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防御力が優秀といわれるドイツ艦の中で一際有名な「ビスマルク」ですが、装甲厚を見ると排水量のわりに舷側、甲板、主砲塔どれをみてもそれほど厚いように見えません。
英・仏・伊の「リシュリュー」「ヴィットリオ・ヴェネト」「キングジョージV世」の方が装甲が厚くみえてしまいます。

そこで疑問に思ってしまったのですが、「ビスマルク」は他艦と比べ本当に防御力の優れた艦であったのでしょうか?
それとも装甲厚がではなく構造的に優れているのでしょうか?

お勧めの本、サイトの紹介でも構いませんのでご教授お願いします。

A 回答 (7件)

まず、艦の耐久性、防御力というものがどういうものかといいますと・・・



要素は「装甲圧」「装甲の質」「構造」「その他防御装置」などがありますが・・・
たとえば大和は装甲圧はもちろんですが、細かい水密区画、注排水装置、バルジなど、それらも含めて、非常に高い防御力というのを自他共に認められているのです。

ビスマルクは、装甲圧はともかくとして、質はまあなかなか良いのですが、どっちにしても、現在想像されるほど屈強ではありません。

これはビスマルクが結局のところ第1次大戦型の焼き直しに過ぎない、つまり日本で言うところの金剛といったもの(ただし金剛はあくまで巡洋戦艦ですが・・)の発展系でした。
特に泣き所は甲板の装甲です。
これはあくまで、バーデン級戦艦という、第1次大戦戦艦の設計を踏襲しているためです。
この船はあくまで近距離での撃ち合いを考えており、そのため甲板防御が低くなっています。
どういうことかというと、遠距離だと砲はかなり仰角をつけて狙うため、甲板に命中します。しかし近距離だと、仰角をつけずに撃ち込む為、舷側に命中するのです。
第1次大戦頃では測定儀が発達していなかったため、水平線の遠くからの撃ち合いはあまり想定されていませんでした(しかし第1次大戦でこれが合ったため、甲板薄の舷側厚という設計は事実上否定されました)。
で、ビスマルクも甲板が薄い。舷側は厚いですが、いずれにしても総合防御力でキングジョージといった最新艦よりは劣っていたといわざるを得ないでしょう。

さて、なぜビスマルクは装甲が厚い、という風評が出たのかと考えると・・・
フォルムでしょうね。あの舷側が低くいかにも安定して、どっしりとした形。
そしてどっしりとしていながらスマートな艦の見た目。
さらには「大和が出るまで世界一」だった排水量。
このあたりが、ビスマルクが防御力に優れていた、という話が出るゆえんかと思います。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/ビスマルク級戦艦
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ただ、いくら傾斜甲板もあるといっても近距離戦闘を重視していながら舷側垂直320mmではこの時期の戦艦に比べて薄いように見えるのです。
「クイーンエリザベス」とほとんど変わらない、むしろ薄い、また防御力が弱いとされる「フッド」より厚いですが傾斜装甲であると考えると大差無いというかむしろ薄く感じます。

本当に近距離での撃ち合いを考えていたのでしょうか。

最近まで『「ビスマルク」は欧州最強戦艦だ』と信じていたのですが、どうも疑問に思えてきた次第です。

お礼日時:2006/07/23 12:57
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No3.4の補足です。



ドイツには1万トン以上の軍艦の建造保有が禁じられていました。(第1次世界大戦の敗北で)
この制限の為ドイチュラント級の重武装巡洋艦を建造せざるを得なかったのです。  これらはポケット戦艦と呼ばれそれなりの装備を有していましたが目的は当然通商破壊戦にありました。
重量軽減の為アルミニュウムを多用しつじつまを会わせたのです。

しかし戦力の不足は補えず遂に再軍備に乗り出し1万トン以上の大艦の建造に乗り出しました。
しかしそれには大きな負担と長時間を要します。

しかもそれをどう使用しるかという用兵思想を必要とします。 戦艦というものは多数で艦隊行動を前提にするのが常識です。
所が艦隊を構成できるほどの数や艦種のバランスは間に合わない状態でした。
とすれば建造した戦艦は通商破壊戦に使用するしかない。
といった状態だったのです。  ビスマルクはそれに答える構造と装備を満たしていたといえましょう。
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ビスマルクが重装甲の艦というイメージは本当のものです。


確かに,他の列強海軍新型戦艦と装甲厚を単純比較した場合,ビスマルクの方が薄いことは正しいですが,排水量に対し,どれだけの鉄量を防御のために注ぎ込んでいるかを考えると,ビスマルクは約38%です。ちなみに最強の防御力を持つことで周知の事実である大和型は30%です。(したがって他の国の戦艦は引き合いに出しません。)これがどういう事を意味するかと言いますと,ビスマルク型は全体的に装甲は薄いかもしれないが,バイタルパートの占める割合が大きいと言うことです。大和型のバイタルパートは他の列強海軍戦艦と比較して非常に強靭ですが,可能な限りコンパクトに収めたため,非装甲部の占める割合が多すぎました。結果として,航空魚雷攻撃により,非装甲部に大量浸水を許してしまい,浮力を失って沈没しました。もちろん非装甲部は無数のセルで区切られており,浸水を出来るだけ防ぐようにはされていましたが・・・。
つまり,艦をどのような方法で防御するのかというコンセプトにより,ビスマルクは大和型の集中防御方式というよりは若干全艦防御に近いのではないのかなと言うのが私の感想です。
ビスマルクは全身に鉄製よろいを着た武者といったところですかね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

