ミクロ経済学の入門書で、「経済学は経済成長が目標だ」と読んだのですが、
経済成長は環境破壊を引き起こすということを聞きました。
私には経済成長は必要ないと思えるのですが、皆さんはどうお考えですか?

経済の方で質問したのですが反応がほとんどないのでこちらでも質問しました。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=239321

A 回答 (6件)

それは現在の経済学のレベルの限界です。


例えば(この例え話は聞いたことがあると思いますが)
全く同じ条件のAという国とBという国(GNPは同じ)があって、Aには蚊がいないけどBには蚊がいるとしましょう。ある日突然A国に蚊が現れたら(マラリアの危険がなくても)当然蚊取り線香を作らないといけなくなるので、A国のGNPは大きくなります。でもA国の人はそれで幸せでしょうか?

きれいな空気、水が貴重であることは解っていても、現状の経済学ではそれを価値判断する尺度がありません。方法として考えられるのは現状では「きれいな水を飲めないことによる医療費の増大や疾病等による社会的損失」を医療経済学の分野で検討するくらいでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
経済学って環境問題にはあんまり役立たないのでしょうか…

お礼日時:2002/03/23 21:26

sterstyle007さんは、何処で、どの様に、誰と、いつ、何をするかという、個人の選択の自由を、どの程度大切に思われているのでしょうか?



たとえば、飽食なんて言葉は、わかりやすそうで全然わかりません。何処からが飽食なのでしょうか?欲望を制御する事、つまり、悟りをひらくことは、幸せかもしれませんが、これでは、話の筋が違いますよね。

経済成長は技術の革新によってもたらされますが、経済成長は技術の革新も促します。経済成長は、環境改善(保持ではない)をもたらす技術革新・科学革命をもたらすこともあるのではないでしょうか?それとも、この可能性にはかけず、緑豊かな自然に囲まれ、欲望を抑圧された人生を確実に送る方を選択する方がいいのでしょうか?やはり、悟りをひらくしかないですね。環境重視社会では、宗教が真の意味ではやるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自分が無学で質問がかなり雑になってしまった(経済成長の定義など)のでいろいろ誤解を与えてしまっている点があります。

私は個人的には個人の選択の自由は大切だと考えていますが、科学者の多くが環境破壊をおし進めてきた資本を持つ人間に飼われていることも考えると、環境改善をもたらす技術革新にどこまで期待してよいのかという考えも持っている感じです。

環境や経済だけでなく自分の姿勢についても学ぶことが多いので、今回の質問は一時締め切って出直してきます。皆さんありがとうございました。

お礼日時:2002/04/03 22:29

人と意見が違うのは当然です、気にすることは有りません。


「G-W-G`」はもう古いのかもしれませんが、お金-商品-お金+利潤 拡大再生産の単純な理論です。かえってご迷惑をかけ恐縮しております。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

自分ちょっと興奮しすぎでしたね…風邪ひいてるので…。申し訳ないです。
G-W-G'についてありがとうございます。早速調べてみます。

見直してみるとやはり質問が漠然としていて答えづらいですね。
自分が興味ある点は以下なので興味ある方は気軽にご意見を下さい。
 ・計量的にではなく実際的に環境は悪化しているのか
 ・きれいな水・空気の影響が経済学で扱えないのに、
   多分大丈夫だろうという予測でエネルギーを消費した場合、
   取り返しのつかないことにはなったらどうするのか
   (取り返しのつかないことになりかねないという視点では考えられないか)。

今まで環境破壊が起こっている地元の方の生き生きしたご意見に
はっとさせられることが非常に多かったです。そういうご意見もお待ちしています。

お礼日時:2002/03/25 01:35

sterstyle007さん、おはようございます。

かな?
>私には経済成長は必要ないと思えるのですが、
経済学の問題点はすでに回答されていますが、人間が幸福になる必要がないとまでは考えていないですよね。ミクロにしろマクロにしろ経済学は経済発展又は成長が人間を幸福に導く前提での学問です。
科学は残念ながら人間の幸福について証明出来ません、生物学が将来人間の存在を遺伝子レベルで証明し尽くそうと、何のために人間が存在するかとは無縁だからです。
環境破壊とはどんなことでしょう、結局人間にとって住みやすい環境を維持することではないでしょうか、地球の歴史から見れば、有害?な酸素が発生したのはまだ最近のようです、自然を守るといっても、何処から何処までが自然かと言う線引きも難問です。結局環境破壊も程度問題、人間の自然の営みが環境破壊につながるなら息を止めねばなりません(笑)
以前100人の国と言う話が広まっていましたね、経済成長が必要でないと思える人はほんのわずかな幸せ者だと考える必要も有るのではないでしょうか。
お役に立てなかったかもしれませんが、まだ大学一年とのこと、疑問を大切にして頑張ってください。
さしあたり、G-W-G`を疑ってみては如何でしょう。

