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友人にフェミニストがいます。(女性)

彼女は「日本企業における男女格差は先進国でワースト1。最近では韓国よりも明らかにひどい。(どの分野の格差においてなのかわかりませんが) 今も根強い日本の男性優位の文化は恥ずかしい。」と言います。何が何でも男女格差を無くすべき、という考えです。

ただ、私は、職場内での男女格差は是正すべきと考える一方、例えば長い労働時間が必要であった日本の経済発展や日本的経営は男性中心の社会だったからこそだ、少子化による経済力低下は女性の社会進出によるものが大きい等と考え、どうしても100%彼女に賛成する事ができません。 
まわりにいる女性を見ると、仕事は結婚相手を見つけるためと言っていたり、男に媚びて生きている人が多いのも反論したくなる一因かもしれません。 ただ、このような女性の考えも今までの日本が作り上げた(男性優位のせいで作られた)ものとも言えます。

男性優位の考えが仏教や儒教から来ていること、日本は欧米に比べて3,40年男女格差問題に対する取り組みが遅れていること、社会には男性差別もある事などは存じております。

そこであえて質問させていただきたいのですが、日本企業における男女格差是正に賛成されない方や、フェミニズムに反論される方はいらっしゃいますでしょうか? 
主に職場環境においての意見をお聞きしたいのですが、それ以外でも構いません。

宜しくお願いします。

A 回答 (4件)

労働の世界で、男女の役割分担ができていることは事実です。


それを格差とか、差別と呼ぶかどうかは、言葉のセンスの問題だと思います。

団塊の世代が大量に社会に出たあたりに、男女とも共働きすると、労働者が多すぎることになります。
それで、一世帯で主たる労働者は一人。もう一人は家事専業か、簡易労働をするという形式を標準的なパターンとして制度が作られました。
所得税の扶養手当、健康保険の扶養、年金の三号、パート等々。
それは、当時の日本の社会ではおおむねニーズを満たし、問題はなかったと思います。

その後、労働人口が減少し、未婚率が増えたり、結婚し、子供ができても正規の労働をしたい女性が増えたり、母子家庭の増加、離婚の増加などと、社会環境がずいぶん変わってきました。

人口問題も、先が見えてきたところですから、ぼちぼち見直すタイミングだと思います。

ただし、先に述べたように、労働条件だけ見直すべきものではありません。
年金:三号はどうするのか?離婚時の年金分割は?
所得税:扶養の上限は?
健康保険:扶養の上限は?
パート:軽労働低賃金階層を存続させるのか?
等々

包括的に制度設計を見直すためには、先ずは国民的な議論が必要です。

女を優遇しろという単純な問題ではありません。

特に少子化対策で、子育て世帯に税金を使おうと思うと、どこかの階層に負担がかかります。
当然、子供をつくらない階層に負担がかかります。
つまり、子育て共働きママを優遇し、その負担を子供無し独身女性(又は子供無しママ)に負担を背負って貰うことになりそうです。

自分たちは被害者だから、金や権利をよこせと暴力的な圧力を行使する人もいますが、社会全体を見渡して、社会が向上する仕組みを冷静に議論できることができれば、いい制度はできると思いますが、、、、
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この回答へのお礼

なるほど、時代が変わると同時に見直さなくてはならない点は労働条件だけではないのですね。制度を見直すには"社会全体を見渡す"ことが重要だと気付かされました。ありがとうございます。

お礼日時:2006/06/07 06:50

フェミニズムといっても、いろいろとあります。

フェミニズムを仮装したエゴイズムというものもまれに見受けられます。たとえば、男女で更衣室を一緒にしたりするような、フェミニズムに見せかけたハラスメントもあります。何事につけ男女同数でなければ不公平だ、とか言うような数字だけのフェミニズムもあれば、単なる「恨み」によるフェミニズム、フェミニズムを出汁にした、一部の社会思想などもふくめ、フェミニズムというのもひとくくりにはできないのが昨今です。

しかし、本来のフェミニズムというのは、決しておかしなものではないようです。そこは、自分もわかっているかといわれればつらいのですが、これらの人たちとは別次元の、フェミニズムというものは確かにあるようです。

要はバランスです。
私も、自分の思うとおりにならないとすぐに「差別」に結び付けようとする女性等はよく見かけますし、専業主婦を軽蔑するような「フェミニスト」は、私は軽蔑します。私はこういう人たちは、「エセフェミニスト」と呼んで「区別」しています。こういう人を基準に考えてしまうと、本当に差別を受けている人が困りますし、女性に対して最初っから色眼鏡で見てしまえば、男性自身も結局は困るのです。

特に、これから少子高齢化となれば、否応無しに女性に世に出て働いてもらわねばならぬこともありえるのです。専業主婦、というのが、「羨望」の目で見られる社会も、ありえるかもしれません。

まとめると、「エセフェミニズム」に目を奪われれば、本当に大事な「平等参画」というものも失われるし、「男らしさ」や「女らしさ」というものを重視しすぎても軽視しすぎても、社会はうまく回らないでしょう。

そういう「バランス」のことを、ちょっと考えてみてください。
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この回答へのお礼

