ネットが遅くてイライラしてない!?

こんにちは。性のカテと迷ったのですが、こちらのほうが詳しい方がいるのではないかと思い、こちらで質問させていただきますm(__)m

現在は女性は月経のとき、専用のショーツやナプキンなど便利な下着がありますが、昔はどうしていたのでしょうか?以前漫画で、江戸時代は半紙を折って、それを紐で腰にくくりつけていた、というのを読んだことがありますが、江戸時代以前のことも知りたいです。

昔はどのようなものを生理用品として使っていたのでしょうか?特に戦時中の物資不足のときなどはどうしていたのでしょうか??
ご存知の方、回答をよろしくお願いしますm(__)m

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A 回答 (4件)

こちらに類似質問があります。

回答に挙がっている参考URLが参考になるかと思います。

 ◎QNo.317783 生理用品がない時代はどうしてたの?
  http://okwave.jp/qa317783.html

 ◎QNo.335142 昔の人は生理どうしたの?
  http://okwave.jp/qa335142.html

 ◎QNo.986214 昔の女性の生理対策
  http://okwave.jp/qa986214.html

参考URL:http://okwave.jp/qa317783.html, http://okwave.jp/qa335142.html, http://okwave.jp/qa986214.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
とても参考になりました。
やはり、布や紙、綿が主流だったのですね。
昔は衛生的にも、大変だっただろうと思いました。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/10/31 20:46

90歳以上のご婦人から聞いた話によると、近年まで女性は、尿と同じように経血を自在に出したり止めたりすることができていたそうです。


経血は便所へ行って出していたので、普段の生活では、それでも誤ってもれてしまう分だけを吸収すればよいため、粗末な道具しか無くても対応が可能だったとの事。

江戸時代の生理用品が綿や半紙程度だったのは、尿漏れ程度の経血を受ける用途のものだったからかと思われます。

生活が便利になって、現代の女性には失われた能力ですが、今でもスポーツ選手などは出来る方もいるそうです。
私の友人にも一人、経血はトイレに行って出すため、一度もナプキンを使わずに生理が終る事もある、という人がいます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そういえば私の友人にも、生理は気合で遅らせるという人がいました。
昔の人はすごかったんですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/04 11:17

おこしが赤いのは、経血がついてもめだたないように、と、聞いたことがあります。


おこしの下には、普段は、何もつけないのですが、生理の時には、今のT時帯のような形のものをつけていたようです。
中身は、やはり、綿のほかに海草を干したものとか・・。
井上ひさしさんの作品で、「烈婦ます女伝」というのがあるのですが、その中に戦時中、ものが、払底した時の苦労談などが載っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
海草も使ったとは驚きです。
ご紹介の本、ぜひ読んでみたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/10/30 18:14
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この回答へのお礼

お早い回答ありがとうございます。
とても参考になりました。

お礼日時:2006/10/30 16:16

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Q昔の女性は生理のとき何をつかっていたのでしょうか?

7、8年前からずっと気になっていたことがあります。

昔の女性は生理のときはどうしていたのでしょうか?今でこそ、ナプキンという便利なものがありますが
昔は布を使っていたのでしょうか?
さらに、布が開発される前は・・・?

自分なりに色々と調べたのですが、
7年間探しても、私の探している答えが見つかりません・・。

昔の人々の生活に詳しい方がいたらぜひ教えてください。
お答えしずらい質問かもしれませんし、カテゴリーが違うかもしれません。すみません(>_<)

Aベストアンサー

昭和31年に初潮を迎えました。
その頃はナプキンなどなく、脱脂綿をチリ紙に包んで、自分で作っていました。
チリ紙も、やわらかいものはよれてしまうので、固い、達磨紙というものを使いました。
ところがこのダルマ紙、吸水性が悪くて、横から漏れてしまうのです。
スカートを汚さないよう、苦労したことを覚えています。
14歳のころ、「アンネナプキン」が発売されました。
一個10円以上はしたと思います。あのころの収入や物価から考えると大変高価なもので、発売されても2年ほどは買ってはもらえませんでした。

生理用のショーツも、体にフィットしたものはなく、シーツを汚してしまうこともしょっちゅうでした。
戦後10年経ってもそんな状態でしたから、もっと前の人たちは大変だったと思います。

親戚のおばさんは戦後、満州から引き揚げてきたのですが、帰国のため線路沿いを毎日毎日、歩いたそうです。
ソ連兵から身を守るため、頭をボウズ狩りにして男に見せかけ、集団で逃げたのだそうです。
100人くらい固まって行動したらしいのですが、おしっこなど、場所をさがしていると置いていかれるので、歩きながら、垂れ流しだったと話していました。
「生理はどうしたの?」と私が聞いたら、笑って、「女の人で生理のある人なんていなかった。恐怖感と栄養失調で、みんな、とまってしまっていた」と言いました。

話が脱線しましたね。
ごめんなさい。

昭和31年に初潮を迎えました。
その頃はナプキンなどなく、脱脂綿をチリ紙に包んで、自分で作っていました。
チリ紙も、やわらかいものはよれてしまうので、固い、達磨紙というものを使いました。
ところがこのダルマ紙、吸水性が悪くて、横から漏れてしまうのです。
スカートを汚さないよう、苦労したことを覚えています。
14歳のころ、「アンネナプキン」が発売されました。
一個10円以上はしたと思います。あのころの収入や物価から考えると大変高価なもので、発売されても2年ほどは買ってはもらえません...続きを読む

Q生理用品がない時代はどうしてたの?

