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江戸時代に使っていた "巳の刻" などという呼び方は 太陰暦の時間の読みでしょうか? また中国もそうだったのでしょうか

A 回答 (2件)

これは、時刻と言うより方位


(角度)を表示する物です。

十二支自体が中国から輸入された物で、
竜、羊などは中国や、大陸系のものです。

太陽は、1時間に約15度移動します。

12/360=30(度)
12支では、2時間と言う、大雑把なものです。

犬猪の方位(犬と、猪の間)と言う呼び方もあり、
実際には、相当細かく分けたようです。

一刻を4分割し、ひとつ、ふたつと呼びました。

草木も眠る丑三つ時は、
牛(2時)+3つ=3時半になります。

太陰暦も、天文学の輸入で、
太陽の運行で補正を加えるようになります。
(太陽太陰暦)
彼岸の中日は、春分の日、秋分の日です。

旧正月は、春、農家が田植えの準備(田起こし)をする前(1月29日)です。
この頃から、梅の木も咲き始め、忙しくなります。
迎春ですね。

更に、1の日の海の満ち引きも必ず一緒なので、
漁師、海運にも持って来いだった訳です。
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この回答へのお礼

早速のご返事ありがとうございます
とても参考になりました

お礼日時:2006/02/22 07:40

時刻の呼び方には、中国から伝わった十二支と延喜式の二通りあり、太陰暦が太陽暦になるまでの間使われていました。

中国でも十二支を使った制度があったようです。

http://www.geocities.jp/afi_651/japantime.html
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございました
とても参考になりました

お礼日時:2006/02/22 07:41

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