プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

時代劇を見ていて、いつも感じるのですが、殺陣のシーンで両者が思い切りお互いの刀をカチーンと刃の部分を合わせて暫くにらみ合うという場面がありますよね。

つまり相手の打ち込みに対する防御の意味で自分の刀の刃の部分を使う形です。

チャンバラといいますが、「チャン」 の部分がこの刀をぶつけ合った時の音からきているように感じています。

考えてみると日本刀は凄まじく切れ味が鋭いと聞きます。

両者ともそんな日本刀だった場合、刃の部分はどうなるのでしょうか?  一度合わせただけで、両方とも刃こぼれし、何回も繰り返すとノコギリのようにガタガタになるんじゃないかと思うのですが ・・・

実際、本当の切り合いの場面でこんな事をしたのでしょうか?

それと、もしやれば刃の部分はどうなるのでしょうか?

参考までに時代劇のように主人公ひとりで何人も倒すというのはあり得ないという事は理解しているつもりです。

A 回答 (15件中1~10件)

 うーむ、防具だの合戦だのという話をしちゃった人が無駄にがんばってしまっていますね。

質問の趣旨を質問者の方から再度明確にしてもらうのが良いのですが。

 質問を素直に読めば、No.14 の方の言うとおりなんですけどね。
 「剣の使い方を考慮」なんて言っている人もいますが、そもそもチャンバラにおける「剣の使い方を考慮」しなきゃならない話ですから、それを考慮したらますます防具だの合戦だのという話とは遠くなるのです。「合戦だの討入りをテーマにした時代劇」と限定すればまあ別ですが、そう言っている人はいませんしね。桃太郎侍は合戦に行きません。

 また No.13 で吉良邸討ち入りなんかの話が出てますが、計画的な作戦行動だったら攻める側が防具を検討するのは当たり前の話ですね。で、結論が「防具の影響が大きい」って、質問と全然関係ないじゃないですか。

 質問は、下記です。改めて答えも書いておきましょう。

> 実際、本当の切り合いの場面でこんな事をしたのでしょうか?

答え:
真剣を使い慣れてない人は、やりました。

> それと、もしやれば刃の部分はどうなるのでしょうか?

答え:
少なくとも刃こぼれしますし、たいがい折れたり曲がったりします。
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この回答へのお礼

なるほど簡潔明瞭なお答え、有難うございました。
実は時代劇を見ていて 「刃こぼれしないの?」 と素朴な疑問を感じ、興味本位な質問をしてしまいました。
でも皆様のお答えを拝見し、真剣での斬り合いは剣道や剣術とは全く違う、刀を合わせるとお互いに刃こぼれする、大きく引かないと致死には至らない、大きなダメージを与えても出血多量になるまで時間がかかり映画のように斬った瞬間に即死する事はない ・・ これらがよく分かりました。
愚問にかかわらず熱心に教えて頂いて本当に感謝しております。

お礼日時:2006/05/22 15:10

>刀をカチーンと刃の部分を


>合わせて暫くにらみ合う

チャンバラ時代劇の設定は、時代背景として合戦の無い江戸時代に(何とかこじ付けて)食い逸れの浪人者同士が切り合いになるという前提です。 まあ、なんでも良いからとにかくチャンバラ事態が発生するとして。

御質問の意味は、時代劇チャンバラの様に<暫くにらみ合うという>状況まで事態が進展する可能性が万が一でもあるか、という事が最初と思います。

つまり、想像力豊かな人の回答が必要と考えます。

真剣を使用する以上は一般的な剣道イメージより打ち込みから刃を曳く動きが入ります。 やはり、敵に深手を与えるためには「刃を曳く」必要があるはずで つまり<足ステップを広げ腰を入れて刃を曳く動作が大きくなる>ハズです。

互いが刀の刃を合わせて蹴飛ばせる距離まで近付いたとしても<刃を曳く>動きがあれば、自然に離れる結果にはなるはずです。 よって、互いに抱き合う距離まで(成り行き上)距離を詰めたとしても<暫くにらみ合う>間、先に相手に刃先を加えた方が勝ちです。
相手を押し出してから刀の刃を曳くより、自分で下がって回り、相手に向かい刃先を曳いた方が勝ちとなるのではないでしょうか。

答えは
刃を曳く動作が入るため、刃を合わせた状態で暫くにらみ合うという状況は、「真剣の使い手同士」であれば発生しない。
という事になると考えています。

他の方の言われる様な
>ただ単にありえない、だけでは回答
>としてはいまひとつですしね
万が一でも「にらみ合う状況まで進む事はありえる」事態が想定できれば、私も教えて頂きたいです。 自信ありませんので。