この回答への補足

>以前100人の国と言う話が広まっていましたね、
>経済成長が必要でないと思える人はほんのわずかな幸せ者だと考える必要も
>有るのではないでしょうか。
そのほんのわずかな幸せ者さえ我慢すればいいということでしょうか。
雑ですが。個人的には、これも相当雑ですが、恵まれた暮らしを捨てる覚悟も
必要になるのではないでしょうか。

>お役に立てなかったかもしれませんが、まだ大学一年とのこと、
>疑問を大切にして頑張ってください。
全くそんなことはありません。ありがとうございます。

補足日時:2002/03/24 09:59
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>ミクロにしろマクロにしろ経済学は
>経済発展又は成長が人間を幸福に導く前提での学問です。
つまり私はその前提から間違っているのでは、という疑問を持っているんです。

>科学は残念ながら人間の幸福について証明出来ません
無矛盾な論理の公準系は、内部からその矛盾を証明できないという観点からは
「現実と夢の区別さえ証明出来ない」ということも有り得る…そうです。
そういう観念的な観点も無視できないとは思いますが、それでも
公害でぼろぼろになった人や酸性雨で枯れて行く森を現実に直視すると、
「幸福について証明できない」で済むものとは思えないんです。

>何処から何処までが自然かと言う線引きも難問です。
人間は自然の資源に頼りつつも自然界の頂点として君臨し
自然の一部として含まれる、という考えは非現実的でしょうか。
つまり人間が環境を内側からコントロールする、という。

>結局環境破壊も程度問題、人間の自然の営みが
>環境破壊につながるなら息を止めねばなりません(笑)
江戸時代や産業革命以前の社会についてkyotomouseさんが答えてくれていますが、
そういう環境と調和する社会は存在したのだということ、そして
東南アジアなどの地域には現在も存在するのだ(聞いただけ)ということを
考えると、息を止めるまで行くことはないと思います。
そもそも人間は自然環境でとりあえず生き長らえてきたのですし。

G-W-G’については全くわかりません…。
反論をぐだぐだと述べていながら言うのはためらわれますが、
G-W-G’について少しヒントをくださると嬉しいです。

お礼日時:2002/03/24 09:46

こんばんは


経済成長が環境を破壊してしまったことは、過去は確かにありました。
その反省をもとに地球環境サミットが開催され 「Sustainable Development」
が提唱され、「持続可能な開発 経済発展と環境との調和」が各国の政策上の最も大きなテーマとなっています。
経済の発展は恵まれた生活をしている人にとっては必要ないように思えるかも知れませんが、発展途上国の人々や、日本人だってより豊かな生活をエンジョイしたい人が多いでしょう。そのため、経済発展は不可欠です。
悪いことだけが報道されるため、環境が悪化しているように聞こえますが、環境の代表的な指標である大気汚染や水質汚濁等は確実に改善されています。
新しく造られる社会資本(道路、河川、都市施設等)は環境保全のため、多額の費用を負担しています。
このように環境保全を経済発展の中に組み込む努力がされ、環境保全技術をもとに経済発展へと繋げようとする努力を多くの人達が頑張っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

先に断っておきますが稚拙な返答しかできなくてほんと申し訳ないです。
あとこういう問い→答えに慣れてないので失礼がありましたら正したいと思います。

>「持続可能な開発 経済発展と環境との調和」
『成長の限界』ではゼロ成長が目標で「持続可能」は有り得ない、と聞きました
(聞いただけです)。また、京都会議では日本はCO2を7%削減が決まったのに、
ここ10年で逆に8%も排出量が増えたらしいのですが、それは環境が悪化している
ということではないでしょうか…。
多額の費用や労力をかけてもそれがまだ足りないのだと思います。

>日本人だってより豊かな生活をエンジョイしたい人が多いでしょう。
>そのため、経済発展は不可欠です。
全くの経済が混乱している発展途上国の場合は別としても、
これ以上豊かな生活を「したい」から「しても良い」のとは別では、と思います。

