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前から疑問に思っていたことで、歴史のカテを見ていたら同じような疑問を持っている方もいましたので、宗教に詳しい方に解説いただければと思います。
ご承知のように明治までは出家した僧侶の妻帯は禁止されており、発覚すると遠島、さらし者などの刑罰もあり、もちろん宗派からは破門されました。
真宗などは自ら「在家教団」としていますから、出家はいないので、妻帯しても問題ないですけど。
明治5年に太政官布告が出て法律では許された訳ですが、

>僧侶肉食妻帯蓄髪並ニ法用ノ外ハ一般ノ服着用随意タラシム

この条文を見ても「随意」と書いてあるだけで、妻帯を強制している訳ではありません。
宗派の戒律で「妻帯禁止」であれば、政府はその戒律には介入しないわけですから、明治以降も宗派の決まりとして、妻帯した僧侶は破門しても問題なかったと思います。
何故この時点で多くの伝統仏教の宗派が教義を変えてしまったのでしょうか?

ここからは私の考えですが、どうも現在のお寺の世襲は問題が多いように思います。
お寺が住職一家の私物となってしまい、一部寺院では住職が投資に走ってお寺が潰れたり、檀家が問題の多い住職の交代を要求しても居座り、本山もそれ以上は介入できず困る事例も多々あります。
明治までは住職は血縁に捉われず、弟子の中からふさわしいものを跡継ぎにしたので、現在よりはマシだったのではないかと想像します。
また、プロテシタントの牧師さんのように、定期的に移動するほうが馴れ合いが無くなり、すっきりすると思います。
何故明治になってほとんどの伝統仏教の宗派は教義を変えてしまったのでしょうか。
もし僧侶の方がこの質問を読まれたら、お寺の世襲に関してどう考えていますか?
現代は宗教に関心がある方も多く、在家でも出家してお寺を持ちたい方は少なくないと思いますが、他人(弟子)に譲ることは抵抗があるのでしょうか。

A 回答 (5件)

仏教の教義から言えば僧侶は妻帯どころかセックスも許されません。


しかしながら、日本ではすでに平安時代頃から僧侶でありながら子がいる(妻子を捨てて出家したわけではなく、出家してからの子)などとい場合がありましたし、「隠すは上人、せぬは仏」というくらいに僧侶が正式にはともかく公然と妻帯しているという例は多くありました。
そのため、明治の太政官布告をきっかけに、それまでは公然とは認められなかったものをこれ幸いにとばかりに正式に妻帯をするようになったものです。
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この回答へのお礼

隠れて妻帯していた僧侶はいたと思いますが、教団の幹部クラスが揃ってやっていれば、渡りに船と解禁したかも知れませんね。
私自身、宗教家に世俗と異なる清浄さを求めるのは間違いとは思うのですが、近隣の寺院で投資の失敗で夜逃げしたり、痴漢で捕まったり、経営する幼稚園の保育士の給与をごまかして訴えられたり、凡そ宗教家とは思えない僧侶がおり、嘆かわしい思いです。

お礼日時:2006/04/20 08:50

こんばんは。



 お寺さんと接する機会の多い仕事をしています。

 世襲に問題がないとは思いませんが、実際問題としては他からお寺に入られる方があっても、問題は起こりますよ。
 跡継ぎがないなどの理由から、自分の仕事をしている範囲では、世襲でないお寺の継承が増えてきましたが、個人的な心証として次の代になって「良くなった」と思えるお寺は、あまりないですね。(何をもって「良くなった」とするかはいろいろな見解があると思いますが・・・)

 世襲が、現在の寺院をとりまく状況の元凶とは必ずしも言えないのではないかな、と感じています。要因の一つに挙げられる事柄ではあるのでしょうが・・・
 世襲であろうと外から入った方であろうと、要は人の資質の問題だろうと思いますし。

 それに、宗教に関心のある方が増えているといっても、それは寺院の実務に関心があるわけではないのではないでしょうか。
 在家から修行して、いろいろな縁からお寺に入られる方は確かにおられます。しかしながら大部分の「宗教に関心のある方」にとって、檀家さんのお仏壇やお墓にお参りしたり、(宗派によっては)祈願をあげたり、お寺の経営や運営に腐心したりといった実際のお寺の「宗教活動」と、自身の関心との間には、かなり距離があると感じるのではないかと思うのですが・・・