毎月私に生理がくる度に不思議に思うことなんですが、生理用品がない時代はどうしてたのかなぁ?と。時代劇を見てると特に気になるんです。
女性が下着をつけていなかった時代や着物を着てて突然始まっちゃったらどうしただろう?とか、下着をつける時代になったとはいえ、生理用品としてなにかあったのだろうか?とか、もう毎月思ってしまうんです。
カテゴリー的にはここでいいのか分かりませんが(歴史かな文化かな)、どなたか教えて下さい。

Aベストアンサー

こちらご参考にされてはいかがでしょう。

参考URL:http://www.kao.co.jp/peony/laurier/backnum/may/may/03.html,http://homepage2.nifty.com/RYOKO/gekkei%20minnpaku.htm

Q生理用ナプキンの歴史

生理用ナプキンの歴史について調べています。
布ナプキンはずっと昔から使われていると思いますが、
紙ナプキンはいつ頃から使われているのでしょうか。
また、最初に発売した会社(日本・海外)はどこでしょうか。

いくつか検索をかけてみたのですが、
ずばり、というものがうまく見つかりません。

上記の内容についてご存知の方、
また、説明のあるサイトをご存知の方がいらっしゃいましたら、
教えていただけるとうれしいです。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

資生堂のサイトにも関連情報(http://www.centerin.com/teach/newteach/teach_history.html)がありますが、花王ロリエクラブバックナンバーの「生理用品の歴史」(http://www.kao.co.jp/peony/laurier/backnum/may/index.html)というのが詳しく記述されていますのでおすすめです。

「アンネ・ナプキン」以前のもので世界初のナプキンは1896年、米国で「リスターズ・タオル(ジョンソン・エンド・ジョンソン社)」というのが発売されています。使い捨てタイプの原形は1921年「コーテックス(キンバリー・クラーク社)」です。
日本の方は「婦人用猿股」以降有名なゴム製の「ビクトリア月経帯」というのがあって、以後「フレンド月経帯」「ノーブルバンド」などに続きます。昔は洗って使うものが主流でしたが、第二次戦後日本にはアメリカ軍が駐留していた時期があり女性士官も数多く駐留していましたので「生理用品(紙パルプ製)」は、軍専用のマーケットでは売られていました。
国産のものは坂井泰子さんという方がコーテックスにヒントを得て、1961年「アンネナ・プキン」を『40年間お待たせし ました(米国のコーテックス発売から40年という意味)』というキャッチコピーで発売したのが最初で、翌年、エンゼル(株)が「エンゼルスターナプキン」を発売、その翌年、大成加工(株)が「チャームナプキン」を発売という順だったはずです。
国内での情報をもっと知りたい時は「ビクトリア月経帯」「アンネ・ナプキン」「エンゼルスターナプキン」という商品名をgoogle(http://www.google.co.jp/)などの検索エンジンで調べてみるといいですよ。
書籍なら宝島社から発売の「アンネナプキンの社会史」著者:小野清美 がおすすめです。

資生堂のサイトにも関連情報(http://www.centerin.com/teach/newteach/teach_history.html)がありますが、花王ロリエクラブバックナンバーの「生理用品の歴史」(http://www.kao.co.jp/peony/laurier/backnum/may/index.html)というのが詳しく記述されていますのでおすすめです。

「アンネ・ナプキン」以前のもので世界初のナプキンは1896年、米国で「リスターズ・タオル(ジョンソン・エンド・ジョンソン社)」というのが発売されています。使い捨てタイプの原形は1921年「コーテックス(キンバリー・クラー...続きを読む

Q戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍人、民間人合わせて310万人の人が死亡し、都市面積の30%が消失したと言われています。
しかし、310万人の死者は一見多いように見えますが、1億人の人口から見たら3%で、97%の国民は生き残っているわけです。
また、国土が焼け野原になったと言われますが、都市面積の70%は無傷だったわけです。

これらのことから見ても、当時の国民で、肉親や親戚に死亡した人がおらず、空襲も受けなかった人はかなりの数がいるはずです。
その中でも、農村部に住んでいる人であれば、食料にも不自由せず、普段通りの生活をしていた人も多くいたと推測されます。
もちろん時代が時代ですから、派手なパーティーをやったり、観光旅行にでかけたりということはできなかったでしょう。
しかし、戦後世代の人が教わったような、日本中が地獄絵と化したというのはちょっと大げさなのではないでしょうか。

