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大日本帝国が滅亡して、朝鮮と台湾と南洋諸島は日本の支配から解放されましたが、蝦夷地のロシアへの譲渡、アメリカ植民地時代を経ての琉球独立が実現しなかったのはなぜでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 北海道本島と沖縄が南樺太・千島列島・朝鮮・台湾・南洋諸島とどう違うのかは分かりますか?

      補足日時:2019/06/19 05:57
  • >たとえば今は日本の領土になっている八丈島などは江戸幕府が発見するより前に、アメリカとイギリスの艦船によって発見されアメリカの領土となっていたぐらいです。

    よくアメリカが小笠原諸島を日本に譲りましたね。領土を買ったわけじゃないですよね?

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/06/19 11:05

A 回答 (4件)

> 蝦夷地のロシアへの譲渡


 これはアメリカが絶対に容認しない。

> アメリカ植民地時代を経ての琉球独立
 独立してもロクにメリットがないから。
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奄美共産党の初期目標には「奄美人民共和国」の建国が掲げられていたが、住民の多くは日本への復帰を望んでいたため、奄美共産党・沖縄共産党も独立から復帰へと活動目標を変更し、日本復帰運動の中心的役割を果たした。

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北海道本島について


北海道本島に日本人が拠点を作ったのは14世紀ごろで、江戸時代の1604年には箱館を拠点とした松前藩が成立します。

19世紀の初頭になると、幕府は蝦夷地の測量を命じ、1808年には間宮林蔵が北海道本島を経由して樺太まで探検し、樺太が島であることを発見し幕府に報告します。
そしてこのころには北海道本島と千島列島のかなりの部分の精密な地図ができていました。

ロシアは16世紀末にはシベリア開拓を始め、18世紀にはベーリング海峡までほぼ手中にし、カムチャツカに基地をおいて千島列島(彼らの呼び方だとクリル諸島)を南下しながら測量してロシアの領域に組み込む準備をするに要になります。

当時は西洋各国が世界中を航海し、人が住まない島や土地を見つけると、そこを自分の国の領地とすることが出来たのですが、そのためには緯度経度とある程度正確な地形図が必要でした。たとえば今は日本の領土になっている八丈島などは江戸幕府が発見するより前に、アメリカとイギリスの艦船によって発見されアメリカの領土となっていたぐらいです。

北海道の話に戻りますが、幕府はオランダからのレポートでロシアがシベリアを開拓し北海道付近に迫っていることを察知していました。そのため早急に北海道全土を掌握する必要に迫られ間宮林蔵などに「北海道を探検測量すること」と命じたのです。
 実際18世紀末になると北海道本島から千島列島付近でロシアと日本の衝突が起きるようになり、19世紀に入った1811年にはゴローニン事件と呼ばれる日露の衝突が起きています。

これにより北海道と周辺の島々を巡って日本とロシアは敵対関係になっていくのです。
これらの衝突を回避するために、日本とロシアは日露和親条約を結び、
・北海道本島は日本の領土であることを確認すること
・千島列島は択捉島と得撫島の間を国境と定めること
・樺太の帰属については今後に検討すること
となっています。北海道本島の正確な地図とアイヌとの交易拠点などがあったためにロシアも本島の取得を諦めたのです。
また北方四島の帰属問題もここに端を発します。日露で初めて「領土の所有を決めた」のが和親条約であり、これが「帰属すべき固有の領土」と言う解釈があるからです。

したがってサンフランシスコ条約で放棄した「クリル諸島」に北方四島は含まれない=元々日本に帰属している固有の領土だから、という考え方なのです。

沖縄に関しては、日本に帰属したのが薩摩藩による琉球処分であり、この時点で影響力をもっていた清国は異議を唱えませんでした。その結果日中では「沖縄は日本に帰属している」ことが確定していたといえます。

アメリカの軍政の後、沖縄をどのようにするかについては沖縄の人々の意向が強く反映されていて、実際軍政下での沖縄議会では何度も「日本本土復帰請願」が可決されています。
アメリカ軍政部はこれを弾圧したのですが、沖縄県民の日本帰属の希望は強く、安保条約に伴う沖縄返還交渉で日本への返還が決まったのです。