 反論みたいな感じになってしまいましたが、自分も仕事上、いろいろなお寺さんにまつわるトラブルを見聞きします。ご質問文にあるような事柄は、けっこうどこでもあるのだな、と感じました。

 まだまだ地域コミュニティーの中にお寺も含まれているような地方では、いったんトラブルが起こると本当にややこしいですね。住民側、お寺さん側双方の側の話を聞くことがあるので、どうにかならないものか、と思いますが・・・

 
 教義については詳しくはありませんが、各宗派とも、妻帯に関して教義を変えるというようなことはなかったのではないかと思います。

 自分は、こういう二重基準状態を生み出したのは、「日本」の文化というか気風というか、そういうものが大きいと感じています。それと、仏教が外来宗教であることでしょうか。
 外から入ってきた異質なものを受容する過程で生じた変容の一つが「戒」のなし崩し的な有名無実化だったと思いますし、それは良し悪しを超えたものだと感じています。(仏教本来の教義からすればとんでもないことなのでしょうけど・・・)

 大部分の人々は時には嘲り、批判しつつも「お寺に奥さんがいる」状態を「そういうもの」として受け入れているのだと思います。こういう事柄を突き詰めていけば、本一冊書けるぐらいになるでしょうけれど・・・

 要するに、目の前に「自分は結婚しないし、女犯しない。他の戒も厳格に守る」と言うお寺さんがいたら、たいていの人は(少なくとも自分は)、志は立派だと思うが、この人は相当な変人だなと引くだろうと思うわけです。(そういう感覚が「日本」なのだろうと思います。)

 たいていの人は、厳しい行に明け暮れる修行者を畏敬し評価しつつも、一方で「お寺に奥さんがいる」状態も普通に受け入れているわけで、各宗派教団が強引にそういう状態にもっていったというわけではないと思います。
 お寺さんがあっという間に世襲が常態化する状態になったのも、社会一般がそれを受け入れたから、という要素も少なからずあると思いますし。

 思いつくまま記してしまい、まとまりなくてすみません。では。
 
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この回答へのお礼

確かに問題は世襲だけではありませんね。
私も周囲に禅宗系の僧侶が数人いますが、割と淡々と生きているようで、仏教に対してしっかりした考えを持っている方もいれば、たまたまお寺の息子で所定の課程を経て僧侶になったというものもいます。
僧侶でありながらミッション系の学校の教師に応募し、面接で撥ねられたと言う、笑い話のようなことまで。
極論すると個人の資質と思いますが、お寺が信仰の場から葬式の場になってしまう現況はどうも違和感があります。
住職に家族がいることはよいにしても、あまりに人間くさい面を出すのもどうかと思います。
キリスト教のように本山から派遣された僧侶が数年間住職を務め、別のお寺に移動していくと言う形が望ましいのではないかなと、私は思います。
宗教家には清潔であって欲しいと言う願望があるので、過度の期待かも知れません。

