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よく聞くのに、最初、宇宙が誕生し(これすら分からないが)、やがて宇宙空間に漂っているガスや塵等が集まって恒星やさらに惑星などが無数に誕生していったらしい。その中で、たまたま偶然に偶然が重なり(結果論?)、この地球に生命を誕生させる様々な物質や条件があり、やがて下等生物からいろいろと進化を遂げていきその中の最高(高等)のものとして人類が誕生したと。これって、こじつけっぽくないですか?上手く言えませんがそもそも人類は進化してやっと現在があるのではなくて、「アダムとイヴ」のように地球環境が一応整った後、わりと最初から存在したような・・・

確かに最初(きっかけ)、何かがあったから現在があるのだとは思うのです。
しかし、このカテゴリーで以前、どなたかの質問欄で「宇宙が意思をもってこの地球やそこに住む英知、人類を造った」様な回答を読み、ハッとしました!
科学的というより確かに哲学的、宗教的ですが私には新鮮でした。
そう、それはあたかも必然であったかの如く、その考えはある意味、この地球を中心に物事を考える「天動説」だとも。(勿論、実際の地球は自転、公転しているでしょうが)

要は進化の過程で或る岐路において猿?とは全く別の道を進んだとか、またよく聞くところの様々な種の進化論とかではなくて、また地球という奇跡(これもよく聞く)の星がもとは塵やガスだったなんてことも何だか面白みが無いし、太陽からちょうどいい位置にあって条件が最も揃っていた、これもまあ分かるのですが・・・
広大な宇宙の中のこの「地球」と「人類」の存在、その絶対的な必然性!!みたいなところを是非、ご自分の意見でお聞かせください。(他のURLを借りてきたり、自称ネット学者然としたような冷めた回答は今回ご遠慮願います) 

A 回答 (13件中1~10件)

「こじつけ」とは正に本質を突いています。


証明された科学とは理論があって、その理論を裏付ける検証をして初めて受け入れられるものです。
ところが、この分野に関しては検証ができなくて、そういう考え方があると言うだけです。
現在、存在しているので何とか説明しようとしてもっともらしいと多くの人が受け入れただけです。
ほとんど空想、宗教と同じレベルです。
宇宙や地球の誕生に関してはコンピュータによるシュミレーションで
形の上では検証したことになるのでまだ良いとして
進化論に関しては考え方が変更されたり分裂したりで科学と言えるようなものではありません。
特に遺伝子工学の発達により明らかになってくることは生命を創る事がいかに難しいか
進化の各段階がどれほど受け入れ難いかと言うことです。
完全に条件を整えた環境で人がどれだけ手を加えても単細胞生物に似た物さえできる見込みはありません。
神を信じている科学者もいますし「神が手を加えて創造した」と言う方が科学的と言えるかも?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

核心を突いたご意見、とても感服致しました。

>特に遺伝子工学の発達により明らかになってくることは生命を創る事がいかに難しいか

>完全に条件を整えた環境で人がどれだけ手を加えても単細胞生物に似た物さえできる見込みはありません。

19~20世紀の科学の顕著な発達と共にさも、科学者達は雄弁になりあらゆるものを手中に収めた感があります。が、しかし生命誕生の神秘はさもあらず。とてもとても奇跡的な確率をもっても創生は不可能に近いと思います。
植物の光合成、えら呼吸から肺呼吸へ(海から陸へ)、微細な昆虫から大型哺乳類に至るまで共通した種の保存と誕生の繰り返しの不思議、等々・・・
全て地球上に生息しているものの現象に対し、うまく理論付けて都合よくあてはめて「科学的に」分かったつもりでいる様なとでも。
地球上のあらゆる現象や生命活動は全宇宙の中で唯一といっていいくらいのものだらけだと思いますし、その中で特に我々人類は神から命(めい)を受けた存在に近いとも。(ここでの神とはあくまで話の上での表現でです)そして人間の脳はその働きもですが宇宙と同じかそれ以上分かっていないことがまだ多く、この分野は医学の中では神聖な領域としてまだまだおかれているようです。

お礼日時:2006/10/06 12:50

こんにちは。


質問者さんが「こじつけ」と仰いますこのような解釈は、言葉としてひと括りにしますならば「人間原理」を追求するための「定立」に当たります。
「人間原理」を定理するということは、我々自身が我々の存在理由を説明するということでありますから、ともすれば、それは人類が絶滅するまでに成しえるような仕事ではありません。ですから、必然性が見出せないからといってこれを「こじつけ」と呼んではなりません。それは、与えられた事実を基により適切な解釈を行うためのテーゼです。
もちろん、何を積極的に受け入れるかに決まりというものはありませんが、証明されていないからという理由で宗教団体が進化論を相手に裁判を起こすなんてのは、このようなことは私には本末転倒と思えてなりません。これでは単なる水掛け論にしかなりませんよね。