当時は情報も統制され、日本がどんどんやられているというような情報は入って来なかったでしょうから、いずれ自分たちも攻撃を受けるというような危機感もなかったと思われます。
当時の国民の、少なくない数の人たちが、実は普段通りの平和な生活を送っていたと推測されます。
戦時中、実際にこのような普段通りの平和な生活を送っていた方の体験談を聞かせていただけませんか。
また、そのようなことを紹介したサイトなどがあれば教えて下さい。

なお、私が聞きたいのは「戦争中、普段通りの生活をしていた人の話」であって、「そんな人はいない」とか、「そのような質問は不謹慎だ」というような回答はお断りします。
質問の趣旨を理解した上で回答をお願いします。

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍...続きを読む

Aベストアンサー

 母は田舎にすんでいたので、まったく戦争の影響はなかったそうです。
確かに統制品は手に入りにくかったらしいですが、食べるのにはまったく困らなかったそうですよ。
 よく、都会から食べ物を分けてくれって人が来たらしいです。

 父は逆で都会で生活していたので疎開をしました。
疎開には、集団疎開と縁故疎開ってのがあるんです。
中でも悲惨なのが集団疎開です。学校の力関係が24時間中です。いじめっ子はずっといじめ、いじめられっこはそれこそ現代で言うイジメなんかと比較できないほど酷かったらしいです。

 また、縁故疎開っていうのも、ようするに都会のこじゃれたガキが、自分の親戚をたよって田舎に疎開するんです。すると、もちろんその子のキャラにもよりますが、めちゃ人気者になった人もいたみたいです。

Qいわゆる江戸時代の娼婦はどうやって避妊してたんでしょうか

コンドームのない時代にどうやってたのかな?
とよく思うんです。

事のあとで洗浄するとか、外出しですか?
(あの時代にはピンと来ない方法ですが…)
それとも妊娠の都度、堕胎したんでしょうか?

ご存知の方いらっしゃったら、教えてください。

Aベストアンサー

吉原細見というHP(http://yosiwarasaiken.net/)に「遊女と避妊(http://yosiwarasaiken.net/moyou/hinin.html)」というサイトページがあります。それによりますと…

遊女(吉原の花魁などの幕府公認遊興場の売春婦=女郎;深川・辰巳などの岡場所の売春婦は売女と言った)の世界では妊娠は恥とされていた。当時は絶頂を迎えると妊娠しやすいと言われていたため「男に負けた」的な捉え方をしていたようです。
避妊の方法は「洗浄」「薬」「灸」それに「道具」。道具は男性用として大人のおもちゃのようなものと、女性用として御簾紙という薄い髪を丸めたタンポンのようなものとがあったそうです。いずれも紙製の頼りないもので避妊率は極めて低い、ほんの気持ち程度のものでしかなかったようです。
それでも妊娠すると堕胎する場合がほとんどだったそうで、場合によっては遣り手(遊女を取り仕切る年寄り女…「遣り手ババア」は吉原のこの役職の女性が語源)に強引に堕胎させられていたとか。当然ダメージを負った女性の中には性病や容姿の悪さなどで追いやられた遊女達と一緒に羅生門河岸という最下級の場所に送られたとか。

…というと江戸時代=昔=封建社会という背景も助長して「女性がとても虐げられている」というイメージが強いですが、実は江戸市中でも最も女性が強かった地域でもあるのです。特に花魁ともなると容姿はもちろん最高級の教育を受けた教養の高い女性であり、「源氏物語は、全部読んでありんす」というスーパーウーマンであり、それぞれの廓屋の看板であり、身分の高い武家階級や大金持ちの大店の主人を相手にするにふさわしい女性であったのです。
廓屋が大枚を叩いて徹底的な教育を仕込む所なんざ映画「プリティ・ウーマン」を思い起こさせますが、あの程度の金の掛け方では花魁の簪ひとつ分くらいじゃない?というくらい破格のものでした。今風に言えば伊東美咲に叶姉妹やマリエやデヴィ夫人や西川先生の持っているそれぞれ10倍くらいのものを与えちゃった、って感じです。
おまけにこれだけのスーパーウーマンだから、誰でも床入りできるような「安い女じゃない」のです。なんと花魁が気に入らなかったら床入りを拒否出来ちゃったんです。「いっくら金積んだって、あちきはあんたみたいな下衆とは、お断りでありんす」だったんですな。それだけに花魁目的で廓屋に通う男達は身だしなみに気を使いセンス良く知的におしゃれして花魁に気に入られようと必死だったのです。事実一生処女のまま生涯を閉じた花魁もいたのです。

それなりに格のある身分の遊女はおいそれと抱く事はできなかった、というわけですが…今の時代もそうですね。銀座の高級クラブはもちろん六本木の超有名キャバクラ嬢だって、気に入らなきゃ「おめえとなんか寝ないよ、バーカ」です。故杉浦日向子さんは「江戸時代の江戸市中は女性主導の社会だった」と指摘している通り、実は花のお江戸は女性によって成り立っていたようです。それが男尊女卑に一変したのは明治維新以後…長州と薩摩の習慣が入ってきたせいかなぁ、と個人的には考えています。
もちろん廓屋という特異な世界では劇になるような悲惨な面もありますが、実は現代とさほど変わらない面もたくさんあるんですね。

