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クルド人といのは、どのように周辺国の紛争に巻き込まれていったのでしょうか?
宜しくお願します。

A 回答 (3件)

 こんばんは。

簡単にクルド人の歴史から...
 
 現在クルド人は、トルコ南東部からアルメニア南部、イラン西部、イラク北部とシリアの東端部に居住しています。これらの地域を一般にクルディスタンを称していますが、クルディスタンと呼ばれる地域は険峻な山岳地帯であり、クルディスタン全域を通じてのクルド人同士の連帯感が生まれることはありませんでした。クルディスタンは、中世から近世にかけて広大な版図を保ったオスマン帝国の領内にありました。しかし第一次世界大戦でオスマンが敗れ、フランスとイギリスによって引かれた恣意的な国境線により、トルコ・イラク・イラン・シリア・アルメニア等に分断されました。ここで前述の通り、長く統一した民族主義的な勢力が興ることのなかったクルド人は、オスマン帝国分割に加わることはなく、これらの国の中でマイノリティとして生活するようになりました。しかし、20世紀後半になると、文化的な圧力の下で政治勢力が誕生し、大きな人口を抱えるトルコやイラクでは分離独立を求めるようになった為、しばしば迫害を受けることとなっています。
 
 元からクルド人がトルコ人やペルシャ人、アラブ人と対立していた訳ではありませんが、その歴史の過程に於いて、あるいは地理的事情の下で民族が分断され、更に近代に至り民族主義の台頭する中で、各国のマジョリティや主流派と対立してきました。特に独立を目指すクルド人の団体の中には、特に過激なテロ行為に及ぶ団体も存在し、それ故に居住国との間で凄惨な事態に至ることもありました。
 
 ところで国内にクルド人を抱える各国(現在、除イラク)は、自国の安定の為、相互にクルド人の自決権を認めないことで利害を一致させています。その一方で、国外のクルド人勢力を利用して、自国に有利な情勢を作り出そうとする各国の思惑の中で、クルド人は常に将棋の駒として利用されてきた経緯があります。現在ではトルコに於いて「クルディスタン労働者党(PKK)」、イランに於いては「イラン・クルディスタン民主党(KDPI)」、イラクに於いては「(イラク)クルディスタン民主党(KDP)」、「クルディスタン愛国同盟(PUK)」らが、主要なクルド人団体として結成されています。しかしそれぞれの利害関係が異なっていることも多く、周辺国の争いの渦中に取り残されてきました。
 
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クルド人は自分たちの国を持っていません。


クルド人が住む地域を、トルコ、イラク、イランの三カ国に分割されています。
それぞれが、それぞれの政府から迫害されています。独立運動をしますので。それで、反政府運動を熱心に行っています。
それで、その国の政府を牽制したい人は、クルド人を陰で応援するわけです。

例えば、フセインに逆らったイラクのクルド人を、アメリカは支援していました。

江戸幕府に逆らっていた薩摩長州をイギリスが応援していたということに近いですね。
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クルド人は、古代メディア人の子孫が、現在のイランをペルシャ人に追われ、現在のクルディスタンに住みついた人達と言われています。


しかし、実際クルディスタンの地には、メディア王国が滅ぼされたのと同時期にペルシャに滅ぼされたリディア王国、その少し前に新バビロニアに滅ぼされたアッシリア帝国などの人達も、クルディスタンに逃れ、混在する事になります。
さらに、ペルシャの圧迫により故郷を失ったアルメニア人も多数含まれていたと思われます。

こういった雑多な人達が、地形や自然条件の厳しい場所で暮していたため、民族形成が、他民族に遅れ、クルド人の国家が形成されずに現在に至っています。

クルド人地域は、民族形成の終わった各国からみて、全て辺境にあたり、争奪の地となってしまいます。

クルディスタンを統一的に支配したオスマン=トルコの支配により、クルディスタンの統一が行われ、初めてクルド人としての民族形成が行われます。
しかし、オスマン=トルコ崩壊時には、勢力として確立していなかったため、トルコ分割に加われず、各国の辺境として分割されてしまいます。

各国の辺境は、そのまま他国との国境を形成しますから、各国間の紛争に巻き込まれる事になってしまいます。
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