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江戸時代に長崎に来たシーボルトの来日の動機とは何でしょうか?

いわゆる「お雇い外国人」とは違い当時の日本は外国人が入国することさえリスクが大きかったと思います。
純粋に医学の教育ということのみが動機なのでしょうか?
ぜひお教え下さいませ。

A 回答 (5件)

シーボルトは鳴滝塾と医学の普及で日本では知られていますが、彼は医者ではなく博物学者です。

何でも知りたい知ってやろとしている中で、百科事典で「日本」という項目があるのに中は白紙ということを発見し自ら調べるために日本にやってきました。ですので、あらゆることを調べていきましたから伊能地図も手に入れたわけです。しかしながらスパイというものは疑問で、強制送還後も日本開国のためにオランダ国王やロシア国王に働きかけたこともよく知られていますし、なんと言ってもペリーは彼の著書の「日本」を読んで日本対策をしていたのは有名な話です。
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http://72.14.235.104/search?q=cache:Xs-FyilGMssJ …

これを読むとシーボルトはフリーメイソンだったんじゃないかと思えます。

ちなみにシーボルトが日本の情報を流した先の黒船ペリーはフリーメイソンでした。
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植物学者として、日本の植物に興味があったために1票です。


成果も残しています。
おたきさん、おいねさんという家族はもちろん、長崎や日本を愛していたと思います。
あじさいの学術名「おたくさ」は、愛する妻、おたきからとったと、長崎出身のさだまさしも歌のなかに引いています。
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プロイセンに限らず、日本はロシヤを含めた西洋各国から、交易の相手として、市場として、また太平洋横断の薪炭補給の目的のため、開国をしてほしいと思われていましたので、既にロシヤからはラックスマンやレザノフが来航して開国を要求していました。

シーボルトはロシヤ政府ともつながりがあり、日本の内情を知るためにオランダ人と偽って来日したのです。
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シーボルトは、プロイセンのスパイです。

ですから天文方の高橋景保に近づいて、日本の最新地図を手に入れたのです。

この回答への補足

早速のお答えありがとうございます。
では、プロイセンが日本に対して何かしらの接触を試みようとしていたのでしょうか?もしお分かりであればその辺りのいきさつをお教え下さいませ。

補足日時:2006/10/17 06:12
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