意味のない質問かもしれませんがアレキサンダー大王は東へ行き次々と征服していきましたが西の方、つまり古代ローマの方には関心がなかったのでしょうか?

 その時代ローマよりも東方のペルシャの方が魅力があったとは思いますが西のローマの方も簡単に征服できたのではと思ってしまいます。なぜ東の方を選んだのでしょうか? 

 西にローマという国があったのは知っていましたよね?

A 回答 (6件)

ローマの存在は知っていたでしょう。

しかしイタリアは当時のギリシア世界から見れば、辺境、未開の地。対するペルシアはもともとギリシアの宿敵でもあり、ギリシアからみてもなお古代の文明を保つ先進国であったわけです。
またアレクサンドロスはマケドニアの王ですが、まず父王とアレクサンドロスの2代でギリシアを統一します。したがってこの後のペルシア征服は逆に見ればギリシア連合軍による第4次対ペルシア戦争なわけです。ただし今度は受けてたつのではなく、侵略ですが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ありがとうございます。
 確かにペルシャ遠征の目的は150年ほど前のペルシャ戦争の復讐だと聞きますが。
 ローマにかなり関心がなかったのかな。

お礼日時:2006/03/09 02:40

イランにあるペルセポリスは、アレクサンドロス(アレキサンダー)大王が滅ぼしたアケメネス朝ペルシアの都のひとつですが、遺跡には激しい燃焼の痕跡があります。

伝説では、祝宴で酔っ払ったアレクサンドロスの王妃が、乱痴気騒ぎの末に火をつけてしまったとかなんとか言われていますが、都は
ほとんど石造りなので多分それはないでしょう。実際は、燃える物を大量に持ちこんで、計画的に焼き払ったに違いありません。なぜそんなことをしたかと言えば、ひとつはやはり、ギリシア人兵士達の復讐心を満足させるため
だったということではないでしょうか。ペルシア戦争の際、クセルクセス王
(間違えてたらごめんなさい)に率いられたペルシア軍はアテネに侵入して
神殿などを焼き払ったのです。アレクサンドロス大王の東方遠征は、もはや
共和制の都市国家連合ではなく帝国となった新しいギリシアが、古い帝国に
引導を渡し、新しい秩序を打ち立てるための戦いでした。ヘレニズム世界がオリエント世界を飲みこむ、その象徴としてペルセポリスが選ばれたということなのです。え?ローマですか?うーん。大王が長生きしてたらひょっとすると食指を伸ばしてたかも・・・歴史にもしもは禁物ですが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 みなさんありがとうございます。
 kurofudeさんの場を借りてお礼します。
 どうやら皆さん同じ意見のようですね。
 たくさん回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/09 02:43

この時代は地中海の東側が一番文明国です


そしてここは分裂で頻繁に戦争をしていまして
最初の帝国ペルシャの属国に成っていました
ギリシャの都市国家も風前の灯火だったのです
この時にギリシャの辺境のアレキサンダーが
力を付けてギリシャの都市国家を全部支配下に置き
ペルシャに反撃をするのです
この時期のローマはまだまだ野蛮な都市国家です
アレキサンダーが死んだ後また分裂をして戦争をしますから
それをみたローマがギリシャの都市国家と結託をして
それをまた乗っ取って行くのです
だからローマ帝国はギリシャとローマの国だと
思えばわかりやすいですね
後にこの二つは分裂してローマは滅びで
ギリシャだけ残り1200年も続きましたね
    • good
    • 0

ペルシアの方に魅力があったというのもあります。

海を渡ってわざわざローマへ…とはなかなか思わないでしょう。その他の西欧地域は、大森林地帯ですし…。
しかしもっと大きな要因として、当時の国際関係があると思います。
アレクサンドロスが王になる以前から、マケドニアとペルシア(ギリシアとペルシア)は敵対関係にありました。彼の父フィリッポス2世もペルシアと対立していたほどです。
この流れを無視することは出来ないと思います。
    • good
    • 0

#1の補足ですが、当時のローマは内紛やケルト人の占領があり国力はきわめて低く、ギリシャやペルシャと比較してもかなり劣る国家でした。


「全ての道はローマに通ず」で知られるローマ街道は大王の死後(没年B.C.323、街道建設はB.C.312)の話ですし、イタリア統一はB.C.272、カルタゴを滅ぼしたのはB.C.146年です。
したがって、ローマという国があることを知っていても、そちらに目が向かなかったのは自然なことではないでしょうか。
    • good
    • 0

古代のヨーロッパは未開の蛮人の住んでいるだけの土地であり征服するだけの魅力もない土地であったのに対してペルシャは文明の発展した大国であり、またギリシャとは長い間敵対関係にありましたから当然目指すのはペルシャでした。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

 そうですね、そんなところかな?

 ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/09 02:38

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qヴェネチア→ローマの夜行列車

イタリアへの旅行を検討中です。

ヴェネチア→ローマを夜行で移動しようと考えているのですが、
Trenitaliaで検索するとmestre駅を午前3時11分に出発することに
なると表示されます。
ドイツ鉄道のホームページで検索すると、サンタルチア駅を
22時51分に出発することになっています。
到着はどちらの場合も9時5分、ローマ・テルミニ駅です。

これはどちらが正しいのでしょうか?
午前3時まで駅で待っているのは辛いので、ドイツ鉄道の
サイトが合っているといいなぁと思ってはいるのですが。

Aベストアンサー

こんばんわ。
ベニスからローマは所要5時間程度なので完全な夜行電車はないと思いますよ。
午前3時発メストレ発の方が正しいと思います。
サンタルチアからメストレまではものの1駅程度なので仮に22時にサンタルチアを出ても待つことになると思います。
翌朝、朝一の列車で行った方が無難だと思いますよ。

Qアレキサンダー大王が世界征服を達成していたら

”アレキサンダー大王が世界征服を達成していたら、地中海・近東・アジアにおいては「ヘレニズム的仏教」が世界の基軸思想となり「キリスト教」の出番は無かった。”
以上の様な言説をアーノルド・トインビー氏がしたらしいのですが、その「出典・著書」を何方かご存知ないでしょうか?

Aベストアンサー

'If Alexander the Great Had Lived On', in Toynbee (ed.): Some
Problems in Greek History (Oxford University Press, 1969):early steam engines are combined with early rail tracks to allow the Greeks to form a mighty empire.Arnold Toynbee considered what might have happened if Alexander the Great had not drunk himself to death in 323 B.C. at the age of thirty-three. … The world religion he envisions under a global empire ruled by a continuous succession of Alexanders is a hellenized version of Buddhism, highly plausible given the extraordinary similarity between the teaching of the popular Greek philosopher Pythagoras and those of the Buddha.

これじゃないかな 出典が
http://alternatehistory.net/discussion/showthread.php?t=60801
で、サイトが、もしかしたら、これもあった歴史かも というサイトなので、本当の出典にあたる必要がありますが、トインビーが書いているから、それもありだね、なんて感じで、トインビーの文章を引用しているので、これかも。

'If Alexander the Great Had Lived On', in Toynbee (ed.): Some
Problems in Greek History (Oxford University Press, 1969):early steam engines are combined with early rail tracks to allow the Greeks to form a mighty empire.Arnold Toynbee considered what might have happened if Alexander the Great had not drunk himself to death in 323 B.C. at the age of thirty-three. … The world religion he envisions under a global empire ruled by a continuous succession of Alexanders is a he...続きを読む

Q今年の3月の下旬にイタリアに行きます。行くのはヴェネチアとフィレンツェとローマです。3月下旬だともう

今年の3月の下旬にイタリアに行きます。行くのはヴェネチアとフィレンツェとローマです。3月下旬だともう暖かいでしょうか?服装で悩んでいてスプリングコートやワンピースにタイツ等はちょうどいいのか知りたいです。現地の人はどのような服装で過ごされているのでしょうか?ヴェネチアとローマは離れているので気温も差があると思うので出来るだけ対応できるような服装は心がけるつもりです…。

Aベストアンサー

今冬は(も)欧州は異常気象です。
去年12月にフィレンツェに行ったのですが、なんと昼16℃、夜10℃切るか切らないかでした。
※渡欧時は現地の人もびっくりの暖冬でした

統計的な気温や降雨量は検索すれば出てきますが、直前に天気予報をご覧になってから
判断された方がいいと思います。現地の方は好き勝手な恰好をしてます。

ヴェネツィアやフィレンツェの旧市街は基本観光客ばかりなので、
あるきやすい靴を履いていけばいいと思います。
ローマは一応大都市なので、それなりに、スリに狙われない程度の恰好で行けばいいのでは。
※スリに関してはフィレンツェも多いです

