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神様がいるよ~って方は、

あなたがいるとする神様の定義(宗教名でもいいです)と
神様がいる理由(存在証明)を教えてください。


神様なんていないよっ~て方なら不在証明を。

私は一般的な宗教そのものに疑問を持っていたので
神様がいるとされる方の理由を知りたくて
質問しました。

回答内容に疑問が浮かんできたら
お礼のなかで再度質問させてくださいね。

頭が悪いので分かりやすい言葉で
お願いします。ヽ(´ー`)/

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A 回答 (80件中1~10件)

おっとり刀で参加させていただきます。


基本的には【神を信じる】ということは論理性放棄に過ぎないと考えています。


人智の及ばぬ宇宙の摂理に基づき人間の言動も含めた森羅万象の起承転結は営まれています。
そして『人智の及ばぬこと』を怖れ、何とか『及ぶこと』にしたいという欲求を人間は持ちます。
これを論理的、あるいは科学的に解明するには時間が必要ですし、ひょっとすると永遠に不可能なことかもしれません。
不安のあまりそれを待ちきれず、論理的(科学的)解明を放棄して「人智の及ばぬ宇宙の摂理」を神と名付けることで納得しようとした、ということだろうと思います。
わからぬことは「神の御業」と言えば済むのですから安心できるわけです。

つまり、全てを理解する能力を未だ持たない人間が拙速に全てを理解(把握)したがる結果として神が捏造されたということです。
理解できないものを強引に理解した気になる、という点で宗教ほど傲慢なものはないだろうというのが私の見解でもあります。
それは、人間の精神の可能性をひたすら矮小化する結果をもたらしているように思います。
必要なのは
「わからないものはわからないものとして」
「全てをあるがままに」
見つめる勇気でしょう。

ただ、方便と割り切っての宗教は認めたいと思います。
宇宙の摂理という我々には理解不能なことがある、という大前提を認めた上で、それを便宜上「神」と呼ぶことに何の差支えもないからです。
似ているようですが、「神こそ宇宙の摂理」という思考手順とは正逆のものと言えるでしょう。


「神様」と呼びたいような現象や人が存在した、あるいは存在する、ということはあるでしょう。
ただ、それも「宇宙の摂理」の一部にすぎないわけです。
この一部と全部を同一と見做す大きな論理破綻によって人間が生み出したものが宗教であり「神様」と言えるのかもしれません。

「不在証明」としては、
『大いなる未知を超えるものは存在し得ないから、「神」という名称が与えられた時点で最早「絶対的な存在」ということはできない。
しかし、その絶対性ゆえに名付けられたのが「神」という呼称であるはずだ。
結果として矛盾が生じ、「絶対的存在としての神」は存在しないことになる』
といったところになるでしょうか・・・。

「大いなる未知」自体を神と言うのだ、という声もありそうですが、なぜその未知に神という呼称を与えなければならないのかという疑問に対する答えは恐らくないと思われます。
まず最初に神がいた、という考え方もありそうですが、【「最初」の前】はやはり「未知(あるいは無)」であったはずですから、たとえ神と言えども未知の宇宙摂理を凌駕することはできないということになります。
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この回答へのお礼

こんにちは。
お仕事の関係でお返事が遅くなりました
ごめんなさい。
久々の神様不在さんですね。

すっすごくわかりやすい!!
非常に分かりやすく教えていただいてありがたいです。
文章のまとめ方も圧巻ですね(゜Д゜;)
回答ありがとうございました。

そんなhakobuluさんに伺いたいです。
人は社会性のある生き物でコミニュティを
作って生きたがります。

圧倒的多くの人類が、今まで宗教を通して
善悪の基準や道徳を教わり受け継ぎます。
宗教に変わる道徳心を育むとしたら
何に求めるべきだと考えますか?

お礼日時:2006/06/19 15:16

神様が居るのか居ないのか私にもわかりません。


正直、どちらの意見も信じきれない部分があります。

全ての人が神様が居ると信じれば神様は居るのか?
全ての人が神様など居ないと思えば神様は居ないのか?
どちらも違うような気がします。

居ると言う人も居れば、居ないと言う人も居る。
居るかもしれない、居ないかもしれない。
居るという事を証明できない人も居るし、
居ないという事を証明できない人も居る。

居る事を証明できた人が居ないから居ないと思う、
居ない事を証明できないから居るかもしれない。

そんな特定できないものが「神」なんじゃなかろーか?

この回答への補足

たくさんの方々からの回答
本当にありがとうございました!!