人類は神が作り賜うたものではなく、それは宇宙の成り立ちに従う偶発的な産物であるというのが現在では最も現実的な人間原理です。ですが近年では、現在の宇宙がかくあるのは「観測者」としての我々人類が存在するからだという「強い人間原理」といったものも提案されており、これは宇宙がかくあったために人類の誕生が許されたという従来の「受動的な人間原理」とは全く異なるものです。
この「強い人間原理」といいますのは、量子力学における「不確定性原理」の発見を基に生み出されたものでありまして、只今のような状態にある我々の宇宙といいますのは、実は「観測という行為」によって「無数の可能性の集合」の中から「ひとつの現在とし選択された事象」であり、それは観測者としての人類の要求に従ったものであるという考え方です。ですから、ここでは宇宙の法則というのは観測者の要求に従って決定されたものなのですから、あらゆる偶然が人類の存在にとって丸々都合良く作られていても全く不思議ではないわけです。
質問者さんの好奇心に応えられるかどうかは分かりませんが、数ある科学哲学の中でも、これは人類を宇宙の創造主として祭り上げてしまうというたいへん過激なものです。ですが、ここで最も重要なことは、神や意思の存在、即ち「必然」というものを否定するならば、従来の「弱い人間原理」ではこの矛盾を解決することはできないということです。従いまして、ビッグ・バンは何故起きたのかを説明することも絶対にできません。

二十世紀には量子力学における「不確定性原理」の発見に伴い、物理学の世界では未来は未確定であると結論付けられました。これにより、二百年の長きに渡り人類の自由意志を否定し続けたニュートン力学に基づく「確定論」は崩壊しました。
未来とは「ありとあらゆる可能性の集合」であり、現在とは無数の可能性の中から「観測という行為によって選択されたひとつの事象」です。従いまして、どのような未来が選択されるかというのは当然のことながら未確定ということになりますし、何よりも、観測という行為が行われない限り、あるいは観測者が存在しないならば如何なる未来も可能性のままでしかなく、それが現在として出現するということはありません。同時に、観測者の存在を否定するような現在が観測によって出現するということはあり得ませんから、結局それは観測者の要求に従って選択されているということになります。「強い人間原理」の考え方に基づくならば、現在の宇宙の法則とはこのようにして決定されました。

惑星運動を司る重力の大きさが少しでも違っていたならば現在のような地球環境が生み出されることはありませんでした。また、もし核力や電磁気力が別の値を執っているならば、この宇宙に水素や窒素といった元素が生成されることもなかったはずです。ですが、このような別の宇宙の可能性は、現在では全て消滅してしまっています。何故ならば、未来の中から現在が選択されるということは、その確率が100%になるということでありますから、この時点でそれ以外の可能性は全て0%になってしまうからです。
重力定数6.67×10^-11、光速度秒速29万9千何がしkm、このような数値が自然に定まり、宇宙の秩序が整然と維持されてきた、それが全て偶然だなんてのがそもそもおかしい、確かにそうですよね。ですが、これが元々無数の事象の集合の中に可能性として存在し、その中からは観測者の要求に従わない結果が選択されることはない、ということでありますならば話は全く変わってきます。
では、そもそも観測者というのはいったい何処からやって来たのでしょうか。従来の人間原理では、それは160億年前のビッグ・バンによって発生したという宇宙の歴史の中にひとつの現象として存在を許された者です。これはどちらにとっても未解決問題であり、どうして人類が生み出されたのか、ここでもそれは偶然としか説明はされていません。ですが、「強い人間原理」がこれと異なるところは、人類が誕生したという宇宙の歴史そのものが観測者の要求に従って決定されたものであるということです。

