です。知識伝達言語とわたしが勝手に呼んだものは、陳述機能に属します。信号機能の言語では、後天的獲得知識の文化的伝達は困難だからです。特に抽象知識のそれはそうです。先のホモ・ハビリスが知識伝達言語を持たなかったというのは、知識伝達文化があれば、当然伝わっていた、非常に一般的な毒性食物を食べて死亡した個体化石の発見と、その死亡時の状態が化石から復元されたからです。
 
  なお、以上に述べているのは、1980年代の知見を元に、1980年代末に著された人類進化に関する参考書に基づいています。ホモ・ハビリスの化石事実は、別のもっと新しい資料に依拠しています。
 
  ホモ・エレクトゥスは保留するとして、大脳容積や、大脳の二つの言語領野の発達、また高度な伝達知識文化・技術を持っていたことから、言語を持っていたことは間違いのない、新しいタイプのネアンデルタール人としても、15万年から10万年ほど前のことになります。
 
  とりあえず「何時頃から」ということで、以上を回答にします。もっと古い原人にまで遡ると云う説は新しく出ているかも知れませんが、ネアンデルタール人が言語を持っていたということは、何が見つかってもまず動かないと思います。
 
  参考:ジョン・C・エックルス『脳の進化』1989・東京大学出版会
 

 
  これは、初歩的な質問などではないのです。たいへん難しい問題です。
 
  まず、「人類」とは何でしょうか? ホモ・サピエンスのことでしょうか? すると、ホモ・サピエンスのなかに、いわゆるネアンデルタール人も含まれます。ネンデルタール人は会話言語、知識伝達言語、思考言語を持っていたことは間違いないだろうとされています。ネンデルタール人は、ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス(HSN)といい、ホモ・サピエンス種の亜種です。化石的に一番古いのは、40万年乃至50万年...続きを読む

Q人類がこれを始めたのはいつ頃から?

くだらない質問ですみません。

時々、友人と話すんですが、そもそも歴史上、人類がこれを始めたのは一体いつ頃から、という事なんですが ・・

1.ものを食べる時に、箸やスプーン、フォークなどの 「道具」 を用いて食べるようになった

2. トイレで排出後、局部を紙 (大昔は植物の葉?) などで拭くようになった

地球上でこれらの行動をするのは人類だけですよね。

いつ頃から、こんな事をするようになったのでしょうか

Aベストアンサー

箸に関しては、日本神話で川に箸が流れてきたので上流に人が住んでいると判断したというのがあったように、記憶しています。
お尻を拭くに関してですが、うちの猫は(ちなみに一匹ではなく何匹か)妊娠してお腹が大きくなり自分でお尻をきれいにできなくなると、肛門を床にこすり付けてきれいにしていました。便が肛門に付着したまま硬くなってしまうと不快であることは猫も知っているようです。ちなみに最近、犬も同じようにする現場を見てしまいました。
アフリカのある国では、とうもろこしの実のついていない芯の部分で拭いているようです。
お尻を拭くのが人間だけではないこと、ものを食べるとき道具を使うことが、いまだに習慣化していない地域があることを知って欲しいと思いました。ちなみに手で直接持って食べるのってとてもおいしいし、それが洗練されると全然汚い感じがしないということも合わせて、お知らせしたいと思います。

Q恐竜の起源は、いつ頃ですか?

恐竜の起源、祖先となるといつごろなのでしょうか?

Aベストアンサー

Wikipedia記事を見たところ、恐竜に関連する記事(「有羊膜類」「爬虫類」「恐竜」など)の間で書いてある内容の一部につじつまが合わないことがあるようなので、別の資料で説明します。

t87300さんがご説明のように、恐竜がいたことがはっきりしているのは中生代三畳紀(2億5千万年前)ごろからだそうです。

「恐竜の起原」 http://www.nichinan-city.com/14_kyouryu/4_kyouryu_kigen.htm より引用
>現在知られているかぎり、このような特徴をもつ最古の、あるいは最も原始的な恐竜とされるの は、後期三畳紀の初頭に南米(アルゼンチン北西部)に生息していた、エオラブトルと呼ばれる小型肉食恐竜です。この恐竜は、原始的な特徴が多すぎて、獣脚類の中に分類することはできないという意見もありますが、多くの研究者は、今のところこれをすべての恐竜の最も基幹に近い位置にあるものと考えています。(中略)
>後期三畳紀の初頭には、すでにある程度恐竜の多様化が進んでおり、後期三畳紀の初期またはそれ以前の中期三畳紀に、そのさらに祖先にあたる動物がまちがいなくいたのです。