失礼なながらこの場を借りて
お礼申し上げます。
ってもう誰も見てないか・・・

ポイントは全員におくばりしたいのですが
信じている方から一名
不在を訴えられた方から一名
選ばせていただきました。
しかし感謝の思いは、皆さん同じでございます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

補足日時:2006/08/11 09:49
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!!

<そんな特定できないものが「神」なんじゃなかろーか?

ほーむ。そうですね、人それぞれの神様ですからね。
特定できないものが「神」ならば、ますます
信じる意味も特定できなくなりますね♪

お礼日時:2006/07/26 10:50

な~んか、削除に必死になってる奴ら思うと、おっかしくて、おかしくて!^^


真面目に回答しよう~っと^^ 
No.77、好きな数字でゾロ目・・・カムバ~ック(無理か^^;)

最近思うんです。No.57さんに考えが近いでしょうか。

私が神だ!などと大それたことを言えるはずもないのですが、無宗教の私にとって、なにかに縋りたい時、ある人は宗教に縋る時、私はどうしているんだろうか?と。

もしかして、自分の中の能力を信じて、「大丈夫、なんとかなる」って思っているのではないか、と。これは言い方を変えれば自分の中に、小さな、本当に小さな「神」を見つめているのではないかな・・・と^^

神と言えるんだったら、「いる」でしょうね・・・^^
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この回答へのお礼

ヽ(´▽`)ノどもども!!

自身を信じることは、非常に困難ですよね。
神や一定の宗教を信じて
物事の選択やその結果を他に依存する生き方は
きっと楽だと思います。

私もakiracchiさんがおっしゃるような心持を
常に持ち続けたいです。

たとえば「ある結果」を待つ2人がいたとして

<自分の中の能力を信じて、
<「大丈夫、なんとかなる」って思っている人



自身の信じる神に祈りをささげる人

を比べると私は前者に共感と人類の希望を感じます。
結果がよいものだった場合を考えても
自分の思う結果でなかった場合を考えても。

回答ありがとです。

お礼日時:2006/07/26 10:19

>ある一定の宗教や神様を信じていることは


人が共存していく中で、現在のみならず
将来的にも、問題ない行動と考えますか?

信じること自体は何の問題でもなく、ホントに勝手にどうぞって感じで、個人の趣味や信条を強制するわけでもないんですが、問題は、神(含その他の非科学的概念)を利用して尤もらしく人間を支配する(大袈裟かもしれませんが)行動にあるんです。毒ガスを地下鉄に撒き散らしたりetc

神を信じたきゃ信じていればいい。そうやって自らの世界観を狭めて(なぜなら、宗教や神の概念といったものの偏った(集団的主観的な)ものの見方、スリットを通して生きていくことになるから)、”楽”な生き方をするのも1つの生き方でしょう。

客観的、そして一般的(完璧とまではいかなくとも)な視点でもって生きていく方が私は良いと思いますけど何か?ヽ(´0`)/ほなな~
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この回答へのお礼

たびたびありがとう!!
ほほう。tuort-sigさんの過去の発言からすると
もっと宗教に対して厳しい姿勢かと思ってましたよ。

<問題は、神(含その他の非科学的概念)を利用して
<尤もらしく人間を支配する(大袈裟かもしれません
<が)行動にあるんです

ここの見極めは難しいですね♪
おおよそこの世に存在する多くの宗教は
直接的であれ間接的であれ、ある程度
人のこころを支配しますし
歴史すらも支配しました。

そもそも人の心を一定の価値観で支配するものを
「宗教」と呼ぶのかもしれません。そのことに
気づかずに無邪気に神を利用し続ける人類は
いつ神を客観的に理解できるようになるのでしょうか。

回答ありがとうございましたヽ(´ー`)/

お礼日時:2006/07/26 10:03

やっぱりおもしろい。

ここ。

宇宙全てがエネルギー全体で神とすると・・・
人間も動物も植物も太陽も神を構成する一部だと
思ったりもします。

神が神をうやまってる姿は変だなー。

それよりも目の前にある食べものに感謝ですね。
動物とか植物は私たちの栄養となってくれてる
わけです。(エネルギーを与えてくれてる)

太陽の光がないと生きていけませんし。感謝。

全てがつながってて世界を構成してますのでそれ
全体を敬うほうがいいと思います。
神ってことば使うからおかしなことになるのです。
解釈の仕方ちがうし(一神教、多神教、自然崇拝など)

自分は自然崇拝、アニミズム系かもです。

全体を神とみなすなら・・
一神教もありと思えますがそうではない宗教が多い・・・。

ギリシア神話とか日本神話とかのほうが神が人間っぽく
記述されてておもしろいですよ。
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この回答へのお礼