宇宙の果てから星の光が届くのに約160億年掛かります。このため、宇宙は誕生してから160億年が経っていると考えられています。ですが、実際に160億年前にその星が瞬いたかどうかは可能性でしかなく、観測という行為が実行されるまでは確率でしか示すことはできません。そして、そのうちの何れかが100%になることによってそれは現在として確定され、同時に他の全ての可能性は消滅します。従いまして、それは観測という行為によって160億年前に遡る事実として現在に確定されるものであり、これによって初めて宇宙の歴史は160億年であると決定されます。
我々は偶然の連続という宇宙の歴史の中に産み落とされたのではありません。不確定性原理を用いるならば、歴史そのものがその出発点に遡り、観測という行為によって決定される現在の事象なんです。そしてそこには、ビッグ・バンも人類誕生も、観測者の存在を肯定する要素として全てが必然的に組み込まれていなければなりません。

このように、「強い人間原理」といいますのは、ともすれば人類を宇宙の創造主としてしまうような究極の詭弁術でもあります。ですが、従来の人間原理では説明できない問題を扱うためには、また別な考え方が必要になります。
かつては神という架空の存在を用いなければ解決できなかった問題もありましたし、現在でもあるかも知れません。ですが、ここで最も重要なことは、双方が共に古典宇宙論に従う解釈や量子力学の発見から新たに発展したものであるように、それは無闇に必然性を要求することではなく、与えられた事実に基づいて行われる試行錯誤でなければならないということです。
人類がこの難問に挑戦するためには、このような制約をひとつひとつ乗り越えてゆかなければなりませんし、そのためには既存の知見に基づく未解決というプロセスをきちんと受け入れる必要があります。ですから、質問者さんは何か切掛けがあったはずだと仰いますが、恐らくそうなのかも知れませんが、だからと言ってここで根拠ない架空の概念を用いて必然性だけを穴埋めしてしまおうというのでありますならば、返ってそちらの方がこじつけということになってしまいます。残念ながら科学の世界では、そればかりはできないわけですね。

私の説明ではあまり正確ではありませんので、興味がおありでしたら「ロバート・ディッケ」「強い人間原理」などで検索してみて下さい。
また、グレッグ・イーガンの「宇宙消失」はこのようなことを題材に書かれたSF小説です。いったい、どうして宇宙は消滅してしまうのでしょうか、けっこう面白いですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「人間原理」・・・あのS・ホーキング博士が支持している考えですね。

コペルニクス以前と以後、古典的な「人間原理」と「宇宙原理」とに分かれた・・・そして前者はさらに「弱い人間原理」と「強い人間原理」とに分かれる。このうちさらに前者は、人間が発生するには偶然によるものではなく一定の法則があってその範囲内で選ばれた値でなければならないとするもの。後者は宇宙は発展のある段階で人間を創り出すように作られているとするもの・・・だった様な。

この中で強い人間原理が詭弁性を持つかということについてはそれぞれ解釈の違いがありますから断定は出来ないと思います。
我が国に於いては物理学の雄、京都大学の松田卓也博士が「人間原理はそれ自体が研究の対象というよりは、ひとつの哲学である。」と著書「これからの宇宙論」の中でも述べておられます。さらに、「人間原理の立場に立つことによって、もろもろの考え方が、パッと目が開けたようになるし、宇宙からさらに話をすすめて文明の進化といったものにまで一つの暗示を得られるような気がする」と書かれておられます。

この「人間原理」は宗教や脳科学とも関係していて真理の追究がなされているようです。
実際に宇宙から地球を見て還った人の話を聞くと私などは感慨深いものがあります。アポロ15号の宇宙飛行士ジェームス・アーウィンでしたか彼が立花隆氏との対話(宇宙からの帰還)の中で「…宇宙空間から地球の姿を見たとき、この地球が宇宙において全く特別の存在であることがどう否定しようもなくわかった。地球と、地球以外の宇宙のすべてとは、全くの別物なのだ。その否定しがたい事実が目の前に突きつけられる。そのとき、これは神の直接の創造物以外ではありえないと思った」と言っています。
これなどは我々と同時代の人類が身を持って体験した貴重な資料といえます。

ホーキング博士の{「我々はどこから来て、どこに行くのか?」というような、いつまでも暗闇の中を手探りするように運命づけられているのではなく、宇宙を解明する完全な理論への突破口もやがて開かれることでしょう。そのときこそ私たちは本当に「宇宙の支配者」となるのです}・・・この自信に満ちた言葉こそが「人間原理」の考えに基づいたものと思われます。

