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個人差もあると思いますが
人間良い事と悪いことだと圧倒的に悪いことの方が記憶に残ったり
思い入れの感じも強いそうです
しかし人生大体良い事もよりも悪い事のほうが多いと
思うのですが何故悪いことの方が強く残るのでしょう?
良い事が少なければその方が思い入れが強いと思うのですが・・・

A 回答 (8件)

専門的観点からでは無く(単なる経験則から)



歳を取ると、嘗ての悪い思いでも、或る種の甘美な思いでに替わって行きます。
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それらは事実であっても妄想の一種であり、人の心に忍び込んだ悪意が、その人自身の人間性を否定しているからです。


精神疾患の原因にもなる事でとらわれてしまうのは不健康です。
悪い思い出イコール自己否定であり、本心にはありえない心の動き、イコール妄想と断定しきってください。
心から追い出す方法はいろいろあるようです。
悪い思い出が多いように見えるのは悪意は苦しくて痛いからです。
あなたに助けてほしいから思い出すのです。
本当は良い思いでのほうが記憶に残り易いのですがこれは安らかにあなたの心の中のゆりかごで眠っています。
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経験を覚えているかどうかというのは普段との「差分」が関係する気がします。

つまり、大きなイベントほど覚えているということです。いいことは「獲得経験」悪いことは「喪失経験」に結びつくことが多いと思います。「獲得」したものはその後しばらくは手元に残ることが多く、結局日常の一部になって慣れが起こることもあるんじゃないでしょうか。逆に「喪失」したものは簡単に戻ってこないことの方が多く、「喪失経験」(日常との差分)そのものが記憶に残ることになる気がします。
個人的には一過性の「獲得経験」はよく記憶に残っている気がします。**で食べたエクレアは最高だったとか、**で飲んだスープは忘れられないとか。100万円あたったとして、(あたったことないですけど)、それを地道に生活費にあててたら当たったときの喜びは段々と忘れてしまう気がします。でも、それで欲しかったけど買うことはあきらめていたような高価なもの(自分には身分不相応なもの、つまり自分の日常からはかけ離れたもの)を買ったとしたらそれは記憶に残ると思います。
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良いにつけ悪いにつけ、「人間には欲があるから」ではないでしょうか。




悪いことが起こると、一般的には「なぜ自分にこんな悪いことが起こってしまうのだろう。自分がこんな目に遭うのは全く不合理ではないか。」と感じ、
『自分はこんな悪い目に遭うべき人間ではないのに・・・』と強い不満が残ると思います。
この「悪いこと」と「自分の生き方」には、因果関係がある、または因果関係は全く無い、のどちらかしかありません。
因果関係がある場合は、それを断ち切る為の方策が必要ですし、無い場合は諦めるしかありません。
そこに目が行かずに、ただひたすら「自分はこんな目に遭うべき人間ではない」と一方的に自分の価値を主張するだけなので、いつまで経っても出口が見つけられず抑圧された無意識として停滞し続けるのです。

悪いことは起こった。しかし、それは(殆んどの場合)自分のせいではない。という認識を持つに至るのが難しいということでもあるでしょう。
いや、自分のせいだ、とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、本当に自分のせいで起こる悪いことというのは、【悪意を持って】他者を肉体的・精神的に傷つけることぐらいでしょう。
その他は「塞翁が馬」。なるようにしかなりませんし、どうあがいたところで一人の人間を決定的に幸福にしたり不幸にしたりすることはできません。
なぜなら、それはその相手自身が築いていく領域であって、それを奪うことはその相手の人生自体を奪うことになってしまうからです。
「悪意」さえ介在していなければ、殆んどの悪いことは自分のせいではありません。

少し横道にそれたようです。元に戻します。
「悪いことは抑圧された無意識として停滞する」でした。
抑えつけているので、その反動が大きいということです。
正確に言うと、抑え付けて隠そうとするので反動が大きい、あるいは、抑え付けることによって無かったことにしようと思うのでいつまでも気になる。
結果として、『過去のことなのに、将来また同じことが起こるのではないか』という不合理な思い込みを生み出してしまう、ということになるのだと思います。
隠そうとしないでさらけ出すことが大事です。
そして、「確かに悪いことはあった。しかし、それはすでに過去のことだ。」という認識に至る事ができるのだろうと思います。

とはいえ、そういった思考形態、すなわち起きてしまった悪いことと正面から立ち向かう、ということはそう容易いことではないので、どうしても反動を生む抑圧された記憶として無意識に格納されやすいということでしょう。


それに対して良いこと。
例え、一度や二度幸福の絶頂を味わったとしても、さらにその上を求めてしまうということでしょう。
根は、悪いことの時と同様です。
つまり、「私にはもっと良いことが起こるはずだ」という欲。
欲というより「不合理な思い込み」です。
そんな大それたことは望んではいない、今の(あるいは以前の)ささやかな幸せが継続してくれるだけでいいのだ、とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、継続ほど難しいことはありません。
生きた人間や、常に変化する環境に囲まれて生活しているわけですから、変わらず継続するためには私たち自身が変化していく必要があるでしょう。
無論、「豹変する」の変化ではなく、根っこはそのままで厚みを増していく、というような意味での変化です。
しかし、これもまた容易なことではありません。
いくら良いことを体験しても、何だこんなもの、もっとすごい良いことがあるはずだと、どんどん捨てていくので記憶に残っていく暇がないのでしょう。

かくして私たちは、体験しているのにも拘わらず良いことにはなかなか気付かず、ちょっと悪いことは親の仇のように強く記憶し続けるということになるように思います。
抜け出すヒントと共に素人の私見を述べてみたつもりですが、暇つぶしのひとつとしてお読みいただけたようでしたら幸いです。
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そうですね


悪いことがほとんどです。

悪いことの方が強く記憶に残るのは
今後の危険を回避するためのように私は感じています。

よいことは精神的にも身体的にも危険にさらされることは少ないので覚えていなくても大丈夫だと自己防衛本能のようなものが判断しているのでしょうかね。

良いことがせめて悪いことと同じぐらいだといいですよね
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悪いこと=恐怖とか理不尽ですよね。


自己保存欲は根源にある恐怖回避本能ですから意志では消せません。

反対に良い事でも、恐怖から堕落を意識して望まない程度のだと思います。
本能は悪いことばかりを問題にするのでしょうか。

良い事が少ないと、過去の一時の幸せが一層現実を辛く観させてしまうもので、良い事は現実に弊害をもたらしても、あまり役に立たないのかもしれません?

いかなる場合でも「今が幸せ」と勘違いするのが得策と教わったことがあります。(なかなか出来ません)
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悪いことは次回から改善しようとか修正しようとか考えるために記憶に残るのではないでしょうか?


良いことはそのままでとりあえずはいいのだということで記憶に残らないのではないでしょうか?
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こんにちは。



悪い方が残る?そうでしょうか?

例えば、ギャンブル等。
万馬券と当てたり、パチンコで何十万も出した事(よい事)は、損した事(嫌な事)よりも鮮明に記憶に残ります。
だから、また行こうと思ってしまうんだと思います。

ものによりけりのような気がしませんか?

でわ!
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