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田中康夫知事は31日に2期目の任期を終え、6年にわたる田中県政に幕が下りる。・・・というニュースを見ると、私はもう一度、田中康夫の脱ダムではなくて、世界的趨勢としての脱「ダム」への方向性は果たして、正しいのか?と質問を提示したいです。先の長野県を襲った豪雨と河川の氾濫、土石流なとの自然災害は、脱「ダム」のせいなのでしょうか?彼の落選と共に、彼の県知事としての能力、人間性、性格や行政手腕まで非難され、地元県民からご意見や批判、中傷攻撃も、このコーナでもたくさん寄せられていましたが、しかし、「脱ダム」までが、彼の落選と共に否定されているような気がします。でも視点を変えて、長野県に限らず、私は今後も、地方政治に脱ダムの行政を望みますが・・・。もう一度、<田中康夫長野県の知事の「脱ダム」宣言は、正しかったのか?>という疑問と質問をしてみたいです。

A 回答 (5件)

自然環境の保護・回復の観点から、既存のダムはスクラップにせざるをえないでしょう。

日本の河川はとくに急流のため、堆積物が溜まりやすく、その排出のための機能を設けた「排砂ダム」はかえって河川の汚濁が深刻になるため現在はつかわれていません。ダム建設の影響は研究が進んだ結果「海岸線の後退」という深刻な問題も引き起こしていることもわかってきました。ようはダムの堆積物は本来、めぐりめぐって「遠浅の砂浜」を形づくっていたものだったのです。
これから計画されているダムについても、工事にともなう道路建設のコスト、失われる環境・工事にともない消費されるエネルギーをはじめ、治水・利水を目的とするダムの場合、完成後水道代に転嫁されるコスト、水の消費が計画どうり増加するのかも考慮が必要になります。
また、洪水防止など治水の観点から考えると、上流部の森林の保護・育成のほうがよっぽど重要でしょう。間伐・下草の手入れがしっかりなされないと、太陽光が地面まで到達しないため、やがて地表部分は表土が露出し、森林自体の保水力も低下し、ある程度の降雨量で山崩れがおきる原因にもなります。
下流部の洪水対策で今後必要とされ、コスト的にもひきあうとされるのが、都市計画をきちんとおこない、一定範囲の低地・湿地などへの氾濫はしょうがないとする一方、住宅地は「輪中」とよばれる都市内堤防で囲って浸水を防ぐというものです。電気でいうところの「ヒューズ・ブレーカー」の考えです。ただこれは戦国時代以降、比較的主流だった治水事業で、とくに武田信玄は積極的に取り組んできたことで有名です。では。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。私の住んでいる神奈川県でも、「宮が瀬ダム」が、比較的最近建設されました。でも誰も反対者は居なかった、いまさらながら、出来た後で、あれは丹沢山塊に影響ないのかな?疑問を感じてます。建設中に、田中康夫知事のように「脱ダム」をマスコミに訴える人がなかったな。でも、回答者のように・・・・既存のダムはスクラップにせざるをえないでしょう・・・と、明快に確信を持ってとても言えません。既存のダムを壊す事も、また新しく作る事も判断保留です。

ただ温暖化の影響で、各地で自然災害が多発しています。だから、・・・一定範囲の低地・湿地などへの氾濫はしょうがないとする一方、住宅地は「輪中」とよばれる都市内堤防で囲って浸水を防ぐというものです・・・と、簡単にいえない問題点があるのでは。いまさらながら信玄堤の復活が、水害に今日有効だとは思えませんが。

お礼日時:2006/09/01 00:09

治水・利水の目的を持つダムの代わりに、「緑のダム」,各戸の天水桶設置などは有効でしょう。

しかし「脱ダム」と方向性を示しても、有効な代替措置の手法が論じられ、採られていなければ、災害はいつか必ず発生します。一本の樹木、一つの天水桶と降水量やダム容量の関係を明らかにし、その戸別の対策が相当程度進んで「脱ダム」社会が実現化できると思います。これらの裏付けがない脱ダム宣言は、「夢」であって「行政」ではないと思います。
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世界的な趨勢としての「脱ダム」は, 「ダムじゃなくても同程度の効果を同程度 (あるいはそれ以下の) コストで期待できるのであれば, ダムを作る必要ないよね」ってところじゃないんですか? この意味でよければ, 特に「脱ダム宣言」なんて大袈裟なことをしなくても (されているところでは) されてます.