もしフィレンツェでドゥオーモの屋上や、遠征してピサの斜塔に登る予定があれば
ヒートテックのような下着は避けたほうがいいです。絶対後悔します。
(階段300段近く昇降しますので恐らく汗だくになると思います)

異常気象とは言いましたが、よほどのことが無い限り、
ヴェネツィアよりローマの方が寒いことは無いことが一般的です。

イタリア語でよければ天気予報
http://www.ilmeteo.it/
日本気象協会の世界の天気
http://www.tenki.jp/world/1/106/

3月下旬ということで補足情報。
欧州では3月最終日曜日早朝2時に夏時間になります。
今年だと3月27日日曜日の午前2時から夏時間です。
冬時間は日本-8時間、夏時間は日本-7時間です。

今冬は(も)欧州は異常気象です。
去年12月にフィレンツェに行ったのですが、なんと昼16℃、夜10℃切るか切らないかでした。
※渡欧時は現地の人もびっくりの暖冬でした

統計的な気温や降雨量は検索すれば出てきますが、直前に天気予報をご覧になってから
判断された方がいいと思います。現地の方は好き勝手な恰好をしてます。

ヴェネツィアやフィレンツェの旧市街は基本観光客ばかりなので、
あるきやすい靴を履いていけばいいと思います。
ローマは一応大都市なので、それなりに、スリに狙われない程度の恰好で行...続きを読む

Qアレキサンダー大王が世界征服を達成していたら

アレキサンダー大王が中国・インド・地中海世界を支配下に置いていたら、「仏教」教義と融合したヘレニズム的な合理主義が世界の根幹思想となり、その後の「キリスト教」は歴史に登場する出番が無かったと誰か著名人が言ったらしいのですが、これは妥当なところなんでしょうか?

Aベストアンサー

1:インド以東遠征の可能性
アレキサンダー個人はともかく、従軍したマケドニア・ギリシャ兵にとっては、遠征の目的が「ペルシャ打倒」でしたので、ペルシャを打倒した段階でそれ以上の遠征のモチベーションはわかない。旧ペルシャから従軍した兵に関しても、文化圏が違うので、遠征のモチベーションは低い。

2:仏教の優位性
仏教がインドに於いて優位になったのは、アショカ王時代であり、それはアレキサンダーの後。アショカ王以前においては、インドにあるいくつもある宗教の一つでしかなく、仏教が(仮想)大アレキサンダー帝国において国教等優位な宗派になるかどうかは確定できない。すくなくとも、アレキサンダー大王には、ペルシャ文明に対する尊敬の念はあっても、インド文明に対する尊敬の念はないようように思えますので、アレキサンダーおよびその後継者が仏教を国教等優位な宗教として採用する可能性は低い。

3:キリスト教の出番
その著名人の発想には、教義の優れているものは、自然に拡がりそれより劣った教義の宗派は広がり得ないという因果律があるように推測します。多くの宗教が生まれ、栄枯盛衰を重ねながら現在も存在しているという事実から、そのような因果律はあり得ないと思います。
歴史的な仮定があまりに突飛なので、キリスト教自体が生まれたかどうかはわかりませんが、1,2の可能性自体が果てしなく低いと考えますので、この3自体を考えることは思考実験としても限りなく可能性が低いものだと考えます。

1:インド以東遠征の可能性
アレキサンダー個人はともかく、従軍したマケドニア・ギリシャ兵にとっては、遠征の目的が「ペルシャ打倒」でしたので、ペルシャを打倒した段階でそれ以上の遠征のモチベーションはわかない。旧ペルシャから従軍した兵に関しても、文化圏が違うので、遠征のモチベーションは低い。

2:仏教の優位性
仏教がインドに於いて優位になったのは、アショカ王時代であり、それはアレキサンダーの後。アショカ王以前においては、インドにあるいくつもある宗教の一つでしかなく、仏教が(...続きを読む

Qイタリア高速鉄道[ローマ~ミラノ]はなぜ未開通なんだろう?