どもども!!
回答ありがとうございます。

非常に分かりやすですね。
<全てがつながってて世界を構成してますのでそれ
<全体を敬うほうがいいと思います。

この気持ちは大切ですよね。
みんなかそんな気持ちでいられたら
良いのですが♪

お礼日時:2006/07/26 09:50

神という言葉を使うと定義が難しいですね。



膨大なエネルギー源と言い換えるか宇宙の源。
などといえば、多少解釈がやさしくなるかも
しれません。
そうすれば神は万物をおつくりになった
(なぜなら宇宙のエネルギー源だから)と説明も
つきます。

神は万能という説には疑問です。
万能なら、人間がこんなに間違いをおかす?
戦争する?それをとめられないの?と疑問です。
神は万能ではないと思います。
神もカオスの状態であり、万能ではない。

神も修行してるかもしれませんよ(笑)
自分の不完全さを克服するためにね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!!!ヽ(´ー`)/

そうですね。
宇宙の源とするなら理解しやすい解釈ですね。
神と呼ぶものがあるとするなら
あくまでも現在の原因であるとする意見も多いですね。

<神は万能という説には疑問です。
<万能なら、人間がこんなに間違いをおかす?

おっしゃるとおりですね。
キリスト教の方々にはたくさんの反論があると
思いますが・・・

本当に人というのは不思議な動物ですね。

お礼日時:2006/07/06 13:33

世界の9割の人にとって一般的であろうが、この世の全事象にとっては一般的ではありません。

そもそも人間自体が特殊なんです。
神の概念は全事象にとって特殊な事象に過ぎません。別に”いる”と信じることは悪いことではないですし(単なる誤解に過ぎないので)、勝手に信じていればいいのですが、それは何も”神”に限ったことではなく、如何わしい能力(例えば、オーラの色を見分けられるだとか、先祖の霊が守っているのがわかるなど、言い出せばキリが無い諸能力)にしても然りであるということに注意しましょう。”神”はその(特殊な)範疇にしっかりと入っています。
このことは自明なので証明のしようがないのですが、ヴェンダイアグラムを作って検証してみてください。きっと分かるでしょう。
作り方は下記参考URLにて確認してください。では。<m(__)m>

参考URL:http://en.wikipedia.org/wiki/Venn_Diagram
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この回答へのお礼

たびたび、ありがとうございます♪

なるほど。ヴァンダイアグラムを使うことで
理解してもらうわけですね。
やはり数学的だったり理論的な方法で
神の不在を解釈してもらうわけですね。

<勝手に信じていればいいのですが

とありますが、tuort-sigさんにとって
ある一定の宗教や神様を信じていることは
人が共存していく中で、現在のみならず
将来的にも、問題ない行動と考えますか?

神の不在を理論的に証明していく方法と
宗教の存在そのものの問題や矛盾を解き明かす
方法とどちらが信じている人にとって
わかりやすいのでしょうね。

長いお付き合い、感謝ですヽ(´ー`)/

お礼日時:2006/07/06 13:26

#66です。

ご返事ありがとうございます。
>宗教に代わる道徳心を育むとしたら
何に求めるべきだと考えますか?
:難しいご質問だと思いますが、基本的には論理性の重視が最も重要ではないかと感じています。
尤も、論理性自体が歴史の局面により自ずから左右されてきた(そして左右されている)流動的なものであるとの事実を思い起こせば、普遍的な論理性を求めようとするのは不合理なことなのかもしれません。
そうなると、
【論理性の拠って立つところを常に『人間の可能性』に置く】
ということ。
言葉を変えてみれば、
【何かの目的の為に人間の可能性を放棄(または無視)するような思考形態に抗い続ける】
といったようなことを気長に続けていくことで、いつか人間のDNAが神を不要とするだけの強靭さを獲得する日がくるのを待つのみ。
という気もしてきます。

あらゆる職業(または無職)の場で、どのような人間であっても、相手が大勢であっても一人であっても、他者への影響がこのような形でなされるのがごく当たり前の時代が訪れた時、我々は神を必要としなくなるような気もします。
それまでは、神にすがることによって人としての可能性の芽を摘むような方向性は拒否するという気概と、神の名の元に人を救っているつもりで実は自分自身が救われているのだという単純な事実を見落としたりしない謙虚さが、クリアーすべき当面の課題であるのかもしれません。
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この回答へのお礼

