【お題】NEW演歌

自民党の中川昭一政調会長は15日のテレビ朝日報道番組で、北朝鮮の核実験実施発表に関連し、「憲法でも核保有は禁止されていない。核兵器があることによって(他国から)攻められる可能性が低くなる。日本に核攻撃をやれば、核兵器でやりかえす、という論理は当然あり得る。議論は当然あっていい」と述べた。(読売新聞Webニュース、10月15日 )

中川政調会長は「日本が核武装するかしないかの議論はしてもいいのではないか」と言うのであって、「核武装しよう」などとは言っていないのです。

ところが同じ番組で、自民党と共に与党を構成する公明党が「とんでもないこと。非核三原則は日本の国是だ。議論さえもしてはならない」と核論議をタブー扱いしました。

私は次のように考えます。中川氏の考えは正しい。政治家には国家の安全と国民の生命を守る崇高な任務がある。核兵器が人類史上最強の兵器であるならば、核武装も日本の選択肢の一つでなければならない。核論議がタブーであってはならない。いや、与野党を問わず政治家は(一般国民も)核武装の是非について議論しなければならない。核論議を封殺する公明党の政治家に政権を担当する資格はない。

むろん、核兵器を持てば核攻撃をうける危険度がゼロになるかというと、その保証はありません。しかし少なくとも、核武装による核抑止力が核攻撃をうける危険度を大きく低下させるのも事実です。

核論議はタブーなのかどうか。皆さんはどう考えますか。

A 回答 (12件中11~12件)

>政治家には国家の安全と国民の生命を守る崇高な任務がある


 この言葉は正論ですが、現実的には理想論です。
 日本は、国民を守る義務の一部を作為的に放棄しています。

 どういうことかっちゅーと、ご存知の通り日本は軍隊を持ちません。
 せいぜいの妥協点として「自衛隊」がありますが、これは国が実際に攻め込まれたときに守るだけです。
 つまり、「攻め込まれた」という事実がなければ動けない組織なわけです。

 よって日本という国は、「先制防御が構造上できない」→「攻め込まれたという事実を国が認定するまでは、国民はやられ放題」ということになります。
 日本は、戦争そのものに対するアレルギーから、あえてそういう選択をあえてとってしまった国です。
 そして第2次大戦直後の日本人は、国民が諸手を挙げて、国がそういう不自然な政策をとることを歓迎したのです。

 ゆえに、あなたのおっしゃる「国は国民を守る義務がある」は、一部、事実ではありません。

 ですから、あくまで考え方の問題ではありますが、「核議論はタブーである」という考え方も、あながち間違ってるわけではないのです。
 俺個人としては、たしかに「そこまで拒否せんでもええやん」とは思いますけどね。

この回答への補足

>第2次大戦直後の日本人は、国民が諸手を挙げて、国がそういう不自然な政策をとることを歓迎したのです。

日本の安全保障政策が世界的に見ても不自然で歪(いびつ)なものであることは私も承知しています。しかし、それは、大戦後の日本国民が歓迎した政策なのでは決してありません。むしろ占領軍に強要されたものではなかったでしょうか。

日本の安全保障政策の歪み(ゆがみ)は憲法第9条に起因します。ところがこの憲法は、占領期間中の、占領軍の銃口が日本国民に向けられていた時期に作られたものであり、決して日本国民の自由な意思が反映されたものではありません。

補足日時:2006/10/16 21:30
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核兵器も人間が作ったもの。


非核三原則も人間が作ったもの。
タブーも人間が作ったもの。

核論議自体はタブーであるとは思いませんが、両極端の意見が分かり合えるとも思いにくいので、ヒートアップして暴力に訴える人が出てくるかもしれませんね。そうなると怖いですが、議論自体は中立なんじゃないだろうか、と思います。

どちらの意見にせよ、人間、日本人、などの何らかの平和や安全を基にした意見だと思います。
もちろん、政策としてどちらが有利かと言うのでは格段の差が出てくるものとは思われますが。
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この回答へのお礼

>核論議自体はタブーであるとは思いませんが、

同じ意見です。

>両極端の意見が分かり合えるとも思いにくいので、ヒートアップして暴力に訴える人が出てくるかもしれませんね。

かりに暴力沙汰になってケガ人が出たとしても、原子爆弾を落とされるより良いのではないでしょうか。(^_^;)

有難うございました。

お礼日時:2006/10/16 21:07

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