お礼日時:2006/04/21 08:21

曹洞宗の僧侶です。



正直に申し上げて、在家の方が「お寺の世襲」云々を言われると「あー、この人は実態を知らずに思い込みだけで言ってるのだなー」と思います。
実際のところ、真宗のようなもともと血統相続の伝統のある宗派を除いて、「お寺の世襲」はそれほど進んでいません。私の寺も祖父住職からの血統でいうと3代目ですが、私の子どもはお寺さんになりませんので、この3代目で「世襲」は終りです。周りを見回しても4代以上血統で続いているお寺さんはまずありません。一般に住職が死んだ後の家族(寺族)の立場は弱く、次の住職が入れば何の補償もなく追い出されるのが一般的です。そもそも大多数のお寺は宗教法人のものですから「お寺が住職一家の私物」になどなり得ません。また、宗教法人の運営は責任役員(檀家さんや縁のあるお寺さんなどで構成されています)の合議制ですから、もし住職が不適任だと思えば、本山に告げ口などするまでもなく臨時役員会を開いて解任を議決すれば良いだけです。実際に私の知っている例で、そうやってお寺を追い出された僧侶の方が数名います。
Kindon98さんの身近にも「禅宗系の僧侶が数人いますが、割と淡々と生きているようで、仏教に対してしっかりした考えを持っている方もいれば、たまたまお寺の息子で所定の課程を経て僧侶になったというものもいます」とのことですが、その中に「お寺が住職一家の私物となってしまい、一部寺院では住職が投資に走ってお寺が潰れたり、檀家が問題の多い住職の交代を要求しても居座り、本山もそれ以上は介入できず困る事例」があるのでしょうか。
おそらく、雑誌などでスキャンダラスに取り上げられる極く一部の僧侶が起こした事件を、全体的な傾向のように思いこまれ、短絡的に「お寺の世襲」と結びつけておいでなのでしょうが、これらの問題は全く別のものです。
私が住職になってヒシヒシと実感していますが、現代ではお寺を安定して維持していくためには「世襲」が最も合理的で、檀家の皆さんに物心両面で負担をかけない方法です。
他宗派はわかりませんが、私の所属する曹洞宗では得度してから住職になれるまで早い人でも5年間は必要ですし、費用も百万円単位で必要です。これを負担して弟子を作るとなれば、やはり自分の子どもを後継者にするのが一番差し障りがないことが分かります。たとえば、全く他人の在家の方が弟子入りを希望してきて、それを受け入れたとして、5年間の弟子の衣食住を負担し、必要な衣資料や儀式などの経費を出してあげられるお寺はまずないでしょう。弟子入り希望者自身がそれを負担できたとしても、結局のところ師匠として、その弟子を一人前にするには有形無形の負担はとてつもなく大きいのです。住職やその家族の持ち出しで、それを賄えなかったら檀信徒の方はそれを補填して下さるのですか?
曹洞宗には公称で15000ケ寺ありますが、その内、修行僧を受け入れて住職資格のために必要な公式の修行をさせることができる道場(本山僧堂、専門僧堂)は30ケ寺もありません。単純に「修行」の受け入れをしているお寺を加えても100ケ寺あるかないかでしょう。現代では、一人の僧侶を作ることは、とんでもなく大変なことなのです。
そうして一人前にした弟子が良い僧侶になれば良いですが、もしハグレ者になってしまったり、結局、お寺をやらずにどこかに行ってしまったら‥‥というリスクを考えると、他人を弟子にとってお寺を継がせるなどということは、口で言うのは容易ですが実際にやるとなればほとんど不可能に近いことが分かります。
もし、本当に出家してお寺を持ちたい在家の方がいるのであれば、別に既存のお寺に弟子入りしなくても、自分でお寺を作ればいいのです。自宅のリビングを集会場にして、信徒をあつめ、説法なり何なりをすれば良いだけの話です。既存のお寺に入り込んで体面を整えようなどというのは、単に宗教がかった「事業欲」であって、仏道への発心ではありません。その違いが分からない「弟子入り志願者」が私のところへもタマにきますが、「しばらく坐禅に通ってみてください」といって様子をみてみると、だいたい2ヶ月ほどで来なくなります。正直がっかりしますし、世間一般の「宗教に関心」などというものは、しょせんこの程度とも思います。
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この回答へのお礼

まず私の周囲で問題の多いお寺は曹洞宗ではありません。
うちも実家は真宗なのですが、近所にあったお寺はバブルのときビルにして、投資もやっていましたが、2年前に不渡りを出して倒産。
また、私も通っていた幼稚園の若園長ですが、町内会の打ち合わせをファミレスでやっていたら、駐車場で車の灰皿から火のついた灰を捨てて出てくる、教育者/僧侶/消防団員としてどうかという話があり、去年入園児童の募集を中止したのが、補助金を猫糞し保育士の給与をピンはねしたのがばれて、警察に捕まったということが暴露された。
またお寺の経営が楽ではないことは処置しており、私の知人(曹洞宗)も専業僧侶はかなりの檀家を持っているか都心のお寺で、郊外では月参りのお経が長い割りにお布施が安いので、兼業が多く、知り合ったばかりの頃は意外でした。
もっと儲かる仕事と思っていましたので。
ただ彼らと話していても、一般人が僧侶になる事には排他的で、積極的に受け入れると言う考えがないように感じます。