吉原細見というHP(http://yosiwarasaiken.net/)に「遊女と避妊(http://yosiwarasaiken.net/moyou/hinin.html)」というサイトページがあります。それによりますと…

遊女(吉原の花魁などの幕府公認遊興場の売春婦=女郎;深川・辰巳などの岡場所の売春婦は売女と言った)の世界では妊娠は恥とされていた。当時は絶頂を迎えると妊娠しやすいと言われていたため「男に負けた」的な捉え方をしていたようです。
避妊の方法は「洗浄」「薬」「灸」それに「道具」。道具は男性用として大人のおもちゃのようなもの...続きを読む

Q昔の性交の実態

現代社会では、モラル的な圧力で、第2次性徴が来てもまだ性交適齢期でないとか社会的に未成熟とか言う理由で抑圧しますが、昔はもっと自然に、子供が生める体になったら交わり始める、と言う感じだったのですよね?
でも、女が12歳くらいで子供を産むって言うのも大変だと思います。そのへんの規制的なものはあったのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>女が12歳くらいで子供を産むって言うのも大変だと思います。そのへんの規制的なものはあったのでしょうか?

まず、回答から先に述べますと、
結婚や出産の年齢の「上限」はありましたが、「下限」はありませんでした。
まあ、12歳前後になると、現代で考えると確かに未成熟ではありますが、その時代の風潮として、それ位の歳になれば、もう、周囲からは立派な大人扱いをされましたので、女性も、もう、そうした心づもりで嫁に行ったりしました。
まあ、お産については、大変な苦労があったと思います。出産の最中に死亡したり、産後の日だちが悪くて死亡したり、また、生まれて来る子どもも未熟児ですぐに死亡したり、と、苦労?も多かったのが実際でしょうね。

(よもやま話)
(1)ある大名家(判ってはいますが、ここではあえて伏せます)の嫡男15歳に政略結婚で7歳の少女が嫁ぎました。初夜の時に、乳母や女中連中が少女の股を無理やり、押さえつけて、開かせ、姦通させた、という話が残っています。(明らかに「幼女姦」)。
(2)また、男女が共に7~8歳前後で結婚した場合は、夫婦とは名ばかりで、10歳位になるまでは、遊び友だちでした。
(3)江戸の商家の娘になると、自由恋愛は全くと言って良いほどできませんでした。また、商家の娘は「箱入り娘」と呼ばれたように、自由に街中を歩くことさえできませんでした。
(4)現代のようにウインドショッピングを楽しむ場所もありませんでしたから、たまに、小物が欲しいと、街へ出ても、乳母や女中がお供をして出歩きましたので、自由にどこでも行くことは許されませんでした。
(5)では、着物や櫛(くし)、簪(かんざし)などが欲しいというと、大店の丁稚がそうした店へ使いに走り、店からの出張販売でした。
(6)江戸時代を例にとると、儒教の精神が上は将軍家から、下は町人まで、
「男女7歳にして席を同じゅうせず」
でしたので、武家はもちろん商家でも、双方の家柄や財産などを基に、親同士が決めた「許婚(いいなずけ)制度」で、特に、父親の権限が強く、父親の許可なしには結婚できませんでした。
(6)江戸の街には「分一(ぶいち)」と呼ばれる「仲人専門」の職業の人がいました。これは、結納金の十分の一が謝礼として貰えることから、そう呼ばれました。
(7)適齢期の男女を物色し、商家へ縁談を持ち込む。ただし、男は40歳前後まで、女は20歳まででした。となると裏をかえせば、10歳前後の結婚もあった、と言うことでしょう。
(8)「十分一(じゅうぶいち)取るにおろかな舌はなし」
と、狂歌にもよまれたように、「口先三寸」のやり手でした。
(9)また、逆に、将軍家や大名家の大奥では30歳になると「おしとね御免」と言って、夜の相手ができなくなる話はご存じだと思いますが、30歳位で妊娠すると、今度は、医療技術がお粗末だったため、高齢出産となり、母体の安全から子どもを作ることはできませんでした。ただし、町人などは、側室などいませんから、子どもを生むこともありました。
現代でも40歳以上になると、やはり、高齢出産と位置づけられますよね。江戸時代から400年余り過ぎても、医療技術が進歩したとはいえ10歳しか「上限」が上がっていない。
(10)ここには、主に、江戸時代で江戸の街を中心に述べていますが、地方(田舎)も似たり寄ったりでしょう。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>女が12歳くらいで子供を産むって言うのも大変だと思います。そのへんの規制的なものはあったのでしょうか?

