室町時代(ここでは1336-1467年とします)は、海賊の倭寇が日本の南の海で暴れた時代であり、北は北海道南部の渡島半島に居住していたことが判明しています。
でも、居住していたというのであれば、交易のため更に遠くに出かけていたのは間違いないでしょう。
当時でも馬を使えば数百キロは移動できますし、船だと尚更です。北海道は寒いですが、5~10月の間であれば更に北に行っても短期滞在はできるでしょう。
また、遺跡が見つかっていないだけで、今後は新たな発見がされる可能性もあります。
では、室町時代の日本人(和人)は、短期滞在を含めると、どこまで北に進出していたと考えられるでしょうか。
① 道央地域
② 道北・道東地域
③ 樺太南部・北方領土周辺
④ 樺太北部・千島列島北部
⑤ カムチャッカ半島
⑥ アリューシャン列島
⑦ アラスカ
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
③ ただしマルコポーロレベルの探検で、交易ということなら①ぐらいだと思います。
理由は「室町時代の北海道はアイヌの領地で、アイヌの戦闘力も強く、雪に慣れていない倭人は進出しにくかったから」と「アイヌとの交易品での儲けが少なかったから」です。
倭寇が大陸まで出かけて暴れていたのは地道に働くより「儲かる」からです。今のソマリア沖の海賊も同じです。
しかしそのためには「略奪してすぐにお金になるもの」が必要でつまり「とても物資が豊かな場所」であることが重要でした。
また、倭寇のなかには貿易も含まれていたわけですが、当時の日本からは日本刀や漆塗りや干しアワビ、絹などが大陸に輸出され、大陸からは茶器や布や絨毯や日本に無い鉱物などが輸入されていたわけで、これらを売り買いすることで儲けていたのです。
しかしアイヌ相手だとこちらから売り込むものを買うお金や物資もないし、アイヌから買って日本国内で儲けを出せる品物もほとんどなかったので、交易相手としてのアイヌの地位は低く、また寒すぎる北海道も領土としての魅力がありませんでした。
この状態が変わったのは江戸時代になってからで、米の生産に金肥をまくようになりその原料であるイワシやニシンが大量に必要になり、ニシンが取れる北海道に倭人が進出するようになったのです。
また西洋諸国が海から日本に到達したのが戦国時代、遅れて植民地政策を始めたロシアがシベリアを平定してカムチャツカ半島からオホーツク海を通り北海道近海まで達したのが17世紀後半で、この時期には倭人も金肥を求めて北海道各地に進出していて、一部はカムチャツカ半島南端に住んでいる人もいたようです。
以上の理由から室町時代だと北海道に倭人はいたとしてもコメができるギリギリあたりまで、交易もせいぜい道東ぐらいまでしょう。探検家が居て樺太まで行ったかもしれませんが、そのような記録は残っていません。
No.4
- 回答日時:
#3です。
補足拝見しました。>和人が雪に慣れていないことはないでしょう。
新潟は豪雪地帯ですし、上古から大和政権の勢力下にあった琵琶湖北部にも特別豪雪地帯があります。昔はもっと寒く、雪が多かったでしょう。
「雪に慣れる」ではちょっと語弊があったかもしれませんが、和人は「米が取れないところには住まない」のです。理由は「米が取れないと生活する食料が得られないし、年貢も納められないから」です。豪雪地帯でも「米が取れる」から倭人は進出したのです。
>また、商人は昔から信じられない距離を移動して交易していたのはシルクロードを見れば分かる通りです。アイヌにしても、交易のためであれば領内の移動を許したでしょうし、樺太や千島に住む人々も和人の運ぶ商品を欲しがったでしょう。
商人が信じられない距離を移動するのはその通りですが、それは「儲け」があるからです。アイヌなどが和人の商品を欲したのは当然としても、アイヌは和人が欲する商品や支払いが出来たのでしょうか?また樺太や千島などに住む人々が商品を買えるだけの生活力があったのでしょうか?