お礼日時:2002/03/24 00:11

 すごく大きな問題に対して質問は簡単で漠然としていて、みんな答えようがないのだと思います。

質問というよりはレポートの課題か試験問題ですね。
・・・実はそうだったりして(ぼそ)。

 私には経済成長はあった方がよいように思えます。いろんな意味でみんなのやる気が出るし、豊かさも満足させられるので、平和になると思います。
 経済成長が無くてもよいという考え方だと、産業革命前のヨーロッパや江戸時代の安定期の日本のようなイメージを考えておいででしょうか?資料的に見るとあれはよい世界だったようですね。でも、科学や経済が進化、成長してきた現代社会においてはその再現は難しいでしょう。みんなが豊かさを知っているわけで、その豊かさを強く求めないで身近な平安だけでよい人もたくさんいますが、強く求める人たちも大勢いますから。
 現代社会において、経済成長のない理想の社会として具現化されたのが共産主義国家だったのですが、最初の20年ぐらいはともかくとして、後は崩壊してしまいました。それはなぜでしょう?
 ・・・ってなかんじで果てしなくなるのでやめますわ(^^)。
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

この時期に大学の授業は無いと思います。少なくとも自分は違います。

果てしなくなる質問かもしれませんね。でも諦めるのはなんとなく嫌です。
経済的豊かさを強く求める人たちを規制して、という方向に
持っていくことは出来ないのでしょうか?
また、このまま経済が拡大すると環境がだめになってしまうのでは、と思うのですが。

お礼日時:2002/03/23 21:25

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横軸に環境利用水準を、縦軸に円/環境利用をそれぞれとり、これに環境利用に関する限界便益曲線と限界費用曲線を示した図があるのですが(例えば、 http://sakura.hpc.ese.yamanashi.ac.jp/~yosihiko/kankyoukachihyouka.pdf の6/12ページ)、この図では一般に「受益者は、規制がない限り、限界便益曲が0になるまで環境利用を進めようとする」とされます(例えば、上記ページの下から12行目に「受益者は、規制がない限り、A点まで環境利用を進めようとする」とあります)。

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これは外部効果の問題です。つまり費用(コスト)は受益者以外が負担するわけです。
それを踏まえて説明します。

(1)
これは消費者でも生産者でもどちらでもいいです。
欲望を満たす為に消費しようが、利潤を生み出すために生産をしようがどちらでも事例に当てはまります。
車を飛ばすことに快楽を感じる人間は地球温暖化の事を考えないでしょう。ガソリン代は払うにしてもCO2の事までは考えないわけです。(便益曲線からはガソリン代は既に引いてあります)つまりA点とはドライブ好きの人間が『疲れたし飽きたこれ以上はガソリン代が勿体無い』と思う地点です。しかしガソリン代は『原油を掘り精製するコスト+原油の希少性分』しか価格に反映されておらず、実際にはそれ+『環境への負担』があるわけです。それが本人の負担と結びついていない為、消費者は支払っている対価(ガソリン代)以上の負担を社会にかけている事になります。これは望ましい事では有りません。ですからガソリンに炭素税をかければ、環境に負担をかけた分だけ消費者は税金を払うわけですから、消費者も税を通して環境の事を考えざるを得ないわけですし、それでも車を運転する人は負担分の費用を税という形で支払えば、あとは国がその税で環境の保全に勤めれば良いわけです。
生産者の場合もC02や工場設立における環境破壊などを考えればよいかと。


(2)
おそらく6Pグラフは0地点は対応しておりません。

(3)
1で説明したとおりです。あの費用曲線は廻りへの負担ですので、本人はそんなことを気にしないわけです。
例え地球温暖化でニューオリンズが沈もうとも中国人は気にしないでしょうし、アメリカ人自身も気にしていない人が多数派のようです。
それが最終的に自分に降りかかってくるとしても、目の前の欲望とその費用だけを気にするのは人間として当たり前の事だと思います。

外部効果は今回は、マイナス(環境問題)に作用しましたが、実はプラス(鉄道開通による地価上昇等)に作用する事もあります。そういうのは税とは逆に補助金などで促進してあげると社会の総余剰は大きくなります。

これは外部効果の問題です。つまり費用(コスト)は受益者以外が負担するわけです。
それを踏まえて説明します。

(1)
これは消費者でも生産者でもどちらでもいいです。
欲望を満たす為に消費しようが、利潤を生み出すために生産をしようがどちらでも事例に当てはまります。
車を飛ばすことに快楽を感じる人間は地球温暖化の事を考えないでしょう。ガソリン代は払うにしてもCO2の事までは考えないわけです。(便益曲線からはガソリン代は既に引いてあります)つまりA点とはドライブ好きの人間が『疲れたし飽き...続きを読む


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