まず、回答から先に述べますと、
結婚や出産の年齢の「上限」はありましたが、「下限」はありませんでした。
まあ、12歳前後になると、現代で考えると確かに未成熟ではありますが、その時代の風潮として、それ位の歳になれば、もう、周囲からは立派な大人扱いをされましたので、女性も、もう、そうした心づもりで嫁に行ったりしました。
まあ...続きを読む

Q太平洋戦争中、男は命を捨てて戦ったが、女はま○こで済んだか?

太平洋戦争中、男は命を捨てて戦ったが、女はま○こで済んだか?

このような間違った妄想が、頭のなかで住み着いてはなれません。
太平洋戦争中、将兵は命がけで戦い、そしてたくさん死んでいきました。女は性器をつかうだけで、なんとかなりましたという、なんともやっかいな考えが、私の頭のなかにあるのです。この間違いを正してください。お願いします。

Aベストアンサー

現代の日本に住んでいると、あまりにも単純で荒唐無稽なお話ですが、戦前の日本人の一部にも質問者同じような考えを持っていた人も沢山いたのかもしれないなあとふと思いました。


どのような回答を行おうか真剣に考えましたが、とりあえず質問者の疑問に回答し、その後に戦争の愚かさと、その戦争を抑止する単純な考え方だが、最も有効な考え方によって起こった悲劇を紹介しましょう。


女性も兵器製造等に携わっています。戦争は兵器の製造、兵器の貯蔵、兵器の移送、兵器の使用を繰り返すことと、戦争に欠かせない情報伝達を行わねば成り立ちません。ここで兵器の使用を行う兵士を再生産する為には、男の赤ちゃんを産むこと、即ち男女の睦事が前提ですから、戦時政府も多産婦を表彰しています。だから質問者の考えは間違いだと決めつける訳にはいきません。


しかし、情報通信、兵器の生産、兵器の貯蔵等には女性や子供や老人も関わっています。当時の日本軍の秘密兵器「風船爆弾」の製造には、記録によると、一部の地域では原料の楮の栽培、抄紙に学徒動員された地方の女子学生が携わっていますし、東京に集められた和紙をこんにゃく糊で貼り付ける作業はほとんど東京の女子学生によって行われました。手の平を傷めるほどの重労働に耐え、国が戦争に勝つ日を思って頑張ったそうです。近代的な戦争は国家の総合力ですから、女性の力無くしては戦えないということです。


ここからは、記事【2008年12月1日 AFP】の引用になります。
パプアニューギニア東部のオカパ(Okapa)地区の女性たちが、1986年から20年来続く部族間戦争を根絶しようと、男の子が生まれたらひそかに殺す習慣を10年前から行っていたことが明らかになった。豪ナショナル(National)紙が報じた。


 同紙によると、同地区のギミ(Gimi)では、長きにわたる部族間戦争で男手が減り、多くの女たちが育児もままならない状況にあるが、前週ゴロカ(Goroka)で行われた平和と和解のための集会で、2人の女性が「赤ちゃん殺し」を告白した。


 女性たちの話では、戦士となる男の子が生まれなければ、戦争に参加する男の数が減り、部族戦争そのものがなくなるとの考えから、村の女たち全員が約10年前、生まれた子が男児だった場合には例外なく殺すことで合意したという。


 具体的に何人の赤ちゃんが殺害されたかは不明だが、女性の1人は、息子を殺した母親は複数いると話した。同紙によると、この女性は「(赤ちゃん殺しは)許されざる犯罪だが、それが女として部族戦争を終わらせるためにできる唯一のことであり、そうするよりほかはなかった」と涙ながらに証言したという。(c)AFP


「日本の戦時政府の多産婦を表彰」と「オカパ(Okapa)地区の女性たちの選択」は、カードの表と裏の関係にあるということなのですね。

参考URL:http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2544473/3573738

現代の日本に住んでいると、あまりにも単純で荒唐無稽なお話ですが、戦前の日本人の一部にも質問者同じような考えを持っていた人も沢山いたのかもしれないなあとふと思いました。


どのような回答を行おうか真剣に考えましたが、とりあえず質問者の疑問に回答し、その後に戦争の愚かさと、その戦争を抑止する単純な考え方だが、最も有効な考え方によって起こった悲劇を紹介しましょう。


女性も兵器製造等に携わっています。戦争は兵器の製造、兵器の貯蔵、兵器の移送、兵器の使用を繰り返すことと、戦争に...続きを読む

Q知的障害の娘に誘われています。

娘(12)は軽い知的障害を持っていまして養護学校に通っています。
本当なら養護学校に通わせないという選択肢もあったのですが、5年前に妻を亡くしましたしいろいろ考えた末の判断で養護学校に通わせることにしました。
話を聞く限り学校では楽しくやっているようです。
外見ははかない感じで可愛く、胸は小さいですが足も細くて持てないはずはないのですが、、、
しかし彼氏がおらず性的に欲求不満の状態になっているようなのです。

娘には部屋を与えているのですが、ここ2週間くらい私の部屋に来てしきりに肌を見せたりボディタッチを繰り返すようになりました。
私の目から見て誘っているのは明らかです。

未成年と交わるのは悪いことだといわれていますが、状況が状況だけに私が手伝ってやらないと
変な人を誘ってしまってレイプなどの危険もあります。
この近所は割と暗がりが多いのでレイプ犯罪も多いと聞きます。
誘われたときはどこまで手伝ってやるべきでしょうか?