実際19世紀にシベリアを征服したロシアは当時のシベリアや樺太・カムチャツカに住む原住民の生活を記録に残しています。彼らの居住地は最大でも数十人規模、100名を超える場所はほとんどなく、短い夏に鮭やごく少量の穀物を貯蔵して長い冬を乗り越えるような生活スタイルだったと記録されています。
つまり「倭人の商品を買えるだけの支払い能力もないし、和人が求める商品を提供することもできない」状態だったのです。これでは交易が成立しませんので、和人に限らずとも商人が入っていくことはありえないのです。
>「儲かる・儲からない」については、やってみないと分からないわけで、それは現代でも同じです。商売になるかどうかを試すために、商人が遠くまで交易に出るということは充分考えられることです。
そうです。だから「マルコポーロ的な探検ならありえただろう」と説明しています。
マルコポーロ自体が「東洋のどこまで行けばなにが得られて、どのくらい商売になるのか」という探検です。だからこそ、行きつくことはなかったのに「ジパング=東の果ての黄金の国」のことをわざわざ記載しているわけです。
そうすれば、ジパングという夢を確認するために次の出資を募ることが出来たでしょうし、もし本当にジパングがあればマルコポーロも出資者も大儲け出来たからです。
まあ、結局日本にたどり着いて当時戦国時代で金銀発掘が豊かな日本から、それなりに金銀で儲けをだしたわけです。
シベリア・カムチャツカは19世紀まで誰も交易に行っていません。植民地支配という領土が力になる時代になってようやくロシアが手を付けたぐらいです。
なぜ中国の商人もインド商人も金に目ざとく、またシベリアなら陸地で移動できたのに、14世紀や15世紀にウラジオストックなどの日本沿岸部に進出しなかったのでしょう?
答えは簡単で「貿易で儲けることができず、自分たちの農業が通用しなかったから」です。
だからハバロフスクやウラジオストックのような比較的南の方ですら、ロシア人がシベリア征服をするまで「都市」が無かったのです。
この辺りで交易が成立しないのですから、もっと自然条件の厳しいオホーツク沿岸で交易が成立することはないでしょう。もし成立する可能性があったなら、一応ウラジオストックまでは進出していた金王朝の商人が陸伝いか海路で交易していたはずです。
No.2
- 回答日時:
⑤だと思います。
カムチャッカ半島は、勘察加(かむさすか)という古い和名もあり、日本では安東氏や松前藩の領有地として認識されていましたから、室町時代には日本人が進出していた可能性が高いです。
一方、アリューシャン列島やアラスカについては、そのような話は聞いたことがありません。
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和人が雪に慣れていないことはないでしょう。
新潟は豪雪地帯ですし、上古から大和政権の勢力下にあった琵琶湖北部にも特別豪雪地帯があります。昔はもっと寒く、雪が多かったでしょう。
また、商人は昔から信じられない距離を移動して交易していたのはシルクロードを見れば分かる通りです。アイヌにしても、交易のためであれば領内の移動を許したでしょうし、樺太や千島に住む人々も和人の運ぶ商品を欲しがったでしょう。
「儲かる・儲からない」については、やってみないと分からないわけで、それは現代でも同じです。商売になるかどうかを試すために、商人が遠くまで交易に出るということは充分考えられることです。
もちろん、日常的な交易という意味であれば、道央地域、せいぜい道東までだったでしょうが。
>つまり「倭人の商品を買えるだけの支払い能力もないし、和人が求める商品を提供することもできない」状態だったのです。
→ 当時は物々交換が基本で、鮭やホタテの干物、昆布、ウニ、ナマコあたりは提供できたのではないでしょうか。そういった水産品は現在も高級品として珍重されていますし、当時もそうだったでしょう。
>だから「マルコポーロ的な探検ならありえただろう」と説明しています。
→ マルコポーロ的な探検ならあり得ただろうというなら、少なくとも樺太北部、千島列島北部、沿海州までは行ったはずです。それくらいならひと夏で行って戻ってこれる距離ですし、アイヌ人も交易を行っていた範囲です。
アイヌ人の交易に同行するだけでそれらの地域に行けるのですから、関係が良好な時は可能だったでしょう。沿海州に存在した渤海とは、平安期の日本と交流があったことが判明しており、行ったことがないというわけではないです。