イタリアにおける高速鉄道専用線の開通状況をまとめると、
以下の通りです。
南北方向は、ナポリ~ローマ~フィレンツェは開通済み。
東西方向は、トリノ~ミラノ~ヴェネツィアは開通済み。
そして、ミラノ~フィレンツェは未開通。

しかし、「ローマ~ミラノ」間が4時間半とか、随分
かかりすぎじゃないですか?
この距離は東京大阪間とさほど変わらないのに、こんなに
かかってしまっては、航空に乗客を奪われていそうです。

例えば、1945年頃に「将来、イタリア国土に高速鉄道専用の
線路を敷きます。イタリア地図に線を描いて下さい」と言われたら、
私は迷わず、ミラノ-フィレンツェ-ローマ-ナポリに
線を描きますよ。

首都ローマと人口第2の経済都市ミラノとの間を高速鉄道を
建設すれば、経済効果は非常に高いだろうし、ミラノから
スイス・フランス方面への高速鉄道直結も期待できそうです。

なのに、2009年現在、ミラノまでは高速鉄道が建設中ですが
未開通です。
建設中であるからには、当然需要見込みはあると思われますが、
現在までに完成できず、逆に南方面を優先させたのは何故
でしょうか?

イタリアにおける高速鉄道専用線の開通状況をまとめると、
以下の通りです。
南北方向は、ナポリ~ローマ~フィレンツェは開通済み。
東西方向は、トリノ~ミラノ~ヴェネツィアは開通済み。
そして、ミラノ~フィレンツェは未開通。

しかし、「ローマ~ミラノ」間が4時間半とか、随分
かかりすぎじゃないですか?
この距離は東京大阪間とさほど変わらないのに、こんなに
かかってしまっては、航空に乗客を奪われていそうです。

例えば、1945年頃に「将来、イタリア国土に高速鉄道専用の
線路を敷き...続きを読む

Aベストアンサー

フィレンツェ-ミラノ間が未開通なのはアペニン山脈のトンネル掘削に時間と費用が掛かるので後回しにされています。
また北部イタリアと中部イタリアは歴史的にも文化的にも違うのでそれほどの交通需要が有りません、したがって短時間で移動するような需要なら飛行機だけで十分との判断でしょう、競合するとすれば自動車ですから高速化で優勢をたもてる北回廊を優先して高速化したものと思われます。

Qアレキサンダー大王の墓について

こんにちは。
アレキサンダー大王の墓についてお伺いします。

1.アレキサンダー大王はアジア遠征を終えた直後の紀元前323年バビロンにおいて熱病のため死去しましたが、その後同大王の遺体はどのように処理されたのでしょうか。当時エジプトではミイラ処理、ローマでは火葬、ペルシャでは風葬とさまざまな方法がとられていたようですが、同大王はいかなる方法によって埋葬されたか記録や伝承はあるのでしょうか。

2.大王の遺体は、バビロンからマケドニアに搬送される途上、部下のプトレマイオス将軍によって奪取され、エジプト・アレクサンドリアに移された後に陵墓がつくられたとされていますが、アレクサンドリアの具体的にどのあたりに墓が作られたのか記録や伝承はあるのでしょうか。

3.大王の陵墓の形状や大きさについて記録や伝承はあるのでしょうか。

4.大王の陵墓については、ローマ帝国のアウグストゥス帝やカラカラ帝が参拝したことが判明しているものの、その後の記録はないと聞きました。大王の墓はいつ頃誰によって破壊されたのか、現代ではどのように推測されているのでしょうか。

こんにちは。
アレキサンダー大王の墓についてお伺いします。

1.アレキサンダー大王はアジア遠征を終えた直後の紀元前323年バビロンにおいて熱病のため死去しましたが、その後同大王の遺体はどのように処理されたのでしょうか。当時エジプトではミイラ処理、ローマでは火葬、ペルシャでは風葬とさまざまな方法がとられていたようですが、同大王はいかなる方法によって埋葬されたか記録や伝承はあるのでしょうか。

2.大王の遺体は、バビロンからマケドニアに搬送される途上、部下のプトレマイオス将軍に...続きを読む

Aベストアンサー

1、マケドニア人の葬儀は土葬らしいです。死の間際にはマケドニア兵たちによる最後の別れが延々と行われていたようで、何の処理もされてないと思われます。葬儀はペルシャ流の喪の風習に従ったらしいですが、とにかく遺体をマケドニアの首都アイガイに運ぶことになったようです。詳しい記録はとくにありません。