Aベストアンサー

一児の母です。
専門家でもなんでもありませんが、回答させてください。

奥さまが亡くなられて、男手一つで娘さんを育てられている。
さぞ大変なこととお察しいたします。
そんな中、娘さんとの距離が近いために一から百までしてやれる事はしたいと思われる『親心』は理解できます。
しかし、性の事となると話は別に思います。

未成年云々である以前に実の我が子(ですよね?)。
手伝ってやる…というのは行き過ぎた親心ではないでしょうか。

娘さんはお父さんが大好きですよね。
しかし、性に関して踏み込んでしまうと、娘さんを知らず知らずのうちに傷つけてしまうと思います。

それは障碍者であっても健常者であってもです。

親子であっても、できることできないことがあると思います。

この場合、あなたができる事と言えば、娘さんの夜道の帰りに迎えに行ってあげること、養護学校の先生に相談してみること、ではないでしょうか?

Q夫が自殺。苦しいです。長文ですがお願いします。

夫が二ヶ月前に自殺。夫は6月頃からうつ病でした。

7年前から私とはセックスレス、ずっと浮気していると正直思ってたけれど、諦めと信じたい気持ちでいました。
7年前に浮気を疑った時は、夫と携帯の取り合いし二歳の子供の前で私は投げ倒され顔を踏み付けられ噛み付かれ、そのまま夫は出ていきました。
その間、子供が熱をだしパパと呼ぶので帰ってきてといっても帰ってこず。
調停離婚を希望すると「飛ぶよ(姿を消す)」といい、私は家も仕事も見つけ新しい生活を始めるも、離婚が成立せず学校の問題で夫の家に帰宅。

夫は以前よりも好き勝手に行動し子供とお風呂に入るともう出掛けるという生活。仕事に加えアルバイトをしてて、それを理由にほぼ家にはいませんでした。

去年12月些細なことでケンカし、子供と過ごすべきクリスマスも正月も寝に帰ってくるだけ。
親のケンカに子供は巻込んではいけないとメールするも「貴方とは考え方が違いますから」と。

離婚を決意し、以前家出した時に何故離婚しなかったのか聞くと「あんたの母ちゃんに離婚しないでと拝み倒された」と言いました。その時点で母は他界しており確認出来ませんが、私の母も一人で育ててくれたのでそれは絶対に言いません。

私は愛もセックスもある生活をしたいから離婚したいといい続けましたが
「浮気してないけど、セックスはまたそのうち…」「愛情はないけど情はある」
そう言われ、その後も何度か話し合いましたが、離婚はしないの一点張り。

そのうちアルバイトの仕事が減り、何故か夫はパニック。アルバイトの収入は自分の小遣い。逆に言えば家に必要なお金では無いので辞めても全く問題なし。それを何度言っても夫は「お金が減る…」とそればかり。

そのうちに不眠になり、うつ病に。
その途端「捨てないで」とすがりつかれ、夫がこのままでも私がこれから頑張らなくては!と決意しました。

休職して半月、少し体調がよくなってきたら勝手に留守にし電話もとらない時がまた始まりました。
そして復職し安心した途端、夫の浮気が発覚。一晩中謝ってくれたものの、私は実家に帰り、夫は何度も電話やメールで一緒にいてと繰り返しました。

その時点で私の母は拝み倒してなかった
(私をコケにした)こと、以前も結局浮気してたこと(私が悪く言われ暴力を振るわれた)彼女とデートするために高級車を買っていたこと、セックスはまあそのうち…なんて言って自分は彼女がいて私をバカにしてた事、クリスマスも正月も彼女と過ごしていたこと、全てがわかりこの7年間を思い返すと許せる余裕がありませんでした。


その夜、夫は私の実家にきて土下座しましたが、一晩中謝ったその後で彼女に「嫁と別れることになった。」と電話し「大好き」とメールしてたことが分かり、(彼女に電話しました)嫌がる夫にまだ提出はしないと約束し離婚届けにサインさせました。

翌日、夫は会社の先輩を連れてきて一緒に謝ってくれました。
でも夫の実家に帰って貰うようにいいました。
その時にお金を持たせるのは嫌だったのでお財布からキャッシュカードをとると(現金で6万あり)またパニックになり、カードを返してとオバケのように繰り返しました。

反省してない態度が許せず、離婚するかお金を諦めるかだと責めました。どちらも嫌だと言い張るので、浮気してるのは確実だから調停するといってカードを返しました。

そこでやっと、「もうお金なんかいらない、勘弁して」と。
すごく必死な姿でした。本当に必死だったと思います。

でもその時は腹が立って、今更な必死さが許せなかった。

また翌日、彼女と話し合いする日。彼女は来ず、夫は来ました。彼女の家に行こうと言っても勘弁してと言う夫。夫の会社の社長の家に行くか彼女の家に行くかで車を走らせたらやっといいました。