上記によると、記述が前後しますが、三畳紀中期には恐竜らしい動物がいて、三畳紀後期にその後の大多数の恐竜の先祖となった(と言う意見が多い)「エオラブトル」が出現したということになります。

「恐竜の先祖」 http://www.nichinan-city.com/14_kyouryu/3_kyouryu_senzo.htm より引用
>爬虫類と鳥類、唖乳類は、総称して「羊膜類」と呼ばれます。羊膜類の胎児は羊膜に包まれ、その内部に満たされた羊水の中で成長し、親(成体)と同じ形となって肺化を迎えます。彼らは羊膜の発達によって一生を陸上で生活できるようになったのです。最古の羊膜類の化石は、約3億4000万年前(前期石炭紀)の地層から発見されています。

どこからどこまでを「先祖」と呼ぶかによりますが、恐竜を含む爬虫類・鳥類・哺乳類の先祖(羊膜類)が両生類と分かれたのは、約3億4千万年前(古生代石炭紀)だそうです。

爬虫類の先祖(双弓類)と哺乳類の先祖(単弓類)は、次の古生代ペルム紀(2億9千万年前から2億5千万年前)には違いが見られるということです。

まとめ
爬虫類や恐竜と哺乳類の共通の先祖の出現:約3億4千万年前ごろ(古生代石炭紀)
爬虫類と哺乳類の分岐:約2億9千万年前から2億5千万年前ごろ(古生代ペルム紀)
恐竜の出現:約2億5千万年前2億1千万年前ごろ(中生代三畳紀)

Wikipedia記事を見たところ、恐竜に関連する記事(「有羊膜類」「爬虫類」「恐竜」など)の間で書いてある内容の一部につじつまが合わないことがあるようなので、別の資料で説明します。

t87300さんがご説明のように、恐竜がいたことがはっきりしているのは中生代三畳紀(2億5千万年前)ごろからだそうです。

「恐竜の起原」 http://www.nichinan-city.com/14_kyouryu/4_kyouryu_kigen.htm より引用
>現在知られているかぎり、このような特徴をもつ最古の、あるいは最も原始的な恐竜とされるの は、後期三...続きを読む

Q古代ギリシャの文献

ホメロスの「イリアス」とかは、現在原本が残されているのでしょうか?
それとも、イスラム語訳が最古の文献なんですかね?

また、ホメロスは何に詩を書いたんでしょうか。
石?羊皮紙?紙は当時なかったしなあ・・。
推測でもいいので、教えてください。

Aベストアンサー

 
>ホメロスの「イリアス」とかは、現在原本が残されているのでしょうか?

ホメーロス(‘Ομηροs)は「伝説的な詩人」で、個人として存在したのか、または叙事詩口承集団の集団名であったのか、現在でも不明です。代表作は、『イーリアス』と『オデュセイアー』とされ、前者の方が少し古く、紀元前8世紀頃の成立とされていますが、この年代は、口承文学が、「独立作品」の体裁を整えた時代と考えられ、その際に、「天才的な個人=ホメーロス」の「劇的造形・創造力」によって、作品に纏まられたのだとも考えられるのです(つまり、それ以前から、口承として、物語は伝わっており、うたわれていたのです)。

(トロイエー戦争を軸とした叙事詩は、二大叙事詩以外にも、古代には複数の存在が伝えられており、ホメーロスの二つの叙事詩だけが、現存するのです。つまり、紀元前14世紀から12世紀頃にかけて、叙事詩の原形となる「物語詩」はあり、紀元前8世紀に、今日知られる形に近いものが成立したと考えられます)。

紀元前8世紀頃に形ができあがった二つの叙事詩は、「口承文学」で、口頭で伝えられ、記憶され、文字の形で記録されていたものではありません。従って、ホメーロスの『イーリアス』原典には、そもそも「原本」が存在しません。誰かが文字記録として残したとき、初めて、書物形態の「原本」が成立します。