>一度合わせただけで、両方とも刃こぼれし
この辺はそのとおりだと思います。 刀の背筋で打撃をうけ凹みができた真剣の展示を見た事あります。
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この回答へのお礼

有難うございました。実は時代劇を見ていて、刀を打ち合わせるシーンが必ずと言っていいほどよく出るのですが、「そんな事をすれば刃こぼれするだろうが ・・」 と思って愚問を承知で質問致しました。
多くの方からの回答を拝見して、武士同士や、あるいはヤクザ同士 (本当かどうかヤクザ同士の殴りこみでも刀で切り合うシーンがあります) が真剣を使って決闘する時の真の姿が分かったような気がしております。とても参考になっています。

お礼日時:2006/05/22 15:00

No14さんのいうことはもっともなのですが、回答者さんのお礼ででてきた疑問とか、あと剣の使い方なども考慮に入れないと回答できないのです。

これ。
おおきいものは「そういうことはありえるのか?」ということに関する問題でして、これは防具や合戦といったものを考慮に入れなければ適切な回答はできないかと思います。刀は本来の使い方がこちらですから。
ただ単にありえない、だけでは回答としてはいまひとつですしね。
防具をつけていればそれに準じた殺陣になりますし、そういった状態では時代劇のような競り合いはありえないですし、逆に服だけならば~とすれば、それ自体が「ありえるのか」というのを考える必要が出てきます。やはり合戦とかも紐解く必要があるかと思いますがいかがでしょう?
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浅野家浪人が吉良上野介宅を襲撃した事件:浪人たちは防具を着用。



新撰組が不逞浪士を捕縛する際:新撰組隊士は防具を着用。

これらの場合、防具を着用した攻撃側には損害は少なく、素肌で攻撃される側は圧倒的に不利であったようです。

井伊直弼を水戸藩浪人などが襲撃した事件:浪人たちは素肌であったようです。井伊家の武士たちは、柄袋のために刀を抜けずに苦戦したようですが、浪人側の損害もかなりありました。

真剣での斬り合いに防具の有無が大きく影響することがこれらの事例から分かります。
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この回答へのお礼

有難うございました。 真剣での戦いも防具の有無が生き残りの決定的要因になるんですね。 たしかに防具を付けていると思い切った攻撃ができるという事もあるんでしょうね。

お礼日時:2006/05/22 14:50

「時代劇の中のチャンバラ」は、模造刀を使うプロが時代劇の様式の中で演じる「芝居」です。

江戸時代の武士は日常茶飯に素肌で「チャンバラ」をやっていたと考えている方もおられるようですが、生命がいくつあっても足りません。

江戸時代の剣術は、木刀や袋竹刀で稽古するのが普通でした。真剣を振ることはあるでしょうが、真剣を撃ち合って稽古する剣術流派というのは聞いたことがありません。剣術を修業した武士であっても、真剣の斬り合いの修業や経験は僅少か皆無であったでしょう。

武士が刀を抜くことは基本的にご法度でしたから、それでも間に合いました。ほとんどの武士は、刀で戦う機会を持たずに生涯を終えたはずです。

レアケースとして、武士が喧嘩などで真剣で斬り合う羽目になった場合、非常に困ったはずです。何しろ、習ったことがない状況ですから。かなり滅茶苦茶な状況になったことが予想されます。そして、刀を抜いて斬り合った武士は多くの場合に死にますから、真剣剣術の技術が発達することはありません。

時代劇では、武士はいともたやすく真剣を操って敵を斬り倒しますが、フィクションの世界と現実の世界を混同してはいけません。
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この回答へのお礼

なるほど、いかに剣術の名人でも真剣を抜き命を賭けて斬り合うという事は実際には皆無に近かったんですねえ。納得しました。有難うございました。

お礼日時:2006/05/22 14:45

「だから、「切り合い」が真面目に考えられるようになったのは、江戸時代以後になって鎧を着なくなってからです。



ということですが、江戸時代の数少ない合戦、例えば
「島原の乱」
「大塩平八郎の乱」
「第一次長州征伐」
などでは、士分の武士は甲冑を着けて出陣したようです。これらの時期までは、江戸初期から武装も戦術も基本的に変わっていませんから当たり前ではあります。

戦闘時に甲冑を着ないのが普通になったのは、幕末の最後の時期、第二次長州征伐で幕府軍が長州軍に敗北した頃からではないでしょうか。即ち、西洋銃での銃撃戦が普通になった時期です。
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この回答へのお礼