今までの自分は、「職場でのフェミニズム」「家庭においてのフェミニズム」などのようにフェミニズムを環境別に分類していたように思います。
フェミニズムを考える上ではそれだけでは不十分で、ひとくくりにすべきではない、フェミニズムは多様であると教えていただきました。
ありがとうございます。

お礼日時:2006/06/07 07:02

フェミニズムは勿論、フェミニン:女らしさ、女性の;から来ているのですが、男女同権主義、女権拡張主義をさしますね。


この定義が生まれた時代的背景には、極端な封建制度、雇用の困難さなどがあり、女性の活動が著しく制約されていたことがあるのは事実です。
この時代には、男女間差別以外に、人種間、労使間の差別、家庭内での差別などあらゆる面で不公平が横行していたのも、また。事実といわなければなりません。
民主主義の浸透と共に、これらの差別は、次第に無くなりつつありますが、完全に、平等な社会になったかと言えば、そうでないことは明らかです。
では、現在、女性の立場はどうでしょう。
雇用問題については、法律的には、なくなりました。
いまどき、女性だからこの仕事はまかせられない、などと言う管理職がいたら、即左遷されるでしょう。
表向きには絶対言いません。内心はわかりませんが。
では、女性の意識はどうでしょうか。わたしは、女性によりまちまちだと思います。
管理職として、男性以上に仕事をして、部下をリードする女性もいれば、給料のいい総合職を志望しても、
転勤命令が出たとたん辞めて行く女性も目にします。
もう時代は、男女同権が当たり前の時代になったのですから、それをほんとうの意味で定着させて行くのは、我々自身の問題と考えるべきでは無いでしょうか。
行過ぎた女権拡大主義は、昔歩んだ道に逆戻りする結果になるような気がするのですが。
時代と共に、
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この回答へのお礼

仕事において、少なくとも表向きは男女同権の環境が整えられた。あとは男性、女性、それぞれの意識の問題ということですね。
参考になります。ありがとうございます。

お礼日時:2006/06/07 11:11

「男性優位」って決まり文句みたいですが、何を以って「優位」と見るかで、話はずいぶん変わってくるのではないでしょうか。

物事にはウラオモテがありますから。たとえば、今の都会の通勤電車では、専用車両が設けられるくらい「女性優位」ですよね。私は電車通勤ではありませんが、有色人種が車両からつまみ出される「アパルトヘイト」を思い出します。お互いに「隣の芝生が青」く見えて、その裏に気づかないということもあるのでしょう。

個人的には、制度(法・社内)のあるべき姿と、個人の生き方というのは、ある程度分けて考えた方がよいと思います。

制度としては、法にせよ社内にせよ、差別的な取り扱いはあってはならないと思います。これには当然、男性差別も含みます。(実際特に法制度や政策面で男性差別はけっこう多いので)
ですが、これは「同待遇を求めるなら同条件で働け」という、ある意味で非常に(特に女性にとっては)ドライで酷な世界でもあります。私は「保護と平等は両立し得ない」という考えを基本にしているので、平等を求めるなら保護の視点は捨てなければ根本的な問題は解決しないと考えるからです。

このような完全平等の制度を前提にした上で、個人の生き方としては、いろいろあってよいと思います。日本の現状は遅れていると考える方が多いようですが、数年前に聞いた話では、イギリスでは女性が家庭に帰り始めているとのことでしたので、個人の生き方として、日本の現状が世界から遅れているとは必ずしも言い切れないところもあります。要は個人としてどういう生き方が合理的であるかを考えて決めればよく、制度としては平等を前提にそれにできる限り多様な選択肢を用意すればよいことであって、それが多くの人にとって最も納得性の高い状態であると思います。

私は、女性が家庭に入ることは一定の生物学的合理性があって、自由に選べる制度でも、専業にせよ兼業にせよおそらくそういう選択をする人は多いであろうと考えますが、制度としては、女性が男性と同条件で働くことや、男性が家庭に入ることを、妨げない制度であるべきでしょう。

ですから私は、制度として「格差をなくすべき」ということには賛成いたしますが、従来のフェミニスト(今はどうか知りませんが)のように、個人の生き方について「専業主婦は悪」だとか、本人にその気がないのにキャリアウーマンにならなければいけないかのごとく煽ってムリヤリ働かせたりとか、そういう考えには賛成しかねます。
何より、専業主婦の母の背中を見て育った私としては、家事に何の価値も意義も見出せないというフェミニストの感覚には、まったくついていけませんね。母を否定されたようで、憤りすら感じます。

制度面での女性差別がほぼ解消した現在、フェミニストもその役割を終えたのではないでしょうか。架空の敵をつくり上げて自分の存在意義を見出す姿は、オウムはまだ危険だと騒いでいる公安調査庁と似ていますね。
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この回答へのお礼

イギリスの例は存じませんでした。国によって歴史や法制度が異なるということは、たしかに単純に日本が遅れているとは言えませんね。

私も、生物学的に女性にとって男性と全く同じ環境で働くことが良いとは思えません。 同待遇、しかし同条件、ですと女性にとっては酷なものも多々あるでしょう

制度として、女性に(男性にも)選択肢を多くもたせてあげる、ということが大事なのですね。

私の尊敬する母も専業主婦で、それもあってフェミニストの意見にしっくりこなかったのかもしれません。
かなりモヤモヤしていた頭の中がだいぶクリアになりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/07 11:51

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