ホメーロス自筆の原本は、こういう訳で、最初から存在していません。(また、口承文学の特徴として、うたを歌う詩人のときどきの感興に応じて、物語の展開や、言葉などが一定していないという特徴があります。ホメーロスという個人の口承詩人が仮に存在したとして、彼が、その天才で、二つの叙事詩あるいは、一方の『イーリアス』の「劇的構成」を造ったのだとしても(『イーリアス』の作者と『オデュセイアー』の作者は別人で、ホメーロスは『イーリアス』の作者だという説があります)、そのうたは、ホメーロスが朗詠する機会ごとで、違った形のものだったということです。基本的な筋は同じでも、途中で、飛ばしたり、詳しい場合があったりと、色々な変化があったと云えます)。

(註:フランスのエジプト学者兼作家のクリスチャン・ジャックの『太陽の子ラムセス』という大河小説を見ると、紀元前14世紀のラムセス2世の時代に、トロイエー戦争から帰還する途中のギリシア人がエジプトにたどり着き、ホメーロスもそのなかにいて、ホメーロスは、エジプトで、二大叙事詩を書いたことになっていますが、これは、どういう根拠があるのか不明です。しかし、小説構成上の虚構だと決めつけるのも躊躇があり、ジャックは、何を根拠に、こういう設定にしたのか興味深いです。……ジャックの云っていることが、何かの歴史的根拠があるのなら、ホメーロス自筆の原典もあった可能性があります。無論、その場合も、現在は湮滅して存在しません)。

ホメーロスの叙事詩は、紀元前6世紀後半に、繁栄の絶頂にあったアテーナイで、文字記録として、まとまった文書にされました。この時点から、ホメーロスの叙事詩は、テクストが確定します。口承文学でありつつも、文字記録の文学となったのです。(アテーナイは、アッティカ方言という古代ギリシア語が使用されていました。ホメーロスの叙事詩は、アッティカ方言でうたわれていたのではないので、この文字化で、変化が生じます。喩えれば、日本で、上方落語を文字記録にする際、標準語にしたような変化が生じます。ただし、上方落語を標準語にしては、面白さがなくなるように、元のうたの音の響きや韻律を保持するために、元々の朗詠の文体ができる限り保存されたということはあります。従って、ホメーロスの叙事詩は、アッティカ方言古典ギリシア語では、文法が異なり読みにくい部分が多数あります)。

この起源前6世紀後半のアテーナイでの文字記録化で、初めて「原本」が成立します。古代ギリシアでは、粘土板文書で記録のあったことが知られてますが、紀元前6世紀、5世紀から、3世紀頃までは、当時の地中海世界の標準的な書写媒体である「パピュルス紙」が使用されており、『イーリアス』の文字化原本もパピュルス紙で記録されたと考えるのが自然です。ホメーロスの叙事詩は、書写されて写本が作られ、また同時に、なお口承もされていたと思えます。

紀元前2世紀に、アレクサンドリアで、『イーリアス』の校訂が最終的に行われ、テクストは、今日伝わるものとほぼ同じ形になります。この時点では、まだパピュルス紙が使われていたと思えますが、この頃から、羊皮紙が使用され始め、羊皮紙写本も成立したと思えます。

ホメーロスの校訂写本原典は、湮滅したようで残存せず、紀元2世紀から3世紀頃の羊皮紙断片が残っています。(もっと古いパピュルス紙断片もありますが、今日知られる、叙事詩作品の内容とは、かなり違っています)。

>それとも、イスラム語訳が最古の文献なんですかね?

従って、これは違っています。古典ギリシア語で記された羊皮紙写本が存在し、ある程度まとまったものも、紀元6,7世紀頃のものが残っています(参考URL)。

参考URL(ただし、ページが何故か開かないので、「シモニデスのホメロス写本」で、Google で検索し、キャッシュを見てください):

>f.シモニデスのホメロス写本
>http://www.humi.keio.ac.jp/japan/docs_j/report/annual/1997/1_A_If_text.html
 

 
>ホメロスの「イリアス」とかは、現在原本が残されているのでしょうか?

ホメーロス(‘Ομηροs)は「伝説的な詩人」で、個人として存在したのか、または叙事詩口承集団の集団名であったのか、現在でも不明です。代表作は、『イーリアス』と『オデュセイアー』とされ、前者の方が少し古く、紀元前8世紀頃の成立とされていますが、この年代は、口承文学が、「独立作品」の体裁を整えた時代と考えられ、その際に、「天才的な個人=ホメーロス」の「劇的造形・創造力」によって、作品に纏まられたのだとも考...続きを読む


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