夫はもう死ぬしかない、勘弁してといい続けましたが、彼女にも「別れるなら死ぬ」と言ってたので本気にしませんでした。
それどころか先輩と謝ってくれたときに死んだ方が価値があると言ってしまいました。

翌日、死ぬと言いに来ました。「反省するっていうならその態度を見せるべきなのにどうして見せてくれないの!」と責めました。その日は無事に実家に帰ってくれました。

そして、翌日朝からまた死ぬという電話。
許せなくて私自身が泣いたり喚いたりしたと思います。私より彼女が好きなんでしょ?と聞くと「うん」と言われ、私も力尽きました。

「死にたい」という夫にもうどうなっても私には関係ないと言ってしまいました。夫は低く唸るような声を出しました。
今思えばその時、夫がオカシイと思った気がします。でも怒りの方が本気に出来なかったんです。

そして夫は自殺しました…

うつ病だと分かっていたのに、その時はそんなこと思いやる事も出来なかった。
死ぬ前に何度も電話したのに。帰っておいでと言うだけだったのに。後悔し続けてます。


浮気がバレて謝っても、彼女に嫁と別れるといったのは、うつ病だからですか?決断力がない状態だから…
それとも夫の元々の性格ですか?

最後は夫は本当に反省してたのですか?
(うつ病だからすがっただけ?)

夫にとって私は何だったのですか?
(愛情があるとは思えない)

許してたら仲良くやり直せたのですか?
(私に愛情を持てるようになった?彼女を忘れる事が出来た?)

私のせいで夫は死んでしまったのですか…?

うつでなければ死んでないとわかっています。でもここまで、足掻いたのはうつだったせいなのか・・

病気のせいだとしたら、もっと私が理解していれば・・
でも病気でなかったらまた彼女を取ったのでしょうか・・


人生の半分を夫と過ごして来ました。
そして結婚して14年の半分、夫は浮気をし続けてきました。浮気相手は色々変わってたようで、いない時もあったと思うのに、その隙間にも私は入り込めなかった。

それでも優しかった頃に戻ってくれたのではないかと、自分の余裕のなさを悔やんでます。

離婚で終れてたらそれで良かった。私も浮気男には未練はない!と思ってました。
でもこんな結果になって…夫を喪ったことが苦しくて悲しくて会いたくてたまりません。
死ぬほど苦しかったのかと思うと・・
まだ子供は小学生なのに…

皆さんの意見、助言お聞かせ下さい。

夫が二ヶ月前に自殺。夫は6月頃からうつ病でした。

7年前から私とはセックスレス、ずっと浮気していると正直思ってたけれど、諦めと信じたい気持ちでいました。
7年前に浮気を疑った時は、夫と携帯の取り合いし二歳の子供の前で私は投げ倒され顔を踏み付けられ噛み付かれ、そのまま夫は出ていきました。
その間、子供が熱をだしパパと呼ぶので帰ってきてといっても帰ってこず。
調停離婚を希望すると「飛ぶよ(姿を消す)」といい、私は家も仕事も見つけ新しい生活を始めるも、離婚が成立せず学校の問題で夫の家...続きを読む

Aベストアンサー

回答No.11です。

あなたの後悔はよくわかります。それが普通の考え方です。
一般的な脳の持ち主が順調に成長することを定型発達といいまして、あなたは定型発達の人だと思います。

でもアスペの人は非定型発達といって一般的な働き方をしない脳の持ち主で、その脳にとっては何だか変なルールの多い生きにくい社会(この社会)の中で、よくわからないながらも何とか適応しながら発達していきます。

ご主人にとっては、その変なルールのひとつに「浮気してはいけない」があったと思います。他にも沢山理解できないルールがあったでしょう。
なぜならそのルール達は、普通の人達だけが納得して、円滑に社会生活を営むためのルールだからです。
特に結婚制度は、善悪とは関係ないただの社会制度ですから、昔から浮気問題がこれだけあるのを鑑みれば普通に考えてもちょっと無理があるかも?と思えるルールです。

ご質問のように、ご主人は今度浮気がバレたら離婚ということはわかっていますが、浮気が悪いとは思っていませんし、アスペの人達の中には、自分のやりたいことのやりたさがすごい人達がいますので、ご主人はその仲間に入るのだろうと思います。

私の夫と友人のご主人の場合は、そのやりたいことがたまたま学問の分野で職業にもなっていますので、運良く社会適応できていますが、家庭ではずっと自室に閉じこもり(寝起きも自室)好きなこと(専門分野の勉強)をやっていますので、私達妻にとって夫はいないも同然です。
家族に何かあって協力を求めるのもひと苦労か、協力を得られません。もちろんあなた(普通の人)の望む結婚生活などできません。