>自宅のリビングを集会場にして、信徒をあつめ、説法なり何なりをすれば良いだけの話です。

これが現在新興宗教と呼ばれるもので、ここの過去レスでも伝統宗教よりも熱心な信者が多いように感じます。
また教祖自身、教団が大きくなる以前はかなりピュアに信仰心を持っており、教団が大きくなって、取り巻きが出来て物欲に染まる場合が多いようです。
逆にこういったピュアな信者を取り込むには、現在の世襲は改革が必要と思います。
知人の話を聞いていても、一般人が僧侶になって行くことを余り歓迎しない口ぶりなので、ちょっと気になります。

それと今回の質問ですが、「妻帯しない」という教義は法律云々の前にあったと思いますが、何故明治になって教義を変えてしまったか、矛盾を感じなかったのかと言うことです。
例えば牛を食べないと言う宗教がある国で、政府が牛を食べるのはかまわないと決めても、教徒は宗教上の理由から牛は食べないと思いますし、食べることを強要すれば宗教戦争になると思います。
明治政府も、かまわないといっているだけで、僧侶は既婚者しかなれませんと言っているのではないので、教義を変える必要はなかったのではないでしょうか?

お礼日時:2006/04/24 09:14

ANo.3の者です。



>ただ彼らと話していても、一般人が僧侶になる事には排他的で、
>積極的に受け入れると言う考えがないように感じます。

>知人の話を聞いていても、一般人が僧侶になって行くことを余り
>歓迎しない口ぶりなので、ちょっと気になります。

と書かれていますが、そもそも在家の方の出家を僧侶側がなぜ「歓迎」しなければならないのですか?
仏道はママさんバレーやテニス同好会ではありません。経緯はどうあれ、出家して仏道に入った者はそれなりの覚悟と矜持をもっていますから、どこの誰とも知れない人がひょっこりやって来て「出家させてください」といっても信頼も信用もないのにどうして「歓迎」などできるでしょうか。
達磨大師に師事した太祖慧可禅師は、どうしても入門を許されず、ついに自らの肘を切り取って自分の発心が単に世知や名利を求めるものではないことを示し、やっと入門を許されたそうです。
まさか現代の人に腕を切れとは言いませんが、その形ではなく心は現在の出家得度にも通じるものがあります。実際に志を持って仏道に入られた在家出身の方はたくさんいらっしゃます。要は本人の覚悟しだいです。どうも、在家の方で「僧侶は閉鎖的」と仰る方々は「出家」をかなり甘く見られているのではないでしょうか。

>「妻帯しない」という教義は法律云々の前にあったと思いますが、
>何故明治になって教義を変えてしまったか、矛盾を感じなかったの
>かと言うことです。
>明治政府も、かまわないといっているだけで、僧侶は既婚者しか
>なれませんと言っているのではないので、教義を変える必要はなか
>ったのではないでしょうか?

教義を変えたわけではありません。妻帯を禁じたのは教義そのものではなく律とか清規と呼ばれる教団内での規則によるものです。妻帯が不邪淫戒に触れるかどうかという点には議論があり(私自身は触れると思っていますが)、日本だけでなくチベット仏教の宗派にも公然と妻帯、「世襲」を容認しているところがあります。
戒と律との関係は、とてもこの解答欄で書き切れるものではないのですが、不邪淫戒に触れる僧侶の妻帯を非難される方は、同時に不殺生戒に触れる僧侶の労働(穴を掘ったり、木を伐採したりといったこと。釈迦の教団では律で禁止されていました)をも非難されなければ片手落ちになりませんか。戒律の遵守を要求されるのであれば、僧侶がそのようにしてもお寺が維持できるように檀信徒の方が今以上の援助(おそらく物心ともに数倍、十数倍の布施、寄進が必要になります)をしなければならなくなります。それが不可能である以上、お寺と教団の維持のために、いろいろな矛盾を抱えながら宗教活動をしているのが現代の僧侶で、その背景を理解せず単に下世話な部分でアレコレ言われるのは無責任な悪口でしかないと思います。そのような話をされたいのであれば、どうぞご勝手にお話ください、と言うしかありません。

