No.2ベストアンサー
- 回答日時:
まず、瓦版という名称は江戸末期の京都で登場した言葉であり、本来は「読売」と呼ぶべきものです。
読売は定期刊行物ではなく、事件・災害・話題があったときに発行されるものなので、明治期に新聞が登場したことにより、急速にその姿を消すこととなります。
江戸期には読売は心中事件を取り上げることが多く、それにより幕府は発刊を禁止する措置を、たびたび行っています。後に心中よりも、自然災害や時事情報・町の話題などが中心になります。
なお、時代劇に登場するような、羽織姿で手ぬぐいを乗せ、素顔を晒した「かわら版売り」はフィクションで、実際は参考HPにあるように、粋な着流し姿で菅笠で素顔を隠し、口上を述べていたようです(役人の目をそらす意味で)。
かわら版の語源としては、「瓦で版を刷った」という説が一般的ですが、実際は木版であり、また瓦よりも木の方がたやすく彫れるので、この説は疑問視されます。また「京都の河原町で売っていた」・「役人から逃れるために川原で売った」・「瓦のような粗雑なもの」など諸説あるようです。
かわら版の名称が、泰平の江戸中期でなく、幕末期の、尊皇派・攘夷派との抗争が激しい京都で生まれたことも、何か一因があるかもしれません。
参考URL:http://www.lib.isics.u-tokyo.ac.jp/~lib/ono/wgka …
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