もっと正確に言いますと、職業ですら彼らにとってはギリギリの社会適応で、本当ならば仕事などしないで好きなことだけをしていたいのです。なので運悪く職を失い、お金のためにとりあえず何か全然違う仕事をしろと言ったら、それこそウツになって死にたがります。(実は2人とも経験ずみ)

「やりたいことができないなら死んだ方がマシ」というのは、普通の人には理解できないかもしれませんが、そういう人がいるということです。おすすめした本を購入されたとのことで、その本を読めばあなたにも理解できると思います。私も参考に購入して届くのを待っているところです。

”本当に昔は友達が羨むほど優しかったんです。愛情がなくなって母親のような扱いになってしまったんですね。”

これを読んで胸が傷みましたが、あなたがアスペを理解すれば、愛情がなくなったから母親の扱いになってしまったのではないことがわかると思います。
あなたは単に結婚して家族になってしまったから母親の扱いになっただけで、それはどの彼女も結婚してしまえば同じ運命だと思います。

「愛情はないけど情はある」とご主人が言ったそうですが、この言葉通りなのです。
それを聞いた普通の人は、では彼女には愛情があるのかと思ってしまいますが、彼女と言う存在は、自分が楽しむために必要なただのお気に入りの「モノ」なので、 愛情はないと思われます。
もちろんご主人自身は無自覚で、彼女を大好きなことに違いありませんが正確には「大好きなモノ」と捉えて構わないと思うのです。

子供がゲームをしたい、外で皆と楽しく遊びたい、大人が持つ趣味(楽しいこと)・・・それがたまたまご主人の場合は「恋愛」だっただけで、もしご主人の趣味が魚釣りであれば、やはり家庭も顧みず、ヒマさえあれば何時でも構わず釣りに出かけたことでしょう。他の趣味でも同じです。ギャンブルでなかったのが幸いと思います。

なので、あなたがもし許してあげていたら、また今まで通りの暮らしが待っていたと思います。それで揉めれば揉めるほど、ご主人のストレスが大きくなってウツになり、下手をすると就労も難しくなっていたかもしれません。彼らのやりたいことを止めることはそれくらい難しいのです。

そしてもしあなたが発達障害を理解していてもやはり同じで、ただあなたがご主人の自分勝手な行動を許すしかないので、飽きるまで浮気し続けると思います。どちらにせよ、あなたの望む結婚生活はご主人とは有り得ないのです。ご主人との結婚はご主人の望む結婚生活でしか続けられません。

急に言われても理解できないと思いますが、私があなたに責任がないと言うのが、慰めでも何でもないことがご理解頂ければと思います。この機会に発達障害をよく理解すれば、あなたのこれからの人生に必ず役立ちます(私も結婚前に知りたかったですよ)ので、今は辛くても時間をかけてこの経験を乗り越えて、是非次は幸せになってください。

回答No.11です。

あなたの後悔はよくわかります。それが普通の考え方です。
一般的な脳の持ち主が順調に成長することを定型発達といいまして、あなたは定型発達の人だと思います。

でもアスペの人は非定型発達といって一般的な働き方をしない脳の持ち主で、その脳にとっては何だか変なルールの多い生きにくい社会(この社会)の中で、よくわからないながらも何とか適応しながら発達していきます。

ご主人にとっては、その変なルールのひとつに「浮気してはいけない」があったと思います。他にも沢山理解できな...続きを読む

Q下着がすぐに汚れてしまう…

 女性の皆さんに、相談します。
 下着(ショーツ)が汚れやすくて一日はいただけでクロッチ部分が黄色くなってしまうのですが、これって普通のことなんでしょうか?せっかく気に入った新しい下着を買ってもすぐに汚れてしまうのでなんとかならないものかと思っています。
 洗濯すればもちろんきれいになりますが、回数を重ねると少しずつ色素が定着してしまうのか、だんだん黄色が目立ってきてしまいます。なんだか心配だし、気に入った下着の寿命が(?)短くなるのも嫌なので、何か対処法があればそれも教えてください。ただし、シートなどをつけるのは嫌なのでそれ以外の方法で。

Aベストアンサー

kakosanさん、こんにちは。
下着が汚れるのは、全然心配いらないです。
女性ホルモンが活発に分泌されているので
自然とおりものが出てきてしまうんですよね。

さて、おりものシートは使いたくない・・ということですが、
それなら、まめに下着を交換されたほうがいいと思います!
おりものシートも、私は愛用していますが、
ときどき、むれたり、かぶれたりするんですよね。
綿100%の下着に勝るものは、ありません。

汚れがひどいときは、一日2,3回は下着を交換したほうがいいと思います。
ちょっとお洗濯が多くなっちゃいますけど、いつもキレイな下着で
さっぱりしたいものですよね!!
使うサイクルを短くすることで、下着の寿命も長くなりますから
これはいい方法だと思います!

あと、汚れたらすぐに脱いで、石鹸で汚れた部分をもみ洗いして
あとはお洗濯するまで水につけておいたらいいですよ♪
少しだけ、洗剤を溶かした水につけておけば、より効果的です。

ご参考になればうれしいです。


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