有難うございました。 なるほど、たしかに幕末の戦いの絵や写真をみると戦国時代のような鎧甲冑を身に着けていませんね。銃撃戦に変わった事がその理由なんですねえ。
そういえば西洋でも中世までは重い鉄製の鎧甲冑をつけて戦いに臨んでいましたが、ナポレオンの時代の絵をみると軍服だけで戦っていますね。洋の東西を問わないんですねえ。

お礼日時:2006/05/22 14:41

 まず私が教わった剣術では、討ち込まれた剣はシノギで受け止め、相手の剣を下に滑らせつつかわして袈裟懸けに斬りつけます。



 有名な自顕流は一手目が下から斬り上げ、二手目は斬り下げてきます。それも敵が刀で受けるようならば刀諸共ぶった斬れという教えだそうです。

 とある有名な流派では最初は突きできます。

 殺陣のように剣と剣を合わせるという方法はありません。

 第二次大戦の時、将校は軍刀の刃を刃引きしたそうです。実戦では刃を鋭くすると刃が欠けた場合に切れ味が落ちて何ともならなくなるからだそうです。一番良いのは鉈のように使える身幅のある刀を刃引きする事だったそうです。
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この回答へのお礼

有難うございました。剣と剣を合わせるという方法は存在しないんですねえ。色々とお話を伺っていて、日本刀は現実の戦いでの 「武器」 としては、あまり使えるものではなかったかも知れないと感じるようになりました。 何というか、武士の魂のような精神的シンボルだったかも知れないなと思っています。

お礼日時:2006/05/21 09:42

 既出の答えを見ると、質問者のシチュエーションと違う話が多い気がするのですが。



 時代劇のチャンバラは、鎧など着ない素肌剣術ですから、まず鎧の話は関係ありません。まあ、そもそも甲冑を着込んだ合戦のときに刀なんか基本的には首取りのときくらいしか使われませんでしたし。

 だから、「切り合い」が真面目に考えられるようになったのは、江戸時代以後になって鎧を着なくなってからです。

 で、日本刀同士を打ち合わせたとき、刀は折れるか曲がるか刃こぼれします。刃こぼれで済んだら幸運です。粘りがどうのなんて言う人もいますが、思い切り振り下ろされた鉄の棒を受け止めるときの撃力に耐えることは、細い日本刀では、そうそうできません。

 しかも、日本刀は使うのに技術を要する武器です。例えば青竜刀は誰が振ってもそれなりに切れます。これは、刀身が広いため振るっているうちに空気抵抗で振るう軌跡と刃の方向が一致する(刃筋が合うと言います)ので、振った力がそのまま切断する力として使えるからです。代わりに、かさばり重くなるわけで、携帯性が犠牲になっています。
 この刃筋を合わせる技術を人間に要求する代わりに、青竜刀よりも軽く細くなって携帯性が向上しているわけですね。
 刃筋を合わせられるような名人であれば、折れるリスクは回避しますから刃をあわせません(ちなみに黒澤映画ではそう描かれています)。従って、刃を合わせたときは、振るう側も受ける側も、正面から刃を合わせることがほぼ無いことを意味します。
 だから、刃を打ち合わせる人たちは、たいてい折れたり曲がったりしやすい角度で打ち合ってしまっているわけです。

 ちなみに、元禄時代の日記である「鸚鵡籠中記」に斬り合いの記事があります。傷を改めると、ろくに切れておらず、棒で叩いたような傷だったとか。刃筋が合っていないと、こうなります。
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この回答へのお礼

有難うございました。黒澤映画では刃を合わせていないんですか ・・ 今まで何本か見ていますが、そうだったんですねえ。今度見る時に一度その辺に注意してみたいと思います。でも黒澤映画以外の時代劇なんてウソばっかりですね。細かい事を言わず単なる「芝居」と考えればいいんでしょうが ・・

お礼日時:2006/05/21 09:38

まず、戦国時代は槍と弓(と鉄砲。

あと投石)が主力で刀はおまけ以前の代物だったというのは置くとして・・・

刀の基本は払いですね。まともに受ければ重量の面で相手に部が出て、つぶされますので。
もともと剣道とは、ある意味もっとも実践とはかけ離れた代物でして、弓道とともに「礼節」「鍛錬」といった人の基礎をつくるためのものです。実際に弓道なんかはその人たちが「実戦では役に立たない」「あくまで礼節等を学ぶためのもの」と明言しています。