2、アレクサンダー大王の墓は、複数あり、どれが本当かわからなくなったというのが実像です。プトレマイオス1世は320年に大王が神官からエジプトの正統な王と認められ地メフィスに最初の墓をつくりましたが、彼は後に自分の王国の首都としたアレクサンドリアに第二の墓をつりました。さらに百年後、プトレマイオス4世は、第三の墓を作り、その周りに歴代のプトレマイオス朝の王の遺体を集めて集団墓地にしたとされます。
その後、ローマ時代からその終わりにかけて、歴史が隔絶し、いくつもの間違った説が登場します。特にサン・マルコ教会の近くとか、ナビ=ダニエルのモスクと同じ場所という説などは、その後の歴史家を大いに混乱させ、このローマ後期の別の墓がアレクサンダー大王の墓だと信じれていたのです。1991年にアルバトルの墓がアレクサンダー大王の墓とする説が主張されましたが、このプトレマイオス時代の墓は時代的にはあうものの、碑文等がないので仮説は不明のままです。
ちなみにシリア砂漠のあるオアシスにある墳墓がアレクサンダーの墓だというような主張もあります。

3、アレクダンドリアの図書館には記述がある図書があったかもしれませんが、それらは失われています。

4、アレクサンドリアは度々、地震に襲われていて、また都市も荒廃しました。ローマが撤退して以後は、イスラムの侵出と、大型船の時代に合わない港湾設備のために交易も衰退し、誰かが壊したのではなく、忘れされれていったというだけです。また長年つかわれた都市というのは、時代を経るごとに古い時代の上に新しい町ができていきます。アレクサンダー大王の墳墓も地下墳墓とみられているので、上に別の建物ができたということです。

1、マケドニア人の葬儀は土葬らしいです。死の間際にはマケドニア兵たちによる最後の別れが延々と行われていたようで、何の処理もされてないと思われます。葬儀はペルシャ流の喪の風習に従ったらしいですが、とにかく遺体をマケドニアの首都アイガイに運ぶことになったようです。詳しい記録はとくにありません。

2、アレクサンダー大王の墓は、複数あり、どれが本当かわからなくなったというのが実像です。プトレマイオス1世は320年に大王が神官からエジプトの正統な王と認められ地メフィスに最初の墓をつく...続きを読む

Q鉄道パス、オルヴェートの行き方等など教えてください

4月に確定ではありませんが、下記の日程でイタリアに行きます。
ローマ~ヴェネチア1泊~ヴェネチア~フレンツェ3泊~フレンツェ~ナポリ3泊~ナポり~オルヴィエート2泊~オリヴィエート~ローマ4泊。 鉄道パスで全部乗れるのでしょうか?
ナポリ~オルヴィエートは乗り換えですか? 区間切符もいる様ならそれも日本で購入していきたいのですが。また空港からテルミニ駅は鉄道パスを持っていると無料でしょうか。

飛行機は予約済みですが、ホテルはまだです。これもいろいろあり困っていますが、基本は駅近です。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 空港~テルミニ駅は鉄道パスを持っていると無料?
http://www.railohshu.jp/railpass/TrenItaliaPass.html?agent=OAF-HISWEST

★列車旅では、鉄道駅から近いホテルへの宿泊は、大切なポイントです。
★ユーレイル イタリアパス<5日/2カ月>は、1日 € 55 以上の移動でないと、割高となります。
 2等 22,200、セーバー 19,000<1等 27,200、セーバー 23,100>+※ 指定券 列車あたり € 10.0_現地駅で 

★Orvietoは Roma~Venezia の間にある小さな崖の上の街。街歩きだけなら Roma他から日帰りでも..
近郊のワインセラー、チーズ農家、オリーブオイル工場を訪れても2泊は? Venezia の宿泊を増やされたら..

★ お勧めのコース
 Roma→→Es 03:50 € 76→→Venezia2泊→→Es 02:10 € 43→→Firenze3泊→→Ic 01:45 € 19→→Orvieto1泊→→Es 02:40 € 52→→Napoli3泊→→Es 01:15 € 45→→Roma4泊。
個別購入 € 235<指定券込> vs. ユーレイル パス € 262<2等 22,200_5日+指定券 € 40>

★ ご記載のコース
 Roma→→Es 03:50 € 76→→Venezia1泊→→Es 02:10 € 43→→Firenze3泊→→Es 02:50 € 72→→Napoli3泊
→→Es 02:40 € 52→→Orvieto2泊→→01:10 € 14→→Roma4泊。
個別購入 € 257<指定券込> vs. ユーレイル パス € 262<2等 22,200_5日+指定券 € 40>

 空港~テルミニ駅は鉄道パスを持っていると無料?
http://www.railohshu.jp/railpass/TrenItaliaPass.html?agent=OAF-HISWEST

★列車旅では、鉄道駅から近いホテルへの宿泊は、大切なポイントです。
★ユーレイル イタリアパス<5日/2カ月>は、1日 € 55 以上の移動でないと、割高となります。
 2等 22,200、セーバー 19,000<1等 27,200、セーバー 23,100>+※ 指定券 列車あたり € 10.0_現地駅で 

★Orvietoは Roma~Venezia の間にある小さな崖の上の街。街歩きだけなら Roma他から日帰りでも..
近郊のワ...続きを読む

Qアレキサンダー大王の目的は?