>逆にこういったピュアな信者を取り込むには、現在の世襲は改革が
>必要と思います。

お言葉ですが、私の知る限り「ピュアな信者」を取り込んでいた新興宗教の教祖方は多くが妻帯者ですし、いろいろな面で「世襲」も蔓延っているように見えますが、その点はいかがでしょうか?
「世襲は改革が必要」と言われますが、改革が必要なほど伝統仏教教団での「世襲」は一般的なものではありませんし、制度化されているわけでもありません。
それに、「世襲の改革」が、どうして「ピュアな信者の取り込み」に直結するのでしょう?私にはどうも論理の飛躍があるというか、脈絡があるようには思えません。だいいち、「ピュアな信者」を取り込まなければいけないんでしょうか?私には疑問です。
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この回答へのお礼

論点としては、何故江戸期までは禁止されていたことが急に明治になって変わってしまったか、つまり諸外国を見ても宗教のシステムを変えるとものすごい混乱があり、各地でカルトというか、従前のシステムを墨守しようとする勢力と新しい時代に沿ったシステムを構築しようとする勢力が出てきて、大きな対立になることも少なくありません。
例えばイスラムで、女性が公衆の面前で素顔をさらすことを政府が許しても、許せないと考えるカルト勢力が見せしめにそういった進歩的な女性を殺すとか。
日本の場合、割と速やかに僧侶の妻帯が進み、門外漢から見るとどうも不思議なんですよ。
それは仏法の堕落と批判する声が出てきたり、時代なんだからかまわないのではないかという意見が出てきたりして、かんかんがくがくと大論争の末、現在の形に収まったのかどうか。
#1さんの回答では、既に妻帯と言う実態出来ていて、それを公にあわせたような意見が出ましたが、sgmさんの回答では、江戸期は藩や幕府から物心両面の保護があり、僧侶も仏道一筋に励めばよかったのが、明治になってこういった保護がなくなり、寺社経営の必要性が出てきて、家族経営という自営のような形態になった、ということでしょうか。
今回の質問ですが、宗教論ではなく、この移り変わりということが知りたいのです。

お礼日時:2006/04/24 14:58

ANo.3、ANo.4の者です。



>日本の場合、割と速やかに僧侶の妻帯が進み、門外漢から見ると
>どうも不思議なんですよ。
>それは仏法の堕落と批判する声が出てきたり、時代なんだから
>かまわないのではないかという意見が出てきたりして、かんかん
>がくがくと大論争の末、現在の形に収まったのかどうか。

もちろん、最初にはどの宗派でも議論がありました。後でキリスト教などの他宗教勢力から突き上げられて仏教界あての太政官布告は撤回されたような、撤回されなかったような有耶無耶の形にされてしまうのですが、ほとんどの宗派では、明治20年代の初めまでには妻帯容認の方向で教団内の意見調整がついたようです。中には強硬派もあり、明治末年まで根強く妻帯再禁止を訴える運動をするお寺さんもいました。
世間一般の風潮としては、明治30年代頃まではお寺さんとの結婚には強い抵抗感があり、僧侶との結婚が普通のこととして認識されるのは大正時代に入ってからのようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり幾らかの抵抗はあったのですね。
本来は歴史のカテで質問したかったのですが、こちらの方が詳しい方の意見が聞けると思いまして。
実はsgmさんが出家はするほうも受け入れるほうも生半可の気持ちでは出来ないと言うお話は私も大賛成です。
他宗の僧侶ですが、先に出したファミレスの駐車場で火のついた灰皿を空けた僧侶など、幼稚園の補助金の不正流用ばかりでなく、痴漢で捕まったこともあり、こういったことは若気の至りと考えても、少なくとも警察沙汰になった過去があれば、身を律して、教育者・宗教家としてふさわしい振る舞いを普段から心がけるべきで、そもそも教育者・宗教家としての心構えが無かったのではないかと思いますし、お寺の息子であってもこのような人間は他の道へ進むよう諦めさせるのが本人の為ではなかったかと思います。
私が同じ事をやっても不良オヤジで済みますから。
もう一人のカトリックの施設に就職しようとした僧侶もどうかと思いますが、こちらはけっこうよい方で、僧侶でなければ就職試験に合格していたと思います。(妻の同僚で塾の講師です)
曹洞宗の方で気になったのは、一人だけ丸坊主は嫌だといってる知人ですが、それでも甲子園の球児程度には短くしており、戒律は厳しいようですね。

お礼日時:2006/04/24 17:22

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