お礼日時:2006/10/06 19:01

> 仰せのほとんど奇跡に近い偶然が積み重なって人類の誕生に至った訳でしょうか。


> ならば再び、地球創生を最初からやり直しても現在のような人類が生まれる可能性
> は極めて低いといえますね。

おそらくそうだと思います。たとえば、東京に大災害が発生して1000万人の中でただ一人助かった人がいたとします。これほどの大災害なら人間の力で助かるというのは無理な話で、助かったのはいろいろな偶然の積み重ねでしかありません。ただ、この人の主観では、あなたが「宇宙の意思」を感じているのと同じように「神の加護」を感じるかもしれません。しかし、今度この人が上海で同じような大災害にあったら、、、 ま、普通は助かりませんよね。


> さらに誕生してから以後、あらゆる種は進化を遂げて現在に至っているのでしょうか。
> 生命の歴史を振り返って絶滅しない種は無いと思います。あらゆる過酷な環境に耐えた
> り適応しながら長い年月を乗り越えていったらしいのですが。

そうだとおもいます。生命が誕生する星の中でも、人間のような知的な生命が誕生することは極めてまれで、ほとんどはその前に絶滅してしまうと思います。ただ、私の最初の書き込みで書きましたように、試行回数がほとんど無限と言っていいほどあれば、物理的に不可能で無い限りどんなことでも起こってしまいます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

先般での試行回数によるお話面白かったです。
合わせて毎回の真摯なご回答を感謝致します。

お礼日時:2006/10/06 18:09

文章や以下のやりとりを見た私の感想を書かせて頂きます。


宇宙の意思というのは中々奇抜な表現ですね。私が思うに、これは単に解釈や表現の問題ではないでしょうか。
この地球ができたことも生命が誕生、進化したこともすべて自然法則に則った「必然」であると考えることもできます。むしろ科学とはこの必然性を数学という言葉で説明することを目的としているのです。それを違う言葉で「宇宙の意思」と言った瞬間、宗教やオカルト呼ばわりしてしまうのです。つまり「宇宙の意思」=「物理法則」なのです。ただしここで言う物理法則とは我々が現在までに得た知識のことに限定するものではなく、まだ我々も知らない自然界の奥に潜む法則(それがあると思っているのが科学)のことです。
なぜオカルト呼ばわりするか。それは再現性がないからです。宇宙の意思というのはあまりにも漠然としすぎていて論理的、観測的証拠がないため人々を納得させることができないのです。あなたも「ハッと思ったと」言っていますが、納得できたのですか?

ご存知かもしれませんが、この宇宙で知的生命体が発生する確率は極めて100%に近いという計算があります(ドレーク方程式というものですが、全て仮定の上に成り立つもので科学的信憑性はイマイチですが)。しかし、宇宙の広大さや、宇宙年齢に対する生命存続の期間が余りにも短かすぎるためにそれらが相互作用する(交信できる)確率は極めて0%に近いのです。我々は自分たちの存在しか知らないのでこの環境を異常に不自然に思うのかもしれませんが、他にもこういう環境がどこにでも存在すると思った途端、どこかこじつけの科学理論が納得できたような気持ちになるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>なぜオカルト呼ばわりするか。それは再現性がないからです。

オカルト(occult)とは科学、伝統宗教から外れた疑似科学、異端宗教のことですよね。19世紀あたりに興った人知を超えた神秘の知識のことをいうと思いますが。確かに私は「宇宙が意思をもって・・・」にハッとはしましたが、その考え(斬新な科学的精神論然)に傾倒し支持している訳ではないのです。これは、実際には地動説だが、人類はじめ地球上の生物などにとっては天動説であっても全く何も問題はないしむしろその方が習慣的にはごく自然です。そもそもこの問いかけの必然の真意を見出すことも言ってみれば偶然であろうが、進化論であろうが全く困らないものです。
しかしながら、先の回答者の方が仰せの様にこじつけを正当化する科学者の一種、おごりに納得できないという部分がありまして・・・よく好きでN〇K-TVの科学番組とか見るのですが、決まって「〇〇の説では永い年月の間に〇〇の進化を遂げたと考えられています」などと言います。この言い回しがさももっともの様に聞こえそのくせ曖昧はなはだしく科学の名を借りた(ええ格好しい)に聞こえてならないのですね。

>この宇宙で知的生命体が発生する確率は極めて100%に近いという計算があります・・・

仰せの事柄はとてもよく分かります。それは恒星、惑星、はてはそれらの集合体の銀河が無数にある(らしい)ことから類似条件下でもしかしたら高等生物がどこかにいるかも?というあれですね。
それは誰にも分かりません。ただ、この地球が漆黒の宇宙空間にぽっかり浮かんでいるという事実は地球上にあっては我々人類しか知らないしまた理解も出来ないでしょう。月、火星という身近な天体を頻繁に探査しても地球ほどは微塵も得るものや魅力はありませんよね。全く問題外です。