アレキサンダー大王の行動パターンは織田信長と通ずるように思いますが、彼は宿敵ペルシャに復讐する為にペルシャに侵攻しますが、ペルシャ征服後も進撃をやめずインドまで進んでいます。

この間に度々本国から増援を得て兵力の回復を図っていますが彼の飽くなき征服欲に部下の兵や指揮官の反乱が度々起こっているにもかかわらず、強圧的に鎮圧して進撃を続行しています。

勿論ペルシャ侵攻後次第に心境が変化したことは承知していますが、彼がそこまで進撃に拘った理由は何でしょうか?

単なる征服欲、病的な偏執狂だったのでしょうか?

Aベストアンサー

部下の兵や指揮官の反乱はアレキサンダーの「支配地との同化政策」にありました。

つまり、
「征服しに来たのか?征服されに来たのか?わからん。」
「勝利した旨みが無い。」
という非常に現実的な不平不満です。

一方、アレキサンダーを突き動かしていたのは
「世界は統一できる!」
という、古代ギリシア的な世界観でしかわからない「夢とロマン」であり、
軍事的天才、超人的強者というイメージだけでは捉えられない「別の理由」です。

むしろ「宗教的価値観と現実的価値観は別」と考えていた織田信長とは対極をなす人物だ、と思いますよ。

「私は冷たく湿ったエレメントから火へと突入しなければならない、インドへの進軍を行なわなければならない!」

この言葉の意味は参考URLをご覧下さい。

参考URL:http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/weltgeschichte/weltgeschichte4.html

QヴェネチアYH 夜着 たどり着ける?

7月中旬にイタリアを旅行する予定です。
ローマを夕方に出て、ヴェネチアに22:30頃について、ヴェネチアで泊まりたいと考えています。
色々宿を調べた結果、金額的にヴェネチアYHがベストです。
けれど立地が悪く、水上バスじゃないと行けないみたいです。

そこで質問なのですが、水上バスは夜でもやっているのでしょうか?
あと、チェックインが24時までなのですが、間に合いますでしょうか?

行った事もなく、言葉も通じず、しかも夜に着くっていうのは無謀でしょうか…?
どうぞ、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

22:30に駅に着いて24時までにチェクインは不可能です。船に乗っている時間だけで30分掛かる距離ですので。

あと、夜はすっごく暗い街なので、もしも初めての来訪でしたら怖いかも。危険な街ではないけれど、真っ暗闇の海の上は相当怖いですよ。YHはバス停の目の前なので迷うことはないと思いますが、、、。

あと、大人気のYHなので空いていない可能性があります。どうしても泊まりたいなら事前に予約するしかありません。予約しない場合は、昼休み明けに並んで早いもの順にチェックイン出来ます。私は6月中旬に昼一に並んで泊まりましたが、夕方になると満室で追い返される人多かったです。観光地だし夏休みの時期だったから、ヨーロッパの団体さんとか多かったからかな。とにかく泊まれる保障もないのに、30分も掛けて夜中に辺鄙なYHに行くのはお薦め出来ませんね。

夕方にローマを出るのではなく、その日はローマに泊まって、始発でヴェニスに向かうっていうのはダメですか?

Qアレキサンダー大王の愛馬の性別

アレキサンダー大王の愛馬ブーケファロスは雄か雌のどちらだったのでしょうか?

Aベストアンサー

ブーケファラス(Bucephalus)は男性名なので
オスでしょう。
暴れ馬もだいたいオスが普通ですし、
子供を生むメスならわずか13タラントで売らないでしょう。
ちなみにアレクサンドロスがこの馬の死後、
紀元前326年に
都市につけた名前はこの女性形である
ブーケファラ(Bucephala)というものです。
ちなみに
都市/国/船などは伝統的に女性名詞となります。


人気Q&Aランキング