薄くて広い装甲を持つ艦ということですね。
やはり1の方が述べているように古い思想で造られたっぽいように思えます。

お礼日時:2006/07/25 19:22

No3の補足です。


ドイツの建艦思想では潜水艦による通商破壊が主体ですが戦艦群は厳重な護衛がついた船団にたいし襲撃、船団を解散させて後、潜水艦で個別攻撃するという戦術をかんがえたのです。

これは強力な護衛がついた船団の攻撃では潜水艦の損失が増大する程連合軍の対潜水艦技術と兵器が進歩してきたからです。

この為ヒッパー級の高速重巡洋艦を使用しましたし、シャルンホルスト級巡洋戦艦も使用したのです。
この為英国海軍は重武装の仮装巡洋艦や重巡洋艦を護衛にあて、戦艦群を軍港に待機させざるを得なかったのです。

さらに英国海軍が航空機による哨戒を強化したので、対空装備の強化された軍艦でないと出撃効果がなくなったのです。

ビスマルクも対空装備の強化改装を受けヒッパーと共に出撃したのです。

ビスマルク喪失後、同型艦のティルピッツは出撃する事もなくヒトラーは解体を命じる位でしたが、存在そのものが英国海軍に対し抑制になるとドイツ海軍が主張して解体を免れたのです。
戦艦単独では英国海軍に対抗出来ない時代でした。

この回答への補足

補足、ありがとうございます。
本の記述と照らし合わせて考えると、

1.対仏波戦力として、ドィッチュラント~ビスマルク、以下軽艦艇を建造。(英はほとんど視野にいれず)

2.対英戦を考慮したZ艦隊計画を計画。(戦艦を通商破壊にまわすことはあまり考えない)

3.早期開戦であり、対英仏に対し、戦力の絶対的差があったため通商破壊戦を行うしか方法は他に残されていなかった。

という感じであっているでしょうか?

補足日時:2006/07/25 14:29
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当時のドイツ海軍の建艦思想ではビスマルク級戦艦で大英海軍と互角に戦う等は考えられませんでした。


あくまでも強力な通商破壊戦でヒットエンドランをねらうのがせいぜいだったのです。

その為当時の戦艦としては高速の30ノット以上が出せるように設計されており当然装甲が犠牲にならざるを得なかったのです。
30ノットの高速は当時の戦艦の27ノットでは追跡出来ず、装甲の薄い巡洋戦艦か巡洋艦しか追跡できずこれらには38センチ主砲で対抗できます。

事実北洋で迎撃した英国の巡洋戦艦フッドは数分で轟沈され、高速戦艦プリンスウエールズは建造後の調整中で完全な状態ではなかったので退却せざるを得ませんでした。

その後ビスマルクは高速を利用してフランスのブレスト軍港に向かい、英国戦艦群が追跡しますが鈍足の為おいつけなかったのです。

その為空母から発進した雷撃機がようやく攻撃し幸運にも回避運動中のビスマルクの後尾に魚雷を命中させ、舵を動かせなくなった為ビスマルクは大きな円運動しか出来ず鈍足の英国戦艦に追いつかれて集中攻撃を受けて撃沈されたのです。
反撃するにも艦が円を描くため照準を定めることが困難で命中率が低下しました。
英国戦艦の集中砲撃で上部構造は破壊されてもまだ沈没せずついに駆逐艦が接近雷撃してようやく撃沈したのです。
この耐久力から重装甲説がうまれたのだと思います。

この回答への補足

上の文章は変ですね、すみません。

最近になり、ビスマルクは通商破壊戦のために造られたという話にも疑問を持ち始めたと書きたかったのです。

補足日時:2006/07/23 22:26
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

ただ先日購入した、学研「世界の戦艦」を読んでみるとビスマルク級はダンケルクキラーといった対仏戦力として整備されていると書かれていまして、この本を読んでいるうちに通商破壊戦を狙ったものじゃないように思えてきたために今回皆様にお尋ねしました。

お礼日時:2006/07/23 22:23

巨大戦艦ビスマルクを読んでください。

著者は沈没時の生存者で唯一佐官だった人です。彼は建造から公試運転、処女航海、沈没までずっとビスマルクにいました。リンデマン艦長の副官です。

 公試運転で彼が気付いた欠陥があったそうです。それはスクリューの配置と船体形状のバランスが悪く、スクリューのみで船体を旋回させるのがひじょうに難しかったのだそうです。
 ご存知の通りそれが命取りになりました。航空攻撃で舵を失ったビスマルクは旋回運動に支障をきたし撃沈されたのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

本屋で探しみるとします。

お礼日時:2006/07/23 21:49

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