逆にいえば, 必要な効果を得るためのコストを考えたときに「ダムを作る」という方法が最も小さいのであれば, かたくなに「ダムを作らない」ことに執着しない, というか.
田中前知事の「脱ダム」は「とにかくダムを作らない」の一辺倒だ, って話は耳にする... というか目にしますが.
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ダムは必要ですが、いたずらにダム建設を進めるのは土建屋と政治家の幸せにしかならないと言う意味で、「脱ダム宣言」は意味があったと思います。

今回の長野の水害は関係ないことですし、そもそも最近問題になりつつある都市部の時間あたり雨量100ミリなんて、馬鹿な建設官僚でも想定していません。

たとえば家を建てるときに雨どいの水をタンクに入れて一旦貯める構造にすることを義務付けるなどすれば、短期間豪雨の水の流れに時間差をつけることができます。日本は世界でも有数の多雨地帯なので東京ですら平均雨量が1500ミリ以上ありますし、1500ミリといえば年間1.5トン。小さな家で屋根の面積が20平方メートルあったら、年間30トンの水が貯められます。トイレの水や洗車の水など飲める水である必要のない水にこの水を使えば水道代も節約できますし、治水の面でも大きなダムほどの効果があります。田中知事の脱ダムはこういう政策転換に向けての大きな一歩であったと思いますが、残念です。
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この回答へのお礼

自然の雨を貯水して、家庭の水需要にこたえるなど、初めて聞きました。物凄いアイデアですね。回答ありがとうございます。問題解決のための「叡智」を集める必要があるのですね。まず何が問題か?何を優先させて解決策を進めるか? の前提と手段を選択するための地域住民の意見参加が、この自然災害の問題解決にも必要なのですね・・・私は、勿論前提は、自然破壊を守り、自然環境を保護することであり、手段として、「脱ダム」は最小の条件だと思っています。ひょっとすると、ソーラシステムよりも、地方自治体が助成金を出して都市の各家庭に設置を急ぐべき、政治行政の緊急性があるかもしれませんね。

私は、今回の長野県初め豪雨による災害のニュースを見て、地方も都市も、長年の歴史で、その地域が持った治水の知恵を忘れたのではないかと思います。以前読んだ、桑子敏雄氏の『風景のなかの環境哲学』は、・・・これから問われるのは、風景に関る「参加と合意」のしくみである。・・・環境を大切なものに思い、風景が損なわれることに心を痛め、心のなかに風景の根底にある場を大切にしたいと思う・・・市民である。・・・日本の文化は、水源とリスク負担の配分をめぐる対立・紛争と合意形成の歴史である。そのような空間の履歴をいまに伝えるすばらしい風景である・・参加と合意のプロセスを構築するには、まず日本の風景のなかにある参加と合意の思想を掘り起こす必要がある・・・多くの場合、空間に刻まれた履歴の価値は、その地域に住んでいる人びとには認識されいないことが多い。・・・だから、大切なことは、その風景の持つ意味を再認識するプロセスである。河川の景観の価値を認識することが、じつは治水や利水の意味、あるいは治水と利水にかかわる地域の合意形成の姿を見極めることの不可欠の作業なのだ・・・と、述べている。

お礼日時:2006/09/02 19:55

今回の災害と脱ダムとは全く関係が無かったが


対戦相手のプロパガンタで「天罰」として広まったからねw


(個人的には)ダムよりも植林等の治水の方がより良いとは思いますが、
現場/現場に合った個別判断を行なうべきであり
「全てこれが正しい」と一辺倒な判断は不可能です。
「何を判断基準として、どの様に決めたのか?」をキチンと表明しておく方が重要でしょう。
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