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以前、旧制高校と旧制官立大学の関係について質問し、
「旧制高校からは帝国大学以外の全ての官立大学に進学可能であった。ただし、その大学に予科がある場合は、予科からの進学が第一順位であった。その代わり、予科生徒は当該大学にしか原則として進学できなかった」
というご回答を得ました。大学予科は、不人気大学が定員を満たすための苦肉の策、という面が強かったようです。

次の疑問ですが、

* 明治大正の頃は、秀才の進学先は「一高・東京高商・陸士・海兵」と言われていたらしい。

* 大正中頃に東京高商が東京商大に改組された後、東京商大には予科が設けられた。不人気であったためではなく、予科段階から商業教育を徹底させるためか。

* 旧制高校から東京商大に進んだという人の話は聞かない。

* 東京商大は、予科生徒のみで定員を充足し、級背う高校からの進学は不可能となる例外的な大学であったのか?

* 同じ官立商大の神戸商大はどうだったのか?大阪商大は、官立ではなく大阪市立であったのでそもそも旧制高校からの進学はなかったのか?

よろしくご教示の程お願いいたします。

A 回答 (4件)

前身が旧制高校でそれが戦後の教育改革で新制高校になった高校の卒業生です



旧制高校時代の卒業生名簿を見ると東京商大(今の一橋)や神戸商科大学(今の神戸大学)に進んだ先輩がかなり多いです、それは昭和10年代に入ってからが顕著です

やはり旧制高校の頭でっかちのエリート意識が薄れて高邁な理論だけいじくる帝国大学より実戦主義の商大の教育が評価され始めたのでしょう 

大阪商大は伝統的に商業学校からの叩き上げの学生を専ら相手にしたので旧制高校卒業生には煙たかったのかも知れません

この回答への補足

以前の関連質問は下記です。
「戦前の官立商科大学への進学」
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2133046

補足日時:2006/05/18 19:30
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この回答へのお礼

さっそくご回答頂きありがとうございます。
「旧制高校から東京商大・神戸商大への進学例多数」となりますと、私の質問自体が事実誤認に基づくもの、となりそうですね。ご教示ありがとうございました。
大阪商大は、東京商大・神戸商大と並列される名門だったようですが、「予科からの進学オンリーだったのか」「高等商業からの進学が多かったのか」など、いろいろありそうですね。

お礼日時:2006/05/18 19:13

>* 大正中頃に東京高商が東京商大に改組された後、東京商大には予科が設けられた。

不人気であったためではなく、予科段階から商業教育を徹底させるためか。
東京高商は、明治時代にすでに予科1年+本科3年+専攻科2年を持ち、専攻科卒業生には学士号が許されていました。つまり、明治期は官立の大学は帝国大学に限るという法律のおかげで「大学」という看板こそ掲げていませんでしたが、内容はれっきとした大学でした。で、官立の単科大学が許可されるようになり上記6年は予科3年+本科3年に改編されました。
つまり、明治期より東京高商には予科があったのです。

ただし、神戸商業大の場合は、まるで条件が違います。
まず、日本に官立の商科大学はふたつ必要ないという国会内の昇格消極論に対し、「商科」ではなく「商業」の大学であるからという理屈で昇格予算を通し、ただし金をかけないため校舎はとりあえずそのまま、しかも4年制の高商を3年制本科のみの商業大学に改組することで作りました。
このため、入学者の質が大きく変わってしまったため、のちに予科新設運動が学内にわきおこり、あとから作られています。
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この回答へのお礼

前回の質問に引き続きご教示ありがとうございます。subaru360様のご博識には感服するばかりです。
東京高商と東京商大が、法的地位が変わっただけで行っている教育は同じであったこと、高商時代から(専攻科)卒業生が帝大卒業者と同等に扱われていたとは知りませんでした。
神戸「商業大学」が、東京商大とは大きく差をつける扱いに甘んじていて、予科を設けて東京商大と同等の一貫教育を施すのが悲願であったというのも初耳でした。さっそく、神戸大学経済学部のサイトで確認しました。予科を欠いた状態が、昭和4年から昭和14年まで10年も続いていたわけですね。

お礼日時:2006/05/19 14:50

>* 同じ官立商大の神戸商大はどうだったのか?大阪商大は、官立ではなく大阪市立であったのでそもそも旧制高校からの進学はなかったのか?



市立大阪商科大学の場合、
昭和4年度の記念すべき第一期生のデータでは、

(1)入学志願者
高校卒  11
予科修了 35
高商  203
その他   4

(2)入学者
高校卒   1
予科修了 35
高商   84
その他   1

※その他は外国人等
です。

高校出身者は商科大に対しては傍系意識が強かったため、このありさまです。これに対して予科からは全入、全国の高商からは半分が合格しています。
一橋、神戸もトレンドは同じですね。
(出典 大阪商科大学60年史 昭和19年刊)
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この回答へのお礼

貴重なデータをご紹介頂き感謝いたします。高校卒が11人志願して僅か1人の入学、しかも約250人中で高校卒業者が1人しかいないとは驚きました。高商で勉強した人が、さらに上のステップを目指して大阪商大を目指していたことが良く分かるデータです。

「一橋、神戸もトレンドは同じですね。」
なるほど。旧制高校から各帝大を目指すコースと、商大予科・高商から商大を目指すコースが画然と別れ、かつ同等の重みを持っていたということですね。

お礼日時:2006/05/19 14:55

ちょっとだけ補足です。



>高商時代から(専攻科)卒業生が帝大卒業者と同等に扱われていたとは知りませんでした。
同種の例は、札幌農学校についてもいえます。
ここも、専門学校ながら卒業生には学士号が授与されていました。
その後、東北帝国大学の農科大学として名実ともに大学に昇格したのはご存知のとおりです。

東京高商は商科の最高学府としての自負がありましたから、札幌脳学校のように、自校が東京帝国大学のなかの商科大学の母体になることまでは受容していたようですが、自校とまったく別の存在として帝大に商科が新設される動きが文部省内の大勢となり、さらにこれと重複して無駄であるという理由で高商専攻科が廃止されることになるや、在学生の総退学という非常手段に訴えてこれを阻止します。(申酉事件)
その頃から、帝大・旧制高校と商大・高商とは学生気質が違うようです。
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この回答へのお礼

「大学という名称ではないが帝大と同等」の事例は二つあったということですね。申酉事件についても、さっそく調べてみました。

subaru360様のご博識に改めて経緯を表し、締め切らせて頂きます。

お礼日時:2006/05/23 18:40

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