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幕末、日本と米国の間で小笠原諸島の領有問題が発生した。この時、幕府は16世紀末に小笠原一族の貞頼が発見した島で、昔から小笠原島と呼ばれている、と主張した。米国建国よりはるか前の主張に米国側は領有を断念し、以後日本領となったという経緯がある。

しかし、この貞頼という人物、実在はしたものの小笠原の発見については伝承の域に過ぎないとされる。

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ウィキペディアを見ると、
英国と米国が先に発見しました。
原住民も欧米人です。

昭和43年6月26日(1968年) 小笠原諸島返還
これは、米国のミスですか?

A 回答 (8件)

先に発見しようが先に入植していようが、領土は最も後に結ばれた条約によって確定します。



小笠原諸島の場合、明治9年に日本領として認められており、太平洋戦争を経た後のサンフランシスコ条約での放棄すべき領土(武力によって概ね第一時大戦以降に奪取した地域)にもかからなかったため、そのまま日本領です。
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 原住民は日本の領有と統治に賛成しました。

領土問題において住民の意思というのは重要視されます。

 また、日本が領有を宣言してから百数十年間、日本の領有に異議を唱えた国が一カ国もありません。
 英国も米国もスペインも、他の国も異議を申し立てませんでした。
 国際社会の常識では、異議を唱えないということ、つまり黙っているというのは認めたことになります。
 日本領であると日本が宣言したことを国際社会が認めたということです。
 何の問題もありません。

 2002年小泉訪朝の時、金正日総書記が日本人拉致を認め謝罪しましたね。
 これは日本政府が発表したことです。北朝鮮政府はこのことを発表していません。しかし「金正日氏が拉致を認め謝罪した」ことは事実として広く認識されています。
 なぜでしょうか。それは日本政府発表の内容を北朝鮮が否定しなかったからです。黙っていたからです。
 黙っていたということは、事実だと認めたと世界が認識したからです。
 もし今日から北朝鮮政府が「2002年9月に金正日将軍さまが日本人拉致を認め謝罪したなど、そのようなことはおっしゃらなかった。」と言っても、もう遅い。小泉訪朝から10年以上経っています。今否定したって、国際社会の誰も信じてくれません。

 1905年、竹島を島根県に含めるという日本の閣議決定がなされ、日本人の役人が竹島調査のため鬱陵島に渡り朝鮮の鬱陵島郡守らに会います。鬱陵島にいた朝鮮の官吏らはすぐに、日本が竹島を島根県領としたことを朝鮮朝廷に報告します。しかし朝鮮王府は何の異議も唱えませんでした。不満をこぼすこともしませんでした。ただの1度も。全く。黙って、何もしませんでした。
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「発見=領土」ではないということですね。

国際的に領土宣言をして、異論がなければ領土になります。発見をしても領土宣言をしなければ領土ではありません。発見しても海運上、あるいは海洋資源に魅力がなければ、領土に組み入れないこともあり得ます。
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 小笠原にアメリカ人が住み農漁業をしていたのは



事実です。しかし明治時代に日本が領有宣言をし、

アメリカ政府は拒否をしなかったので国際法上まちがい

なく日本領土なのです。ちなみに住んでいたアメリカ人の

子孫は日本名を名乗り、日本人として今でも暮らしています。

何年か前NHKの番組でしていました。
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領有権をそもそも最初に発見したのは日本かに求めると


資料に書かれた内容の真贋の問題が残ります.恐らく解明できないでしょう.
米国のミスか についてはミスではなく 明治9年日本の領有となっています.

ご参考:
小笠原の領有に関連する諸外国の関わりの経緯です.
 [ペリー米海軍提督論文 1856年3月6日 ]の和訳
file:///D:/Mydoc%20koi/_%E5%B8%B8%E6%99%82/%E6%8A%9C%E7%B2%8B/%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%BC%E8%AB%96%E6%96%87/perydocj.html
 米英日中西葡露等による発見・植民・思惑etc.に関する当時の文書や書簡であり,
 事実関係が読み取れます.但し領有権の決着には触れていません.
こんなことも.
「1850年の夏、ロシア船来航の2年後、ジェノア出身のマテオ・マザロ、米国のナサニエル・セイヴォリー、英国臣民のジョン・ミリチャンプ、デンマーク人のチャールズ・ジョンソンが、約25名のサンドウィッチ諸島原住民の男女に伴われて、父島(Peel Island)に上陸し、既に述べたような村落の形成を開始した。
 これらの人々が上陸したとき、この島々は無人となっており、実際、われわれの知る限りでは、16世紀後半に日本人が離島していらい、無人であったのであり、サンドウィッチ諸島のグループが、今日まで領有してきたことから、かれらが、この中央の群島の正当な持ち主と考えられる、ただし、日本が、早期占有を根拠に、主権と領有権の主張で干渉しないならばである。」

*上記の記事に見えるような諸いきさつの果てに
1876年3月 - 小笠原島の日本統治を各国に通告し日本の領有が確定しています.
それに先行する時期に米国が領有の行動を起こした際,
米国には渡したくない英国がそれを認めず,
米国は英国とことを構える道を避け.
結果的に日本の領有権が確定したものです.
このことに関する書籍がありますが行方不明で残念ながら典拠を示せません.
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ぐふ 発見したのは小笠原さんではありません 泣


まぁ 宇喜多秀家が八丈島に流されたとき 島民から はるか海の向こうにも島々があると聞かされていたそうですから
そのころにはすでに存在は知られていたのでしょう



ちなみにアメリカが小笠原の返還に応じたのは 交換条件で日本に核保有をさせるためです
現在も小笠原には核が配備されています 意外と知らないですよね…良いんだろうかそれで
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小笠原貞頼の発見譚は虚構と言われますが、1670年(寛文10年)に漂着民がいて1675年(延宝3年) に 江戸幕府が「此島大日本之内也」という碑を設置したとされますから領有権はあるでしょう。

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※ wikiから抜粋


>1876年(明治9年)3月 - 小笠原島の日本統治を各国に通告。(日本の領有が確定。)
 小笠原諸島が内務省の管轄となる。日本人37名が父島に定住。内務省出張所設置。

~~~~~~
>戦後 - サンフランシスコ講和条約によりアメリカ海軍の占領下に置かれた。

>1968年(昭和43年)6月26日 - 協定が発効し、日本に返還。
 東京都小笠原支庁設置。東京都小笠原村に属する。

「小笠原諸島返還」というのは
戦後アメリカ(GHQの元)占領下から「返還」されたということです。
沖縄も1972年に返還されました。
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