そのため、実戦においての剣術と剣道は決して一緒にしてはいけないかと思います。
実際に1対1での喧嘩を考えてみてください。わざわざ剣道のように礼を・・・なんてしません。砂かけて目潰ししてもかまいませんし、刀を思い切り打ち付けて体制崩して、崩れたら後は拳やら足で殴り倒してもだれも文句は言いません。石を投げつけることだってありです。もっと言えば竜馬のようにピストルでいきなり・・・だってありです。標的さえ決まっていれば後ろから殴りかかってもオーケーです。
複数人でのやりあいなら、わざと競り合いに持ち込んで、相手を後ろから味方が槍で刺してくれるのを待ってもいいのです。生き残れば勝ち、なのですからね。

なお、刀は古来切るためのものですが、時代が下るにしたがって突くものとなっていきました。
戦場ではどっちも甲冑で完全武装が前提なので、斬る、なんていう発想事態がありえません。特に戦国においては鉄製もありますから、斬ったら逆に刀が傷むだけです。そのため太刀から打刀になるにしたがって、そりは小さく、より軽く、突きに適した形となっています。
突きは確かに接近しなければできません。相手の懐に飛び込む必要がありますから。
でも、それは相手も同じなのです。突き以外で効果的に相手を出血させる方法は、ほかには兜の緒を払って・・・とかもありますが、これは長柄の戦法であって刀の戦法ではありません(刀ではリーチが短いため、突きよりもさらにおくに踏み込まなければならないため有効ではない)。刀はあくまで突くものです。同じ土台で同じものを狙うしかないならば、突きには弱点はなくなりますね。
ついでに言うと長柄に刀で挑むのは無謀なだけです。そういうのは他の、長柄を持っている人か弓、鉄砲に任せるものです。

なお、もしそういった競り合いをやれば、おそらく刀はボロボロ、下手すれば折れる可能性があります(いくら軟鉄と鋼鉄をあわせたものでも折れるときは折れます)ので、相手も自分も、あまりやりたがらなかったのではないでしょうか?もちろんわざともちこんで相手を釘付けにするとかはあったでしょうが・・・
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この回答へのお礼

フムフム、なるほど、1対1の果し合いでも実際には映画のように格好良くいかなかったんでしょうね。たしかに 「生き残れば勝ち」 でしょうからね。 何となく武士の戦いの現実が分かってきたような感じがします。 有難うございました。

お礼日時:2006/05/21 09:32

戦場での合戦では刀も陣太刀という厚い刃の重量のある太刀を使うことがありますが刀をうち合わすような戦い方はしなかったとおもいます。



時代劇のような戦い方は江戸時代、防具や袋竹刀が発明されて、いわゆる剣道(道場剣術)が盛んになってからだとおもいます。

受け太刀という形などは後世のものです。
受けるのではなく払うのが普通だったのです。
真剣はかなりの重量で斬撃にも心得がなければ自分を傷つけるものです。
日中戦争でも自分の足を切った話はよく聞きます。

人体の骨を断つにもかなり鍛錬していなければ刀の刃が寝て断てないものです。
大抵の戦いでは血管のある急所(首の周辺、小手、など)を攻撃し、出血させて意識がもうろうとなるのを待ったといいます。

町中での斬り合いを見た人の話に、遠く離れて刀を振り回していただけで舞いを見ているようだったという位で刀の届く間合いまで近づくにもかなりの修練が必要だったのです。

薩摩の示現流では初太刀に全力をそそぎ一撃で敵を倒すことを教えましたから、これに対しては初太刀さえ外せば後は恐くないといわれたものです。

日本刀で人を切ると骨など硬いものにあたると刃こぼれしますし人体の脂がついて切れ味が低下するのが普通です。
従って心得のある人(足利義輝のように)は必ず代えの刀を用意したものです。
それが両刀を挿している所以でもあります。

日本刀の用法では「突き」を用いるのが刃こぼれを防ぐ用法でこれにはかなり接近しなければ出来ません。
肉を切らせて骨を断つ極意です。

世にいう100人斬りは時日のあいた積算で一日連続のものではありません。
人を斬った後に懐紙などで刀をぬぐわないと、鞘に収めてから血液が凝固して抜けなくなるからです。
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この回答へのお礼

なるほど、相手の攻撃はカチーンと受けるのではなく、払うのが普通だったんですねえ。 納得しました。 それと町中で斬りあう場面ですが、実際には遠く離れて刀を振り回しているだけの時もあるんですねえ。 映画とは随分違いますね。
よく時代劇などでは斬られてすぐに死亡するシーン (特に悪役はすぐに死にます) がありますが、実際には出血多量で死亡するのが多いようですから、ズバッと斬られてからも結構意識があったんでしょうね。
刀に関する興味深いエピソード、有難うございました。

お礼日時:2006/05/18 10:45

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