>北海道本島と沖縄が南樺太・千島列島・朝鮮・台湾・南洋諸島とどう違うのかは分かりますか?
16世紀以降のヨーロッパ諸国による大航海時代と各地の帰属を決める時期に「どこの国とされたのか」が問題になるわけです。

北海道本島はロシアが日本帰属を認めた時点で「ヨーロッパ全体が日本の領土であることを認める」形になっています。沖縄は清国と日本で帰属問題があったわけですが、清国も日本もヨーロッパに認められた主権国家だったので、主権国家同士で帰属が決まるならヨーロッパ諸国は手出しができなかったといえます。また大戦後のアメリカ軍政はグアムやマリアナ諸島のようにそのまま琉球国としてアメリカの統治領になる可能性もありましたが、沖縄県民の本土復帰の意思が強かったために日本所属に復帰することができたのです。

それに対して、南樺太はロシアとの間で国境が定まっていない状態だったことから、日露戦争後のポーツマツ条約で日本は樺太の南半分を割譲されましたが、これは戦争利得だったので、第2次大戦で負けた日本からロシアが取り返した、という理屈になっています。
しかし日本政府は日露和親条約での国境未画定について日露戦争によって「日本固有の領土になった」としているので、いまもソ連が占領していることに異議を唱えています。
ただ、北方領土と違い、この場所には日本人がほとんど住んでおらず、また漁場としての価値も低かったので、主張が後ろ向きなのです。

朝鮮は元々ヨーロッパ諸国が認める国家でしたので(とはいえ清国から分離独立させたのは日清戦争後の下関条約による)分離独立するのは当たり前、台湾も清国時代から清国への帰属とされていたので日本から分離するのは当然、南洋庁は第一次大戦で負けて賠償を払うことになったドイツに変わって信託統治をしていただけなので固有の領土とは言えない、ということでアメリカに統治責任が変わったわけです。

一言で言えば「19世紀までの領土確定交渉、特に日本はヨーロッパ諸国と初めて条約を結んだ時の領土が『日本固有の領土』と見なされている」のでポツダム宣言からサンフランシスコ条約で「固有の領土」は日本から分離しなかった、ということになります。
この回答への補足あり
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皆様へ。


質問の主旨だけでなく、質問の目的を見抜く力を持ちましょう。

どのような回答をお望みなのかわかりませんが、
いままで日本が嫌いな連中が散々出しては潰されている、答えるのさえ面倒臭い使い古された手口ですね。


>南洋諸島は日本の支配から解放されました

誤:支配
正:一時的な統治(ヒント:大東亜会議)

【大東亜宣言の歴史的意義】
http://www.seisaku-center.net/node/217

しかし、それで白人の植民地支配からの解放が実現しなかったのは何故でしょうか。
白人が日本が撤退したアジアに再侵攻したのは何故でしょうか。
あなたがそれに触れないのは何故でしょうか。

【大日本帝国の最期part.3】(動画)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm983996



>蝦夷地のロシアへの譲渡、アメリカ植民地時代を経ての琉球独立が実現しなかったのはなぜでしょうか?

「蝦夷地」や「琉球」とは何処のことでしょうか。
大東亜戦争当時の日本には、そのような行政区分はありません。

この質問ですが、停戦後のソ連の侵攻=正当なもの という前提によるものであるように思えますが、その根拠は何でしょうか。
この場合、まずあなたがこれを示す義務があると思います。
理由が必要なのはしない事ではなく「するべき」と主張する方です。
証明責任のすり替えは卑怯者の詭弁です。




また、正式な呼称を使用しないのは、現地の民族意識や歴史認識を利用(歪曲)して、それが所属している国から離反させようとする工作員の常套手段です。


質問とは関係のないことかもしれませんが、
サンフランシスコ条約で放棄することが決まったのは、明治以降に日本が戦争で獲得した(ということに連合国がした)領土です。(千島列島に至っては、千島樺太交換条約条約で平和的に得たものです)

以上から、沖縄は一時的にアメリカの統治を認めたものに過ぎずません
(→分離独立を承認したものではありません)

あなたは沖縄や北海道がどのようなものであったと考えているのでしょうか。
あなたの祖国はどのように教えているのでしょうか。



評価:日本語はお上手ですが、まだまだですね。
「蝦夷地と琉球」の回答画像4
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