いつも小生の質問に
付き合ってくれてありがと♪

さすがにこの問いは意地悪で難しいですよね。

しかし、この問いを理論的に解決しようと
するその姿勢をはぐくむこと自体が
意味あるものかもしれませんね。

すばらしい回答を
ありがとうございますヽ(´ー`)/

お礼日時:2006/07/06 13:13

#69です。


何を「神」と定義するかの出発点から一致がないので、効率的な議論が出来ていないのですね。

パチンコで30連荘したら神とか、宝くじで高額2度以上取ってれば神ということならわかりやすい議論ができるのかもしれませんね。
スポーツ選手もなれるかもしれません。

わたくしの場合は、あらゆる神秘的な要素もうさんくさいとこともわかっているのですが、父と子と精霊を、自分の欲求から是認しております。

ながらく宗教を否定してきたわたくしが、そんな稚拙な論理立に帰依してしまうことも不思議な現象です。

現在の社会で存在する階級的な支配と差別を根絶しようと言う科学的社会主義の立場が現存する社会をもっとも客観的に科学的に分析していることを否定することは出来ませんね。

わたくしの場合では、それでもローマを信じるというのは、人類に普遍的な愛を実践的体系的にひろめようとしていることの素敵さに参ってしまっているからでしょう。

社会や自然の解釈では科学的社会主義の偉大な理論的到達には、いかなる宗教哲学も論理的な論駁は無理と思えます。

それでも、わたくしがカトリックを選んだのは
幸福感を間違いなく得られる「愛」、人類愛の概念と実践の優位性
理屈なく災害発生すれば直ちに救助隊を損得なしに派遣する愛
神を信じる者も信じない者も共同して、他者への地上での愛を実践
しようとしていること。

すごく乱暴な議論立てます。
神に触れた人たちは科学や、その亜流の人道主義に基づいた人たち
よりも常に真っ先に困っている兄弟姉妹を助ける活動をすすめてい
ること。

知識、知能に劣る人たちであっても、神を信じ、その教えに従うことが、現世の一番の救済になっていることが大事です。

私なぞから拝見すれば、その教化力こそ神の存在証明にしたいかもしれませんね。

そのこと自体が奇跡ですから。
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この回答へのお礼

たびたびのご回答ありがとうございまする。

イエスの教えについて
「人類に普遍的な愛を実践的体系的にひろめようと
 していることの素敵さに参ってしまっているから
 でしょう。」
なんだか素直な方ですね。気持ちがすごく伝わってきます。

たしかに理屈を抜きにした無償の愛は、
マザーテレサの生涯などを目の当たりにすると
深く感動を覚えます。

科学的社会主義もまた、到達困難な
理想のイデオロギーですね。

<知識、知能に劣る人たちであっても、神を信じ、
 その教えに従うことが、現世の一番の救済に
 なっていることが大事です。
 私なぞから拝見すれば、その教化力こそ神の
 存在証明にしたいかもしれませんね。
 そのこと自体が奇跡ですから。

そうですね。
おっしゃるとおり知識の優劣と救済心は別物ですね。


どうしても私にはわからないことがあるのです。
人類が誕生してコミニュティを作るようになって以降
「より多くの人が幸せに暮らす。」
という命題にたくさんのイデオロギーや宗教観が
生まれてきました。
たくさんの神もまた生まれてきました。

科学的社会主義の実践にしても
より高度で国際的な共産主義の実践にしても
そのイデオロギーを実践するためには
理解する知識はもちろんの事、全ての人に
それを怠けず実践する理性が必要に思えます。

またイエスの愛を継承し実践するのも
イエスの愛を理解するだけでなく
多くの人がそれを信じ、心清くあり続け、
後世に伝えていく必要があります。

はたして、全ての人がそのような理性や信仰心を
手に入れる日はくるのでしょうか。
また、単一の宗教感やイデオロギーを
全人類が信じたとき、共有したとき、
それがパラダイスなのでしょうか。

話がそれてしまいまして申し訳ないです。
これは別の機会に質問してみます。

お礼日時:2006/07/03 14:37

不在証明も存在証明もできません。

信じる人がいると言ったらいるんだし、信じない人には何を言ってもいないに決まっているからです。いる、いないは別にして、神様って何て聞かれたら、百人いれば百通りの神様が、信じる人には信じる人の神様が、信じない人には信じない人の神様が出てきます。これは、宗教的にいうところの神様とは次元が全く違う問題です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
たしかに証明することは難しいですね。
100人いれば百通りの信念があるのかもしれません。

しかし、そこに客観的な事実を求めることは
意味があることだと思います。

<信じる人がいると言ったらいるんだし、信じない人には何を言ってもいないに決まっているからです。

ココの部分は、私としては悲しいご意見です。
信じている人は信じる理由や経緯があり
信じていない人には同じようにその理由や経緯が
あるはずです。
つまり、それを理解できれば
何を言っても理解しあえないことにはならないと思うのです。

お礼日時:2006/06/29 13:55

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