>他にもこういう環境がどこにでも存在すると思った途端、どこかこじつけの科学理論が納得できたような気持ちになるのではないでしょうか

地球が唯一ではなくなるわけですからそうですね、同類の星の誕生や生命の誕生・進化等に何らかの一定法則は感じるでしょうね。

お礼日時:2006/10/06 16:06

まぁ、極端な言い方をすると「こじつけ」なんでしょうね。


現在わかっている様々な証拠をつなぎ合わせると、そう考えるのが妥当であると言うことです。
非生物である宇宙に意志などあるはずもなく、気が遠くなるような偶然の結果として、私は今キーを叩いているし、あなたはこのメッセージを読んでいます。
それを「面白い」と感じる人もいるでしょうし、「面白くない」と感じる人もいるでしょう。それは自由ですが、現実は特定の個人にとって「面白い」事ばかりではありませんから。
僕は、とんでも無い偶然で自分がここにいるということを「面白い」と思いますよ。

もっとも、「科学的というより確かに哲学的、宗教的ですが」と書かれているわけですから、あなたの提起された話が非科学的でこのカテゴリで賛同を得られるようなものではないということは、初めから理解されているようですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>非生物である宇宙に意志などあるはずもなく

うーん、これはどうでしょうか・・・地球上に生命という「固有」の物質を生み出した元は宇宙空間に漂う物質ですよね?
それらを無数に持っている宇宙。その中のある特定の位置に必要な物質を集合させて地球を創り出し、やがて人類を誕生させた・・・如何でしょう?

お礼日時:2006/10/06 08:44

すいません、一つ前の回答は後半が切れていましたので、回答しなおします。



人間のような知的な存在の誕生に関しては偶然は大変重要な要素だと思います。どんなに起こりそうにないことでも無限に近い回数の試行が行われれば、そのうち必ず起こります。たとえば1兆桁の乱数がすべて1が連続するようなことでも、10^1000000000000回の試行が行われればそのうちに起こります。知的な存在の誕生する確率がそのくらいだとして、10^1000000000000分の1の確率で誕生した知的な存在は自分の周囲の高々137億光年の範囲しか知ることができません。宇宙の半径が137億光年とかいわれていますけど、これは因果率の及ぶ範囲が137億光年ということであり、因果律の及ぶ外がどうなっているかはだれも知りません。そうして、半径が137億光年と宇宙の年齢137億年の範囲では、、10^1000000000000分の1の確率はあまりにも小さすぎるので、「これは偶然だけではおこりそうにない」と考えるかもしれません。しかし、半径が137億光年と宇宙の年齢137億年に限定して考えるのが間違いの元だと思います。ましてや、多世界解釈をつかうと、10^1000000000000回の試行などたいした試行回数では無いかもしれません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

仰せのほとんど奇跡に近い偶然が積み重なって人類の誕生に至った訳でしょうか。
ならば再び、地球創生を最初からやり直しても現在のような人類が生まれる可能性は極めて低いといえますね。
さらに誕生してから以後、あらゆる種は進化を遂げて現在に至っているのでしょうか。生命の歴史を振り返って絶滅しない種は無いと思います。あらゆる過酷な環境に耐えたり適応しながら長い年月を乗り越えていったらしいのですが。
「進化論」は日本人にはすんなり受け入れられているみたいですね。世界一の先進国アメリカでさえ進化論を信じている人はわずか11%に過ぎないと何かで読んだ覚えがあります。

お礼日時:2006/10/06 08:17

人間のような知的な存在の誕生に関しては偶然は大変重要な要素だと思います。

どんなに起こりそうにないことでも無限に近い回数の試行が行われれば、そのうち必ず起こります。たとえば1兆桁の乱数がすべて1が連続するようなことでも、10^1000000000000回の試行が行われればそのうちに起こります。知的な存在の誕生する確率がそのくらいだとして、10^1000000000000分の1の確率で誕生した知的な存在は自分の周囲の高々137億光年の範囲しか知ることができません。宇宙の半径が137億光年とかいわれていますけど、これは因果率の及ぶ範囲が137億光年ということであり、因果律の及ぶ外がどうなっているかはだれも知りません。
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勉強とはまず、「自分が何を知らないかを知る」ことから始まります。


jupitanさんが疑問に思うことは、この世界を「解釈」する過程での根源的な疑問ではあるのですが。過去、これらについて研究しようとして来た人々は、同時に「回答は未知の中のどこかにある」ということも認識していました。

こじつけと言い放つ前に。これらの「現在最有力な仮説」が、どのような論拠を元に構築されて来たのかを勉強してみましょう。結果だけを「批評」するのは、ずるいですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そもそもこのようなジャンルで質問(問題提起)する場合、ある程度インパクトのある見出しにしないと回答される方に飛びついていただけません。
こじつけとは勿論、極端な言い方でした。失礼を承知でそれはあえて( )にも書いています。

「現在最有力な仮説」、勉強、そして批判とは?

決して昨日今日、にわかで考えたものではなくして自分自身普段からよく考えるし、思考錯誤を繰り返した上であえて公の質問欄に問いを投げかけたのです。
ですから先般の「宇宙が意思をもってこの地球やそこに住む英知、人類を造った」という考えに一種サイエンスにあるまじき、しかし正直「目から鱗」のインパクトを受けた次第なのです。

お礼日時:2006/10/06 00:07

そもそもサイエンスを誤解していらっしゃいます。



サイエンスというのは「観察と実証」が全てです。観察や実証されたものがサイエンスでは「学問」として取り扱われ、それ以外は「学説」や「理論」でしかありません。

あなたの言われる「意思」だの「面白み」だの「必然」だのにサイエンスは興味がありません。
もちろんあなたには「受け入れやすい話」でしょう。そういう話は。

ただそれは残念ながら「天文学というサイエンス」のジャンルでご質問されることではありません。畑違いです。
あなたの意に沿わない回答ですが、そういう話は「オカルト」や「宗教」に関する話題としてご質問ください。

サイエンス、科学ではありませんから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>サイエンスというのは「観察と実証」が全てです。観察や実証されたものがサイエンスでは「学問」として取り扱われ、それ以外は「学説」や「理論」でしかありません。

何も専門的な「科学」に限定して話を展開したのではありません。この場は決して大学の専門学部の門を叩いてご回答を乞うようなところと認識しておりませんし、言ってみればあくまで一般教養・息抜きの範囲内で疑問を提起しているとでも言えるでしょうか。ですから、(不快感をお持ちの方はどうぞ無視されて)あえてこの質問に何らかのご見解やご意見を持った方からの興味ある回答を頂きたく思った次第ですので。

>「天文学というサイエンス」のジャンルでご質問されることではありません。畑違いです。

これは違うのではないでしょうか?他に「科学」「地学」「生物学」「物理学」等ありますが一番合っているカテゴリーは「天文学」でも別によろしいかと。
極端に違うカテならば即座にどなたからもご指摘受けるでしょうし、私もそこに鞍替えします。まして「オカルト」や「宗教」ではありません(明確に!)。科学の基本的な知識も持ち合わせておりますし分別はつきます。
それにサイエンスは>「意思」だの「面白み」だの「必然」だの・・・と決して無縁ではありません。我々人間にとって「不思議」「興味」「快活」「感情」等々(もとを正せば決して高尚ではなく誰もが思い、感じている様なこと)がそもそも発達、発展の源になっているのです。
現に天文学は生物・地学・科学・物理学同様、自然科学の中にあってロマン性(文学、音楽、美術、等々)で言えば最も冴えたるものですから。

お礼日時:2006/10/05 22:27

科学はある意味全てこじつけです。


人類が誕生した瞬間を見た人はいませんし証明することもできません。
それで観測事実や実験事実と矛盾せずうまく説明できる仮説が採用されているわけです。
「アダムとイヴ」のように地球環境が一応整った後、わりと最初から存在したことを多くの人が納得のいくように説明できれば、科学はそちらを採用します。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>科学はある意味全てこじつけです。
>それで観測事実や実験事実と矛盾せずうまく説明できる仮説が採用されているわけです。

現象や結果をもとに理論化、公式化して不変法則的に表すということでしょうか。それにより万人を普遍的に納得させることが出来るのかも知れませんね。

科学とは内心、夢やロマンを求めながらもひたすら地味な研究・勉強の積み重ねでかつ思ったように成果や結果が顕著に出ない分野とも思ったりします。
その、ちょっとしたことを証明するのに膨大な時間を費やしたりするのですね。だからあまり変化の無い(一般人が考える)ちょっとしたことに意味を見出したりが非常に大切になってくる。万が一それが将来ノーベル賞に結びつかないともいえない訳ですし。

お礼日時:2006/10/05 21:25

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